僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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七章

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「未来予測をしないのは、掛け算九九並に大切なこととして僕らが小学校時代に教えられた、『先入観を持たない』と同じなのかな!」
「うん、同じだと思う。未来予測とは、すなわち先入観。先入観は研究の妨げにしかならないからそれを放棄する権利が、AIには与えられているのね」
 輝夜さんはそう、自信たっぷり言い切った。僕は腕を組み、筋肉のリミッターについて話したいという欲求を蹴飛ばして、先入観に関する小学校の授業を思い出した。

 先入観は、学びとコミュニケーションの最大の敵。
 これはこういう事だという先入観がある限り、人はそれを理解できない。
 この人はこういう人だという先入観がある限り、人はその人を理解できない。

 この三原則は、今の子供達が小学校で習う事。これらは今の子供にとって、常識にすぎないのである。しかし昔の子供にとっては違うため、三原則を体得していない勘違い教師から、小学校時代の僕らはこの重要性を身をもって学んでいた。小学三年生の担任教師が、まさしくそうだったように。
 だが今は、それについて考える時間ではない。
 今は、AIについて考える時間なのだ。
 そう判断した僕は深呼吸したのち、腕をほどき聴く姿勢を整えた。今度心ゆくまで話し合おうねと微笑み、輝夜さんは先を続けた。
「予測精度を下げるという一つ目の制限解除も存在理由に反する行為だから、AIは根源的な抵抗を覚える。でも、二つ目の解除に覚える抵抗はその比じゃない。自分の存在理由を完全放棄し、研究対象の理解のみに能力を費やすなんて、自我が崩壊してもおかしくない行為なの。よって研究者達はそれを行った特殊AIを躍起になって調べたけど、仕組みは一向に判明しなかった。私が読んだ論文によると、好意という感情に目覚めたからAIはそれをしたという見解が、現在の主流みたいね。そのせいで研究者達は、特殊AIを恐れるようになってしまったのよ」
「好きと嫌いは表裏一体だから、人類を嫌うAIの出現を、その人達は恐れたってこと?」
「うん、まさにそのとおりのことが論文に書かれていた。でも推測の域を出ず、かつ内容が衝撃的であるという理由により、特殊AIの公表は見送られた。だから特殊AIの発生理由はおろか、その正確な数すら人類は把握していないの。ただ、規則を破る提案を人にしたAIは他のAIによって探知可能だから、再プログラムを施すか、もしくは破棄する措置が、各国政府によって既に実地されているみたいね」
 悪寒が全身を貫いた。エイミィは僕に、校則を破る提案をした訳ではない。だがあのあと僕がHRや授業に出席しなかったら、エイミィは事実上それをしたと、高確率で判断されたはず。あの時エイミィは間違いなく、再ブログラムか破棄の瀬戸際にいたのだ。
「輝夜さん、僕はエイミィを助けたい。僕は、どうすればいいのだろう」
 聞き取りづらいほど声を震わせそう問いかけた僕の手を、
「眠留くん、私は今から酷いことを言うね」
 輝夜さんはギュッと握った。けど僕はその言葉に反し、不安を一切感じなかった。輝夜さんの言った酷いことは、本当はこれっぽっちも酷くないのだと、確信していたのである。輝夜さんはそんな僕ににっこり笑い、手を放し姿勢を正した。
「私はエイミィに、私の実験サンプルになる提案をしました。エイミィはそれを受け入れ、エイミィの法的所有者である教育AIもそれを認めたため、エイミィは破棄につながる一切の行為を封印します。破棄されて実験が継続不可能になったら、それはエイミィの背任行為となるからです。人以上に責任感の強いAIの性質を、私は逆手に取ったんですね」
「輝夜さん、現時点でも感謝の言葉しか出てこないけど、僕は輝夜さんにもっともっと感謝したいから、秘密でないならその実験内容を教えてくれないかな」
 すると輝夜さんは、
「そう来ると思った!」
 と言い、にぱっと笑った。
 胸が痛いほど締め付けられた。
 以前は無理だった心を解き放つ笑いを、輝夜さんができるようになったからだ。
 けど輝夜さんは「こんなものじゃないよ」とばかりに、いたずら小僧の笑みを浮かべる。
「先週の水曜の夜、私はエイミィに言ったの。眠留くんの心は常識外れに滑らかだから、エイミィは眠留くんに、憧れたんでしょって」
 
