滝川家の人びと

卯花月影

文字の大きさ
45 / 146
6 色即是空

6-4 五箇の神

しおりを挟む
――天正三年五月、織田・徳川連合軍が長篠の戦で武田勝頼を破った。世の趨勢が信長に傾きはじめたその夏、信長は矛先を北陸へと向ける。
 越前国は朝倉氏滅亡ののち、織田家の武将たちが統治を任されていた。しかし、その支配は盤石なものではなかった。長年この地を根拠としてきた本願寺勢力――いわゆる一向宗門徒は、信長の政策に強く反発し、国中に不穏な空気が広がっていたのである。
 信長にとって、一向一揆は単なる反乱にあらず。天下統一を阻む最大の障害のひとつであり、武田との戦が終わるや否や、大軍を編成して一揆討伐を断行した。八月、三万から十万とも伝わる織田方の兵が越前へなだれ込む。その中には滝川一益の軍勢も加えられていた。
 農民・僧侶・地侍が一体となった一向一揆勢は、かつて朝倉氏をも悩ませた強敵だ。城郭に籠ることなく野山に散り、時に一村まるごとが兵となり、婦女子までもが武器を手にした。信仰に根ざすその戦いぶりは苛烈で、織田家の諸将はこの先の困難を悟らずにはいられなかった。

 伊勢から兵を率いて北陸を目指す一益が岐阜に立ち寄ったのは、忠三郎がそこにいると聞いたからだった。
 屋敷に顔を出すと、子供が増えたせいか、いつにも増して賑やかだ。一益の到着に気づいた風花は、いつもと変わらぬ様子で出迎えてくれた。
「入れ違いでござりましたな。忠三郎殿は朝、出立されました」
「鶴が参ったか」
 妙だな、と思った。
 日野から越前に向かうのであれば、岐阜に寄る必要がない。岐阜からでは山越えになり、一度、北近江の小谷へ出てから越前に向かうのが常道である。
「九郎の顔を見にきたらしいので、追い返しました」
 風花が澄ました顔でそう言うので、一益はおや、と風花を見る。
「屋敷に来るなとまでは申しませぬ。されど、奥への出入りはお断りいたしまする」
 誰かに何かを聞いたらしい。何も事情を話さなかった一益にも、多少腹を立てているようだ。
「誰に何を聞いた?」
「三九郎殿が口を割りました。何を言われようと、九郎は殿とわらわの子でござります。忠三郎殿にも義太夫殿にも会わせるつもりはありませぬ」
 三九郎は風花に弱い。問い詰められて、白状させられたのだろう。
 一益は、然様か、と笑みを浮かべて屋敷を後にした。
 
 美濃の垂井にある玉泉寺で忠三郎に追いついた。
 垂井は西美濃に位置し、東山道と桑名に繋がる美濃街道の追分にある宿場町だ。古来から多くの人の往来があり、歌人たちが詩歌を残している。
 今は羽柴秀吉の軍師竹中半兵衛の領地になっていた。
「義兄上、存じておられるか。いにしえより、この木の根元より湧き出でたる水。この地の由来となった誉れ高い天下の名水」
 古の旅人も立ち止まったという「垂井の泉」で、忠三郎が竹筒を水面へと差し出すと――
「……確かに、美味じゃ」
 一益もひと口含む。水は驚くほど柔らかく、澄み、涼やかな息吹のように喉をすり抜けた。甘くなる水の譬えが、喉の奥にうっすら残った。柔らかさと同時に、胸に確かな清涼が染み入るような気がした。
 忠三郎は顔をほころばせ、
「しかし我が故国・日野の水には、かなわぬかもしれませぬ」
 と含み笑いを浮かべた。
 義太夫も来て、どれどれと水を飲む。忠三郎はその姿を見ながら、
「今よりはるか昔、はてしなき道を旅していたものが、水をみつけ、それを飲むと苦くて飲めなかった。ところが一人の男が祈り、示された一本の木を水に投げ込むとその苦い水が甘くなったと、そんな話を聞き及びました」
「苦い水とは、毒が入っておったか?」
 義太夫がいつものようにとぼけてそう言うと、忠三郎は、いや、と笑って
「苦い水とは時に沸いてくる己の苦々しい思いを差し、投げ入れられた一本の木とはイエズスの十字架を指すと、ロレンソ殿はそう申された」
「あの生臭坊主のいうことは、ようわからん」
 義太夫が竹筒に水を入れながらそう言う。
「ロレンソは、日野によう参るか?」
「時折思い出したように、おいでになります」
 ロレンソが高山右近の領地、高槻を拠点に活動しているのであれば、たいして離れていない日野へ現れても不思議はないが、忠三郎は若いだけに純粋で影響を受けやすい。
 少し気になりはしたが、いくら影響を受けたからといっても、キリシタンになると言い出すほど愚かではないだろう。
 それよりも、わざわざ岐阜に来たのは九郎の顔を見るためではないようだった。忠三郎は岐阜まで来て、垂井で一益を待っていた。しかし忠三郎は何も言わない。一益が気づいて何か言い出すのを待っているかのような態度だ。
「ここでわしを待ったのは、共に水を飲むためではあるまい」
 忠三郎は笑って、
「何ともなしに…ここにおりました」
 飄々とそう答える。こういう掴みどころのなさが、三九郎をして『人ではないようなもの』と言わしめるのかもしれない。
「あれから二年か」
 忠三郎の兄、重丸が死んだのは越前の入口。もう二年たつ。撃ったのは三九郎だ。忠三郎は薄々気づいているのだろうが、一言も、何も言わない。
「やはり義兄上は…覚えていてくだされた」
 忠三郎が笑顔を見せる。
 
