獅子の末裔

卯花月影

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1.日野谷

1-3. 帰りたい場所

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 佐助が捕えられ、鶴千代の前から姿を消した十日後。祖父・快幹に呼びだされた。
(お爺様がわしを呼ぶとは…)
 何年振りのことだろう。佐助のことかもしれない。侍女に手伝ってもらって直垂に着替え、幾分緊張した面持ちで大広間へと向かった。
「おお、鶴。よう参った」
 こちらを見もせずにそう言う快幹の前で、鶴千代は教わった通り、丁寧に平伏する。
「お爺様がお呼びと聞き、まかり越しました」
「うむ。これから話すことはまだその方の父には話しておらぬ。そのつもりでよう聞け」
 父・賢秀には内密らしい。これは余程のことだ。
「我が家を守るため、織田に降伏する」
 佐助の言ったとおりだ。家を残すためにはほかに道がないのだろう。
「そなたを人質として信長の元へ送ることとする。織田家の使者が来たら、信長のいる観音寺城へ行け。いつでも出立できるように支度を整えよ」
「ハハッ」
 観音寺城は六角義治の居城だ。それが早くも信長の本陣になっているという。
(されど…)
 祖父は佐助のことは一言も言わない。佐助は何処へ行ったのか。
「お爺様。佐助の姿が見えませぬが…」
 平静を装い訊ねると、快幹はなんのことかと怪訝な顔をした。が、すぐに思い出したらしく、
「お館が送り込んだ三雲の素破のことか。あの者は斬って捨てた」
「斬って捨てた?」
 想像していなかった。最悪でも信長の元に送られる程度かと思っていた。信長の元へ連行されるのであれば、如何に佐助でも逃げ出すだろうと、そう思っていたのだが。
「そのようなことよりも、いつ織田の使者がこの城にくるとも分からぬ。早う支度を整えよ」
 快幹はそう言うと、足早に大広間を後にした。
 一人、広間に残され、それからどうやって母屋に戻ったのかも覚えていない。祖父の言葉が容易に信じられず、夜になるまで、部屋で佐助が現れるのを待った。しかし山の端に陽が暮れ落ち、夕餉の膳が運ばれても、佐助は戻ってこない。
 夜になり、皆が寝静まったころ、鶴千代は襖を開け、鈴鹿の山々を照らす月を見上げた。
(佐助が死んだ…)
 必ず戻ると言っていた佐助は、もう戻らない。
(何故…。何故、逃げなかったのじゃ、佐助。おぬしであれば、容易に逃げられた筈)
 それは、鶴千代の元へ戻るためだと、そう言った佐助の言葉を思い出した。
(ずっと共にいると…そう約束したのに…たった一年半。たった一年半しか共に過ごしていないではないか)
 生きていれば、また会えたかもしれない。再び、共に過ごす日々を送ることもできたかもしれない。しかし、死んでしまってはそれも叶わない。
 鶴千代は一人、声を押し殺して一晩中泣き明かした。
 翌朝、侍女の声で目を覚ました。
「若。今日にも織田の使者が城へ来るとの噂でござります」
 どうやら泣きつかれて眠ってしまっていたらしい。
 家人に促され、支度を整えた。持っていくものは母の残した和歌の本。象牙の筆に短冊。そして、
「これは…」
 手に当たったのは佐助が作った将棋の駒。雨の日には二人で飽きることなく将棋や囲碁で遊んでいたのを思い出した。
(いつか…戻ってくるかもしれない)
 素破は身代わりを立てて敵の目をくらませ、逃げることがあるという。
(必ず戻ると、そう約束した)
 もしかしたら佐助は戻るかもしれない。織田の軍勢を避け、一族と共に甲賀の山中に潜み、安全になったときに再び姿を現すかもしれない。
 鶴千代は将棋の駒を掴み、唐草の蒔絵が施された文箱の中へそっとしまった。
 それからも家人が現れて詰所での立ち居振る舞い、信長との対面の間での作法、切腹の作法と一通りの確認が行われたのちに、家人の一人が前に進み出た。
「若。本日より若の傅役を務める町野新三郎でござります」
 町野といえば蒲生家の譜代の臣だ。鶴千代と共に信長のもとへ行くために、急遽傅役を命じられたのだろう。
「然様か。よろしゅう頼む」
 鶴千代はそう言って寂しそうに微笑むと、疲れたように部屋に入っていった。

