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十九章
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美鈴が、規則違反を決意する寸前にいるのが掌を指すように感じられた。それを思いとどまらせるべく、美鈴の手元に紫柳子さんに送ったメールと、その返信メールの二通を映し出す。狙いどおり文面を目で追う美鈴から、切羽詰まった気配が少しずつ消えていった。とはいえこれだけでは、目減りは半分が限度だろう。残った半分を更に半分にできれば、美鈴なら容易に対処可能なはず。ならば僕は、それを全力でするのだ。
「輝夜さんと昴を放置した償いの一環として、僕だけが理解できる鋼さんの胸中を、紫柳子さんにメールで伝えてみた。美鈴、これは的外れだったかな?」
美鈴はこっちが心配になるほど、顔を横に高速で振った。規則違反をしない未来が強まり、それが口を堅く閉ざしているから、こういう返答になったのだろう。まったくこの妹は、地球に今回初めて生まれたはずなのに、僕が地球人として過ごした4000年で最高の妹にあっさりなるのだから・・・
――僕はホント、幸せだよなあ
それを胸に刻み、準本命を切り出した。
「輝夜さんと昴にも二通のメールを見せ、今回のことを全部打ち明け、何でも言い合える度合いを一段引き上げる提案をこちらからする。僕ら三人の仲は、それで回復可能と思うけど、どうかな?」
美鈴は笑顔になり、満足げに大きく頷いた。既にこの時点で、切羽詰まった気配の軽減は目標値に到達していたが、美鈴への償いがまだ残っている。僕は深呼吸し、兄としての威厳を全身に満たしてから、正真正銘の本命を放った。
「前世の兄ちゃんはチベットに生まれて、輝夜さんが使命を果たしても命を落とさない方法を探していた。前世では一生を費やしてもそれを解明できなかったけど、今生では成し遂げてみせる。だから後のことは心配せず、嫁いでゆきなさい」
本命は、正解だったらしい。
残っていた四分の一が、一瞬で消え失せたからだ。
なのにどうして、心の中に不安があるのだろうか。
拍子抜けした表情の美鈴に、どうして恐怖を覚えるのだろうか。
過ぎたるは及ばざるが如しという言葉が、脳裏になぜこうも反響しているのかな?
なんて具合に自問する僕へ、松果体から閃きが届けられた。
――ひょっとすると、正解し過ぎたとか?
切羽詰まった気配がすべて消えたのは良いとしても、消える速度が速すぎたため、天秤の片方のお皿から重い分銅を急に摘まみ上げたかのような現象が、美鈴の心に生じたのではないか。
重さを表示する天秤の針が勢い余って反対側へ振れるように、心の状態を指し示す針も、穏やかな状態の反対側へ大きく振れてしまったのではないか。
なんて感じに閃きを分析している最中、それが正しかったことを僕は知った。
美鈴の拍子抜けした表情が、不機嫌顔にみるみる変わって行ったのだ。僕は頬を引き攣らせ、後ずさろうとした。だが、
――逃がす訳ないでしょう
との三白眼に射すくめられ、1ミリたりとも動くことができなかったのである。前々から解っていたけど、解っていたけど、と心の中で繰り返す僕に、解っていたのなら尚更罪は重いと、美鈴は判決を下した。
「頭に来たから、お兄ちゃんを困らせることにする」
「ちょっ、ちょっと待って美鈴。美鈴が怒ったら、勝てる地球人は一人もいないんだから、それはアンフェアだと兄ちゃんは思うよ」
「うん、正直自分でも驚いている。ミイラ取りがミイラになる確率が全宇宙最大の星だから絶対油断するなって、事前訓練をたくさん受講したのに、危うくミイラになりかけたよ」
危うくなりかけたの箇所ばかりが耳に残り、大慌てで美鈴に安否を問うた。そんな僕を美鈴は三白眼のまま暫し見つめたのち、なりかけたは誇張だから安心してと、眼力を更に強めて応える。僕は心底安心し脱力するも、ふと思い返し、姿勢を正して言った。
「誇張だとしても、美鈴に危うい想いをさせた自分が、兄ちゃんは許せない。さっきのアンフェアは冗談だから、思う存分兄ちゃんを困らせてくれ」
過去世の記憶を複数持つ僕にとって、既視感は日常的な感覚にすぎない。思い出した過去世は半分に満たず、曖昧な部分の方が多いから、曖昧な部分と現在の状況が符合した時に、いわゆる既視感が生じるのだろうと僕は考えている。
しかし事によると、それは間違った見解だったのかもしれない。これほど強い眼差しを美鈴に向けられるのは初めてのはずなのに、これと同じ状況を、遥か昔に経験した気がしきりとしているのだ。その遥か昔は、過去世に含まれていない完全に未知の過去であり、この「完全に未知の過去」へおぼろげな共鳴を覚えた僕は、一般的な意味での既視感を初めて体験したのではないかと思ったのである。