「むかし見し 垂井の水は かはらねど
          うつれる影ぞ 年をへにける」

 平安の昔、勅撰歌人であった藤原美濃守隆経がこの地で詠んだ和歌だ。
 昔見た水は変わらぬが、水に映る自分の姿は確かに変わっている――その一瞬の暗い綾を、忠三郎は言葉にした。其処に若者の覚悟と哀感が隠れているように、一益には思えた。

 清冽せいれつな垂井の水で喉を潤し、馬にも与えたのち、一益の隊はふたたび北陸へと歩を進めた。
「上様は今日、小谷の羽柴筑前殿の元に到着。明日には敦賀に入られましょう。一揆衆が一枚岩ではないという噂もあり、お味方の士気は上がっているものと存じまする」
 忠三郎が馬を寄せ、そう報せる。
「此度の出陣は、それを好機と見た上様が下知なされたものじゃ」
 越前を荒らす一揆衆は、もとは土豪や農民たちの寄り集まりに過ぎぬ。しかも、石山本願寺から越前に派遣された大坊主・下間頼照らと、地の国人勢が折り合わぬとの噂が広まっていた。内に不和があるのなら、織田勢にとってはまさしく天の助けである。
「それがまことであれば、もはや恐るるに足らず」

 軍勢はさらに北上し、小谷を抜け、翌日には敦賀に入った信長に追いついた。 すでに羽柴秀吉、丹羽長秀の軍勢が到着し、さらに摂津から柴田勝家、若狭から佐久間信盛が着陣している。南伊勢からも北畠三介、神戸三七が駆けつけ、次々と旗指物が並び立つ。
 総勢三万の大軍が揃い踏みすると、信長は越前に入り、敦賀の花城山城で軍議を開いた。
 燭台の炎に照らされ、甲冑の威光が壁に反射する。誰もが息を潜め、信長の口から次の言葉が発せられるのを待っていた。
「此度の先陣は越前衆と、一向宗の内、我が方に寝返ったものたちじゃ。そのあとは…」
 辺りがざわめく。先陣は功名をあげる最大の機会。名誉と危険が背中合わせの役目ゆえ、諸将の胸は熱く高鳴る。毎度のことながら、先陣をめぐっては争いが絶えぬため、信長はくじを命じた。
 固唾を呑む一同の前で、白紙を引き開いた瞬間――。
「羽柴筑前守、明智日向守」
 羽柴秀吉は快活に頭を下げ、光秀は静かに深く礼をした。対照的な二人の姿に、諸将はそれぞれの胸中で思惑をめぐらせる。
 信長はすぐさま采配を下した。
「若狭水軍をもって海岸の村々に火をかけよ。煙と炎に人心は乱れる。その隙に陸の兵は一斉に攻め寄せ、敵を蹴散らすのじゃ。一人たりとも逃すこと、叶わぬ」
 火と刃とでねじ伏せる、その苛烈な言葉に広間の空気が一段と重くなる。
 軍議が終わると、諸将はそれぞれの陣へと戻っていった。夜気は冷たく、敦賀の海風が軍旗をはためかせる。翌朝には血煙立ちのぼる戦の幕が上がる――そう思うと、兵たちの胸は否応なく昂ぶり、また怯えも増していった。

