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2章 牛鬼の花嫁
第1話 初めてのお客さま
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「亜沙ちゃん、肉豆腐ちょうだい」
「はい。お待ちくださいね~」
「大将、だし巻き頼むわ」
「はいよ、お待ちをー」
今夜も「とりかい」では、お客さまと亜沙とお父さんの元気な声が響く。肉豆腐の注文を受けた亜沙の横にはふうとがやって来て、「はい、亜沙さん!」と、竹ざるに乗った木綿豆腐を出してくれた。
「ありがとう」
肉豆腐のベースは肉じゃがとほぼ同じである。肉じゃがのじゃがいもをお豆腐に差し替えてやるのだ。
仕込みの時に、大振りのお鍋で牛スライス肉とくし切りの玉ねぎ、しらたきを少し多めの煮汁で煮込んである。もうひとつのお鍋には、同じ配合の煮汁でじゃがいもだけがじっくりと煮込まれていた。
亜沙は適当な大きさに切った木綿豆腐をお鍋に置き、そこに牛スライス肉と玉ねぎ、しらたきと煮汁、お豆腐から出る水分をカバーするためにお砂糖とお醤油を少量入れて火に掛けた。全体が温まり、お豆腐に味がふっくらと含まれたら完成である。
肉じゃがはお豆腐の代わりにじゃがいもを入れ、肉豆腐より長めに煮込んでやるのだ。
そして両方とも彩りの青いものはうすいえんどう。さやから外して下茹でして置いてあった。この青ものは季節や日によって変えていく。
5月。桜はすっかりと可愛らしい花びらを落とし、目にも鮮やかな新緑を見せている。これから夏に向けて青々と色濃く茂るのだろう。
この本町には靱公園という大きな公園があり、春には桜も咲き誇る。今やきっと他の桜と同様に、若々しい葉桜が目に優しいだろう。広大なバラ園もあって、ちょうど今の時季、そして秋には華美な花を付けるのだ。
亜沙は両親とふうとと、靱公園の桜が満開のときに見に行っていた。「とりかい」の仕込み前の時間だったのでそうゆっくりはできなかったが、コンビニで買ったSサイズのドリップコーヒーを飲むぐらいの時間はあった。その短い時間は亜沙の心を充分に和ませてくれた。
さて、木綿豆腐がじんわりと色付いて来た。そろそろできあがりだ。亜沙はお豆腐を崩してしまわない様にシリコンベラを使って優しくすくい上げ、深さのある器に入れる。そして牛肉などを見栄え良く置き、煮汁を注いでぷっくりと張りのあるうすいえんどうを散らした。
「はい、肉豆腐お待たせしました」
「ありがとう」
「こっち、ポテサラもらえる?」
「はい。お待ちください」
注文は待った無し。亜沙が肉豆腐を作っている間にもあって、お父さんと手分けして用意をして行く。きんぴらごぼうや卯の花、ひじきの煮物などのお惣菜などは作り置きしているので、煮込んでいる傍らで小鉢に移して提供していた。
ポテトサラダも作り置き惣菜のひとつだ。きゅうりと玉ねぎは水分が出ない様にしっかりと塩揉みするし、ハムや炒り卵も入れて彩りよく仕上げている。
お父さんは今ひりょうずの支度をしている。ひじきと人参、ごぼうを加えてかりっとしっとりと揚げたひりょうずは、関東や標準語ではがんもどきと呼ばれる。こちらも仕込みのときに揚げまで済ませてある。
こちらは餡かけと焼きを選ぶことができ、この注文は焼きである。グリルでこんがりと火を通し、すり下ろしたしょうがをちょこんと乗せ、お客さまのお好みでお醤油かポン酢を掛けてもらう。
ひりょうずに使う木綿豆腐も、もちろんふうとによるものだ。ふうとが来るまでは仕入れたお豆腐で作っていて、それも好評だった様だが、ふうとのお豆腐になってから、その評判はますます上がったそうだ。
この「とりかい」のある本町はビジネル街で、企業の業務が終わるのが十七時か十八時がほとんど。時間はそろそろ十九時になろうとしていて、残業を終えたお客さまもぼちぼちとのれんをくぐる。
そんなとき、またがらりと開き戸が開いた。
「いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ~」
亜沙とお父さんが迎えたお客さまは、若くて美しい女性だった。艶やかな明るい色の髪は背中まで伸び、お化粧は程よく品が良く、肌は白くて滑らかに見える。モスグリーンのパンツスーツが細身の身体に良く似合っていた。
「あの、初めてなんですけど、ええですか?」
「もちろんですよ。どうぞ」
お父さんが開いている席に促す。女性はジャケットを脱いで壁面のハンガーに掛け、椅子に腰を降ろした。亜沙が暖かいおしぼりを手渡す。
「こちらのお店、お豆腐料理が多いて聞いて。私、お豆腐大好きなんです」
「それは嬉しいです。いろいろご用意してますので、どうぞお楽しみくださいね」
「楽しみです~」
お客さまの期待に満ちた眼差しに、亜沙はまた嬉しくなってしまう。お豆腐はこの子が作ってるんですよ、とふうとを紹介したくなってしまう。
女性が生ビールを注文したので、亜沙は飲み物の用意の前にお通しの冷や奴を出そうと豆皿を出した。ここですぐに来てくれるふうとが、このときは来なかった。