「お兄ちゃん、どうかした?」
眼力を増強した三白眼のまま、美鈴は兄想いの妹に戻って尋ねてくれた。心の片隅で、美鈴の眼差しをなぜこうもあっさり素通りさせられるのかと不思議に感じつつ、問いかける。
「美鈴が地球人として兄ちゃんと関わるのは、今生が初めてだよね」
「輝夜さんと昴を放置した償いの一環として、僕だけが理解できる鋼さんの胸中を、紫柳子さんにメールで伝えてみた。美鈴、これは的外れだったかな?」
美鈴はこっちが心配になるほど、顔を横に高速で振った。規則違反をしない未来が強まり、それが口を堅く閉ざしているから、こういう返答になったのだろう。まったくこの妹は、地球に今回初めて生まれたはずなのに、僕が地球人として過ごした4000年で最高の妹にあっさりなるのだから・・・
――僕はホント、幸せだよなあ
それを胸に刻み、準本命を切り出した。
「輝夜さんと昴にも二通のメールを見せ、今回のことを全部打ち明け、何でも言い合える度合いを一段引き上げる提案をこちらからする。僕ら三人の仲は、それで回復可能と思うけど、どうかな?」
美鈴は笑顔になり、満足げに大きく頷いた。既にこの時点で、切羽詰まった気配の軽減は目標値に到達していたが、美鈴への償いがまだ残っている。僕は深呼吸し、兄としての威厳を全身に満たしてから、正真正銘の本命を放った。
「前世の兄ちゃんはチベットに生まれて、輝夜さんが使命を果たしても命を落とさない方法を探していた。前世では一生を費やしてもそれを解明できなかったけど、今生では成し遂げてみせる。だから後のことは心配せず、嫁いでゆきなさい」
本命は、正解だったらしい。
残っていた四分の一が、一瞬で消え失せたからだ。
なのにどうして、心の中に不安があるのだろうか。
拍子抜けした表情の美鈴に、どうして恐怖を覚えるのだろうか。
過ぎたるは及ばざるが如しという言葉が、脳裏になぜこうも反響しているのかな?
なんて具合に自問する僕へ、松果体から閃きが届けられた。
――ひょっとすると、正解し過ぎたとか?
切羽詰まった気配がすべて消えたのは良いとしても、消える速度が速すぎたため、天秤の片方のお皿から重い分銅を急に摘まみ上げたかのような現象が、美鈴の心に生じたのではないか。
重さを表示する天秤の針が勢い余って反対側へ振れるように、心の状態を指し示す針も、穏やかな状態の反対側へ大きく振れてしまったのではないか。
なんて感じに閃きを分析している最中、それが正しかったことを僕は知った。
美鈴の拍子抜けした表情が、不機嫌顔にみるみる変わって行ったのだ。僕は頬を引き攣らせ、後ずさろうとした。だが、
――逃がす訳ないでしょう
との三白眼に射すくめられ、1ミリたりとも動くことができなかったのである。前々から解っていたけど、解っていたけど、と心の中で繰り返す僕に、解っていたのなら尚更罪は重いと、美鈴は判決を下した。
「頭に来たから、お兄ちゃんを困らせることにする」
「ちょっ、ちょっと待って美鈴。美鈴が怒ったら、勝てる地球人は一人もいないんだから、それはアンフェアだと兄ちゃんは思うよ」
「うん、正直自分でも驚いている。ミイラ取りがミイラになる確率が全宇宙最大の星だから絶対油断するなって、事前訓練をたくさん受講したのに、危うくミイラになりかけたよ」
危うくなりかけたの箇所ばかりが耳に残り、大慌てで美鈴に安否を問うた。そんな僕を美鈴は三白眼のまま暫し見つめたのち、なりかけたは誇張だから安心してと、眼力を更に強めて応える。僕は心底安心し脱力するも、ふと思い返し、姿勢を正して言った。
「誇張だとしても、美鈴に危うい想いをさせた自分が、兄ちゃんは許せない。さっきのアンフェアは冗談だから、思う存分兄ちゃんを困らせてくれ」
過去世の記憶を複数持つ僕にとって、既視感は日常的な感覚にすぎない。思い出した過去世は半分に満たず、曖昧な部分の方が多いから、曖昧な部分と現在の状況が符合した時に、いわゆる既視感が生じるのだろうと僕は考えている。
しかし事によると、それは間違った見解だったのかもしれない。これほど強い眼差しを美鈴に向けられるのは初めてのはずなのに、これと同じ状況を、遥か昔に経験した気がしきりとしているのだ。その遥か昔は、過去世に含まれていない完全に未知の過去であり、この「完全に未知の過去」へおぼろげな共鳴を覚えた僕は、一般的な意味での既視感を初めて体験したのではないかと思ったのである。
「お兄ちゃん、どうかした?」
眼力を増強した三白眼のまま、美鈴は兄想いの妹に戻って尋ねてくれた。心の片隅で、美鈴の眼差しをなぜこうもあっさり素通りさせられるのかと不思議に感じつつ、問いかける。
「美鈴が地球人として兄ちゃんと関わるのは、今生が初めてだよね」
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