大阪の小料理屋「とりかい」には豆腐小僧が棲みついている

山いい奈

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1章 きっとここからが、始まり

第18話 お豆腐料理は「とりかい」で

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 それから「とりかい」の営業と平行して滋賀県産の大豆をいくつか仕入れ、ふうとに味を見てもらって使う大豆を決めて。

 お水は、もともと「とりかい」の厨房に設置していた浄水器で賄うことになって。

 そうして1週間後の月曜日、無事お豆腐料理のおしながきを増やす日を迎えた。週末の賑わう日にお披露目できたら良かったのかも知れないが、オペレーションが変わることもあり、やはり落ち着きのある月曜日が良いのではと亜沙あさもお父さんも思ったのだ。お母さんにも「無理すな」と言われている。

 お豆腐料理のおしながきは、冊子状の定番おしながきとは別に用意した。一枚もので、ラミネート加工を施した。のちのち冊子にまとめる予定だが、今はこの方が特別感が出て宣伝効果もあるのではと踏んでいる。

 亜沙とお父さんは、小料理屋で出しても不自然では無い和のお豆腐料理をたくさん挙げた。冷や奴と揚げ出し豆腐、ひりょうずと卯の花はもともと「とりかい」で出していたのだが、それらに加えて豆腐ハンバーグやステーキ、肉じゃがから派生できる肉豆腐に、定番にあった牛すじ煮込みにも木綿豆腐を加えることにした。そして絹ごし豆腐での湯豆腐も外せない。

 お豆腐のそぼろあんかけには季節のお野菜を使うことにし、お味噌を使った和風麻婆豆腐もおしながきに加えた。

 お客さまの注文状況や作業の手間などを見て、これからさらに増やしたり逆に減らしたりする。その臨機応変が個人経営の強みでもあるのだ。

 お豆腐さえあれば、これまで使っていた調味料などがほぼそのまま使える。そうして亜沙とお父さんはおしながきを決めたのだ。

「和風麻婆豆腐? これどんなんなんですか?」

 こちらもご常連の若い女性である。サーモンピンクのふんわりとしたワンピースにウェーブが掛かった長い髪。柔らかな雰囲気のお嬢さんだ。一緒に来ている同い年ぐらいの女性からはカヨちゃんと呼ばれていた。見た目はともかく辛いものなどが好きなお年頃である。

「日本のお味噌をベースに、豆板醤やラー油などを加えますよ。辛さはピリ辛程度ですけど、お好みでお増やしもできますよ」

「ほな、できるだけ辛くしてください」

「かしこまりました。ありがとうございます」

 すると厨房の片隅でおとなしくしていたふうとがとことことやって来る。

「はい、亜沙さん、麻婆豆腐には絹ごしですね」

 ふうとが差し出した手には、竹ざるに乗った滑らかな表面の絹ごし豆腐が置かれていた。

「うん。ありがとう」

 亜沙はお客さまに聞こえない声量でお礼を言った。ふうとはにっこりと笑って、亜沙の手元を見つめる。

 火に掛けたフライパンにごま油を引き、白ねぎとしょうがのみじん切りをじっくりと炒める。ふぅわりと香りが立って来たら豚の挽き肉を入れる。軽く焦げ目を付けるために、少し置いておく。

 その間にお豆腐は一口大に切り、お湯を張ったお鍋で茹でておく。ぐらぐらさせない様に弱火でことことと。こうすることで余分な水分が抜け、煮崩れしづらくなるのだ。

 挽き肉の底面が少しかりっとしてきたら、ヘラでざくざくと解す。ほろほろになる様にしっかりと炒め、奥に寄せたら鍋肌で豆板醤を炒める。味の肝となる調味料だ。カヨさんのご要望通り多めに入れた。

 豆板醤は辛味だけでは無く旨味もある調味料である。多少入れても美味しさの邪魔をしないのだ。お味噌とのバランスを考えて、どちらも活かせる味付けにできる様に。

 油と脂が混じり合ったところにしっかりと風味が移ったら、お出汁をひたひたに入れた。和風なので鶏がらスープでは無く、昆布と鰹で取ったお出汁である。

 沸いたら調味料を入れる。お酒、お砂糖、お醤油、そしてお味噌を溶かす。

 そこに茹でたお豆腐を投入する。崩さない様にそろりと混ぜて味を馴染ませ、軽く煮込む。お味噌の香りに豆板醤がしっかりと主張している。そして水溶き片栗粉でとろみを付ける。その片栗粉にもふつふつとしっかりと火を通して。

 少し深さのある器に盛り付けて、真ん中に彩りの青ねぎ小口切りをこんもりと盛り、ラー油を回し掛けたら完成だ。れんげを添えて。取り皿も新しいものを出そう。

「はい、和風麻婆豆腐お待たせしました」

「ありがとうございます。ええ匂い。おいしそう!」

 お客さまは赤く染められたお料理を前に微笑む。さっそくれんげを使って新しい取り皿に取り分けて、お箸で器用に口に運んだ。

「ん、美味しい。でももっと辛いぐらいでもええかも」

「あら、辛さが足りませんでした? ラー油もう少し足してみはります?」

 世には辛さ耐性どないなっとんねん、な人もたくさんいる。このカヨさんも相当辛いものがお好きな様だ。亜沙なりに辛さを足したつもりだったのだが。

「ううん、あんま辛くし過ぎると、せっかくのお味噌の味が飛んでまいそう。これはこれでありありです」

「良かったです。どうしてもお味噌の風味を大事にしたくて」

「そりゃそうですよね。ここ小料理屋ですもんね」

「ありがとうございます」

 カヨさんの懐の広さに助けられたと、亜沙はほっとする。やはりお好みの把握は難しいものだなとしみじみ思う。

 以前いた「つるの郷」は大箱だったので、食材の好き嫌いやアレルギーぐらいしか対応はできなかったが、この「とりかい」は個人のこぢんまりとしたお店で、だからこそお客さまの希望を聞くことができる利点がある。

 あまりにも「とりかい」の味とかけ離れてしまうのは悲しいことだが、もう少し甘い方が、辛い方が、などの要望は叶えたいと思っている。

 お父さんもそうして、これまでお客さまと向き合って来たのだ。亜沙がそれをしっかりと引き継がなくては。

「あのー、豆腐ステーキってソースは何?」

 また別のネイビースーツの壮年男性のお客さまに問われ、亜沙は「はい」とそのお客さまの前に向かう。

「基本はバターポン酢です。ですがバター醤油とか、お醤油だけとかポン酢だけとかも、できますよ」

「ほな、バター醤油でもらおかな」

「はい。かしこまりました」

 するとまだ横にいたふうとがにこーっと笑い、「はい! 亜沙さん!」と竹ざるに乗った木綿豆腐を出してくれた。

「ふふ、ありがとう」

 亜沙はさっそく、フライパンを火に掛けた。



 そうして、亜沙の「とりかい」の日々が始まった。お父さんと一緒に厨房に立てることの幸せ、そして思いがけなかったふうととの出会いはこの「とりかい」に美味をもたらした。あやかしから人を守る役目も。

 これからもまだまだ学ばなければならないことも多いだろう。だが大丈夫。この環境はきっと亜沙をもっと高めてくれる。希望が見える。

 満足げな表情でお料理に舌鼓を打つお客さまを眺め、この素敵な景色を少しでも長く見ていられる様に。

 亜沙は焼き上がりつつある豆腐ステーキにバターをひとかけら落とし、ゆるりと口角を上げた。
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