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第二章 車内でも隣には

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「そうだ、目雲さん」

 はるきがきちんと説明すると言って話し始めた。

由恵よしえちゃんと義康よしやす君。由恵ちゃんがよっちゃんで、義康君がヨシくん。ちなみにヨシくんは私の彼氏です。あとで紹介します」
「ありがとうございます」

 ゆきは元より、目雲もどうやら昨日は喧嘩しなかったようだと心の中で考えた。
 その向かいで父がしみじみ零す。

「ヨシくんとはるちゃんもいろいろあったからな、別れたり元に戻ったり、大喧嘩したり高校生で結婚するって言ったり、今の平和が父さんは恐いよ」
「それでお姉ちゃんのことも心配になったの?」

 はるきの言葉に一理あるとゆきも思いながら、それにしてもとわざと丁寧に自分を弁護した。

「はるきが双方の家族を巻き込み過ぎなだけなのではないでしょうか? それで私の心配をされても、心配するのははるきの方では?」

 はるきは涼し気な顔でゆきを流し見た。

「私はもう大丈夫、ちゃんと婚約してからは落ち着いたものよ。来年には本当に結婚するんだし。隣に住むだけだし、お姉ちゃんもウチの心配しなくていいでしょ。だからじゃない? お姉ちゃんが心配になったのは私が落ち着いたから」

 はるきと義康は大学を卒業したら結婚する予定が実際に進行していた。四月には入籍して夏には結婚式の予定だ。
 その話は知っているゆきだったが、その準備の話でいろいろと意見が合わないなど愚痴を聞いていたがために、落ち着いていたとは予想外だった。

「そうなの?」

 父に顔向けたが、はるきのことではなくゆきの話に戻ってきた。

「そこまでゆきのことを蔑ろにしているつもりはなかったが、落ち着いてみたら親の甘えだったかと考えはしたよ。ゆきが何も言わないことを良いことにはるきほど気にかけていたか自信がない」

 考え過ぎだとゆきの方が困惑する。

「比較対象が悪いよ。お父さんもお母さんも私のことちゃんと見てたから。信頼してもらってるって理解してたし、心配かけないようになんて気を使ったこともないし、誰かのことが負担に思ったこともない。はるきのこともいつも面白いって思ったし、お父さんは優しくて器量があってお母さんは実はしっかりものだって分かってる」
「私のことは面白いって思ってたんだ」

 はるきの心外そうな顔に笑いながらも理由を説明する。

「小さい頃はかなり妄想力がすごかったよ、徐々に現実的になってきたけどその妄想を聞くのが好きだったんだよね。あ、だからはるきは自分の遊びに付き合わせたと思ってるの?」

 自分で言っていてゆきは思い当たった。
 ただはるきの方もゆきの言葉の意味を勘違いしていたことに気が付く。

「面白いってそういうこと? 人間的にドタバタしてるってことじゃなくて?」

 はるきは周囲から日ごろ感じているその評価を仕方ないと受け入れていたために、実の姉にも同じ感想を抱かれていると思っていたが、思わぬ角度で何故か胸が熱くなっていた。

 ゆきとしては毎日一緒にいた時期が単純に深くに根付いているというだけだった。

「実際ヨシくんといろいろあった時には私家出てたから問題が現在進行形の時は電話でお母さんかはるきかよっちゃんかに話しで聞くくらいでしか知らないし、こっちに来てる時は大抵仲がいい期間ばっかりだったからね」
「確かにそうかも。そっかお姉ちゃん私の子供の頃の話面白いって思ってくれてたんだ。我慢して聴いてくれてたんじゃないんだね」

 子供の頃からうざかっただろうなと思っていたはるきはそれをゆきが嬉々として受け入れてくれていたことでさらに心を打たれた。
 熱くなる目頭を必死で隠すはるきとは裏腹に、ゆきはそれを思い出すと楽しくて仕方なくて笑みが深くなる。

「絵本の読み聞かせ聴いてる感覚に近かったかな。同じ話はなくて次々展開していくから、いつも見事だなって思ってたよ」

 言わずも尊敬している姉の偉大さに改めて触れたはるきが自分の状態を誤魔化すために両親に振る。

「父さんと母さんも答え合わせしておいた方がいいんじゃない?」

 それにゆきが笑う。

「答え合わせって」

 どんな問題を出していたんだとゆきは呆れるばかりだ。
 ただ父親としてはるきのその心の内をしっかりと理解したからこそ、大きく頷く。

「そうだな、ゆきがどう思ってたのか知りたい」
「お母さんが倒れた時とかは?」

 はるきが聞くと、ゆきはきちんと話す。

「確かに何回かはあったけど、そんなに頻繁じゃなかったでしょ。お母さんが寝込んだり怪我した時のインパクトが強すぎるんだって。お父さんが毎回パニックになるのもあるから」
「そうそう、お父さんすっごく大騒ぎするんだよね! 私全然ちっちゃい頃はそれですごく不安になったもん」

