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第5話 Aパート(ヒロインが美少女)
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1
優の中に力の正体。原初のアビス〝アジ・ダハーカ”。愛莉栖はまだ何かを知っているようであった。知りたい。この力を制御する方法を。人を守れる方法を。雪宮の力になれる方法を。
「どうしたらこの力を使えますか!?」
優は声を上げた。興奮していることを自覚する。できる限り静かに声を出そうとしたが、結局吠えるように声を出してしまった。
「そう焦るでない。まずは状況の確認からじゃ。お主はいつからアジ・ダハーカが宿っていたか分かるか?」
愛莉栖は宥めるように優へ声をかけた。質問への回答はしてくれるようである。優も落ち着いて話をしないといけない。その努力はしているが、上手くいかない。
「おそらく、始業式の前日だと思います。バイトの帰り道でアビスに襲われました。その時にアジ・ダハーカの声を聴きました。」
「なんと申しておった?」
「ええと、器を見つけたって・・・。たしかそう言ってました。」
「ふむ、器とな。さっきアジ・ダハーカが現れた時に言っておった‟アーク”のことじゃろうな。」
「総帥、アークとは何ですか?ただの箱っていう意味ではないですよね?」
朔夜が質問をしてきた。すぐに消えはしたものの巨大なアビスの影が出現した。朔夜にとって見逃せる案件ではない。
「小僧のことを言っておるのだろうな。アジ・ダハーカをも宿すことのできる‟箱”。正直わしにも分からん。ただ、この小僧はその強大な箱を持っておる。それだけは事実じゃ。実に興味深いではないか。楓、お主は小僧に触れてみてどう感じた?」
「あ、あの、すっごく大きくて、怖かったですけど、その、なんて言うか敵意は感じられませんでした。」
楓はおどおどした感じで愛莉栖に答えた。服装はまだ半裸の状態であるため、体を小さくしている。早く着替えたいに違いないが、言い出せないでいるようである。
「お主のその言い方は妙にいやらしい感じがするのう。」
「総帥!そういうのは止めてください!」
朔夜がすかさず注意する。楓も頬を赤くして下を向いている。優はどうしていいか分からないでいるので、とりあえず何か質問をして話を変えないといけないと思い、考えを巡らせているが、咄嗟に質問が出てこない。
「おぼこいのう、お主らは。こういう話もそろそろできんといかんぞ。」
「で、香上君の処遇についてはまだ決まってませんよね?どうするんですか?」
朔夜の不機嫌な声が無理矢理話題を変えてきた。この手の話に付き合う気は毛頭ないのである。
「うむ、この小僧をアストラルに入れようと思う。アビスに対抗できるのは同じアビスを宿しているからじゃろう。それも飛び切り強烈な奴をな。」
愛莉栖はあっさりと答えてきた。
「!?」
優は突然の申し出に驚いて声が出ない。
「ちょっと待ってください!総帥は今の見たでしょう!あんな巨大なアビスが宿っているんですよ、危険です!」
朔夜が慌てて声を出す。総帥がとんでもないことを言い出した。当然反対する。
「総帥。急過ぎはしませんかね?」
静観していた柳も意見を出す。朔夜ほど危険視はしていないが、それでも決断が早すぎる。
「わしは小僧が来る前から決めておったぞ。朔夜から報告を受けた時に即決したんじゃがな。楓も言っておったろう、『敵意はない』とな。なら、これほどの力、欲して当然じゃろう。小僧、お主はどうじゃ?悪いようにはせんぞ。」
愛莉栖が優に誘いを出したことで視線が一斉に優へと集まる。注目を浴びて落ち着かない様子であるが、何かを言わないといけない。何を言うかはすでに決まっている。後は声に出す覚悟だけである。静かに深呼吸をする。幾分落ち着きを取り戻して静かに、そして、力を込めて思いを声という形にして紡ぎ出す。
「やります。」
「うむ、良い返事じゃ。」
愛莉栖は満足そうに優を見つめた。
「総帥!まだ分からないことが多すぎます。どんな力かも分かってないんですよ。それに彼はまだ戦えません!」
朔夜が抗議の声を上げる。楓はどうしていいか分からず、オロオロしている。早く着替えたいが、まだ着替えられそうにない。