 その日、信長の使者は現れなかった。城内が緊迫する空気に包まれたまま数日がたち、そしてよく晴れた日。新しく傅役に命じられた町野新三郎が再び鶴千代の前に姿を現した。
「ついに織田の使者が!」
「来たか。使者は誰か、存じておるか?」
「一人は我が家の親類の神戸蔵人殿。そしてもう一人は、織田家の宿老、滝川左近殿」
「神戸の叔父御と、滝川左近…」
 叔父の神戸蔵人は伊勢の名家・神戸家の当主で祖父・快幹の娘を室としている。そしてもう一人は、織田家の宿老・滝川一益。
「なんでも甲賀の出であるとか」
「甲賀?」
 従兄の木猿や佐助と同じ甲賀の者と聞き、鶴千代は不思議な親近感を覚えた。
「それも三国一の鉄砲の名手で、それが元で織田家に仕えるようになったと」
「鉄砲の名手…」
 佐助からその言葉を聞いた覚えがある。年一回、信楽院に現れる人物は甲賀の鉄砲の名手ではないだろうかと。
(まさかそんなことが…)
 あるとは思えなかったが、佐助の話と共通点の多い滝川一益に興味が湧いた。
(そして尾張の織田上総介)
 三河・駿河・遠江の三国を治める東海一の弓取り、今川義元を討ち、破竹の勢いで天下を狙う織田信長とは、一体、どんな人物なのか。
 町野新三郎に促され、城門へ行くと、神戸蔵人と滝川一益が待っていた。
「若。こちらへ」
 目の前に馬が引かれてきた。馬の背に手をかけるが、この後、どうしていいのか分からない。未だ、乗るときだけは手助けが必要で、いつも佐助が鶴千代を担ぎ上げてくれていた。しかも今日は直垂、長袴。
「…ちと…手を貸してくれぬか」
 遠慮がちにそう言うと、町野新三郎は心得て、後ろから鶴千代を押し上げた。鶴千代は馬の背にしがみつく様にどうにか騎乗することができた。
(皆、わしを見ている…)
 一人で馬にも乗れないのか、そう思われているのが伝わって来た。
(ここで動揺してはならぬ)
 平静を装い、明るく振舞うことにした。
「新三郎、わしの筆は持ってきたか」
「はい。若が一番大事にされている象牙の筆。しかとここに」
「ではどこへいっても歌を詠めるのう」
 余裕を見せ、笑顔を返した。皆の注目が鶴千代に集まる中、
「観音寺城でお館様がお待ちじゃ。急ぎ参ろう」
 滝川一益が鶴千代から視線を逸らし、従者を促す。ちらちらと観察してみると思っていたよりも強面で、近づきにくい雰囲気がある。
「左近殿は甲賀のお方とか」
 さりげなく聞いてみると、一益はちらりと鶴千代を見て、
「然様。この近江の者じゃ」
 にこりともせずにそう言った。
 いろいろと聞いてみたいとは思ったが、どうにも会話が続かない。
(この先の上洛のことをお考えなのであろうか)
 信長は都に上り、天下に号令をかける。飛ぶ鳥を落とす勢いの織田家の者であれば誰しも、この先のことを考えているだろう。
(綿向山が)
 一益の肩越しに綿向山が見えた。あの麓には日野がある。こんなに離れた位置から見るのははじめてだ。
(佐助…)
 つい先日まで、佐助と共に日野の各地を見て回っていた。こうして離れて見てみると、とても小さい。あの小さな日野谷の隅から隅まで、飽きることなく佐助と共に馬を走らせた楽しかった日々。見るもの聞くもの全てが新鮮で、そして美しかった。
(もう二度と…会うことはかなわぬのか)
 日野が遠く離れる。まるで佐助との日々が遠くへ行ってしまうような、そんな寂しさに襲われ、鶴千代の胸が痛くなる。そのとき、
「左兵衛大夫殿も快幹殿も、鶴千代殿の身を案じておられるじゃろう」
 それまで押し黙っていた一益が口を開いた。
(唐突に何を仰せになるのであろうか…)
 何故、急にそんなことを言い出したのか、不思議だったが、ふと、可笑しくなって笑った。
「お爺様は鶴千代のことなど、何とも思うておりません」
 つい思っていたことが口をついて出た。この時、一益がはじめて驚いた顔をした。
「お爺様は蒲生の家のことのみ。そして父上はそんなお爺様に頭があがりませぬ」
 鶴千代が笑ってそう言うと、一益はまた、むっつりと押し黙った。
(何か、気分を害するようなことを言うたであろうか)
 分からなかったが、元々寡黙なのかもしれない。見た目からも、醸し出す雰囲気からも、話好きには見えない。それならそれで気が楽だと思っていると、
「予め言うておくが、織田の御大将は鶴千代殿の評判を聞いて、噂通りかどうか、確かめたいと仰せじゃ」
 評判とは、鳳の雛と呼ばれてることのようだ。信長の耳にまでそんな話が伝わっているとは。
「で、噂通りでなければ?」
 興味を惹かれて訊ねてみた。信長が家臣に対して容赦がない話は聞いている。国人の子など、迷うことなく一刀両断にすることくらいは鶴千代にもわかる。それよりも、一益が何故、ここでそんな話を始めたのかが気になった。
 しかし一益はまた、口を閉じてしまった。
(もしや…わしに、斬られる覚悟があるかどうか、そうお尋ねなのか)
 そう気づいた鶴千代は、ここで自分の覚悟を見せることにした。
「死のうは一定、しのび草には何をしようぞ、一定かたり遺すよの」
 信長が好きだという小唄を口にした。一益がそれと気づき、鶴千代を見る。
(いや、もしかしたら…)
 信長の機嫌を損ねて、命奪われるようなことにならないようにと、警告しているのだろうか。そうであれば、鶴千代の願いを聞き届けてくれるかもしれない。
「左近殿、こうして道行を共にするのも何かのご縁。ひとつ、この鶴千代の願いをお聞き届けくだされぬか」
 微笑んで、そう聞いた。
「願いとは?」
 と聞き返してきたので、これはしめたと思い、
「これから行く観音寺城。そこでそれがしの命運が決まりましょう。万一、願い叶わず、それがしの命運尽きたときには、髪の毛一筋でもかまいませぬ。どうか日野の地へ、還してくだされ」
 思っているままを素直に伝え、そしてもう一度、綿向山を見た。
(佐助が生きてどこかに逃れたのだとすれば、必ず日野に戻ってくる。そのときに、わしの思いがこの地に残っていれば、誰かがきっと、わしが、佐助に教わった通りに振る舞い、そして死んだのだと伝えてくれる。共に過ごした一年半は無駄ではなかったのだと、佐助、おぬしにそれを伝えたい)
 佐助と共に過ごした日々を懐かしく思い返す。
「髪一筋になったとしても…帰りたい場所か」
 一益の声が耳に響き、はたと我に返った。
「無論。何物にも代えがたき我が故国。それゆえ、織田の御大将のもとへ向こうております」
 笑ってそう言い、一益を見た。一益は意に反してフッと視線を逸らした。
(叶わぬ願いであったろうか)
 伝え方が拙かっただろうかと考えていると、
「承知した。そなたの願い…しかと聞き届けた」
 はっきりとそう言うのが聞こえた。鶴千代は再び、一益に笑顔を向ける。
「ありがたや。これで心置きなく、観音寺城へ向かえまする」
 これで思い残すことはなくなった。あとは信長に会うだけだ。