 父が頭を下げた。

「すまん」

 母もタハハと悪戯が見つかった子供の様に笑うのを見ながらはるきがしみじみと言う。

「だからお姉ちゃんが落ち付いてて凄いなって思ってた。私のことも安心させてくれたし」
「大げさなことは何もしてないよ、お父さんがいつもちゃんと病院連れて行ってくれてたんだよ。あとお母さんと予行演習したんだよね、はるきが生まれる前から。それができるのになぜ予期せぬ事態に見舞われるのか子供ながらに不思議だったけど」

 母がピコンと音でもしそうなほどに反応した。

「したわね、予行演習! お父さんに連絡する方法とかどんな時に救急車を呼ぶかとか、近所のどこの人のお家に助けを求めたらいいかとか。怪我した時に手当の仕方も見せたし、お薬の飲み方とか薬局行った時に薬剤師さんの説明一緒に聞いてもらったり、私と子供達だけの時に何かあるのが一番怖かったから、自分もゆきも安心させるためにいろいろしたんだった」

 それはゆきには遊びの延長にあるもので、母も明るく一緒に学んでくれていたからこそ、深刻さも負担も何も感じず、楽しく覚えたものだった。

「結構面白かったよ。それにお母さん、子供だけの時は突発的なことは起こさなかったよ。いつもお父さんがいる時か帰って来てからだった。お父さんに対する信頼が厚いんだって思ってた」
「うん、まあね」

 胸を張る母にはるきがまた渋い顔をする。

「え、のろけ? 目雲さんいるんだからやめなよ」
「お気になさらずに」

 目雲が表情は変えなかったが柔らかい声でそう言った。
 篠崎家の絆がゆきが知らぬ間に深まっているのを眺めていて、その場に居れて温かい気持ちに目雲はなっていた。
 それからお向かいの二人がやってくるようになった理由をはるきが説明する。

「よっちゃん達のお父さんは警察の人なんです、だからお正月とか関係なく帰ってこないことがよくあるんですよ。だから小学生くらいからお正月はウチで一緒なんです」
「日頃はるきがお世話になってたからね」

 母の言葉にはるきは否定せず、頷きながら続ける。

「よっちゃんは短大出て保育士してるので、もう社会人で。今でもお隣に住んでるんですけど、ヨシくんはちょっと離れた大学の近くで下宿してるので今日帰ってくるんです」

 一通り言い終えたと思ったはるきがゆきの子供時代の逸話の衝撃を再び口にする。

「それにしてもお姉ちゃんがそんな遊びしてるなんて知らなかった」

 ゆきは至って冷静だ。

「年が離れてるからかも。はるきは学童とかいってたでしょ」
「そうだ、子供の頃の五つの違いは相当だね」
「それにしても父さんは図書館に行ってるとばかり、本も持ち歩いてたし」

 ゆきは鮮明に記憶を思い出せる。

「本のこともあったと思うけど、手帳の時もあったよ、探偵手帳。小さな革のトランクケースを誕生日に買って貰ったから、それの時もあった」

 ゆきはもう両親の憂いは晴れたと思い、皿の中の鮭を突いて身をほぐしている。

「あったな、そんなこと」

 父も母もそれははっきりと覚えていた。理由も聞いていたが、雰囲気が大事だとゆきが言ったから何かに憧れているのだと微笑ましくなったことまで思い出した。
 ゆきはさらに自分だけではないと言う。

「友達はアタッシュケースだったよ」

 ぱくりと鮭の身を口に頬張るゆきはもう自分だけでなかったという主張を始めた。
 覚えていなかったはるきが小学生がそんなカバンを持ち歩いていることを想像して笑う。

「子供っぽくないプレゼント。それも秘密結社とか探偵団のため?」
「そうそう、なんだかそれっぽいでしょ?」

 ゆきが嬉々として言っているのを妙に納得できたはるきは大きく頷いた。

「子供っぽくないけど、すごく子供っぽい気もする。思ってたよりいろいろしてたんだね」
「そうだよ、お母さんが寝込んでるときは一緒にいたけど、それ以外の時だっていっぱいあったでしょ。はるきと遊んだりしたし、母さんだってパートに行ってたんだから、そんなにずっと家にいなかったよ」
「そうだった、私ちゃんとパート行ってたわ」

 なぜそれが抜け落ちるんだと思う反面、それが母だと姉妹は納得してしまう。
 ただはるきはそれにしても腑に落ちない部分がある。

「私に合わせた遊びばっかりだったじゃん、宿題も勉強もお姉ちゃんに見てもらってし」
「遊びに行く前に宿題するのが我が家の決まりだっただけでしょ。だから一緒にやって、はるきはすぐお向かいに遊びに行ってたから」

 ゆきも付いていくことはあったが、そんなときも同じ部屋で本を読んでることがほとんどで、たまに由恵に宿題を教えたりしていたくらいで好きに過ごしていた。
「あ、よっちゃんの家ね。そうだった。よっちゃんの家でゲームとかしてたんだった」

 これで自分への妙な疑惑はなくなったかと、ゆきは人心地ついた。

「私の心配もなくなった? 子ども時代に家族に対して思うことなんかないよ、感謝してるだけ。だからちょっとした黒歴史を暴露させられたのは不問にしてあげる」

 ただの気恥ずかしさがあるだけで目雲に知られたくないことでもないので冗談めかしてゆきが言えば父と母が顔を見合わせる。

「いやー、なんかゆきが、本当に良い人連れてくるからさ」

 照れたように父が頭を掻くので、ゆきが苦い顔をする。

「変な人連れてきた方が良いみたいな言い方になってるよ」
「変な人の方がまだ、お姉ちゃんの見る目のなさに安心できたかも」

 どうしてそれで安心できるのか全く分からなきゆきは、本気で不審がる。

「それは私は大丈夫なの?」
「目雲さんが素敵な人で良かったってことね、これからもゆきをお願いします」

 母が目雲に向かって言えば、目雲はしっかり目を見て頷いた。

「ご期待にそえるように頑張ります」
「こんな家族ですけど、お姉ちゃん共々よろしくお願いします」

 何故だかはるきが目雲に向けて頭を下げれば、律義に目雲も頭を下げる。

「よろしくお願いします」

 そしてこれも何故だか父が膝を叩いて宣言した。

「よし、明日はみんなで初詣に行こうな。七人乗りにしておいて正解だったな」

 ゆきは父が自分の交際に口を挟まないのは、はるきとのこれまでの反省があるからだろうとなんとなく分かっていた。
 さすがに常識を逸脱した相手だったら両親も反対しただろうが、目雲がそうではないことはひいき目にみても明らかだ。
 そんな父の反応をはるきも分かっていたが、そのはりきりに眉をしかめる。

「車で行くところまで行くの? 地元の神社に歩いていけばいいでしょ」
「そっちは今日の夜中に行くさ、せっかく目雲さんが来てるんだから有名どころも行っておきたいだろ」
「日頃忙しいんだからゆっくりさせてあげなよ」

 はるきが言うが、目雲が大丈夫だと言うのでしっかり予定に組み込まれた。

 昼ごはんが終わった途端、また調理の下準備が始まり、目雲もそれに参加する。ゆっくりしてても良いと言いながらも、手伝いを申し出てくれるならと、あっさり仕事を振る容赦ない篠崎一家だった。

 その後、佐藤姉弟が来てからも、準備も話題もさらに尽きなかった。
 手土産をいろいろ持参していて、酒や由恵が焼いてきた常温でも保存できるケーキはそのままでも良かったが、年末の警戒で来られない佐藤父が毎年届くようにしてくれている米屋のつきたての餅をまた小分けにしてラップに包んですぐ食べない分冷凍していく。入らない分は鮭も含めて佐藤家の冷蔵庫へ運ばれた。
 そうしながら本格的に料理も始まり、味見だ、休憩だと食べることも始まっていく。

 純朴な少しやぼったさはあるが好青年な義康と、明るく朗らかな由恵は、ゆきの幼馴染でもあるので、目雲にまたゆきの子供の頃のことを教える。
そのうちはるきと義康の馴れ初めや騒動を由恵が振り返って、しみじみではなく漸くここまで落ち着いたかと、ゆきと目雲以外は安堵の方が大きいことを二人で笑った。

 ゆきの実家はいつも通り慌ただしく落ち着きがなく、目雲は自然に馴染んでいた。
 いつもどこかで手伝うことがあり、話題があり、ゆきやはるきがさり気無く少しだけ場と会話を繋ぐだけで打ち解けていく。

 常に食べながら、作りながら、話しながら、時間はあっという間に過ぎていき、うっかり年越しを見逃しそうになったり、明けたら明けたでゆきの父が近所の神社への初詣にはりきり、戻って来てからも初日の出はどうするかと言いながら眠り、すっかり寝過ごしのんびり雑煮を食べて、一息つく前に車に二台に別れてみんなで混雑する神社に初詣に行き、ぐったり帰って来てからおせちとまだまだ残る冷蔵庫の食材たちで宴会は続く。

 二日も朝遅くにみんな目を覚まし、残り物でブランチとなり、その後ゆきと目雲は帰路についた。

「本当に忙しないお正月ですみませんでした」

 振り返るまでもなく、車内の静寂が久しぶりの落ち着きかのような感覚を絶対に目雲も感じているはずだとゆきは頭を下げた。
 疲労感はあったがそれさえも心地よいものだった目雲は微笑みを返す。

「とても楽しかったですよ」

 篠崎一家と佐藤姉弟のさり気無い気遣いと、遠慮のなく労働力として手伝いを頼まれることも、たくさん飛び交う会話も、嘘なく楽しめた。
 それがゆきが事前に良いように説明してくれていたからに違いないと目雲は分かっていた。

「……毎年の事……いえ、常に我が家はあんな感じです」

 帰りの車内でゆきはあれが年末年始の特別な事態ではないのだと謝って目雲の口元をさらに緩ませた。




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