「そう言うなら、朔夜、お主が小僧を鍛えろ。小僧はアストラルに入る意志がある。そして、わしはそれを迎え入れる意志がある。戦えないというなら、戦えるようにしろ。これはアストラル総帥としての命令じゃ。」
愛莉栖は朔夜を見上げてきっぱりと言い切った。見た目は小学校の高学年ほどの少女であるが、中身は63歳である。人生経験もくぐってきた修羅場も知識も何もかもが朔夜を上回っている。愛莉栖にこう出られると朔夜は対抗する手段を持ち合わせていない。
「・・・分かりました。彼を戦えるように鍛え上げます。」
朔夜は渋々ではあるが、こう答えるしかない。アストラルの一員として、テスタメントとしてその責務を果たす。
「よし、聞いたか小僧。これからお主はアストラルの一員じゃ。しばらくは朔夜に鍛えてもらえ。」
「言っておくけど、私は甘くないわよ。死に物狂いで付いてくることね。」
不満気な表情を浮かべた朔夜は八つ当たりのように優へ脅しのような声をかけた。しかし、優は動じることなく答える。
「望むところだ。こっちとしても遠慮はいらねえよ。ずっと、思っていたんだ。この力は人を傷つけてしまうのかって。でも、人を守れるようになるなら俺はどんな厳しい訓練だって付いて行くぜ。」
「よう言うた小僧!なら早速今から訓練開始じゃ!」
愛莉栖は優の気合の入った答えに応えるように叫んだ。
「へっ・・・?」
今からやるの?優と朔夜はそんな顔をして愛莉栖の言葉を受け止めた。受け止めさせられたといった方が正しいが、とにかく、今から訓練を開始することになったのである。
2
「まずは基礎体力よ。」
優と朔夜はトレーニングウェアに着替えて、訓練場に来ている。訓練場は先ほど楓に優を見てもらった部屋のさらに奥にあり、マットが敷かれた広い空間である。地下にある空間ではあるが、並みの運動場くらいの広さはある。こういう部屋が他にもあるということで、訓練のための機材が置かれているとのことであった。この部屋は主に、基礎体力と模擬戦をやるとのことである。
「おう!体力にはそこそこ自身があるぜ。」
優は気合の入った答えを返す。
「そう、なら、とりあえず倒れるまで走り続けて。」
朔夜はいきなり残酷なことを言い出した。
「お、おい、倒れた後はどうするんだよ?」
「起き上がって走って。」
さらに残酷な言葉を続けてきた。
「まじかよ・・・。」
「さっきのは口だけだったの?」
朔夜の挑発にムッと来た優は覚悟を決めた。
「やってやるよ。口だけなんて言わせねえからな!」
「じゃあ、早く走ってきて。」
朔夜にそう言われて、返す言葉もなく、優は走り出した。やってやる、今はその気合だけである。
意外だったのは朔夜も優に並走しだしたことである。てっきり自分一人で走らされるものだとばかり思いこんでいた。
「あれ?雪宮、お前も走るのか?」
「当然でしょ、私はあなたを鍛えるのよ。一緒に走るくらいはするわよ。」
「そうか、ありがと。」
「べ、別に礼を言われるようなことじゃないわよ!」
朔夜はそう言ってペースを上げた。付いて来いということなのであろう。体力で女子に負けるわけにはいかない。優は朔夜のペースにきっちりと付いていった。
走って、走って、走る。只管走る。優はマラソンの授業も嫌いではなかった。速い方であり、クラスで他に速い奴と競うことが楽しかった。良い記録を出すこともできていた。
広い部屋の中をぐるぐると何週も回る。1週100m以上はあるだろうと目算する。こんな地下深くにこれほど広い空間があったなんて、そんなことを考えながら走る。
朔夜は一定のペースで走り続ける。流石にテスタメントは体力も備わっている。幻魔と契約するための試練を乗り切るために過酷な訓練を乗り越えてきたのであろう。朔夜はまだ息を切らさずに走っている。優も負けじと付いていく。
もう、どれくらい走り続けたであろうか、徐々に距離を離されて周回遅れも何周目になるか分からないくらいにまで朔夜に差をつけられた。優はもう限界に達していた。倒れるまで走り続けろ。雪宮にそう言われた。意地でも倒れるものか、優の足を進めているのはその思いだけである。引きずるように足を進める。倒れるわけにはいかない。意地とプライドにかけて。
「もういいわよ。」
朔夜が声をかけてきた。息一つ切らしていない。自分より小柄で華奢な体なのに、どんな体力をしているんだこいつは。優は驚愕した。
