僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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九章

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 もちろんこれは、二階堂家の人達がこのゲームの初心者だった今回に限り通用する戦法と言える。一馬さん達は次回から、国力拡充や諜報部隊の育成等を視野に入れてゲームを進めるはずだからだ。自分達の敗北理由を北斗と共に分析し終えた一馬さんと十馬さんは、「次は負けないぞ」と眼光を鋭くした。それを受け僕らも「望むところです」と胸を反らす。女性達は声を揃え、「「どちらも頑張れ~」」と黄色い声援を送ってくれた。
 とはいえ僕らは疲れていた。戦略シミュレーションゲームは面白ければ面白いほど、神経に疲労を覚えるものなのである。ならお風呂に入って昼寝をしようという話になり、僕ら男子組は大離れの大風呂へ繰り出した。裸の付き合いは疲労や汚れを取り除くだけでなく、人が周囲に張り巡らせている見えない壁を、低く薄くしてくれる。冷たい水をかけ合い、五人で輪になって背中を洗い合い、そして湯船にボンヤリ浸かっていたら、隣でお湯を楽しむ一馬さんと十馬さんが、昔から知っている親戚のお兄さんのように感じられたのだった。
 脱衣場の扉を開けるなり、目の前で待ち構えていたおばさんに「ほら早く早く」と急きたてられた。おばさんは入浴と昼寝の話が出た際、僕ら男子組がそうするのは大賛成でも、自分がそれを頂くのは忍びないと、大きな体を縮こまらせた。それが何とも可愛らしく、台所に笑い声が溢れた。釣られて当人も頬を緩めたところで、その大きな手を美鈴が包み、「一緒にお風呂に入って枕を並べて寝たいです」と頼んだ。おばさんは涙を押しとどめるべく百面相に移り、さっき以上の笑い声が立ち昇った。その声が鳴りやんだ時、男子組の後におばさんと美鈴がお風呂を使うことは、既定事項になっていたのだった。
 女性陣とすれ違いざま、「中離れの雨戸を締めて布団を敷いておいたから使って下さい」と美鈴に促された。横一列に並べられた五つの布団に潜り込み、明かりを消し、寝る体制を一応作り上げる。と同時に一馬さんが叫んだ。「怪談しようぜ!」 僕らはお腹を抱えて転げまわったのち、皆でとっておきの怪談を披露した。どれも恐ろしかったが、北斗の話は特に凄かった。しかも北斗がそれをこの家で披露するのは二度目の事ゆえ、HAIが気を聞かせてくれたからその怖さたるやなかった。物語に同調して窓がガタガタ鳴り、遠くで扉の開く音がして、誰かが何かを探している気配がかすかに伝わってくる。そしてその足音がだんだん近づいて来て、中離れの前で止まった時は、なあ止めようぜマジ止めてくれよと京馬は必死の形相で北斗に取りすがっていた。だがその直後、「もう遅い…」とおどろおどろしい声がして扉が勢いよく開いたものだから僕らは仰天。二階堂三兄弟はもちろん話の結末を知っている僕も、それどころか語り部である北斗すらも悲鳴をあげ、布団の中で体を丸めて震えていた。そんな僕らへ入り口から、「驚かせて済まなかったよ。でももうお休み」と貴子さんの声が掛かる。僕らは即座に、怪談を止め眠ることを決定したのだった。
 目覚めると思いのほか寝ていたらしく、お風呂を出てから二時間が経過していた。時刻は午後六時。運動をしている成長期の男子にとって、空腹に胃が痛み始める時間だ。実際、目が覚めた理由はそれだったので、僕は上体を起こし、胃の痛みを和らげるべく右手でお腹をさすった。けどそれは僕だけに起きた現象らしく、皆は布団を蹴飛ばし、熟睡まっただ中の状態にいるようだった。妙案を閃いた僕は、空中に顔を向けて頼んだ。「HAI、台所の匂いをこの部屋に届けて」 十秒と経たず、夕食の美味なる香りが中離れに届けられた。それに触発された食欲が、睡眠欲に勝ったのだろう。皆等しく右手でお腹をさすりながら上体を起こし、それぞれの口調で「腹減った」と呟いた。そこですかさず、匂いから類推される夕飯のおかずを僕は並べ立ててゆく。寝ぼけ眼でお腹をさすっていた皆は「こうしちゃおられん」と跳び起き、先を争い布団を片付けた。
 台所に足を踏み入れたとたん、胸が懐かしさで一杯になった。母の服を着て、おばさんがキッチンに立っていたのだ。陸上のハードル選手だった母は細身で、格闘家のおばさんは骨太のタイプだったけど、身長がほぼ同じなのか、二人はとても似ているように感じられた。不思議なことに、記憶を探り母の後ろ姿を思い出すと両者の違いばかりが目立つのに、弾む足取りで料理を作るおばさんの後ろ姿を見ていると、両者の共通点ばかりが浮かび上がって来るのだ。共通点が増えるにつれ、目尻に溜まる液体も増えてゆき、そしてそれが零れる寸前理解した。二人が似ていると感じた、その理由を。
