29 / 43
3章 たくさんの真心
第8話 お料理をかすがいにして
しおりを挟む
月曜日。あさひが助けを求めた玉城さんは、仕込み時間前に時間を作ってくれた。あさひはSNSで指定された時間に電話を掛ける。
「お忙しいところ、ほんまに申し訳ありません。あの、申し訳無いんですが、渡部さんの件で少し困っていることがありまして」
あさひは渡部さんが就業時間以外にも連絡をしてくること、それが早朝や深夜の就寝時間にも及んでいることを伝えた。
決して非常識なんていう言葉は使わず、やや困っているという程度の表現にとどめる。
『あちゃー、それはあかんわ』
電話の向こうで顔をしかめたのが分かる様な、玉城さんの声が返ってきた。
『ほんまに申し訳無い。私から渡部くんに注意してみるから、もう少し様子を見てみてくれませんか』
あひさはほっとする。良かった、分かってもらえた。
「いえ、こちらこそ力及ばずで申し訳ありません。ほんまに助かります。よろしくお願いします」
これで、せめて睡眠を侵されない様になれば良いのだが。あさひは朝が弱いということは、そもそもの寝起きが悪いということだ。気を付けてはいるものの、あまりクライアントさんに不機嫌な声を聞かせたくは無い。
『渡部くんはな、腕は確かやし、せやから独立するんやし、悪い人や無いんです。でも、猪突猛進てこういうことを言うんかな、とにかく思い立ったらじっとしてられへん、そんなタイプなんやね。もう気付いてはると思うけど。それがええとこでも悪いとこでもある。今回はそれが悪い方にいってしもたんでしょうなぁ』
玉城さんは呆れた様な声色を滲ませながら言う。もしかしたらその性格で、少なからず困らされたことがあったのかも知れない。
シトロンさんは確かコックさんが何人かいて、ホール係さんも含めるとそれなりの従業員さんがいるはずだから、止める人もいたのだろ。だが、今は解き放たれている状態なのかも知れない。
あさひにとって渡部さんはクライアントさんで、立場としてはあさひの方が下になってしまう。なのであさひから強く言うことは難しい。対等な人、もしくは上の立場の人からたしなめてもらうしか無いのだ。
『とりあえず、今から電話してみますんで、様子見てみてください。よろしくお願いします』
「こちらこそ、よろしくお願いします。お手数お掛けしてしもてすいません」
通話を終え、あさひは大きく息を吐く。これで少しでも落ち着いてくれたら助かるのだが。あさひは願うしか無いのだった。
それから10分ぐらいが経ったころ、あさひのスマートフォンに着信があった。渡部さんだった。
『白井さん、ほんまにすいませんでした! 玉城さんから連絡もろて、あの』
渡部さんの焦りが伝わって来る。そう、悪い人では無いのだ。むしろきっと良い人なのだ。ただ周りを見る能力に若干欠けているだけで。
自分のお店のために真摯に打ち込んでいるのは間違い無い。そのために前だけを見ているのだろう。今は、目に映るものだけが全て。
何かに一点集中しているときに、視野狭窄になってしまう現象はあさひにも分かる。だからあさひは怒っているわけでは無い。勘弁して欲しいと思っているだけで。
「あの、渡部さん、私へのお電話でのご連絡、お昼の11時から14時は避けて欲しいとお願いしていたと思うんですけど」
『あ、はい、そうですよね。ええっと、その時間、飲食店を間借り営業してはるんですよね?』
「お昼のことり亭」の仕込み中と営業中は、プライベート時間以上にデザイン仕事の対応ができない。なので最初のヒアリングのときにお願いしていたのだ。
「はい。それができると決まったときはほんまにほんまに嬉しくて、せやので私、新しいお店を作ろうとしてはる渡部さんのお気持ちが、少しは分かると思うんです」
『はい』
「でも、せやからこそ、特に飲食店というのはお料理をかすがいにした、人と人との繋がりやと思うんです。私がやらしてもらってるお店にも、ありがたいことにご常連がいてくださって、いつも暖かいお心を寄せてくれるんです。美味しいて言ってもらえたら、ほんまに嬉しくて」
あさひは落ち着きを意識しながら、渡部さんに届いてくれる様にと語り掛ける。
「私よりよっぽど長い間、飲食店で働かれてるはずの渡部さんには僭越やと思います。新しい洋食屋さんがどういう形態で営業される予定なんかも分かりません。余計なことやと思います。ですけど、まずは人さまを慮ってみませんか? お料理が美味しいことは前提やと思いますけど、それだけや無いのが飲食店やって、私は思ってます」
『……はい、そうですね』
渡部さんの声は、すっかりと穏やかなものになっていた。冷静になったのだろう。
『僕は会社員から調理師専門学校に行って、シトロンに就職したんです。シトロンはコックとホールが分けられてるから、僕はあんまり客と関わることが無くて。でもこれからはそうもいかないですよね』
「お料理をされるのは渡部さんとして、お運びさんはどうしはるおつもりなんですか?」