あれ? と思い振り返ると、ふうとは椅子の上で小さな膝を抱えてぶるぶると震えていた。
「はい。お待ちくださいね~」
「大将、だし巻き頼むわ」
「はいよ、お待ちをー」
今夜も「とりかい」では、お客さまと亜沙とお父さんの元気な声が響く。肉豆腐の注文を受けた亜沙の横にはふうとがやって来て、「はい、亜沙さん!」と、竹ざるに乗った木綿豆腐を出してくれた。
「ありがとう」
肉豆腐のベースは肉じゃがとほぼ同じである。肉じゃがのじゃがいもをお豆腐に差し替えてやるのだ。
仕込みの時に、大振りのお鍋で牛スライス肉とくし切りの玉ねぎ、しらたきを少し多めの煮汁で煮込んである。もうひとつのお鍋には、同じ配合の煮汁でじゃがいもだけがじっくりと煮込まれていた。
亜沙は適当な大きさに切った木綿豆腐をお鍋に置き、そこに牛スライス肉と玉ねぎ、しらたきと煮汁、お豆腐から出る水分をカバーするためにお砂糖とお醤油を少量入れて火に掛けた。全体が温まり、お豆腐に味がふっくらと含まれたら完成である。
肉じゃがはお豆腐の代わりにじゃがいもを入れ、肉豆腐より長めに煮込んでやるのだ。
そして両方とも彩りの青いものはうすいえんどう。さやから外して下茹でして置いてあった。この青ものは季節や日によって変えていく。
5月。桜はすっかりと可愛らしい花びらを落とし、目にも鮮やかな新緑を見せている。これから夏に向けて青々と色濃く茂るのだろう。
この本町には靱公園という大きな公園があり、春には桜も咲き誇る。今やきっと他の桜と同様に、若々しい葉桜が目に優しいだろう。広大なバラ園もあって、ちょうど今の時季、そして秋には華美な花を付けるのだ。
亜沙は両親とふうとと、靱公園の桜が満開のときに見に行っていた。「とりかい」の仕込み前の時間だったのでそうゆっくりはできなかったが、コンビニで買ったSサイズのドリップコーヒーを飲むぐらいの時間はあった。その短い時間は亜沙の心を充分に和ませてくれた。
さて、木綿豆腐がじんわりと色付いて来た。そろそろできあがりだ。亜沙はお豆腐を崩してしまわない様にシリコンベラを使って優しくすくい上げ、深さのある器に入れる。そして牛肉などを見栄え良く置き、煮汁を注いでぷっくりと張りのあるうすいえんどうを散らした。
「はい、肉豆腐お待たせしました」
「ありがとう」
「こっち、ポテサラもらえる?」
「はい。お待ちください」
注文は待った無し。亜沙が肉豆腐を作っている間にもあって、お父さんと手分けして用意をして行く。きんぴらごぼうや卯の花、ひじきの煮物などのお惣菜などは作り置きしているので、煮込んでいる傍らで小鉢に移して提供していた。
ポテトサラダも作り置き惣菜のひとつだ。きゅうりと玉ねぎは水分が出ない様にしっかりと塩揉みするし、ハムや炒り卵も入れて彩りよく仕上げている。
お父さんは今ひりょうずの支度をしている。ひじきと人参、ごぼうを加えてかりっとしっとりと揚げたひりょうずは、関東や標準語ではがんもどきと呼ばれる。こちらも仕込みのときに揚げまで済ませてある。
こちらは餡かけと焼きを選ぶことができ、この注文は焼きである。グリルでこんがりと火を通し、すり下ろしたしょうがをちょこんと乗せ、お客さまのお好みでお醤油かポン酢を掛けてもらう。
ひりょうずに使う木綿豆腐も、もちろんふうとによるものだ。ふうとが来るまでは仕入れたお豆腐で作っていて、それも好評だった様だが、ふうとのお豆腐になってから、その評判はますます上がったそうだ。
この「とりかい」のある本町はビジネル街で、企業の業務が終わるのが十七時か十八時がほとんど。時間はそろそろ十九時になろうとしていて、残業を終えたお客さまもぼちぼちとのれんをくぐる。
そんなとき、またがらりと開き戸が開いた。
「いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ~」
亜沙とお父さんが迎えたお客さまは、若くて美しい女性だった。艶やかな明るい色の髪は背中まで伸び、お化粧は程よく品が良く、肌は白くて滑らかに見える。モスグリーンのパンツスーツが細身の身体に良く似合っていた。
「あの、初めてなんですけど、ええですか?」
「もちろんですよ。どうぞ」
お父さんが開いている席に促す。女性はジャケットを脱いで壁面のハンガーに掛け、椅子に腰を降ろした。亜沙が暖かいおしぼりを手渡す。
「こちらのお店、お豆腐料理が多いて聞いて。私、お豆腐大好きなんです」
「それは嬉しいです。いろいろご用意してますので、どうぞお楽しみくださいね」
「楽しみです~」
お客さまの期待に満ちた眼差しに、亜沙はまた嬉しくなってしまう。お豆腐はこの子が作ってるんですよ、とふうとを紹介したくなってしまう。
女性が生ビールを注文したので、亜沙は飲み物の用意の前にお通しの冷や奴を出そうと豆皿を出した。ここですぐに来てくれるふうとが、このときは来なかった。
あれ? と思い振り返ると、ふうとは椅子の上で小さな膝を抱えてぶるぶると震えていた。
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