 親族一同が定期的に集まるこの家には、室内着と下着類が数十人分用意されている。入浴前、二階堂三兄弟と北斗に着てもらうため押入れから引っ張り出したのもそれで、おばさんもそれを着ると僕は考えていたのだけど、美鈴はおばさんに特別な着替えを用意していた。母のお気に入りだったルームウエアーがそれだ。いかに勧められたとはいえ、初めて訪れた人様の家で、大人が昼寝をそうそうできるものではない。それでも美鈴は、おばさんに自分の部屋で枕を並べて寝てもらいたいと頼んだ。それは美鈴の思いやりなのだと考えていたが、それは半分正解で半分間違いだった。美鈴は母の服を着たおばさんと、本当に枕を並べて横になりたかった。そして元気になったおばさんと、二人並んでキッチンに立ちたかった。いつもより数倍楽しげに料理を作る美鈴の気配をひしひしと感じた僕は、二人の間に流れる愛情こそが、おばさんと母の最大の共通点なのだと気づくことができたのだった。
 夕飯は、ただただ素晴らしかった。おばさん自慢の茄子の網焼きを口に含むなり「お母さんの味がする」と美鈴が言った時は、テーブルに着く全員の目元周辺に大雨洪水警報が発令されたが、警報が一番鳴り響いているはずのおばさんが耐えているのだから、僕らが負ける訳にはいかない。祖父とおじさんの巧みな話題提供に助けられ、食卓は賑やかな場へと変わって行った。でもそれは最後まで続かなかった。きっかけは、美鈴と並んでご飯を食べていたおばさんの洩らした「それに引き換え息子達ときたら」という溜息だった。一馬さん達が笑って肩をすくめた事からも窺えるように、それは二階堂家にとっていつもの出来事だったのだろう。だが美鈴は大まじめに首を横へ振り、京馬の紳士的振る舞いについておばさんに話し始めた。僕がそうであるようにそんな事を親へ報告する男子はまずいないから、二階堂夫妻は思いがけずの末っ子の紳士っぷりに、言葉を失っているようだった。美鈴は姿勢を正し、「夏休みに秋葉原へ行った時、京馬さんが私を守ってくれた理由が今日わかりました」と前置きして、それを三兄弟の両親へ伝えた。
「一馬さんと十馬さんは、末っ子の京馬さんを守っていました。空気のように軽やかなそれには、空気と同じく存在を忘れてしまう自然さがありました。その空気を吸って大きくなった京馬さんは、自分がお兄さん達からしてもらったように、軽やかに自然に、私を守ってくれたのだと思います」
 おばさんは顔を両手で覆って泣いた。もう我慢できないと、今まで堪えていた分をすべて吐き出すように涙を流し続けた。そんなおばさんの肩を抱き、おじさんは美鈴へ何かを言いたげだったが、そのつど言葉を詰まらせ何も言うことができないでいた。そんな両親に代わり、一馬さんが打ち明けてくれた。お袋は今度は絶対泣かないと決意してここを訪れたんだ、と。
「美鈴ちゃんのお兄さんが夏休みに俺達の家に来てくれた時、お袋は泣いちゃってさ。お兄さんは泣くお袋を気づかい、お礼を言ってくれたんだよ。それをお袋は悔やみ、妹さんに同じ想いをさせてなるものかと、泣かない練習を何度もしてここを訪ねた。でもやっぱり、我慢できなかったみたいだ。それは親父も、十馬も京馬も同じみたいだから、俺が代表して言うよ。美鈴ちゃん、本当にありがとう」
 絶世の美少女である美鈴を前にしても、一馬さんと十馬さんは夏休みの想い出と同じ、優しく面白く頼りがいあるお兄さんであり続けた。美鈴の言うようにそれはとても自然な行いだったので、僕はそれと京馬の振る舞いを結びつけることができなかった。だが今は、揺るぎない気持ちで思えた。まさしく京馬は、レジェンドのお二人が大切に育てた、三兄弟の一員なのだと。
 長男の頼もしい声を聴き、おじさんに肩を抱かれ、美鈴に涙を拭いてもらったおばさんは、ようやく笑顔になった。ただ想いを言葉にすると笑顔でいられなくなると考えたのか、それ以降は何も言わず、微笑んでいるだけだった。
 それでもその微笑みは、美鈴はもちろん僕と祖父母に、三年と八カ月前まではいつもこの場所にあった微笑みを、思い出させてくれたのだった。
 午後七時半。台所に現れたHAIが、極々控えめにレンタルAICAの到着を告げた。駐車場でAICAに乗り扉が閉まるまで、おばさんはにこやかに美鈴と別れの挨拶をしていた。でもAICAが動き出すなり美鈴の方へ身を乗り出し手を差し伸べ、おばさんは美鈴の名を呼んでいた。その姿に、母がこの世を去る瞬間の真実の光景を、母に代わっておばさんが見せてくれたのだと僕は悟った。
 僕もいつかそれを、身をもって経験するのだろうか。
 大切な人達を残し、一人この世を去る経験をするのだろうか。
 心の向こう側から馴染みのない、大人びた僕自身の声がしてそれに答えた。
 ――そのとき僕は一人じゃない。
 ただ、僕を一人にしないその人が誰なのかまるで判らないような、それでいて二千年前からそれが誰なのかを知っているような、そんなもどかしさが胸を焼いたのだった。
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