『ひとまずは、ひとりで料理もホールもやるつもりです。開店してしばらくは、人を雇う余裕なんて無いやろうし、何よりどこまで客が来てくれるか分からんので。でも、そうですよね、それならなおさら、僕が対応せなあきませんもんね』
「私が言うべきことや無いんでしょうけど、お客さま全体を見渡して、視野の広さと思いやりを持って、接することができたらええですよね。渡部さんはとてもええお方やと私は思うので、少しのお心掛けで大丈夫ですよ、絶対!」
あさひはわざと強く言う。すると。
『……ありがとう、ございます!』
渡部さんの声に、湿った様なものが混じった気がした。
「お忙しいところ、ほんまに申し訳ありません。あの、申し訳無いんですが、渡部さんの件で少し困っていることがありまして」
あさひは渡部さんが就業時間以外にも連絡をしてくること、それが早朝や深夜の就寝時間にも及んでいることを伝えた。
決して非常識なんていう言葉は使わず、やや困っているという程度の表現にとどめる。
『あちゃー、それはあかんわ』
電話の向こうで顔をしかめたのが分かる様な、玉城さんの声が返ってきた。
『ほんまに申し訳無い。私から渡部くんに注意してみるから、もう少し様子を見てみてくれませんか』
あひさはほっとする。良かった、分かってもらえた。
「いえ、こちらこそ力及ばずで申し訳ありません。ほんまに助かります。よろしくお願いします」
これで、せめて睡眠を侵されない様になれば良いのだが。あさひは朝が弱いということは、そもそもの寝起きが悪いということだ。気を付けてはいるものの、あまりクライアントさんに不機嫌な声を聞かせたくは無い。
『渡部くんはな、腕は確かやし、せやから独立するんやし、悪い人や無いんです。でも、猪突猛進てこういうことを言うんかな、とにかく思い立ったらじっとしてられへん、そんなタイプなんやね。もう気付いてはると思うけど。それがええとこでも悪いとこでもある。今回はそれが悪い方にいってしもたんでしょうなぁ』
玉城さんは呆れた様な声色を滲ませながら言う。もしかしたらその性格で、少なからず困らされたことがあったのかも知れない。
シトロンさんは確かコックさんが何人かいて、ホール係さんも含めるとそれなりの従業員さんがいるはずだから、止める人もいたのだろ。だが、今は解き放たれている状態なのかも知れない。
あさひにとって渡部さんはクライアントさんで、立場としてはあさひの方が下になってしまう。なのであさひから強く言うことは難しい。対等な人、もしくは上の立場の人からたしなめてもらうしか無いのだ。
『とりあえず、今から電話してみますんで、様子見てみてください。よろしくお願いします』
「こちらこそ、よろしくお願いします。お手数お掛けしてしもてすいません」
通話を終え、あさひは大きく息を吐く。これで少しでも落ち着いてくれたら助かるのだが。あさひは願うしか無いのだった。
それから10分ぐらいが経ったころ、あさひのスマートフォンに着信があった。渡部さんだった。
『白井さん、ほんまにすいませんでした! 玉城さんから連絡もろて、あの』
渡部さんの焦りが伝わって来る。そう、悪い人では無いのだ。むしろきっと良い人なのだ。ただ周りを見る能力に若干欠けているだけで。
自分のお店のために真摯に打ち込んでいるのは間違い無い。そのために前だけを見ているのだろう。今は、目に映るものだけが全て。
何かに一点集中しているときに、視野狭窄になってしまう現象はあさひにも分かる。だからあさひは怒っているわけでは無い。勘弁して欲しいと思っているだけで。
「あの、渡部さん、私へのお電話でのご連絡、お昼の11時から14時は避けて欲しいとお願いしていたと思うんですけど」
『あ、はい、そうですよね。ええっと、その時間、飲食店を間借り営業してはるんですよね?』
「お昼のことり亭」の仕込み中と営業中は、プライベート時間以上にデザイン仕事の対応ができない。なので最初のヒアリングのときにお願いしていたのだ。
「はい。それができると決まったときはほんまにほんまに嬉しくて、せやので私、新しいお店を作ろうとしてはる渡部さんのお気持ちが、少しは分かると思うんです」
『はい』
「でも、せやからこそ、特に飲食店というのはお料理をかすがいにした、人と人との繋がりやと思うんです。私がやらしてもらってるお店にも、ありがたいことにご常連がいてくださって、いつも暖かいお心を寄せてくれるんです。美味しいて言ってもらえたら、ほんまに嬉しくて」
あさひは落ち着きを意識しながら、渡部さんに届いてくれる様にと語り掛ける。
「私よりよっぽど長い間、飲食店で働かれてるはずの渡部さんには僭越やと思います。新しい洋食屋さんがどういう形態で営業される予定なんかも分かりません。余計なことやと思います。ですけど、まずは人さまを慮ってみませんか? お料理が美味しいことは前提やと思いますけど、それだけや無いのが飲食店やって、私は思ってます」
『……はい、そうですね』
渡部さんの声は、すっかりと穏やかなものになっていた。冷静になったのだろう。
『僕は会社員から調理師専門学校に行って、シトロンに就職したんです。シトロンはコックとホールが分けられてるから、僕はあんまり客と関わることが無くて。でもこれからはそうもいかないですよね』