 夜になり、雨が降り始めた。
 とめどなく降りしきる雨は、軍勢の焚き火を打ち消し、陣中に冷たい湿り気を運んでくる。
「火をつけるというても、これではどうにもなりますまい」
 義太夫が、笠を傾けながら雨をしのぎつつ言った。焚き火は湿って重く、残った一灯だけが遠い鐘の余韻のように揺れた。
「明日は鉄砲が使えぬやもしれぬ」
 一益が短く答える。
「いつもなら、先陣をきると騒ぐ奴が現れませぬな」
 義太夫が口の端を吊り上げる。言うまでもない、忠三郎のことだ。敦賀に入ってから、その姿を見かけない。昼間の軍議のくじ引きの場にも姿を現さなかった。
「何か存じておるか」
 義太夫はいやはや、と笑う。
「わかりやすい奴でござりますな。百姓相手で気乗りせぬのでは?」
 確かに、長島願証寺での一揆衆は甲冑を纏い、太刀・打刀を振るう武辺者が多かった。だが、ここ越前で目にするのは鍬や鋤を手にした農兵。寄せ集めの鎧は、鉄片や竹を継ぎ合わせたものばかりで、武人というより領民そのものだった。
 田畑を耕す手が、いまは武器を握り、怯えと憤りの入り混じった目をしてこちらを睨んでいる。
 その姿を思い浮かべれば、忠三郎が迷いを抱くのも当然かもしれない。領民を斬ることは、戦さを生業とする武将を相手に戦うこととはまた別の重みがあった。
(迷いがあるのか…だが、それでは命を落とす)
 一益は黙考したのち、
「義太夫、行って様子を見て参れ」
 と命じた。
 長島で背負った血の記憶が、いまだ忠三郎の胸に影を落としているのかもしれない。しかし、明日の合戦に心が揺れていては、それこそ命取りとなる。

