大阪の小料理屋「とりかい」には豆腐小僧が棲みついている

山いい奈

文字の大きさ
6 / 62
1章 きっとここからが、始まり

第5話 歓楽街、北新地

しおりを挟む
 亜沙あさが勤める「つるのさと」のある北新地きたしんちは、大国町だいこくちょうから四つ橋よつばし線で数駅の西梅田にしうめだ駅が最寄りである。いちばんの最寄りはJR東西とうざい線の北新地駅なのだが、このふたつの駅は目と鼻の先ので、西梅田からでも充分近いのだ。

 本町ほんまち駅までは両親と一緒で、先に降りたふたりを見送り、亜沙はそう混んでいない電車でひとりになる。

 西梅田駅に到着し、人の波に乗って改札を出て、飾り気の少ない地下道を歩く。JR北新地駅の前を通り、しばらくはまっすぐだ。まだ早い時間だからか、人通りはほとんど無い。

 今日、亜沙は「つるの郷」に退職することを告げる。気持ちとしては晴れ晴れとしているのだが、あの料理長に何か言われるのでは無いかと思うと気が重い。嫌味のひとつも言われることは、覚悟しなければならない様な気がする。

 決して慰留いりゅうされたりはしないだろうから、そこに関しては気が楽である。

 そして、やはりいちばんの懸念は香里奈かりなさんである。あの環境でひとりにしてしまうのは気がとがめた。そのために退職をとどまることは違うとも思うのだが、少なくとも亜沙は香里奈さんがいたからここまで耐えられたのだ。だから大恩がある。

 まずは香里奈さんに相談してみようと、亜沙は歩みを進める。

 地上に続くエスカレータを上がりきると、そこはもう北新地の入り口である。通りにはいくつものビルが立ち並び、そのひとつひとつに飲食店などがぎっしりと入っている。

 高級クラブやホストクラブ、亜沙が勤める「つるの郷」の様な料亭や割烹かっぽう、小料理屋など。

 中には亜沙が「スナックビル」と呼んでいるものがあり、そのビルにはこぢんまりとしたスナックやラウンジ、バーなどが上から下まで詰まっているのだ。ずらりと並べられた電飾看板は壮観である。今はまだ明るいのだが、暗くなれば明かりが灯され、その存在を主張する。

 以前の北新地は高級店ばかりだと聞いた。それこそご常連などの紹介が無ければ入れない様な、一見いちげんさんお断りのお店が軒を連ねていたのだと言う。

 だが今の北新地は、大人であるならあらゆる人に門戸が開かれている。もちろん今でも会員さんだけや紹介のみのお店はあるが、そうで無いお店もぐっと増えた。「つるの郷」もそのひとつである。

 これも時代の流れなのだろう。亜沙は生まれる前のことなのでまるっきり恩恵を受けていないが、バブル時代と言われた時などは、この北新地では毎夜札束が飛び交っていたと聞く。日本が豊かだった時代である。

 それが弾けてしまってからは景気がどんどん落ち込み、亜沙の様な若輩者はむしろそういった時代しか知らない。所持しているクレジットカードがゴールドやブラックなわけが無いし、帯封で巻かれている札束なんてのも、テレビや写真などでしか見たことが無い。

 そうした時代を迎え、街として生き残るために北新地は今の姿に移り変わって行ったのだ。男性が気軽に遊べるガールズバーなどが参入し、若い人でも楽しめるカラオケボックスの大箱ができたり、チェーン店なども入っている。

 今や裕福なのは日本人の一部で、「つるの郷」だって会員制こそ廃止されたものの、そういったお客さまたちに支えられている。そういう意味では生き残れたお店なのだ。会員制にこだわるが故に閉店を余儀無く慣れたお店もあったと聞く。

 そうした当初の部分を形を変えて保ちつつ、多くの人に受け入れられやすいお店も取り入れたのが、今の北新地なのである。

 まだ陽の高い北新地は、人の通りもまばらである。クラブなどは開店時間も遅いので、今通りをぽつりぽつりと歩いているのはきっと料亭など飲食店の従業員などが多いだろう。

 「つるの郷」に到着し、亜沙は脇道にある従業員通用口から中に入る。「つるの郷」はそれなりに高級店であるので、佇まいも上品である。黒とダークブラウンの素材をバランス良く使った玄関や、クリーム色の外壁。中に入れば淡いブラウンがメインとなっている。

 その代わりなのか、従業員が使うロッカールームなどはあまりこだわられていない。良く言えばシンプル、要は素っ気ない。使いやすさ重視と言ったところだろうか。基本はお客さまのお目に入るものでは無いので、まぁ問題は無いのだろう。亜沙もこの部分に関しては不便を感じたことは無いのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜

菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。 まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。 なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに! この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。

【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~

いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。 地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。 「――もう、草とだけ暮らせればいい」 絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。 やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる―― 「あなたの薬に、国を救ってほしい」 導かれるように再び王都へと向かうレイナ。 医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。 薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える―― これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。 ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

同窓会に行ったら、知らない人がとなりに座っていました

菱沼あゆ
キャラ文芸
「同窓会っていうか、クラス会なのに、知らない人が隣にいる……」  クラス会に参加しためぐるは、隣に座ったイケメンにまったく覚えがなく、動揺していた。  だが、みんなは彼と楽しそうに話している。  いや、この人、誰なんですか――っ!?  スランプ中の天才棋士VS元天才パティシエール。 「へえー、同窓会で再会したのがはじまりなの?」 「いや、そこで、初めて出会ったんですよ」 「同窓会なのに……?」

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

拾われ子のスイ

蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】 記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。 幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。 老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。 ――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。 スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。 出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。 清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。 これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。 ※週2回(木・日)更新。 ※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。 ※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載) ※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。 ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

芙蓉は後宮で花開く

速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。 借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー カクヨムでも連載しております。

処理中です...