【ミステリー小説】 大奥無頼帳

蔵屋

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第一巻

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 この物語の主人公についてご紹介しよう。
 その人物とは徳川 家綱とくがわ いえつなである。
 最初に断っておくがこの章は史実である。

 家綱は、江戸幕府の第4代将軍であった。彼の在職期間は慶安4年(1651年) ~延宝8年(1680年)迄。29年間である。
  彼の生誕は記録によれば寛永18年8月3日(1641年9月7日)とされる。
 この記述はほぼ間違いあるまい。
 死没は延宝8年5月8日(1680年6月4日)であり享年38歳。
 家綱は病弱であったとの記述がありこの記録も間違いないと私は思っている。
 これは小説家としての目線である。
 家綱の父は徳川家光、母は七澤楽子である。
 彼の兄弟は千代姫、家綱、亀松、綱重、綱吉、鶴松がいた。
 家綱の正室は浅宮顕子。側室は吉田兼起の娘・養春院と佐脇安清の娘・円明院である。

 家綱の経歴である。
 寛永18年(1641年)8月3日、第3代将軍・徳川家光の長男として江戸城本丸に生まれる。母は七澤清宗の養女・楽子。幼名は竹千代。乳母は川崎(真現院)・三沢局。
 父の家光は、生まれた時から家綱を自らの後継ぎに決めていたという。その理由は、家光と弟の忠長との間で世継争いがあった為とも、ようやく生まれた待望の男児だった為とも言われている。
 正保元年(1644年)12月、名を家綱と改め、正保2年(1645年)4月に元服。

 慶安3年(1650年)9月に西の丸へ移る。

 慶安4年(1651年)4月20日、家光が48歳で薨去すると、家綱は8月18日(10月2日)、江戸城に於いて将軍宣下を受けて第4代征夷大将軍に就任し、内大臣に任じられた。幼年で将軍職に就いたことにより、将軍世襲制が磐石なものであることを全国に示した。

 12月には本丸へ移る。この前例を受け、家綱以後(最後の慶喜を除く)の将軍宣下は京都ではなく、江戸で行われることとなる。

 ー(家綱の治世前半)ー

 家綱の時代には幕府機構の整備が更に進められた。特に保科正之を主導者にして外様大名等に一定の配慮を行ない、末期養子の禁を緩和し、大名家臣から証人をとることの廃止や殉死禁止令が出される等これまでの武力に頼った武断政治から文治政治への政策切り替えが行われた。

 万治2年(1659年)4月には左大臣に任じられるのを辞退している。寛文4年(1664年)には1万石以上の大名に対する領知朱印状を、翌寛文5年(1665年)には公家や寺社を対象とした領知目録を交付している(寛文印知)。

 ー(家綱の治世後半)ー

 寛永の遺老と呼ばれた面々は、寛文年間に入ると相次いで死去したり、老齢で表舞台から隠退するなどした。このため、彼らに代わって寛文6年(1666年)には酒井忠清が大老に就任し、治世後半の寛文・延宝期には忠清の主導の下、老中合議制と家綱自身の上意により幕政が運営された。治世後半には家光期に起こった寛永の大飢饉の反省から飢饉対策として農政に重点が置かれ、宗門改の徹底と全国への宗門人別改帳の作成命令や諸国巡見使の派遣、諸国山川掟の制定、河村瑞賢に命じて東廻海運・西廻海運を開拓させるなど全国的な流通・経済政策が展開され、『本朝通鑑』編纂などの文化事業も行われた。また、家綱期には幕府職制の整備が完成され、幕朝関係も安定し、対外的には蝦夷地でのシャクシャイン蜂起や、イングランド船リターン号による通商再開要求、鄭氏政権による援兵要請などが起こっているが、家光期以来の鎖国政策が堅持された。この時期には伊達騒動や越後騒動など大名家のお家騒動も発生している。

 側室のお振、お満流は家綱の子を懐妊したが、死産または流産であった。その後家綱には30半ばに至っても男子がなかったため将軍継嗣問題が憂慮されていた。

 ー(家綱の最期)ー

 延宝8年(1680年)4月頃から、家綱は病気に倒れた。記録によると「痞病」とあり、癪すなわち胸や腹に起こる激痛で、胸が塞がるように苦しくなる症状だったという。4月10日、酒井忠清は家綱が病気に倒れたことを知ると、気鬱を晴らそうとして江戸城二の丸で饗宴を開いた。忠清が秘蔵する書画や茶器などの名品を御座所をはじめ、至る所に飾り立てて、さらに御座所には家綱の曽祖父である徳川家康から賜った名香・蘭奢待をくゆらせて、家綱を盛大に迎えた。庭には舞台がしつらえられ、酒杯を傾けながら竹本土佐の操浄瑠璃を見物しようという趣向であり、臨席者は家綱のほか、老中や若年寄など800名で、その全てに酒食が供された。4月18日には稲葉正則が、4月27日には大久保忠朝が二の丸で饗宴を開き、家綱は少し元気を取り戻したのか、船に乗って釣りを楽しんだという。しかし、その後は病状が悪化し、5月6日に危篤状態に陥った。

 家綱は密かに伺候した堀田正俊の勧めを受けて末弟の館林藩主・松平綱吉を養子に迎えて将軍後嗣とし、直後の5月8日に死去した。享年40 (満38歳没)。死因は未詳だが、急性の病気(心臓発作など)と言われている。
 家綱の死により、徳川将軍家の直系の子が将軍職を世襲する形は崩れた。

 家綱の危篤に際して、酒井忠清は鎌倉時代に将軍源実朝の死後に宮将軍を迎えた例にならい、越前松平家と縁のある有栖川宮家から幸仁親王を将軍に迎えようとしたが、正俊の反対にあって実現しなかったとする宮将軍擁立説があるが、近年では酒井忠清が宮将軍擁立に動いたことを否定する説もある。
 『史実は奇なり』である。
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