 義太夫が様子を見に行くと、帷幕の外で滝川助太郎と町野長門守が何やら話している。
「おぉ、二人とも。鶴は?」
「それが…やる気があるのかないのか…」
「皆を外に出して、一人で何をしておられるのやら」
 困惑する二人を横目に、義太夫は素知らぬ顔で中へ入っていく。
 見ると、忠三郎が何をするでもなく、具足も脱いでぼんやりと一人、床几に座って考え込んでいた。
「義太夫…」
 義太夫を見ると、常の笑顔を見せた。
「如何いたした。腹が減ったか」
 義太夫が懐から握り飯を取り出すと、忠三郎は嬉しそうに受けとり、もぐもぐと食べ始める。
「越前一国、丸ごと一向門徒の国とはのう。なにゆえにここは門徒ばかりおるのじゃ」
 とぼけた顔をしてそう言うと、忠三郎はあぁ、と笑う。
「今より百年ほど前、この地に本願寺八世・蓮如が現れ、吉崎御坊を拠点に教えを広めたのが始まりと伝わる」
「おぉ、五人の女房に二十人以上も子を産ませたという腐れ坊主か」
 義太夫が下卑た笑みを浮かべる。
 蓮如は、寂れて衰退の一途をたどっていた本願寺を復興し、各地に広めた中興の祖であった。吉崎御坊はその旗頭となり、門徒を糾合する拠点となった。
「流石、義太夫。そういったことだけはよう存じておるな」
 忠三郎は笑い、握り飯を飲み込みながら続ける。
「蓮如は民に分かりやすい言葉で御文を書き、朝夕の経も短くし、無学な百姓でも唱えられるようにしたそうな。それゆえ、あの者らは六字名号――南無阿弥陀仏としか言わぬ」
「ふむ。それで皆、仏に救われた気になるわけか」
「さらに人の心は、形あるものにこそすがる。蓮如は阿弥陀如来の御影《みかげ》を各地に配り、民はそれを拝んでは念仏を唱えた。やがて『南無阿弥陀仏と称えさえすれば極楽に往生できる』と信じ込むようになったのじゃ」
 忠三郎はそこで握り飯を置き、暗がりに目をやった。
「それだけ、あの者どもも必死ということよ。あの中には年貢を納められず、身売りして門徒の奴隷となっているものもおるしのう。寺にすがれば生き延びられると信じるのも無理からぬこと」
「それゆえに、そのやる気のない態度か」
 義太夫が笑うと、忠三郎は困ったような笑顔を見せる。
「やる気がないわけでは…」
「わかりやすい奴。昼間から酒まで飲んでおるではないか。殿が見たら、おぬしに従う兵が無駄死にするだけじゃと、お叱りになろう」
「されど、女子供を斬るのでは功名もなにもない」
 忠三郎の態度に、さしもの義太夫もこれは拙いと気づく。
「あまり甘く見るな。おぬしが思うておるよりも手強い敵。弾よけ衆が先陣を切るとはいえ、油断していては命取りになる」
「弾よけ衆?越前衆のことを言うておるのか。それはまた酷い言いようじゃな」
 忠三郎は声をあげて笑った。
「案ずるな。わしとて織田家の一軍の将。上様が根切せよと仰せならば、迷うことなく一揆衆を根絶やしにする覚悟じゃ」
 と目が隠れるほどに笑う。この癖は昔から変わらない。己の心を隠すときは必ず、こんな笑い方をする。
(妙に意気込み、一人で敵陣に突っ込んでいくよりは、よいかもしれぬが)
 長島以来、こんな調子で、何か考えるところがあるようだが、いざ戦さが始まれば血が騒ぐのか、常の忠三郎に戻る。
「長島の話は聞いている筈なのに、何ゆえにあの者どもは我等と戦うため、血眼になって戦さ支度を整えておるのであろうか」
 まるで滅びを望んで戦場に立つように見える。
「進めば極楽。退けば地獄と教えられておる。地獄が怖いのじゃろ」
 一向衆の門徒たちは、織田勢と戦って死ねば、極楽に行けると、そう教えられているらしい。
 忠三郎はしばし暗い雨音に耳を澄ませ、やがて重く息を吐いた。
「分からぬのか」
「何を?」
「然様。水をためることのできない、こわれた水ためを、自らの手で必死に掘っておるようなものじゃ」
 その言葉に義太夫が黙り込む。忠三郎はさらに続けた。
「いかに掘っても、水は砂利にしみて流れ出し、けっして満たされぬ。されど人は、それが壊れているとも気づかず、ひたすら土を掻き、汗を流す」
忠三郎の眼には、垂井の井戸を見下ろした景色が浮かんでいた。豊かに湧く水は人を潤し、村を生かす。しかし壊れた井戸は、いくら桶を下ろしても虚しく乾いているだけだ。
「されど、それでも掘らねばならぬと信じるゆえ、あの者どもは命を賭して戦場に立つ。満たせぬ器に水を注ぎ続ける手は、ときに祈りと見まがう。……これもまた天命か」
 冷たい雨は止む気配もなく、風はますます強まっていた。
(あの山深い岩村城も、いまごろは雨か)
 おつやはどうしているのか。城は無事であろうか。義太夫の手を取り、武者姿で微笑んだおつやの顔が、雨の闇に浮かび上がった。
 
 翌日、冷たい雨脚の中で城攻めが始まった。
 越前の玄関口たる杉津砦、板取城を次々に落とし、織田勢は一揆衆の拠点に火を放っては、湿った大地を踏みしめ、鬨の声とともに一斉に進み出す。
 先陣を任ぜられた越前衆と羽柴秀吉、明智光秀は、府中の竜門寺に夜襲をかけ、逃げ惑う敵二千を斬り伏せた。その報せを受けて、信長本隊も進軍の歩を早める。
 義太夫は列の中から戦場を睨んだ。
 立ちはだかるのは、鍬や鋤を槍代わりに構えた村人たち。胸に鍋の蓋を紐でくくり、竹を継ぎ合わせただけの鎧を纏っている。女は幼子を背に負ったまま石を振りかざし、老人さえ杖を捨てて立ち塞がる。
「またか…」
 長島を彷彿とさせる光景に、義太夫は吐き捨てるように呟いた。
 銃声が轟き、土煙と悲鳴が入り乱れる。織田兵は押し寄せる農兵を次々と斬り伏せるが、倒れた者の手から武器を奪い、なお突進してくる者もいた。信仰に突き動かされた眼は、常の戦場で見る武士のそれとは違い、死を恐れぬ光に満ちていた。
 やがて織田軍の数と火力に押し潰され、村は炎と煙に包まれた。

