滝川家の人びと

卯花月影

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5 狂せる者

5-3 祟り霊

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 荒野と化した長島の地。焼け跡には無惨に積み重ねられた人骨が晒され、風にさらされていた。長島城に居を移した一益は、それらの埋葬を終え、降った北勢衆への領地の再配分、城の修復、町の復興――終わりなき労に明け暮れた。
 岐阜からは風花の出産の報せが届いていたが、足を向けることはかなわず、ただ目前の務めに身を沈めた。

 天正三年の正月。ようやく年賀の挨拶を兼ね、三九郎と義太夫を伴って長島を立ち、岐阜へ向かう。
 屋敷に到着すると、家臣たちの顔色が常と異なっていた。
 廊下を渡る足音が、やけに響く。
 どの部屋の襖も閉ざされ、侍女たちの影が音もなく走り去る。
 いつもなら真っ先に姿を見せるはずの風花が、どこにもいない。
「風は…如何した」
 沈黙が落ちた。誰も口を開かず、ただ床板の継ぎ目を見つめている。
 一益は胸の底に、言い知れぬ冷たさを覚えた。
 やがて風花付の侍女を呼びつけると、侍女は震える声で答えた。
「御台様は……若君のお世話で」
 乳母の名を尋ねると、侍女は顔を曇らせた。問いただすと、堪えきれず涙がこぼれる。その時、三九郎と義太夫が現れた。
「父上、お許しを。岐阜にくるまでは父上には伏せておくようにと、母上に堅く口留めされておりました」
「皆、存じておるのか」
 三九郎と義太夫は、申し訳なさそうにうつむく。どうやら一益ひとりが知らなかったらしい。
「六郎に何かあったか」
 生まれた子は六郎と名付けられていた。
 義太夫が重い口を開く。
「殿。大変申し上げにくき義なれば…六郎様は生まれつき、目が見えませぬ」
「母上は心を痛め、つきっきりで六郎の世話をしていると」
 二人が代わる代わる説明する。
「目が見えていない…?」
 一益は言葉を失い、しばらく沈黙してしまった。
 言葉は胸に落ちてゆくのに、頭はそれを拒む。
 説明は続いた。目を追わぬこと、人と視線が合わぬこと、光に瞬きをせぬこと――。
 聞くほどに、遠い響きのようで、実感が伴わない。
「……成長すれば、いずれは」
 しかし三九郎は静かに首を振った。その動きだけで、望みは断たれたと悟る。
「祈祷はどうじゃ。まじないは」
 己の口から出た言葉に、自ら驚く。義太夫は苦い顔で答えた。
「すでに、すべて尽くされました」
 三九郎が低く言い添える。
「これは天命にござりまする」
「天命…」
 無情に耳に響いた。
 耳の奥に、長島の炎に呑まれた者たちの叫びが甦る。