「準備運動は終わりよ。次の訓練に行きましょう。」
「え・・・?」
朔夜の無慈悲な言葉に優はさらに驚愕するのであった。
すでに体力は限界を迎えていたが、朔夜が付き添って訓練を続ける。筋力トレーニングや反射神経を鍛えるトレーニング。模擬戦闘までやった。時刻はすでに夜を迎えている。休みなしでぶっ続けでの訓練。優は思い知らされた、付き添って訓練をすることの真の恐怖を。逃げることができない。一人で訓練をやらされているのであれば、どこかで妥協するが、大見得を切った相手に並走されては途中で止めることはできない。優の体はすでに死んでいるのではないかと思う程重かった。
「今日はこれで終わりよ。よく付いてこれたわね。」
「はぁ・・・。はぁ・・・。つ、付いてこれて・・は・・・いねえ・・よ。」
ようやく終わった。これほどハードなものとは想像もしていなかった。これからも付いていくことができるのだろうか。不安がよぎる。しかし、もう決めたことだ。付いていく。そう決めたのだ。
「そう、でも今日の訓練はまだ準備段階よ。本格的な訓練が始まればもっときついわよ。」
「へっ・・・やってやるよ。俺は・・・決めたんだ・・からな。」
体は死んでいるが目は死んでいない。そんな優を見て朔夜は少し見直した。根性はあるのだなと。どうやら口だけではなさそうである。
「取りあえず、今日はこれで終わりよ、少し休んだら、部屋を出て右に行きなさい。シャワー室があるわ。」
朔夜はそう言って、訓練場を後のしたのであった。
「ああ、死ぬ。これは死ぬわ・・・。」
朔夜が部屋を出て行ってから優は倒れ込み、そこで初めて愚痴をこぼした。明日は学校がある。いつまでもこうして寝ているわけにはいかない。しかし、まだ起き上がる体力が戻ってきていない。あと20分してからシャワーを浴びに行こう。それまでは指一本動かすこともしないでおこう。もう今は何も考えることができない。
それから、20分間何もせず、何も考えず、何も動かさずに体力の回復だけに専念をした。だが、20分間で回復できたことは立ち上がることくらいであった。フラフラとして足取りで訓練場を出る。右に行けばシャワー室があると言われた。明日の学校に備えて、シャワーを浴びて帰ろう。優は朦朧とした意識の中を歩いて、シャワー室にたどり着いた。距離は近いが、重い足がかなりの距離を歩いたような錯覚を覚えさせた。
そして、シャワー室に入るために扉を開ける。扉の奥から入ってきた光景に朦朧とした優の意識は一気に覚醒へと浮上した。美しい曲線。白い肌。引き締まっているが柔らかさを帯びた肉質。濡れた長い黒髪も美しい。全てが完璧な朔夜の裸が目に飛び込んできたのである。そのあまりの美しさから息が止まる。思考も止まる。唖然としたまま、ただ極限の美を見つめてしまう。
朔夜はシャワーを浴び終わって着替えていた最中であった。そこに突然優が入ってきたのである。朔夜も突然の乱入者に動揺を隠せない。赤面しながら、怒りの籠った目が優を睨み付ける。そして、入り口で固まっている優の顔に拳をめり込ませた。
「ぐふっ・・・。」
優は殴られたことでようやく状況を飲み込んだ。
「な、な、何をやっているのよあなたは!?」
タオルで前を隠しながら、朔夜は怒号を上げた。シャワー室を使えとは言ったが、ここは女子のシャワー室である。しかも、慌てて出ていく様子もなく、呆然としていた。何を考えているのか見当もつかない。
「ご、ごめん、シャワーを借りようと思って、入ったら雪宮がいて、なんていうか、見とれてってああああそういう意味じゃなくて、と、とにかくごめん!」
「なら早く出て行って!!!」
「ご、ごめん!」
殴り倒された体勢から慌てて起き上がり、優は這う這うの体でシャワー室から出ていく。体全体が悲鳴を上げたが、それどころではない。雪宮の裸を見てしまった。かなり怒らせてしまった。見とれていたのはまずかった。間違えて入ってきたと正直に謝ってすぐに出ていけばよかったのだが、今まで見たことのないような美しさに思考が止まってしまっていた。
「はあ・・・。後でちゃんと謝ろう。」
取りあえず、今度こそ男子シャワー室に入って、シャワーを浴びた。その後、優は平謝りで何とか朔夜に許しを得ることができて長い1日は終わりを告げたのであった。