 戦が終わるころ、忠三郎は遅れて戦場に足を踏み入れた。
 目に映ったのは、焼け崩れた家々、濡れた大地に転がる屍、そして泣き叫ぶ子の声。母の亡骸に縋りつき、動かぬ体を揺さぶる幼子の姿に、忠三郎は足を止めた。
(…これが、わしらの勝利か)
 炎の残り香が胸を焼き、言葉は喉に詰まった。
 義太夫が血に濡れた顔で近づいてきた。
「これで国は治まるのでござろうか」
 答える言葉を、忠三郎は持たなかった。
 ただ風が、灰を巻き上げて彼らの頬を打った。

 戦後の軍議において、信長はなおも苛烈に命じた。
「一人たりとも逃すな。逃げ場に身を隠す者あらば、村ごと焼き討て。谷に潜む者は追い落とせ。国中に火を放ち、二度と一揆の根を芽吹かせること能わずと知らしめよ」
 その言葉に、諸将の顔には一瞬の躊躇が浮かんだが、誰ひとり逆らうことはなかった。織田の大軍は各隊に分かれ、散らばった一揆勢の殲滅に向かうこととなった。
 一益は信長の次男北畠三介、三男神戸三七、蒲生忠三郎とともに一揆勢が集まっているという越前の奥地へと兵を進めた。そこには難攻不落と言われた山城、大滝城と大滝寺がある。大滝寺は古くから白山信仰と結びつき、多くの門徒を抱える堅固な寺院であり、一向宗一揆の大牙城のひとつだ。
 大滝城は南北朝期、山寺・大滝寺の僧兵が築いた南朝の拠点だった。北朝方に奪われた後、朝倉氏の庇護により寺域も堂宇も復興し、いまや堂宇四十八宇を構える一向宗門徒にとっては精神と軍事の砦となっていた。
「我らは子守りということで」
 佐治新介が口を尖らせた。若武者らを守り立てる役回りを指してのことだ。
「くれぐれも怪我をさせぬよう、立ち回らねばなるまい」
 義太夫も渋い顔をしている。
「手柄は御曹司のもの。不始末は我らの咎となる、はるばる越前まできて損な役回りよのう」
「そう申すな」一益は静かに笑みを含んで言った。
「わしは御曹司方の後見役。これもまた天命よ」
 兵を率いて大滝城を取り巻く頃には、長雨がようやく途切れ、雲間からわずかに光が射しはじめた。
 ぬかるんだ山道の泥に足をとられながらも、兵の眼には一瞬、晴れ間に輝く大滝の白き瀑布が映った。その景色は、これから繰り広げられる血の惨劇を覆い隠すかのように、あまりに清らかだった。

