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序章 迷宮脱出編

交渉① 話はそれだけですか

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「じゃあ私もう寝るね。あとはよろしくー」

 新田は誰にともなくそう言って眠そうにしながら寝床へ向かおうとした時、後ろからガシッと肩を掴まれた。振り返ると、良い笑顔の沙奈がいた。

「まだ寝るには早いよ。交渉も新田さんの役目だから、先にちょっと打ち合わせておきたい事があるの」

 逃がさないとばかりに肩を掴む手の力を強めていく沙奈。もう片方の手で後方を親指で差した先には、相馬、東、小高、上総がいた。
 今回の見張り役が決まった時の事を思い出して、新田の顔が引き攣っていく。

「あー…もう私はあれで充分じゃない?さすがに眠—」
「全然。名俳優の新田さんにはまだまだお願いしたいことがあって」

 沙奈はにこにことした笑顔で新田を振り向かせると、そのまま背中を押してドナドナする。

「あ、あの…ほ、本当にまた私がやるの…?」
「そうだよー」

 同じく笑顔の相馬が冷や汗をかく新田を迎えた。
 東、小高、上総は少し同情の眼差しを向けている。

 隠密作戦—現地人に悟られず元の世界に帰還するための情報を収集する—組の当初のメンバーは保有スキルの関係上、沙奈、相馬、東の三名だけだったが、これに小高と上総が加わって、新田の情報—神職系能力—も共有されていた。
 昨晩は今回の件を黙っていた新田の所業を吊し上げて無理矢理メンバーに追加した上、早速ミッション—釣り行動第二弾—が与えられた。
 このメンバーはその特性上、活動目的のみ他のクラスメイトらに説明して、あとは結果や成果だけを共有していき、今後ブレーンとして動いていくことが決まっている。

「お手柔らかに…」

 逃げ場がない新田はがっくりと項垂れて、か細い声でそれだけ呟いた。

♦︎

 昨日は夜更かしだったため、皆遅めの時間に起き出していた。

 これまで食事の準備はアルファンとレーメンスの騎士二人が中心となって行っていたが、今朝はどちらも眠っている状態なので、代わりにフォルガーがその役目を一手に引き受けて動いていた。さすがに一人では大変そうだったので、大体の要領が分かってきていたクラスメイトらも積極的に手伝った。

『かわいい』
「そうだよね!大人しくてとっても良い子なんだよ」

 国分は昨日戻ってからずっとその機会を伺っていた巨狼の再召喚が先ほど遂に叶ってご機嫌だ。子どもたちはその姿を見るとすぐにキラキラした瞳をして巨狼に抱きついた。
 周囲の目には恐ろしいか良くてかっこいいという印象しか抱き辛いが、子供の目には国分と同じものが見えているようだ。

「少し元気を取り戻されたようで良かった」

 フォルガーは食事の準備を進めながら、その光景を微笑ましそうに見つめる。

 昨夜就寝前、相馬から〈念話〉を受けたフォルガーはその時に初めて真実を知った。
 何もないところから信頼している仲間に疑いの目を向けることは至難の業だ。だがどこかにその芽はあったはずで、それに気づいたのが僅か数日の付き合いである他人であったことに、フォルガーは忸怩たる思いを抱く。
 憑依した体の記憶を読み取れるのか、普段は潜んでいて必要に応じて意識を乗っ取っていたのかわからないが、隊長の最期の言葉を聞き出すまで、全く違和感を持っていなかった。
 王子と王女が塞ぎ込んだままなのは、慕っていた隊長の亡くなる姿を目の当たりにしたことで、まだ受け止めきれずにいるのだろうという思い込みがあった。

「脱出先が遠方であれば逃げ切ってお終いにできたかもしれませんが…あの場所では難しいでしょう。それで、当事者であるのに申し訳ないのですが、交渉の席にフォルガーさんたちは外れて下さい」

 フォルガーは相馬からこれから行われる魔族との交渉について説明を受けていた。

「理由を聞きたい」
「…失礼を承知で率直に言いますが、戦争している相手の話をまともに聞けるとは思えないからです。当事者であるからこそ、話し合いには向いていません」
「…」
「おそらく無理なことばかり要求されるでしょう。こちらにも僅かばかりの手札はありますが、取り囲まれている今、相手の方が有利なことは変わりません。出し惜しみしている場合ではないので、命以外は全て差し出す覚悟を決めて下さい」

 既に薄氷の上を歩いている状態だったが、今はもうひび割れて溺れかけている。先を見過ぎて目の前を疎かにしていた結果が招いたことだ。生き延びるためには、受け入れるしかない。

「…分かった。全て従おう」

 そうして昼食も兼ねた遅めの朝食を皆で準備して摂っていたころ。
 アルファンに憑依した魔人ザロフが目覚めた。

♦︎

 起き出したザロフが真っ先に目に飛び込んできたのは、巨狼だった。
 国分と子どもたちがそれに戯れて笑顔を振り撒いている。巨狼の真後ろにいたザロフは左右に振られる尻尾の風圧を感じながら、その真横にある聖獣の彫像を見てビクッと肩を揺らした。

 ザロフは顔が引き攣ったまま促されるように新田と向かい合う形で敷物の上に座った。
 他の者は、声が聞こえる程度に少し離れたところで遠巻きに見守っている。意見がある場合は〈念話〉を使うようにする。

