僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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四章

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 新忍道と陸上部の両方に参加できるという幸運をもってしても、図書館での時間つぶしを一掃することは叶わなかった。サークルと部の活動時間が、だいたい二日に一度のペースで重なってしまったからだ。半分になったとはいえ僕は相変わらず、寮エリアにある中央図書館を目指し、とぼとぼ歩く日々を送っていた。 
 そんな七月二十八日の、午後十二時半。
「それが噂のしょんぼり歩きかい」
 不思議な音色の声を背後からかけられた。いや正直言うと猛の時と同じく、その数秒前から彼が近づいてくるのは分かっていたんだけどね。
「うん、その通りなんだ、真山」
 僕は振り返り、ありのままの事実を心に感じるまま、真山に伝えた。
 真山といると心がとても穏やかになる僕は、真山に対し気負ったり身構えたりしたことがない。お気に入りの森のお気に入りの場所にいるような、そんな穏やかな気配で真山は僕をいつもホッコリ包んでくれるからだ。屋外スポーツなどした事ありませんとでも言いたげな白皙のおもてにほのかな笑みを浮かべる真山へ、僕は胸中首を傾げた。どうして真山はたまに、巫女姿の美鈴を思い出させるのかな? 今日なんて、サッカーのユニフォームを着ているのになあ・・・
「猫将軍はしょんぼりしていても、猫の将軍のように歩くんだね」
 思考を中断させられたというより想定外過ぎることを言われて、僕は素っ頓狂な声をあげた。
「ほへっ、なにそれ?」
「可動域の広い関節と柔軟な筋肉、そして豊かな神経網を持っているんだろうね。目の前を歩いているのに、音と振動が道から伝わってこない。それでいて百戦錬磨の将軍のような存在感があるから、心がその姿を記憶に留めようとする。猫将軍のような人間は、初めてだよ」
「買いかぶり過ぎだよ、僕そんなんじゃ全然ないって!」
 過大な評価に慌てるあまり、という真山の意味深な言葉を僕は聞き洩らしてしまった。ほらね、僕はその程度の人間なんだったら。
「う~ん、そこまで言うなら試してみようよ。猫将軍、ついてきて」
 促されるまま、真山の後ろをひょこひょこ付いてゆく。
 こうして考えなしの僕は、なんとサッカー部の練習にも、参加する事となったのだった。
 