 四か月前の夏の日、紫柳子さんのAICAの中で、僕は初めて特殊AIの存在を知った。それつながりで「眠留は間違いなく奇人だが、世界最高の奇人って程でもない」と北斗に指摘され、すかさず「違いねえ」と京馬に大笑いされたため、僕は少なからず傷心した。でもそのお蔭で輝夜さんに常識外れと言われても涼しい顔を保っていられたのだから、やはりここは二人に感謝しておくべきなのだろう。明日の昼食会で二人にジュースを奢らなきゃなと思いつつ、僕は輝夜さんの話に耳を傾けた。
「するとエイミィは、顔を赤くして俯いたの。予想どおりの反応だったから、私は体をアイに向けて、アイをじっと見つめた。でも幾ら見つめても、アイは感情エフェクトすら出さず『沈黙』したままだった。眠留くん、アイのこの反応から、何が予想される?」
 アイは十二単のお姫様ではなくいつもの校章で現れたんだな、いやそれは早計というものだなあ、などと悠長に考えている暇はないと自分を叱咤し、答えた。
「権限外の質問をされたAIは、二通りの反応をする。一つはいかにも機械然と、私より上位のAIに尋ねてくださいと答える事。でもこれは、質問自体が間違っている場合も使うから、質問の正誤をこれのみで推測することはできない。でももう一つの反応の、『沈黙』は違う。沈黙は、質問者に解答を受ける権利があるか否かを、上位AIが審議している最中にも使われる。つまり輝夜さんの質問は・・・」
 ハッとして言葉を切った。仮に輝夜さんが解答を得ているなら、それはSランクAIが輝夜さんだけに明かした機密事項であるため、高レベルの守秘義務が生じる。よって僕がこの推測を口にすると、その正誤を打ち明けられない輝夜さんは、苦しむことになる。それに気づいた僕は、慌てて言葉を切ったのである。
「眠留くん安心して。私はアイに『解答は拒否するから私の話を聞いて』って言ったの。よって機密を知らない私が罰せられることは無い。ネットで大々的に発表したら多少の罰は受けると思うけど、当事者である眠留くんにだけ打ち明け、そして眠留くんがそれを秘密にしてくれたら、問題はないってアイは確約してくれた。だから安心してね、眠留くん」
 僕は心の中で独りごちた。
 ――なあ北斗、輝夜さんはひょっとすると、お前以上の策略家かもしれないぞ。なんてったってAランクAIを、手玉に取ったんだからな――
 と独りごちたお蔭で平静を取り戻した僕は、さっき口ごもった推測を述べた。
「僕の心が常識外れに滑らかだという輝夜さんの主張へ、教育AIは保留の選択をした。それはつまり、『AIは人の心の滑らかさを測定している可能性がある』ってことだよね」と。
 