 新田は寝不足の不機嫌さを笑みを深めて上書きする。
 一呼吸を置いて、新田から話を切り出した。

「…では、改めてそちらの要求をお聞きしても?」

「こちらの要求はシンプルだ。君たち以外の全てを引き渡してもらいたい」

「王子と王女は無理です。これは絶対に揺るぎません。そして保護者として騎士たちも必要。それ以外であれば好きにしてもらって構いません」

 そのことには触れず、ザロフは話の焦点を変える。

「君たちは何を望む。できる限りそれらを用意しよう」

「私たちが望むのは自分の命だけです。他には何も必要ありません」

 ザロフは深く息を吐くと、見透かしたような目を向けてくる。

「欲がないのは美徳で結構ではあるが。今の状況ではそうも言っていられないのでは?何も知らぬこの地では、特に情報が必要なのではないか?」

 事実のため、それは認める。

「まぁお察しの通り、そうですね。ではお尋ねしますが、その情報とは具体的にどのようなものですか?人の命を差し出す以上の価値がある内容なのかどうか、事前に見極められなければお話になりません」

「…どのようなことが知りたい」

 声を低くして顔を顰めたザロフに、事も無げに言う。

「もちろん、故郷に戻る方法に決まっています。こことは全く縁もゆかりもないところから突然拉致紛いに召喚されたので。私たちには故郷でそれぞれの生活があり、そこで将来や未来があったのです。何をどれだけ積まれても、帰還すること以上の価値はありません」

「君たちの故郷というのは…この大陸の外だったか?」

「私たちはこの大陸を知りませんので、そう考えていますが」

 ザロフは視線を彷徨わせて、一瞬考える素振りを見せる。

「召喚に関する知識や知見の他に、放浪者や漂流者の記録や伝記ならある。あとは稀人というのも…」

 聞き慣れない言葉を耳にして、思わず反応する。

稀人まれびと?」

「あ、いやこれは忘れてくれ。不毛の地の話で、別の国のことだ。我々では扱えない」

 ではなぜ口にしたのか。そのことに不自然さを感じて訝しんだが、話を進めるため一旦脇に置いておく。

「…わかりました。その知識や記録についてですが、それはそこへ辿り着けるような内容になっていますか?」

「手掛かりにはなるかもしれないが、…それを証明したものはない」

 予想はしていたものの、つい溜息がこぼれる。

「それでは意味がありませんね。結局調べていくことになるのであれば、遅いか早いかの違いでしかない」

「それでも何もないところから始めるよりは取っ掛かりになり得ると思うが…人族は短命であるし、そうのんびりとはしていられまい」

「そうですね。出来るだけ早く戻るに越したことはありませんが。しかし魔族以外の国や種族もありますから。まさか魔族の国では、この世の全ての知が集まっているのですか?」

 少し目を見開いて驚いたような顔を向けると、ザロフは困ったように苦笑した。

「いや、そんなことはないと思うが…」

「では他の国からでも似たような情報は得られるかもしれませんよね。今ここで生きている人の命を差し出してまで、世界のほんの一部でしかない手掛かり程度のことを生き急いで知ろうと思うほど、…人でなしではありません」

 思うところがある新田は最後の言葉を言い淀んだ。

「そうは言っても、右も左もわからぬこの地で、自力だけで調べていくのは些か現実的ではないだろう。今すぐは無理でも、君たちが故郷に帰ることができるようこの先も我々は協力を惜しまないつもりだが、考えてみてはくれないだろうか」

 紳士的な眼差しを向けるザロフだが、先ほど沙奈から連絡があったことをここで持ち出す。

「…ところで。少し前にこの遺跡の扉の鍵を開けましたね。私たちと敵対するおつもりですか?これがただの時間稼ぎであれば、話はもう終わりです」

 それを聞いたザロフの顔色が変わった。動揺を隠しきれていない。

「いや、そのようなつもりはない。この場所に少し用があるので、いつでも入れる準備をしていただけだ。交渉が終わるまでそれ以上は何もしない」

 牽制しておいて、話を進める。

「…ひとまずはそれでいいでしょう。一歩でも踏み入ればその時点で終わりにします。それで、協力でしたか。そちらに引き渡した後もそれが恒久的に守られる確かな保証を、この場で示すことができますか?」

「…魔法契約をしても構わない」

 小高から念話が届く。

(用意した特殊な契約書の内容に合意すれば、互いの魔力で縛り合うことができる類のものだね。制約に反した場合は罰を与えられる契約魔術があるけど、そうしたものを指しているのであれば、強制力を伴うただの個人契約に過ぎない)

「……人を馬鹿にしているのですか?個人間の制約など、何の保証にもならない。国が貴方を切り捨てるだけで、いつでも白紙にできるようなものなど」

 不愉快な気持ちを隠さず、眉根を寄せて吐き捨てるように言った。
 ザロフはさっと青褪めて、慌てたように言い繕う。

「誤解を招く言い方だった。気分を害したのであれば謝る。だがそうなると、ただ我々を信用して欲しいとしか言えない」

 冷淡な目でザロフを見据える。

「無理ですね。信用できる根拠が今のところ一つもありません。お話しはそれだけですか?」

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