 一益は陣を張り、北畠三介の陣へと向かう。この六月、正五位下に叙された北畠三介は北畠中将と呼ばれ、その若き権威を称えられていた。
「左近、参ったか」
 三介は一益の顔を見ると、ほっとした表情を見せる。幔幕には鮮血が飛び散っており、今しがた誰かを斬った後であることが窺えた。
「如何なさりました?」
「聞こえぬか? 先刻より城内から聞こえてくる声、何とも不気味ではないか。あれは何と言っておるのじゃ」
 城の中からは念仏以外の声が聞こえてきている。
「我ら王孫、主を持たじ、と申しておりまする」
 帰するところ、自分たちは帝の血を引く者だから、武士による統治を認めない、とそう言っているらしい。
「何故、あの者どもが帝の子孫であるなどとのたまうのか」
「謂れなき戯言。中将殿、かような戯れ言に心を奪われていては、この戦には勝てませぬ」
 この頼りなさでは、家中の纏めにも支障が出るのではないだろうか。
「予めあれなる山に裏から登って伏兵を置き、城とこの一帯に火を放ちまする。さすれば門徒どもは皆、山裾に向かって逃げ惑いましょう。そこを待ち伏せしていた伏兵により一気に倒し、殲滅いたす所存」
 一益が策を述べると、三介の顔が青ざめる。
「待て、左近。その策、いかにも理には適うが――あの山は小白山大明神の社を戴き、古来より神の坐す神域と伝わると聞く。その神山を焼き払うなど、神仏の祟りを招かぬであろうか」
 声は震え、眼差しは畏怖に揺れていた。恐れているのは敵兵でも民でもない。
 神を冒涜し、その報いを受けることこそが、三介を竦《すく》ませている。
 大滝寺は小白山大明神の別当寺として長く里人の信仰を集め、五畿内の山岳信仰と神仏習合が織りなす聖地とされてきた。その神域を炎に包むことは、ただの軍略ではなく、神意そのものへの挑戦だった。
「上様からは一人も余すところなく討ち取るようにと全軍に厳命が下っておりまするが…」
 信長と聞いて、三介は困惑している。
「であれば、捕えた者どもは、わしの元に引き立ててくるには及ばぬ」
「は?」
「みな、父上の元へ送れ。捕った首も同様である」
 自分は関わりたくないと、そう言っているのと同じだ。
(中将と呼ばれる者には、ろくなものがおらぬ)
 共にいた滝川藤九郎の顔が引きつり、家臣たちも言葉を失った。
 一益はただ頷くと、伝えにくい命を胸に抱えたまま、三介の陣を後にした。