 風花の部屋に向かうと、襖の向こうから子守唄が洩れていた。
 障子を透かす光は細く、乳と薬草の匂いがまじっている。
「風、大事ないか」
 声をかけると、六郎を抱きかかえた風花は、意外にも明るい笑顔を見せた。
「殿。此度の勝ち戦、まことにおめでとうござりまする」
 一瞬の安堵を感じつつも、一益は急かし気味に尋ねた。
「六郎は?」
「今したが、眠ったところでござります」
 ゆっくりと六郎を寝かせる。微かな寝息を立てるその顔を見て、一益はほっと息をつく。
「六郎がことを聞き及んだ。何故に乳母に任せぬのじゃ」
「六郎の身が案じられまする」
 風花はいくぶん、やつれたように見える。
「それではそなたの身がもたぬ。八郎も葉月も堅固に育っておるではないか。少し乳母に任せ、そなたは身を休めよ」
 一益が心配そうにそう言うが、風花は首を横に振る。
「六郎は…八郎や葉月とは違いまする」
 返す言葉がふいに重くなり、胸に響く。風花の目が一瞬暗くなり、思わずその表情をじっと見つめる。
「風、無理をするな。六郎は寺にいれて、出家させる。何も案ずるな」
 風花を安心させようと思って言ったのだが、それを聞いた風花は顔色を変えた。
「寺に入れるとは…なんと冷たいお言葉…殿は、六郎の顔をまともに見もせず、寺に押し込めると、そう仰せか」
「そうではない。わしはそなたの身を案じて…」
「八郎の時は、殿の傍から片時も離すなと、そう仰せになられました」
 風花に反論され、一益は押し黙った。風花は顔を上げ、涙をこぼしながらも、今度は決然とした口調で続ける。
「それが…違うではござりませんか。六郎は、あのように何も見ずに育ち、このような辛い思いをしながらも、わらわの傍におる。かような思いをして…」
 風花のその言葉に胸が痛む。
「殿は六郎を不憫とは思われぬか。六郎を追い出すのであれば、わらわも共に去らせていただきます」
 と六郎を抱いて立ち上がろうとする。
 一益は顔色を変え、思わず風花を引き止めようとした。
「待て!風、落ち着け!わしが悪かった」
 風花が一瞬、静まった後に、涙ながらに続ける。
「それもこれもすべては父上と殿のせいじゃ。六郎がこのような憐れな身となったは、全て父上と殿の業の深さゆえじゃ」
 その言葉に、一益は耳を疑う。
「な、何と申す…」
 風花は涙に濡れた声で言った。
「……人々は申しております。長島で炎に呑まれた者らの声が、いまだ夜ごとに漂うと。六郎がその影を負わされたのだと」
 一益の胸裏でかすかな呻きが響いた。かつて耳を塞いでも届いてきた、焼け跡の叫び声が甦る。
(長島でしたことの報いが、これだというのか)
『この戦ほど、女子供を斬ったことはなかった』
 蒲生忠三郎はそう言った。それは誰しも同じだったはずだ。
 炎の中で命を落とした者たち、そしてその亡骸が山となって積み重なった光景が、目に焼き付いて離れない。
(悪因悪果。天網恢恢疎てんもうかいかいそにして漏らさずとはこのことか)
 老子のことばが頭をよぎる。
「然様か…わしのために、そなたら罪なき者たちを苦しめることと相成ったか…」
 自ら発した言葉が心を締め付ける。
 風花は号泣し、一益は何もできずにただ寄り添うしかなかった。
「すまなかった…。風、許してくれ」
 その言葉に、風花はさらに泣き続けた。
 風花を守りたい、そのためだけに戦ってきた筈だ。
(その結果がこれか)
 甲賀を出たときから何も変わっていない。無力で不甲斐ない自分を嘆くことしかできないのだろうか。
「風。我が悪行は数知れず…そのことでそなたを苦しめることになった。それでも、ここにいてくれぬか。わしにはそなたしかおらぬのじゃ」
「殿…。わらわも六郎も、殿しかおりませぬ」
 風花のその言葉に、少しだけ希望を見出すことができた。
「何も案ずるな。わしがおる」
 風花の涙がこぼれおち、一益の手を濡らした。

 居間に戻ると、忠三郎と義太夫、三九郎が話し込んでいた。
「おぉ。殿。大飯食らいが参りましたぞ」
 義太夫が笑って言うと、忠三郎が苦笑しながら答える。
「義兄上が、『日に五合は食え』と仰せになったと聞き、飯を食うておるのじゃ」
 確かに、忠三郎は屋敷に来る度に、よく食べる姿が目につく。
「義兄上、六郎殿のことを聞き及びました」
「然様か。江南に薬師でも祈祷師でもよい、誰かおらぬか」
 忠三郎は少し考えてから答える。
「ロレンソ殿が南蛮人の名医とともに豊後で病人を治しているという話を聞きました」
「豊後?あやつはそのようなところにおるのか」
 義太夫が驚き、一益は身を乗り出して聞き返す。
「南蛮の医術とやらで病を癒し、豊後で南蛮医術を教え、広めているとか」
 ロレンソは医師免許をもつポルトガル人のアルメイダ神父とともに豊後に日の本最初の病院を建て、西洋医術を取り入れていた。
「よし、義太夫。誰か、豊後まで送って南蛮人を連れて参れ」
 義太夫が心得て、部屋を出た。

 去り際の足音が遠のくと、居間に再び静けさが戻る。
 炭のはぜる音がひとつ、やけに耳に残った。
 一益は扇を膝に置き、しばし動かずにいた。
(六郎の目が見えるようになる――そんな奇跡が、もしこの世にあるなら)
 薄く笑って頭を振り、独りごちた。
「ロレンソめ、役に立ってくれるな」
「されど、義兄上。喜ぶのはちと早うござります。六郎殿の目が治るとは限らぬのでは?」
「いや、南蛮人ならば何かあるじゃろう」
 豊後へ行って帰ってくるだけでも相当な時間がかかる。
 兎も角、南蛮人が来るまで待とうと、岐阜で滝川藤九郎の帰りを待った。