優の中に力の正体。原初のアビス〝アジ・ダハーカ”。愛莉栖はまだ何かを知っているようであった。知りたい。この力を制御する方法を。人を守れる方法を。雪宮の力になれる方法を。
「どうしたらこの力を使えますか!?」
優は声を上げた。興奮していることを自覚する。できる限り静かに声を出そうとしたが、結局吠えるように声を出してしまった。
「そう焦るでない。まずは状況の確認からじゃ。お主はいつからアジ・ダハーカが宿っていたか分かるか?」
愛莉栖は宥めるように優へ声をかけた。質問への回答はしてくれるようである。優も落ち着いて話をしないといけない。その努力はしているが、上手くいかない。
「おそらく、始業式の前日だと思います。バイトの帰り道でアビスに襲われました。その時にアジ・ダハーカの声を聴きました。」
「なんと申しておった?」
「ええと、器を見つけたって・・・。たしかそう言ってました。」
「ふむ、器とな。さっきアジ・ダハーカが現れた時に言っておった‟アーク”のことじゃろうな。」
「総帥、アークとは何ですか?ただの箱っていう意味ではないですよね?」
朔夜が質問をしてきた。すぐに消えはしたものの巨大なアビスの影が出現した。朔夜にとって見逃せる案件ではない。
「小僧のことを言っておるのだろうな。アジ・ダハーカをも宿すことのできる‟箱”。正直わしにも分からん。ただ、この小僧はその強大な箱を持っておる。それだけは事実じゃ。実に興味深いではないか。楓、お主は小僧に触れてみてどう感じた?」
「あ、あの、すっごく大きくて、怖かったですけど、その、なんて言うか敵意は感じられませんでした。」
楓はおどおどした感じで愛莉栖に答えた。服装はまだ半裸の状態であるため、体を小さくしている。早く着替えたいに違いないが、言い出せないでいるようである。
「お主のその言い方は妙にいやらしい感じがするのう。」
「総帥!そういうのは止めてください!」
朔夜がすかさず注意する。楓も頬を赤くして下を向いている。優はどうしていいか分からないでいるので、とりあえず何か質問をして話を変えないといけないと思い、考えを巡らせているが、咄嗟に質問が出てこない。
「おぼこいのう、お主らは。こういう話もそろそろできんといかんぞ。」
「で、香上君の処遇についてはまだ決まってませんよね?どうするんですか?」
朔夜の不機嫌な声が無理矢理話題を変えてきた。この手の話に付き合う気は毛頭ないのである。
「うむ、この小僧をアストラルに入れようと思う。アビスに対抗できるのは同じアビスを宿しているからじゃろう。それも飛び切り強烈な奴をな。」
愛莉栖はあっさりと答えてきた。
「!?」
優は突然の申し出に驚いて声が出ない。
「ちょっと待ってください!総帥は今の見たでしょう!あんな巨大なアビスが宿っているんですよ、危険です!」
朔夜が慌てて声を出す。総帥がとんでもないことを言い出した。当然反対する。
「総帥。急過ぎはしませんかね?」
静観していた柳も意見を出す。朔夜ほど危険視はしていないが、それでも決断が早すぎる。
「わしは小僧が来る前から決めておったぞ。朔夜から報告を受けた時に即決したんじゃがな。楓も言っておったろう、『敵意はない』とな。なら、これほどの力、欲して当然じゃろう。小僧、お主はどうじゃ?悪いようにはせんぞ。」
愛莉栖が優に誘いを出したことで視線が一斉に優へと集まる。注目を浴びて落ち着かない様子であるが、何かを言わないといけない。何を言うかはすでに決まっている。後は声に出す覚悟だけである。静かに深呼吸をする。幾分落ち着きを取り戻して静かに、そして、力を込めて思いを声という形にして紡ぎ出す。
「やります。」
「うむ、良い返事じゃ。」
愛莉栖は満足そうに優を見つめた。
「総帥!まだ分からないことが多すぎます。どんな力かも分かってないんですよ。それに彼はまだ戦えません!」
朔夜が抗議の声を上げる。楓はどうしていいか分からず、オロオロしている。早く着替えたいが、まだ着替えられそうにない。
「そう言うなら、朔夜、お主が小僧を鍛えろ。小僧はアストラルに入る意志がある。そして、わしはそれを迎え入れる意志がある。戦えないというなら、戦えるようにしろ。これはアストラル総帥としての命令じゃ。」