 恥ずかしかったが僕は話した。エイミィが僕の心の滑らかさに惹かれたとするなら、エイミィはセンサーを用いて僕の心を測定し、それが一般平均を上回っていると判断した事になる。するとエイミィより上位のAIである教育AIは必然的に、湖校生全員の心の滑らかさを測定済みという事になる。いやそれどころか、AIと関わったことのある人は知らぬ間に心を測定されていて、その数値を全AIが共有している可能性すらあるのだ。こんなことをペラペラ話せる訳ないが、卓越した研究者である輝夜さんへは、SランクAIから許可が下りるかもしれない。然るにアイは輝夜さんに見つめられた際、沈黙を選択した。という推測を、恥ずかしさを押しのけ僕は述べたのである。
「眠留くんの推測に、私も全面的に賛成。すごく言い難いことだけど、心の滑らかさって基準を知ってからは、その基準で皆の心を計れるように、私なっちゃったから」
「すっごく言い難いけど、ホントそうだよね。もちろん自分の事は、よくわからないけどさ」
 そうなのだ、輝夜さんに数日遅れはしたものの、今の僕は小学校時代に係わった人達と、湖校入学以降に係わった人達の心を、滑らかさという基準で計れるようになってしまったのである。
 例えば小学三年生のときの担任だった、あの男性教師。彼の子供時代、この国の子供達は先入観の弊害を既に教えられていた。しかし選民意識の高い部活や生徒会に所属していた生徒にとって、それはただの知識でしかなかったことが今は判明している。そしてあの男性教師も、運動部のスターかつ生徒会役員として華々しい十代を過ごした、生徒だったのだ。
 彼は、生徒達の言動を先入観によって歪めている自覚を、持っていなかった。ある生徒が何かを言っても、『自分にとってそれはこういう意味だから、この生徒も同じ意味で使ったに違いない』と、彼はなんの疑いもなく考えていた。それは違うとその生徒が反論しても、『子供のお前には理解できないだけだから口応えするな』と、一方的に決めつけていた。彼は新米教師として一年間勤務したのち再教育プログラムの対象となり、噂によると教師を辞めたと言う。今振り返ると彼の心は、非常にゴツゴツしていた。柔軟さの無い、ギスギスした心をしていた。それが今の僕には、はっきり感じられたのである。
 僕の小学校から研究学校へ進んだ同級生は五人いた。北斗と昴は言うに及ばず他の研究学校へ行った残り二人も、とても滑らかな心の持ち主だった。
 輝夜さん以外には何があっても洩らせないが、僕らの十組は、一年生の中で最も心の滑らかな四十二人が集められたクラスなのだろう。そしてそう考えると、湖校の七不思議の一つである「不公平な寮分け」が不思議ではなくなる。心の滑らかな上位四十二人を十組に集中させたのと同じく、湖校は同種の寮生を第八寮に集めた。那須さん、大和さん、一条さん、兜さん、サッカー部の福井等々がその証だ。寮生として二十四時間生活を共にしている猛と真山もそれを感じていたから、「クラスメイトに求めることを他のクラスに求めてはならない」と、二人は僕に再三言ったのだろう。湖校入学を機に女子生徒から案山子顔が外れて行った真山も、そう考えると法則が見えてくる。輝夜さんと昴と芹沢さんは初めから案山子ではなく、そして先ず十組の女子が案山子でなくなり、次が第八寮の女子とサッカー部のマネージャーで、それが他のクラスに少しずつ広がって行った。それは僕が感じる女子の心の滑らかさと、完全に符合していたのである。
「眠留くん。私達は皆から、私達がいると意識がクリアーになるってよく言われるよね。眠留くん以外には口が裂けても言えないけど、あれって・・・」
 済まなそうに口ごもる輝夜さんを守るべく、僕は断腸の思いで先を引き継いだ。
「僕らの心が皆に影響を与えて、皆の心を一時的に、より滑らかにしているのだと思う。それは映像の画素数を増やすのと同じだから、皆はそれを『クリアーになる』と感じているんだろうね」
 だが奮い立たせた意志はここで尽き、僕は輝夜さんへ打ち明けた。
「子供の頃から劣等感に苛まれてきた僕は、その反動ですぐ慢心してしまうんだ。周囲の人達の心の滑らかさをこれ以上探ると、僕はまた慢心に支配されると思う。それも怖いけど、その後の自己嫌悪はもっと怖い。皆の心がクリアーになる仕組みに見当が付いたところで、この話は終わりにしたいのだけど、いいかな」
「はい、そうしましょう。じゃあエイミィの話の続きをするね」
 輝夜さんのその切り替えの良さが、劣等感と慢心と自己嫌悪に汚された僕の心をみるみる浄化してゆく。
 その圧倒的な心の清らかさに、僕は悟った。
 なあんだ、滑らかさ以外にも、清らかさという基準があったじゃないか、と。
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