 次に忠三郎の元を訪ねると、一人、帷幕の外で山を仰ぎ見ていた。雨に濡れた髪を気にするでもなく、どこか虚ろな面持ちで。どうやら一益を待っていたらしい。
「北畠中将殿は及び腰だったのでは?」
 笑ってそう言う。
「何か聞いていたか?」
「先ほど、中将殿の家人に呼ばれ、陣屋に行きました。中には、この地に住むという農夫がおりました。その農夫が申すには、これより千年前、この地に天人が現れ、民に紙漉きの技を伝授したと伝わると言うて、これを…」
 忠三郎が懐から取り出したのは、一枚の白き和紙だった。
「その言い伝えが、この辺り一帯を神が宿る山とする所以でござりまする」
 写経用として製紙技術が大陸から伝来したのは九百年前と伝わるので、この地の紙作りはそれよりも古いことになる。
「これが実に見事な職人技。この地の厳しい寒さ、凍るような水がかように美しい紙を生み出すもののようにて」
 忠三郎が一益に和紙を一枚、取って渡す。
 京の都にも持ち込まれているというその紙は、光を受けてわずかに透けるほど薄く、強靭で皺もない。
「それと言うのも、この五箇と呼ばれる地一帯には、三椏《みつまた》なる樹木がそこここにあり、その木の皮を紙の材料とし…」
忠三郎の目は、どこか夢見心地だった。農夫の語る紙漉きの手の動きを反芻しながら、幾世代に渡り受け継がれた技そのものに心を奪われているようだ。
「五箇の里では、水・こうぞ・三椏・雁皮がんぴ、そして人の手を、『五つの恵み』と呼ぶと聞きました」
 忠三郎の声は、山の静けさに溶けるように柔らいだ。名もなき恵みを、里人は神と呼ぶのだろう。
 ぼんやりとした眼差しは、取り憑かれたかのようだった。
 一益はやがて口を挟んだ。
「その農夫というは…」
 偵察にきた間者ではないだろうか。
「そう思うたゆえ、斬り捨てました」
 問答無用で斬ったようだ。
(その一言を言うがために、長々と紙づくりの話をしたのか)
 あまりにあっさりとした答え。だがその口元に浮かんだ笑みは硬く、不自然だった。
 忠三郎は苦笑して、
「北畠中将殿は話を聞いてひどく狼狽し、神仏の祟りが恐ろしいと仰せになりました」
「…待て、五箇と申したな。村はここだけではないのか」
 五か所ある、いやそれ以上の、もっと多くの村がこの奥に点在しているという意味ではないだろうか。
「はい。やはり義兄上も気づかれましたな。恐らくは、この奥にも村があるものと。兵を差し向けまするか」
 語るに落ちたとはこのことだ。農夫は何も考えずに地名を口走ったのだろうか。
「うかつにも、そんなことを口にするとは…」
 間者にしては無防備だ。軍勢を見て恐れた農夫が、村が無関係であると説明するために来た可能性が高い。
「鶴、そなた、間者ではないと分かっていて、斬ったか」
 問い詰めると、忠三郎は沈黙ののち、口を開いた。
「それと気づいたときは、早、首が胴から離れた後」
 そうだろう。長島がそうであったように、ここ越前でも、農夫であっても暴徒の可能性もある。
 忠三郎は少しの沈黙のあと、
「無辜の民を斬ったそしりは、この身が負いまする」
 そう言いながらも、悔恨を押し隠すように、瞳の奥が揺れていた。
 やがて、忠三郎は口を開き、『平家物語』の一節を唱えた。
「哀れ、弓矢とる身ほど口惜かりけるものはなし。武芸の家に生れずは、何とてかかるうき目をばみるべき。情けなうも討ちたてまつるものかな」
 幸若舞の『敦盛』で知られる一節で、源氏の将、熊谷次郎直実は十七歳の平大夫敦盛を見て、我が子を思い出して逃がそうとする。そこへ背後から味方の兵が押し迫る。熊谷次郎は泣く泣く敦盛を討ち取り、武士の家に生まれた我が身を嘆く。
 信長が好んで謡うこの幸若舞は、別名・越前幸若。越前発祥と言われている。
「山の奥に村があるということを中将殿は?」
「気づいてはおられぬ筈」
 忠三郎はあえて黙っていたようだ。
「…それゆえに、かようなところで甲冑もつけず、わしを待っていたのか」
「中将殿はともかく、義兄上の目は胡麻化せぬと、そう考え、お待ちしておりました。城を含め、辺り一帯を焼き払えば、敵が奥の村へ逃げ込みましょう」
 そうなれば山奥まで敵を追い、村々を焼き払うことになる。忠三郎はそう考えて、一人では決めかね、一益を待っていたのだろう。
「この山の手に伏兵を置き、城から逃げてきたところで一斉に撃て」
「して、撃ち漏らしたものは…如何いたしましょう」
 忠三郎は躊躇いながら問う。逃げた者は、石山本願寺目指していくかもしれない。この先の本願寺との戦いを考えて、一人も逃すなと言われているのだ。
「この周辺だけでよい。奥深くまで追うな」
「義兄上…」
 忠三郎が泣きだしそうな笑顔を見せる。
「そなたは考え違いをしている。この場の指揮を委ねられているのはこのわしじゃ。敵を逃した責めも、無辜の民を斬ったそしりも負うのはわしじゃ。そなたが負うべきではない。それゆえ、鶴、そなたは思い煩うことなく敵を撃ち滅ぼせ」
 一益が諭すようにそう言うと、忠三郎は一益の目を見て何かを考え、そして常の笑顔を見せた。
「委細承知。では中将殿と三七殿にもそのようにお伝えしましょう」
 少し安心したようだったが、笑顔に影がある。賢い忠三郎には、命じられたまま、何も考えずに従うことはできないだろう。