 それからの日々、岐阜には雪がちらついた。
 長島の焦土も、戦の号令も、遠い夢のように思える。
 六郎は確かに見えていないようだったが、それ以外は問題もなく、よく乳を飲み、よく眠った。
 風花も一益の言葉に少し安堵したのか、六郎を乳母に任せ、ようやく自らの身を休めるようになった。
 六郎の寝息を立てるその顔を見て、一益はほっと息をつく。

 その夜、座敷の燭台の火が、障子に赤く映えていた。
 風花は六郎を抱いたまま、ゆるやかにその焔を見つめている。
 灯心がゆらめくたび、影が壁を這い、それがまるで、長島の夜に燃えさかる炎の残影のように見えた。

 一益は黙って手焙りの炭を寄せた。鉄の鉢の中で火がぱち、と鳴る。
 指先に伝う熱が、妙に痛い。
(あの火も、本来は人を温めるためのものだったのかもしれぬ)
 そう胸中でつぶやくと、風花がふと口を開いた。
「殿……この火は、なにやら胸に沁みまする」
「うむ。火は、人を焼くことも、照らすこともある」
「ならば、六郎のために――この火は照らすものであれと」
 風花は灯の明かりを六郎の顔にそっと向けた。
 赤い光が、幼子の瞼にやわらかく射す。一益はその光景を見つめながら、
(贖いとは、かくのごときものか)
 と胸の奥で呟いた。
 やがて炭がはぜる音が一つ、静かな夜気の中に消えた。

 翌朝、庭には雪がうっすらと積もっていた。
 五歳になった八郎が、幼い葉月の手をひき、庭を駆けている。
 二人の笑い声が、雪解け水のように座敷に届く。
 そこへ章姫もやってきて、子らと共に雪の庭を転げまわった。
「みな、大きゅうなったな」
「殿は戦さばかりで、子らの顔をよう見られぬ時が多うございましたゆえ」
 風花の声には、久方ぶりのやわらかさがあった。
「然様か」
 一益は苦笑しつつ、子らの笑顔に目を細める。
 庭先で遊ぶ忠右衛門の頭には白いものが増え、雪に溶けるようにきらめいて見えた。
「毎日、子らを追い回して腰が痛いと申しておりました」
 風花が笑う。
「そなたは変わらぬ」
 風花の微笑はあの頃と何も変わらず、その白い肌も、澄んだ瞳も、胸の奥にあたたかな灯をともした。
「わしは果報者じゃ」
 風花がいて、子らがいて――ここは長島の焦土とはまるで異なる世界だ。
(これで六郎の目が見えるようになれば、何の不足もない)
 使いに出した藤九郎は、もう備中あたりであろうか。
 一益は、障子の向こうに広がる光を見つめながら、静かな日々を、夢のように過ごしていた。