「お料理をされるのは渡部さんとして、お運びさんはどうしはるおつもりなんですか?」
『ひとまずは、ひとりで料理もホールもやるつもりです。開店してしばらくは、人を雇う余裕なんて無いやろうし、何よりどこまで客が来てくれるか分からんので。でも、そうですよね、それならなおさら、僕が対応せなあきませんもんね』
「私が言うべきことや無いんでしょうけど、お客さま全体を見渡して、視野の広さと思いやりを持って、接することができたらええですよね。渡部さんはとてもええお方やと私は思うので、少しのお心掛けで大丈夫ですよ、絶対!」
あさひはわざと強く言う。すると。
『……ありがとう、ございます!』
渡部さんの声に、湿った様なものが混じった気がした。
7
あなたにおすすめの小説
異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました
雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。
気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。
剣も魔法も使えないユウにできるのは、
子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。
……のはずが、なぜか料理や家事といった
日常のことだけが、やたらとうまくいく。
無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。
個性豊かな子供たちに囲まれて、
ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。
やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、
孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。
戦わない、争わない。
ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。
ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、
やさしい異世界孤児院ファンタジー。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
相続した畑で拾ったエルフがいつの間にか嫁になっていた件 ~魔法で快適!田舎で農業スローライフ~
ちくでん
ファンタジー
山科啓介28歳。祖父の畑を相続した彼は、脱サラして農業者になるためにとある田舎町にやってきた。
休耕地を畑に戻そうとして草刈りをしていたところで発見したのは、倒れた美少女エルフ。
啓介はそのエルフを家に連れ帰ったのだった。
異世界からこちらの世界に迷い込んだエルフの魔法使いと初心者農業者の主人公は、畑をおこして田舎に馴染んでいく。
これは生活を共にする二人が、やがて好き合うことになり、付き合ったり結婚したり作物を育てたり、日々を生活していくお話です。
子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
胸がきゅんと、甘い音を立てる。
相手は、妻子持ちだというのに。
入社して配属一日目。
直属の上司で教育係だって紹介された人は、酷く人相の悪い人でした。
中高大と女子校育ちで男性慣れしてない私にとって、それだけでも恐怖なのに。
彼はちかよんなオーラバリバリで、仕事の質問すらする隙がない。
それでもどうにか仕事をこなしていたがとうとう、大きなミスを犯してしまう。
「俺が、悪いのか」
人のせいにするのかと叱責されるのかと思った。
けれど。
「俺の顔と、理由があって避け気味なせいだよな、すまん」
あやまってくれた彼に、胸がきゅんと甘い音を立てる。
相手は、妻子持ちなのに。
星谷桐子
22歳
システム開発会社営業事務
中高大女子校育ちで、ちょっぴり男性が苦手
自分の非はちゃんと認める子
頑張り屋さん
×
京塚大介
32歳
システム開発会社営業事務 主任
ツンツンあたまで目つき悪い
態度もでかくて人に恐怖を与えがち
5歳の娘にデレデレな愛妻家
いまでも亡くなった妻を愛している
私は京塚主任を、好きになってもいいのかな……?
課長と私のほのぼの婚
藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。
舘林陽一35歳。
仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。
ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。
※他サイトにも投稿。
※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる