恋。となり、となり、隣。

雉虎 悠雨

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第三章 いつも隣に

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 ゆきにとって過剰に気にかけられるというのは疑心暗鬼になることがあった。

「誰かに何かをしてもらうってまず自分でやったほうが楽だって思う節がありまして、気になっちゃうんです。あと、昔は私は好きにするから放っておいて下さいって思ったこともあって」
「僕もうざいですか?」
「目雲さんは全然。えっと、精神的な事と言いますか、具体的には中学の時なので」

 目雲は以前のゆきの話を思い出した。

「もしかして分かり合えない人ですか?」
「あっ、そうです。押しが強いといいますか、一人で本を読んでいるのが見るに堪えなかったらしくて、すごく話しかけてくれて。私は本当に好きで本読んでるだけで、ちゃんと友達も居たんですけど。上手く対応できなくて本読む時間を確保するために逃げ回ることになってしまって、そうしたら無視してるみたいに言われて困りました」

 善意だと思ったからこそ無碍にできず、けれど大勢の中の一員にされても、ただそこいるだけでなぜだか楽しむことができなかった。
 話している内容がゆきには響かなかったのだろうと振り返れば思うのだが、親への不満や恋愛関連の愚痴、うわべだけの同調などが繰り返されていて、聞くばかりのゆきも理解はできても同意できない場面も多く、それなら本を読んでいたいと思ってしまった。

「想像するのは容易いくらいに僕にも経験があります」

 共感を貰えるとはあまり考えていなかったゆきは、ほっとしたように微笑んだ。

「結構あることなんですね、先生が間に入ってくれてそれ以上にはならなかったんですが」

 本気で本を読みたかったから、そう伝えると避けるための言い訳だと取られ、危うくいじめの加害者になりそうになってしまった。けれど仲良くするために思ってもない愚痴を言うわけにもいかず、ゆきの方が教師に相談すると一人で本を読む姿を見られないように色々手伝いを頼んでくれたりして呼び出してくれるようになり上手く距離を取れるようになった。

 目雲も学生時代からゆきとは違うがやっかみを受けることは何度もあったため、そうなった状況が良く分かった。

「中学は多感な時期だからこそ、本質が顕著になりやすいんだと思います」

 中学生でなくともそういう心理はいつでもぶつけられることがあるが、それは受け流すのが一番だというのも目雲は思い出せた。

 ゆきも覚えがあり、当時の教えてもらったことを目雲にも伝える。

「保健の先生が教えてくれたのは、その子はきっと他者評価のために私を利用したんだろうって。可哀想な私をフォローする自分は素晴らしいと思わせるためにってことらしいです。それを私が受け入れなかったから攻撃に転じたんだそうです。それが本の中のことなら分かるんですが、自分の身に起こると分からないものです」

 ゆきが平穏を取り戻した数カ月後、その彼女はどうやら部活の方でも何かトラブルを抱えたらしく、ゆきに居場所の一つとしてくれた保健室で教えてもらったことだった。

「それで無用な同情が苦手になったんですね」
「そうですね、勘ぐるようになってるんです。優しくされると何が目的なんだろうって先に考えちゃって」
「それが僕は大丈夫だったと」
「助けたお礼にしては過剰だなと感じても、目雲さんの性分だと考えると納得できました」

 何かのアピールにしては手厚すぎて、それも自分に対してだけでもなくて、さらに目雲自身も部屋の整え方や身なりの良さもあり、目雲の本質的な性格上やらずにはいられないのだと、寧ろ下手に手出ししたり気にしない方が目雲も楽なのだと早くから飲み込めた。

「そうして受け入れていくうちにですか?」

 そうではないだろうとでも言いたげな雰囲気をゆきは感じ取る。

「納得できませんか?」
「好きになるには弱いです」
「単純なことでも好きになりますよ」

 どうにも腑に落ちなさそうな目雲のためにゆきは更に考え、そして一つ気が付いた。

「あっ、でも」
「なんですか?」

 やはりと言いたげな目雲をゆきはじっと見つめて微笑んだ。

「目雲さん、私を驚かせるんです」
「驚かせる?」

 そもそも部屋の前に倒れていたこともだと言いながら、それよりもずっと恐怖に近い驚きをゆきは思い出す。

「チャイム鳴らしたり」
「その節は」
「あと朝でしたけど、外が暗いときに後ろから声をかけられたり」
「ありましたね」

 その時はゆきに会えた喜びで分かっていなかったと今更ながら目雲は反省する。

「歩き出そうとしたら腕を掴まれたり」
「本当にすみません」

 列挙されると反省しかない目雲だ。

「いえ、驚くんですけど、そのあとホッとするんです。目雲さんで良かったって」
「以前も言ってましたね。それは自分で仕掛けておいて詐欺師の様だ」

 宮前はポジティブだと言っていたが、そんなことばかりでは済まないと目雲は頭を抱えたくなった。
 ゆきは優しく首を振る。

「日頃優しいからですよ。信頼があるから安心できるんです」
「狡猾なストーカーに捕まらないか心配になってきました」

 目雲が真面目に不安そうな表情をするのを見て、頭脳戦や心理戦で迫ってくるような相手が仮に自分に恋愛感情を抱いたとして、そんな複雑な感情に対応したいとも思えないゆきだった。

「嫌がらせしてくる人がいたら警戒しますよ」

 そう単純に考え答えたが、目雲の方がより明確化していく。

「日常的に親切にして、自分で恐怖を与えてそれを落ち着かせるなんてことしてるんですよ」

 簡潔にまとめられたのを聞いて、自分の感覚とかなり乖離が生まれるとゆきの方が戸惑ってしまう。

「そう文章にすると私の意図するところとずれるんですが。目雲さんは全部わざとじゃないですし、偶然の重なりですから」

 そう思うとその天然だからこその魅力が他の人にも発揮されている可能性にゆきは気づいてしまった。

「逆に心配ですよ、目雲さんがそうやってどれだけの人を惹き付けているんだろうって」
「ゆきさんだけです」
「本当ですか?」

 偶然なのにどうして限定できるのかゆきとしては疑わしかったが、目雲はきっぱりと言えた。

「ゆきさんだけ心配になります。だから声をかけたり、強引に止めたり。正直無意識ですが、ゆきさんとは始めから距離が近いので」
「切っ掛けからそうかもしれないですね」

 体を支えたり、弱っているところを見せたのだから、そうだろうとは理解できでも、あの時のゆきはそれ以上踏み込めないものが確かにあって、距離の近さより、それ以上進めない縮められないことのほうが印象的だった。

「ただ同時に壁みたいなものも感じてました」
「壁ですか」

 その正体をゆきも今は知っている。

「今はいろいろお話したので人に対する拒絶みたいなものだと分かるんですが、その時は優しさを示すのは義理や情のようなものが大きくて、私から近づくことは望まない。恋愛的な感情がない状態が気が楽なのかなって。身体的な距離感ではなくて、心的な距離感が一定以上は近づかない感じです」

 目雲は自分でもそれは分かっていた。

「否定はできない、当時はそれに近い感情でした。ただゆきさんと一緒にいる時間が僕も心地いいことには気が付いていて、だからこそどうにかその状態を維持したくて」

 お互い姿を見れなくなった日々を思い出す。

「私の恋愛感情を勘づかれたから距離を置かれたのかなと思いました」

 目雲は首を振る。

「気付いてはいない、ただ煩わせたくなかった」

 自分の内面とは向き合わなかったくせに自分の事ばかり考えていたと後悔の念はまだ目雲の中に残っている。

「勘づかれてるならいっそのことと思ったのも告白した理由の一つです」

 ゆきの方も気持ちの整理という勝手な行動だと思っていた。

「最初から僕との未来はないと思っていたんですね」
「思ってました」

 ゆきがそこだけははっきりと答えた。
 ただそれならばどうしてと、目雲に一つ疑問が湧く。

「僕の告白を受けてくれたのはどうしてですか? あの時はまだゆきさんのその感覚が払拭される要因は一つもなかった。未来がないと思っている相手でも一刻の恋愛でいいと?」

 ゆきは目雲の頭の回転の速さと、思考力の深さに感服してしまう。

「目雲さんはやっぱり深いですね」
「そこまで考えてはいなかった?」

 その時の素直な感情に従っただけのゆきは、その自分中にあった想いを伝えてみることにした。

「目雲さんの隣りはすごく安心するんです。背が高いからかなとか、優しいからかなとか、ありのままで居られるからかなとか、いろいろ考えたんですけど、考え付くことは全部そうで、どれか一つではなくて。好きという気持ちも、そこと繋がってはいるんです。けど、それが全部でもない」

 目雲は思ってもみない程の答えが突然きて、何と返して良いか分からなくなっていた。
 そしてゆきは止まらない。

「触れた時の体温、見つめられた時の瞳、私を呼ぶ声、近くに立つと感じる柔らかい香りも私の事を考えて作ってくれる食事も、全部私に響くんです。そこに理屈はなくて、何がどうだったから好きになったということではなくて、今の目雲さんがその存在で与えてくれるもの全てが私を惹きつけるんです」

 目雲はもう何も言えなくなってしまった。
 ゆきは思ったままを、本当にただ口にしていく。

「だから、今、隣にいられるならなんだっていいんです。いつか訪れる未来より、今、傍にいたい。ただそれだけです」

 想像する未来より、今この時が幸せであればいい。
それを積み重ねようとも、後悔がないようにともゆきは考えない。ただ自分の感情だけを優先した。
 本当に恋したその自分の気持ちだけを大切にした結果だった。

「それは今も変わらないです」

 そういってゆきは微笑んだ。
 その微笑みはいつも目雲に安心をくれる。
 そのゆきに目雲が伝えられることは一つだけだった。

「好きです」

 目雲の方が潤む瞳を必死に耐えて伝えると、ゆきは優しく微笑み、返す。

「私も、好きです」

 ゆきにとってのその言葉の重みの意味を、目雲は漸く理解した。

 初めてゆきが目雲に伝えた好きは失うことが前提だった。
 それは過去の恋人にそうしたことと同じように。

 かつて無理やり溶かして失くして、見えなくしたその感情を、再び抱いた時、どうだっただろうと目雲は想像する。
 ゆきは言っていた。
 感情を抑え込むどころか、無くす作業はとても辛いことだったと。
 傷つくことさせさせてもらえなかったその感情を、人を拒絶していた自分に持ってしまって絶望しなかっただろうか。
 叶わなくても、そう思えるだけで幸せだったと言ったゆきは、そう思うほどのことを乗り越えてきたのではないか。

 でも、今ゆきが好きだと言う想いは、消すためのものではない。今この時が幸せだと示すための言葉になった。

 目雲はそんなゆきが自分が思いやる以上に、これまでもずっと言葉を尽くしてくれていたのだとやっと実感した。
 ゆきはできるだけ思っていることを声にするよう努めていると何度も言っていて、それが真実で、自分の想いや思考もそれだけを言葉にするのが難しくても、いろんなところに紛れ込ませているのだとわかってしまった。
 好きだという一言でも、ゆきの想いは多く詰め込まれている。
 それを拾い上げられるかどうかは自分次第だと思う反面、言葉を尽くすゆきの破壊力は凄まじいと身を持って体験してしまった。

「前言を撤回します。ゆきさんは……とても的確に言葉を使って、その言葉が響きすぎます」
「そうですか?」

 塩梅が全く掴めていないゆきは頷くことが難しく、その分かっていなさそうなゆきがまた目雲には愛しく映ってしまう。

「僕だけが知っていればいいことなので、そのままでいてください」

 分からないなりにゆきは頷いた。
 それから目雲がゆきをぎゅっと抱きしめた。

「ゆきさん、幸せにしますから」
「私はもうかなり幸せです」

 ゆきも目雲を抱きしめ返した。

「ではもっともっと二人で幸せになりましょう、僕も今とても幸せですから」
「それはなによりです」

 ゆきは目雲を見上げずっと嬉しそうに、顔いっぱいに微笑んでいた。



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