愛莉栖は朔夜を見上げてきっぱりと言い切った。見た目は小学校の高学年ほどの少女であるが、中身は63歳である。人生経験もくぐってきた修羅場も知識も何もかもが朔夜を上回っている。愛莉栖にこう出られると朔夜は対抗する手段を持ち合わせていない。
「・・・分かりました。彼を戦えるように鍛え上げます。」
朔夜は渋々ではあるが、こう答えるしかない。アストラルの一員として、テスタメントとしてその責務を果たす。
「よし、聞いたか小僧。これからお主はアストラルの一員じゃ。しばらくは朔夜に鍛えてもらえ。」
「言っておくけど、私は甘くないわよ。死に物狂いで付いてくることね。」
不満気な表情を浮かべた朔夜は八つ当たりのように優へ脅しのような声をかけた。しかし、優は動じることなく答える。
「望むところだ。こっちとしても遠慮はいらねえよ。ずっと、思っていたんだ。この力は人を傷つけてしまうのかって。でも、人を守れるようになるなら俺はどんな厳しい訓練だって付いて行くぜ。」
「よう言うた小僧!なら早速今から訓練開始じゃ!」
愛莉栖は優の気合の入った答えに応えるように叫んだ。
「へっ・・・?」
今からやるの?優と朔夜はそんな顔をして愛莉栖の言葉を受け止めた。受け止めさせられたといった方が正しいが、とにかく、今から訓練を開始することになったのである。
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「まずは基礎体力よ。」
優と朔夜はトレーニングウェアに着替えて、訓練場に来ている。訓練場は先ほど楓に優を見てもらった部屋のさらに奥にあり、マットが敷かれた広い空間である。地下にある空間ではあるが、並みの運動場くらいの広さはある。こういう部屋が他にもあるということで、訓練のための機材が置かれているとのことであった。この部屋は主に、基礎体力と模擬戦をやるとのことである。
「おう!体力にはそこそこ自身があるぜ。」
優は気合の入った答えを返す。
「そう、なら、とりあえず倒れるまで走り続けて。」
朔夜はいきなり残酷なことを言い出した。
「お、おい、倒れた後はどうするんだよ?」
「起き上がって走って。」
さらに残酷な言葉を続けてきた。
「まじかよ・・・。」
「さっきのは口だけだったの?」
朔夜の挑発にムッと来た優は覚悟を決めた。
「やってやるよ。口だけなんて言わせねえからな!」
「じゃあ、早く走ってきて。」
朔夜にそう言われて、返す言葉もなく、優は走り出した。やってやる、今はその気合だけである。
意外だったのは朔夜も優に並走しだしたことである。てっきり自分一人で走らされるものだとばかり思いこんでいた。
「あれ?雪宮、お前も走るのか?」
「当然でしょ、私はあなたを鍛えるのよ。一緒に走るくらいはするわよ。」
「そうか、ありがと。」
「べ、別に礼を言われるようなことじゃないわよ!」
朔夜はそう言ってペースを上げた。付いて来いということなのであろう。体力で女子に負けるわけにはいかない。優は朔夜のペースにきっちりと付いていった。
走って、走って、走る。只管走る。優はマラソンの授業も嫌いではなかった。速い方であり、クラスで他に速い奴と競うことが楽しかった。良い記録を出すこともできていた。
広い部屋の中をぐるぐると何週も回る。1週100m以上はあるだろうと目算する。こんな地下深くにこれほど広い空間があったなんて、そんなことを考えながら走る。
朔夜は一定のペースで走り続ける。流石にテスタメントは体力も備わっている。幻魔と契約するための試練を乗り切るために過酷な訓練を乗り越えてきたのであろう。朔夜はまだ息を切らさずに走っている。優も負けじと付いていく。
もう、どれくらい走り続けたであろうか、徐々に距離を離されて周回遅れも何周目になるか分からないくらいにまで朔夜に差をつけられた。優はもう限界に達していた。倒れるまで走り続けろ。雪宮にそう言われた。意地でも倒れるものか、優の足を進めているのはその思いだけである。引きずるように足を進める。倒れるわけにはいかない。意地とプライドにかけて。
「もういいわよ。」
朔夜が声をかけてきた。息一つ切らしていない。自分より小柄で華奢な体なのに、どんな体力をしているんだこいつは。優は驚愕した。
「準備運動は終わりよ。次の訓練に行きましょう。」
「え・・・?」