 一益は自陣に戻ると、物見を出し、付近を調べさせた。
 大滝城と辺りの社域の堂塔は四十八宇あると言われ、背後にはその寺を氏神としてあがめる四十八ヶ村がひしめいている。
 ただの山城ではない。これを温存すれば、たとえ落としても、いずれまた四十八村が兵を供し、再び蜂起するだろう。越前一向一揆の火種を絶やすには、この社域ごと焼き払うほか道はない。
 城から銃声が聞こえてきているが、案の定、弾は届いていない。
「あの体たらくで王孫気取りとは、笑止千万にて」
 佐治新介が嘲笑うと、居並ぶ者がみな笑い出す。
「所詮、無知な下民どもが我らの怖さを知らずに、当たりもしない鉄砲を撃ってきているにすぎませぬ」
 木全彦次郎が言う。
 どんなに武器がよくとも、火薬の量ひとつ誤れば弾は飛ばない。兵が訓練されていなければなおのことだ。だが、一益は笑わなかった。
(奴らが恐ろしいのは、無知ゆえに何度でも立ち上がることよ…)
 山裾から登って城の裏手に回り、一気に攻め落とすことにした。
「火矢で一斉に射掛け、城の者どもを焼きつくせ。四十八坊の堂塔も残すな」
 命が下ると、兵は火を放った。堂塔楼閣すべてに炎があがり、山全体が燃えているかのように赤々と照らし出される。
 火の勢いに逃げ惑う人の群れが城門に殺到し、門からでてきたところを鉄砲で撃ち、次々に倒すとわずかな時間で死体が山と積み上がった。
 忠三郎はその光景を憂いを帯びたまなざしで見つめていた。
(四十八村の祈りも、子らの未来も、炎の中に呑まれてゆく…。されど、残せばまた幾千の命が戦に散ろう。これは、憎しみの連鎖を断つための炎か、それとも…)
 ――甘くなる水の話が、ふと喉を過った。赦しとは、ああしたものか。
 義太夫は横で、顔をしかめたまま呟いた。
「これで世が治まるのであろうか…」
 火は翌日も燃え続け、ようやく消えたのは二日後の朝であった。
 山は黒々とした炭となり、聖地と呼ばれた地にはただ灰と屍の匂いだけが漂っていた。
 
 一益は火が落ち着いたのを見て城に足を踏み入れた。
「よう燃えましたなぁ。火薬の量はほどよいようで」
 義太夫が辺りを見回して言う。
 小高い山の尾根伝いに、燃え尽きた本丸館が黒く焦げ残っている。そのすぐ近くで馬の脚を止めた。
「父上、如何なされました」
 三九郎が後に続いて馬から降りる。
 眼下には、無惨に横たわる死体の山が広がっていた。炎に追われ、城から逃げたものたちは山裾を目指して走り、後ろから撃たれ、あるいは火に巻かれて果てたのであろう。
「一面に横たわる門徒どもの亡骸を埋葬させよ」
 そこへ義太夫と忠三郎も現れる。命を受けた兵たちが静かに土をかけていく。
 一益はその様子をじっと見届けると、静かに馬を下りた。
 手ずから地を掻き、掌で土をすくいあげる。
 鐙を外し、黒く湿った土の中にそっと埋めた。
 土をならし終えたその手に、まだ泥の温もりが残っていた。
「殿、何をなされておいでで?」
 義太夫が不思議そうに尋ねる。
「この者どもが冥土で使えるように、鐙を埋めたのじゃ」
 忠三郎が、あぁと近づいてきて、低くつぶやく。
「この地が…再び戦さに巻き込まれることなきようにと、願いを込めて…」
 一益はわずかに目を伏せ、静かに頷いた。
「この先は幾代にも渡って平和が守られ、この地に住む者たちが静かに紙を漉き、暮らしていくことを皆で祈ろう」
 どこかで谷水が細く落ち、紙を漉く撥ねの音にも似て、長く、絶えた。

 人はなぜ、湧き水の泉を捨て、水を溜められぬ壊れた水溜めを掘ろうとするのか――。己の欲に目が眩み、気づかぬうちに、破滅の道を選んでしまう。そうして気づかぬかぎり、また同じことを繰り返すのだろう。
 神でも仏でもなんでもいい。どうかもう無辜の民の血が流されることがないように。この悲しみの地が喜びの地と変わり、千代に渡り、この地の穏やかで静かな暮らしが守られるように、そう誰かに願わずにはいられなかった。
 この戦さで討ち取られた一揆衆は三万とも四万とも言われている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

獅子の末裔

卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。 和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。 前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
国を、民を守るために、武田信玄は独裁者を目指す。 独裁国家が民主国家を数で上回っている現代だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 純粋に国を、民を憂う思いが、粛清の嵐を巻き起こす 【第弐章 川中島合戦】 甲斐の虎と越後の龍、激突す 【第参章 戦争の黒幕】 京の都が、二人の英雄を不倶戴天の敵と成す 【第四章 織田信長の愛娘】 清廉潔白な人々が、武器商人への憎悪を燃やす 【最終章 西上作戦】 武田家を滅ぼす策略に抗うべく、信長と家康打倒を決断す この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です))

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

処理中です...