 ――七日後。
 滝川藤九郎が戻った。だが、驚くべきことに、来たのはロレンソ一人だった。
「思うたよりも早いではないか」
「ロレンソ殿は豊後ではなく、摂津におられました」
 藤九郎がそう言うと、一益は顔をしかめた。
「南蛮人はいずこにおる?」
 周囲を見回しても、ロレンソ一人しかいない。するとロレンソが笑った。
「待っていたのは南蛮人ではない。わしであろう?」
「戯けたことを申すな。南蛮人に六郎の目を治させよ」
 一益が不満げに言うと、ロレンソは静かに答えた。
「南蛮人とて、目の見えぬ者を治すことなどはできぬ」
 にべもなくそう言われた。
 一益は落胆を隠せない。風花はどれほど気落ちするだろうか。
「もうよい…藤九郎、大儀であった」
 滝川藤九郎が去っていくのを見送ると、ロレンソが何やら言い出した。
「そう悲観するでない。見えるようになりたいか」
 ロレンソが妙なことを言った。
「南蛮医術を学んだか?」
 一益は不審そうに問いかけるが、ロレンソは静かに頷く。
「然様…じゃが、見えるようになるは六郎殿ではない。盲人は六郎殿ではなく、中将、そなたじゃ」
「何を血迷うておる」
 一益は冷笑を浮かべるが、ロレンソは淡々と言葉を続ける。
「何ゆえ兄弟の目にある塵を見て、おのが目にある梁木を認めぬか」
「わしの目のどこに梁木があるというのか」
「六郎殿には中将には見えないものが見えておるぞ」
「何じゃと」
 ロレンソの言うことは戯言だ。だが、こころにかかった。
「六郎に見えているもの、とは?」
「それは、六郎殿が長じた折に、尋ねてみるがよい。六郎殿はこの家に幸いをもたらす者。必ずやこの家の助けとなろう」
 思いがけないことを言われ、ロレンソの言った言葉を反芻する。
 戯言と聞き流せない何かを感じる。
『我が汝らに向かいて懷くところの念は、我これを知る。すなわち、災を与えんとにあらず、平安を与えんと思い、又汝らに後と望を与えんと思うなり』
 ――と、ロレンソはゆるやかに唱えた。
「災いではなく、平安を与えると…。それが伴天連の教えか」
 一益が問い返すと、ロレンソは大きく頷く。
「そなたは知らぬか。我が軍勢が長島でどれほど多くのものを葬ったか」
「この日の本で知らぬ者はおらぬわ。されど、世の者はすべてこれ生まれながらの罪深き者じゃ」
「生まれたばかりの六郎が、罪深い者というか」
「いかにも。盲いの中将にはそれがまだ分からぬじゃろう。されど、この人の罪にも親の罪にもあらず、ただ彼の上にデウスの業の現れんためなり」
「デウスの業とは?」
「六郎殿はこの家に幸いをもたらす者。六郎殿が大きゅうなる毎に、中将にもそれがわかるようになろう。これは祟りではない。人の恐れが影をつくるに過ぎぬ。その影に囚われてはならぬぞ」
 一益は、その言葉を胸に反芻した。戯言と切り捨てられぬ何かが、棘のように残った。 
 ロレンソは、また来るといって去っていった。
 
 それにしても可笑しなことばかり言う坊主だなと半ば呆れ、半ば感心する。あんな戯言を言うためにわざわざ摂津から岐阜に来たのだろうか。期待はずれではあったが、ロレンソが連れてくる南蛮人を待っているであろう風花の元へ向かった。
 南蛮人が六郎の目を治すと話したときの、風花の嬉しそうな顔を思い出す。
(何といえばよいのか…)
 また泣き出すだろうか。そのとき、何を言えばいいだろうか。考えがまとまらないまま部屋に向かう。
 風花はにこやかなに出迎えてくれた。
「風、すまぬ…気落ちせずに聞いてくれ」
 そう言って、一益は話を始めた。風花は最初こそ楽しそうに一益の話を聞いていたが、話し終わると、驚いたように目を大きく見開いた。
「それがなぜ、わらわが気落ちすると?」
「南蛮人が来ると聞いて、そなたは喜んでおった。その結果、期待を裏切った形になってしもうた」
 一益がそういうと、風花はにわかに笑い出した。
「殿。殿はわらわが、南蛮人が六郎の目を治すと思うていたと、そう仰せか」
「そうではないのか。それゆえに、あれほど喜んで…」
「そのような荒唐無稽なことを、誰が思いましょうか」
 おや、と思い、口をつぐんだ。その荒唐無稽なことを期待していたとは言えない。
 風花は明るく笑いながら、続けた。
「わらわは、殿が、南蛮人が来るまで岐阜におられると聞いて、それが何より嬉しかったのでございます」
「然様か…。それは、気づかなんだ…」
「殿がこんなにも長い間、共にいてくだされたのは何年振りか。わらわにとっては最上の喜び。殿がこうして留まってくださる――それだけで、六郎は我らに幸いを授けてくれました」
 風花の笑みは涙を含みながらも透き通る。一益は胸の奥に、掴みきれぬ光を覚えた。この数日、風花のそばにいて、忘れていた何かを再び思い出せた気がした。
「早う長島を復興し、皆を迎えねばなるまいな」
 これからまた軍議が始まるだろう。しかし、今は戦を考えずに、風花と共にこうして過ごせるこの瞬間こそが、最も貴重な時間だと思った。
「皆には、ひと月は岐阜におると伝えてある。それゆえ…もうしばらくは、ここで、そなたと共にいよう」
 天つ正しき三の年。信長の天下が、ますます盤石なものとなりつつある年の初め、静かな岐阜の屋敷で、何もかもが穏やかに感じられる時だった。
 外では雪が降り始めていた。白きものが、過ぎた罪を包むように。
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