朔夜の無慈悲な言葉に優はさらに驚愕するのであった。
すでに体力は限界を迎えていたが、朔夜が付き添って訓練を続ける。筋力トレーニングや反射神経を鍛えるトレーニング。模擬戦闘までやった。時刻はすでに夜を迎えている。休みなしでぶっ続けでの訓練。優は思い知らされた、付き添って訓練をすることの真の恐怖を。逃げることができない。一人で訓練をやらされているのであれば、どこかで妥協するが、大見得を切った相手に並走されては途中で止めることはできない。優の体はすでに死んでいるのではないかと思う程重かった。
「今日はこれで終わりよ。よく付いてこれたわね。」
「はぁ・・・。はぁ・・・。つ、付いてこれて・・は・・・いねえ・・よ。」
ようやく終わった。これほどハードなものとは想像もしていなかった。これからも付いていくことができるのだろうか。不安がよぎる。しかし、もう決めたことだ。付いていく。そう決めたのだ。
「そう、でも今日の訓練はまだ準備段階よ。本格的な訓練が始まればもっときついわよ。」
「へっ・・・やってやるよ。俺は・・・決めたんだ・・からな。」
体は死んでいるが目は死んでいない。そんな優を見て朔夜は少し見直した。根性はあるのだなと。どうやら口だけではなさそうである。
「取りあえず、今日はこれで終わりよ、少し休んだら、部屋を出て右に行きなさい。シャワー室があるわ。」
朔夜はそう言って、訓練場を後のしたのであった。
「ああ、死ぬ。これは死ぬわ・・・。」
朔夜が部屋を出て行ってから優は倒れ込み、そこで初めて愚痴をこぼした。明日は学校がある。いつまでもこうして寝ているわけにはいかない。しかし、まだ起き上がる体力が戻ってきていない。あと20分してからシャワーを浴びに行こう。それまでは指一本動かすこともしないでおこう。もう今は何も考えることができない。
それから、20分間何もせず、何も考えず、何も動かさずに体力の回復だけに専念をした。だが、20分間で回復できたことは立ち上がることくらいであった。フラフラとして足取りで訓練場を出る。右に行けばシャワー室があると言われた。明日の学校に備えて、シャワーを浴びて帰ろう。優は朦朧とした意識の中を歩いて、シャワー室にたどり着いた。距離は近いが、重い足がかなりの距離を歩いたような錯覚を覚えさせた。
そして、シャワー室に入るために扉を開ける。扉の奥から入ってきた光景に朦朧とした優の意識は一気に覚醒へと浮上した。美しい曲線。白い肌。引き締まっているが柔らかさを帯びた肉質。濡れた長い黒髪も美しい。全てが完璧な朔夜の裸が目に飛び込んできたのである。そのあまりの美しさから息が止まる。思考も止まる。唖然としたまま、ただ極限の美を見つめてしまう。
朔夜はシャワーを浴び終わって着替えていた最中であった。そこに突然優が入ってきたのである。朔夜も突然の乱入者に動揺を隠せない。赤面しながら、怒りの籠った目が優を睨み付ける。そして、入り口で固まっている優の顔に拳をめり込ませた。
「ぐふっ・・・。」
優は殴られたことでようやく状況を飲み込んだ。
「な、な、何をやっているのよあなたは!?」
タオルで前を隠しながら、朔夜は怒号を上げた。シャワー室を使えとは言ったが、ここは女子のシャワー室である。しかも、慌てて出ていく様子もなく、呆然としていた。何を考えているのか見当もつかない。
「ご、ごめん、シャワーを借りようと思って、入ったら雪宮がいて、なんていうか、見とれてってああああそういう意味じゃなくて、と、とにかくごめん!」
「なら早く出て行って!!!」
「ご、ごめん!」
殴り倒された体勢から慌てて起き上がり、優は這う這うの体でシャワー室から出ていく。体全体が悲鳴を上げたが、それどころではない。雪宮の裸を見てしまった。かなり怒らせてしまった。見とれていたのはまずかった。間違えて入ってきたと正直に謝ってすぐに出ていけばよかったのだが、今まで見たことのないような美しさに思考が止まってしまっていた。
「はあ・・・。後でちゃんと謝ろう。」
取りあえず、今度こそ男子シャワー室に入って、シャワーを浴びた。その後、優は平謝りで何とか朔夜に許しを得ることができて長い1日は終わりを告げたのであった。
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