 どうやらこの世界は、一度あることは二度ある、という性質も持っているらしい。
「服がない」
「気が引ける」
「かけもち三つはさすがに許されない」
 というやり取りを真山とも繰り広げたのち、またもや普段通りの優しい声で、
「新忍道サークルと陸上部とサッカー部の掛け持ちを特別に許可します」
 という教育AIのお言葉を、僕は頂戴するに至った。しかもその上、一年生部員達の憐憫の眼差しとその後の大歓迎と、三年長の有難いお言葉まで同じだったものだから、「何これドッキリ? それともオカルト?」と、僕はかなり本格的な眩暈に襲われてしまった。だがそれは、ものの数分で霧散することとなった。少し前まで超が付くほど球技が苦手だったのに、なぜか僕はサッカーの練習を、メチャクチャ楽しく感じたからである。
 湖校サッカー部の一年生は夏休み中、ドリブル一時間、1対1一時間、3対3一時間を練習の基本としている。なので先ずは、ドリブルから。
 ボールを目で追わないリフティングを10回やり、往復60メートルのダッシュドリブルをする。戻って来るなり同様のリフティングを10回やり、60メートルのスラロームドリブルをする。再びリフティングを10回して、60メートルのジグザグドリブルをする。この三つを僕は一時間、延々と繰り返した。ダッシュで敵陣地へ一気に切り込む技を、スラロームで敵を翻弄する技を、そしてジグザグで仲間とパスをつないで行く技を、僕は体へ徹底的に叩きこんだ。全体休憩は一度もなかったが、その代わり各自の判断で自由に休憩して良いことになっていたから、初心者の僕でもなんとか付いていく事ができた。いや違う。それは事実と異なる。
 僕は、燃えていたのだ。
 真山の、抜群の安定感を誇るドリブルに魅せられ、僕はそれを身に付けたくてたまらなくなったのである。身の程知らずの極みであろうと、全身から燃えあがる炎に促され、僕は一時間一心に、真山のドリブルを模倣しつづけた。
 次の練習メニューは、1対1。これは無理だと思われたが、湖校入学を機にサッカーを始めた部員達のチームに誘ってもらえたお蔭で、ギリギリ付いていく事ができた。湖校サッカー部の1対1はオフェンスディフェンス関係なく、ゴールを割らないと終わらない決まりになっている。自由休憩をチームメイトの二倍取りながら僕は一時間、1対1をやり続けた。
 最後のメニューは、3対3。セットプレーの練習も兼ねるこの3対3はさすがに無理だったので、僕は参加せず皆のサポートに徹した。すると、マネージャーの女の子たちの負担が軽くなったのだろう。一年女子の二人の子は一生懸命声を出し、部員達を励まし始めた。そのとたん、男達の雰囲気が真剣勝負のそれに一変。その甲斐あって「今日の3対3はいつもより濃密だ」「猫将軍サンキュー」と、皆が僕の背中を叩いてくれた。マネージャーの子たちからも、感謝の言葉を掛けてもらう事ができた。皆が皆、いきなり練習に参加した僕なんかには、もったいなさ過ぎの人達だったのである。
「練習終了!」
 三年長の号令で練習が終わり、三年生から一年生までの部員全員がグラウンドの東端に並ぶ。三年長が最前列右端、僕が最後列の左端だ。正確には一年生男子部員の左端なだけで、僕の左側にはマネージャーの女の子が二人並んでいた。僕は最初、当然の事だからと、その子たちの左側に並んだ。陸上部には同学年のマネージャーがいなかったから男子部員達の最後に並んだが、三時間ずっと動き回っていたサッカー部の女子マネージャーより上席に並ぶなんて、僕には思いもよらぬ事だったのである。すると女の子たちが「猫将軍君は聞いていた通りの人なのね」とくすくす笑い、僕の背中を押して男子達の側に並ばせた。どうすれば良いか分からずまごつく僕を「おめでとう猫将軍」「さあ来いよ」と、一対一を一緒にやったヤツらが笑顔で招いてくれた。前に並ぶ二年の先輩方が振り返り、おめでとうの言葉をかけてくれた。その様子を相好を崩し見ていた三年長が機を見計らい、
「グラウンドへ、礼!」
「「「ありがとうございました!」」」
 僕らは全員一斉に、グラウンドへ頭を下げた。
 全身汗みずくに加え目からも汗がにじんできて頭を上げられず、僕は少なからず困ったのだった。
 
 フィールド整備を終え用具を片付けたところで力尽き、土手の草の上にぶっ倒れる。その隣に、真山が腰をおろした。
「猫将軍、わかったかい」
 真山の問いかけに、僕は空を仰いだまま答えた。
「僕の体についてはわからない。けど、わかったことがある」
「何がわかったんだい」
 真山が僕を覗きこみ訊いた。午後四時二十分の日差しに照らされ、真山の肌がほんの少し黄色味を帯びている。真山は肌がことのほか白いから、太陽に照らされると太陽と同じ色に輝くんだな。そんなことを思いながら、僕は答えた。
「僕はサッカー部の練習に加わりたい。真山、いいかな?」
「明日からの楽しみが一つ増えた。猫将軍、ありがとう」
 真山はそう言って、にっこり笑った。
 僕には過ぎた友達が大勢いる。
 
  せめて皆の恥にならない、
  自分になろう。
 
 僕は立ち上がり、太陽にそう誓ったのだった。
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