 信長の本陣がある観音寺城。五年前、この城で鶴千代の叔父、後藤賢豊が謀反の嫌疑により問答無用で討ち取られた。その後、四年余りの騒動を経て、六角氏と家臣団の間で六角氏式目なる約定が交わされ、これにより蒲生家は主家を凌ぐ力を手にした。それが一年前。
 そして今、南近江を掌中に治めようとしているのは六角でも蒲生でもなく、織田信長だ。
 信長は対面の場に現れた鶴千代を興味深そうに観察し、二つ三つ質問をした。年は幾つか。何に興味があるか。普段は何をして過ごしているのか。そこから、信長が自分に興味を持っていることが伝わってきた。鶴千代に何の関心も示さない祖父とは大きな差がある。
「余の前でかように落ち着き払った物言いをする小童はそうおらぬ」
 信長は感心したようにそう言った。
「岐阜へ参れ、鶴。岐阜の我が城には、その方が喜びそうな南蛮渡来のものがたんとある」
(南蛮渡来…)
 鶴千代は未だ南蛮人すらも見たことがない。信長が鶴千代に興味を持ったように、鶴千代も信長に興味を持った。信長が見ている世界は祖父や父が見ている世界とは大きく異なる世界ではないだろうか。であれば、自分もその世界を見てみたい。そう思った。信長を畏れる気持ちもあったが、それよりも知らない世界を見たいという好奇心が勝った。
「そちも余と共に泰平の世を築くか」
 信長に問われ、
「はい。是非とも御大将のお供をさせてくだされ」
 そう返事をしていた。
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