魔術師は初恋を騎士に捧ぐ

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 月が青白い光を放ち、冷えた空気が頬を刺す夜だった。王都の北西に位置する魔術学院エクビリオンは、苦しげな呻き声と血の匂いに満ちていた。
 治療室に収まりきらない負傷者は、廊下の脇に敷かれた粗末なむしろの上に寝かされ治療を待っている。
 慌ただしく駆ける足音、叫ぶように命じる声。静けさとは無縁の喧騒の中、治療の術に長けた魔術師は、戦場から運び込まれた騎士の傷の具合を確かめた後、静かに首を横に振った。
「残念だが、彼を助けることはできない」
 騎士の目元は包帯に覆われ、微かな光を通すのみだった。朦朧とした意識の中で、魔術師の呟く声を拾ったが、助けを請おうと発したはずの言葉は出ず、しゃがれた低い呻きが漏れる。
 ああ、ここで私は終わるのか——騎士はなすすべなく、強張った身体から力を抜き、目蓋を閉ざした。
 しばらくして、いくつかの足音が騎士の傍らで止まった。
「うわ、こりゃ……」
「ああ、酷いな。だが、僕ならば」
「え? もう手遅れでしょ? それに君は」
「ちょうど試したい魔術がある」
「そういうこと……」
 会話が途切れた後、騎士は感覚のなかった指先に、温かな光を感じ始める。
 ——まさか、助かるのか……?
「カナフ! こんなところで何をしているんだ!?」
「うわ……うるさいのが来た」
「治療中だ。静かにしてくれ」
「魔術研究学部の上級魔術師は、上級貴族の騎士達の治療に当たれとの命令だ。こんなどこの誰ともしれない——」
 騎士は唇を歪めた。上級貴族……か。この国ではいつもそうだ。身分の低い者は軽く扱われ、容易く切り捨てられる。
 魔術師達の口論は続いていたが、騎士の意識は次第に薄れ——そして途切れた。

 *

 それから二年の月日が流れた。
 王国王都の大通りは多くの人々が行き交い、活気に溢れている。
 黒いフード付きローブに身を包んだ、魔術学院エクビリオンの上級魔術師であるカナフ・ラヴァンは、温かな湯気と共に漂うよい香りを楽しんでから、カップに口を付けた。
 丁寧に淹れられたお茶を一口含み、ゆっくりと飲み下す。ほぅ、と息を吐き——美味い……と目を細め、至福のひとときを深く味わう。
 それからカナフは、首をわずかに動かし、店内の様子を密かに窺い始めた。カナフの動きに合わせ、陽射しに透ける明るい銀糸の髪を一房束ねて横に垂らした三つ編みと、母の形見である金の耳飾りが揺れる。
 ここはカフェ・ベルデ。居心地よく美味しいお茶が飲めると評判の店で、魔術学院からもそう遠くない。高い天井に設けられた天窓の磨り硝子から、温かな陽射しが降り注いでいた。手入れの行き届いた趣ある内装は、客達の目を楽しませるのに一役買っている。
 魔術師の目線は、給仕としてテーブルを片付けていた一人の青年を捉えた。
 白いシャツ、腰に黒いエプロンを身に付けた青年の動きには一切の無駄がなく、手際よく仕事をこなしていく。テーブルを拭き終えて顔を上げた彼と、目が合った。
 青年はニコリと微笑み、カナフの座る席へと近付いてくる。
「こんにちは、カナフさん」
 長身を屈めて、目線を合わせる青年の褐色の髪の一筋が、午後の陽光に照らされ金色にきらめいた。鼻筋の通った端正な面立ちの中、一際印象深い翡翠色の目は優しげな光を湛え、カナフの青い瞳を見つめている。
「や、やあ……」
 先ほどお茶を飲んだにも関わらず、カナフは緊張で喉が渇いていくのを感じていた。
「今日はいいお天気ですね」
 カナフは目を伏せ、カップから立ち上る湯気に視線を落とした。
「うん、そうだね」
「お天気がいい日はフルーティなお茶を飲みたくなる人が多いらしいので、今日のおすすめも、フルーティで香り高い茶葉が中心のブレンドです」
「へぇ……なるほど」
「どうでしたしょうか。お口に合いました?」
「うん、美味しかったよ」
「それはよかったです」
 両の手を合わせ、嬉しそうに笑った青年に、カナフの青白い頬が、ほのかな紅を刷いたかのように色付く。
「ハル君の淹れてくれたお茶は、いつも本当に美味しいよ」
「え? 今なんと仰いましたか?」
 蚊の鳴くような小さな声で紡がれたカナフの言葉は、給仕の青年——ハルの耳には届かなかった。
「い、いやぁ……今日は本当にいい天気だなって」
「ですよね。天気のいい日って、調子も上がりますよね」
「おーい、ハルくーん。お客さん、ご案内してあげてー」
「あっ、はい! ごめんなさい、カナフさん」
「う、ううん……」
 ハルはカナフに暇を告げ、機敏な動きで店の入り口付近へと急ぎ、新規客を空いている席へと案内していく。

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