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第二巻
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家光は死後500万両という資産を残したが、明暦の大火で焼失した本丸の再建費用だけでも100万両、金銀の産出量の低下と貿易による海外流出で1661年には358万両、家綱が死んだときには100万両も残っていなかった。
また、毎年10万両ずつ減っていたが当時の幕閣たちは財政に無頓着で何も手を打たなかったのだ。
ー(家綱の人物像)ー
家綱は絵画好きで有名であり、鶏の絵を描くなど数多くの作品を残している。また茶の湯や幸若などの芸能も好んだ。その一方で、父・家光に倣い鷹狩や武芸鑑賞に熱心な一面もあったという。
ある記録に拠れば、家綱は温厚な人柄で政務を酒井忠清を始め老中らに任せ、自らは「左様せい」で決裁していたことから「左様せい様」という異名が付けられたという。
この逸話は家綱自身が幕政指導者としての指導力を発揮出来ず忠清の専制を示すものとしても引用されているが、近年の歴史学者達は幕政の意思決定に於ける将軍上意の重要性を指摘している。ただし、一般的な殿様は決裁の際言うべき言葉は「そうせい」・「考え直せ」・「もってのほかじゃ」の三つしか言わないように教育されており、他の殿様にしてもあだ名が『そうせい公』や、『よかろう様』などのエピソードが多々あり、基本的に主導権を積極的にとる殿様は少なく、むしろそういった殿様ではないように教育をするのが普通であった。
それ故に奥の院と言われる大奥には女達の権力闘争があったのだ。
徳川幕府打倒を目指す怨霊達にとっては徳川幕府の頭領である将軍を女の色仕掛けで堕とすことなど最も簡単であった。
関ヶ原の合戦で人質にされそうになった細川ガラシャは細川忠興の正室でありキリシタンであった。
彼女は死を選ぶことにより魔界へと転生したのだ。
魔界に転生したガラシャは魔界の頂点に君臨するサタンになったのである。
ー(以下は史実である)ー
さて、家綱の誕生を祝して、朝鮮通信使が派遣された。徳川将軍家の嫡男の誕生で朝鮮通信使が派遣された唯一の事例である。
家綱が元服するまでは、保科正之ら家光時代の遺産ともいうべき人材に恵まれていたのが安定した時代を築けた。幸運でもあった。『徳川名君名臣言行録』では「吾、幼年なりといえども、先業を承け継ぎ、大位に居れり」とある。
新井白石著の『白石手簡』では、家綱は中国の唐時代の政治書である『貞観政要』を好み、幕政運営の参考にしたという。
『武野燭談』に拠れば、家綱の将軍就任から間もない幼少期のことだが、江戸城天守閣へ登った際に近習の者が遠眼鏡を勧めたが「自分は少年ながら将軍である。もし将軍が天守から遠眼鏡で四方を見下ろしていると知れたら、恐らく世人は嫌な思いをするに違いない」と遠眼鏡を手に取らなかったという。
遠島となった罪人の話を聞き、家綱は「彼らは何を食べているのだろう」と近臣の者に尋ねたが誰も答えられず、それに対し家綱は「命を助けて流罪にしたのに何故、食料を与えないのか」と言った。それを聞いた父の家光は喜び、「これを竹千代(家綱)の仕置きはじめにせよ」と家臣に命じ、流人に食料を与えるようになったという。
家綱が食事していたとき、汁物を飲もうとしたところ髪の毛が入っていた。家綱は平然とその髪の毛を箸で摘まんで取り除いたが、小姓が慌てて新しい物と交換しようとした。家綱はその小姓に「その汁は途中で捨て、椀を空にして下げるように」といった。これは椀を空にすることにより普段のおかわりと同じ様に扱えということで、咎められる者が出ないようにと家綱が配慮したのであった。
明暦の大火で焼失被害にあった江戸市中の武家屋敷、神社仏閣などに資金援助し、復興に助力したという。明暦の大火を教訓に、両国橋を架設した。また、両国橋のたもとに「火除地」を設けた。橋のたもとに建造物を建設することを禁じているが、すぐに取り壊せることを条件に建設を一部許可した。「すぐに壊せる」という条件から、盛んに土俵が作られた。これが発端となり、両国は相撲の街として知られるようになったのである。
前述の通り、殉死を禁じた家綱だが、家綱が亡くなったと聞いた元下総佐倉藩主・堀田正信は自害した。正信は家綱の命令で改易にされていたが、正信の父・堀田正盛もまた、家綱の父・徳川家光に殉死した人物である。
家綱の法要が増上寺で営まれている際、志摩鳥羽藩主の内藤忠勝が丹後国宮津藩主の永井尚長を殺害する刃傷事件が発生した。
『徳川実紀』は家綱について以下のように評している。
「家綱様の時代は平安で良き時代だった。ただ惜しむべきは、家綱様は身体が弱くて病気がちであり、幕政を全て重臣に任せて自らとることが出来なかった。それ故に、寛文・延宝の頃になると、権力を専横する者が威勢を張るようになり、下の者が意見を言うことは少なくなった」
大正大学教授・林亮勝氏は、「権力を専横する者とは酒井忠清を指している」と見ており、政務は忠清を中心とする幕閣が裁き、それを家綱の名前で発動してゆく。これは家綱の病弱の為であったが同時に幕府の職制が整備されたことと関連しているとも見ている。ただし林は、安定した世情の推移を見たのは、逆説的に言えば家綱の病弱によったからともいうことが出来るとしている。
私は大正大学教授・林亮勝氏の見方を支持している。
これは歴史小説を執筆する作家としての目線である。
ー(作家としての目線)ー
以下にご紹介するのは歴史家の林氏についてである。
林 亮勝氏は、1927年3月4日 ~2008年12月23日迄この世に実在した人物である。
彼は何故か分からないが北朝鮮の擁護派であった。
彼の出目は分からないが日本国籍で「林」
という苗字は朝鮮半島出身者が多いのは事実である。
ここでご紹介する林氏の詳細については不明である。
ー(林氏と北朝鮮との関係)ー
1975年5月、日朝文化交流協会初代理事長の高木健夫とともに初めて北朝鮮を訪問、金日成と会見して以来、何度も北朝鮮を訪問したり、朝鮮総連の大会などに出席するなど親密な関係を続け、金日成や金正日を礼賛する数々の発言を行ってきた。
1990年、当時の理事長、梶谷善久の死去に伴い理事長に就任。1991年4月8日、北朝鮮の工作機関と指摘される朝鮮対外文化連絡協会との間で交流促進の合意書に調印した。
1996年に刊行された『主席 金日成』(金日成主席傘寿記念出版刊行会)の刊行委員。
(林氏の主な発言)
「朝鮮総連の活動家のみなさんと、親しくお付き合いしてすでに久しい。いつでも彼らは骨身を削って、理想に燃えて働いている。厳しい、つらい毎日が続く。それでも決して明るさを失わない。終生の友人を何人も得た。彼らとの交流を通じて、朝鮮総連への理解を深めることができた。そういうすばらしい人たちが支えている組織が朝鮮総連なのである」(1990年5月、朝鮮総連結成35周年に際し)
「気にかけて頂いてうれしく思います。様々な困難を乗り越えて、総書記がお元気で、人民と共に歩んでいくことを心より祈っております」(1997年、70歳の誕生日の際に金正日から花瓶と人参酒を贈られて)
「情勢が複雑な今、志のある人を集め、この雰囲気を作るきっかけとなっただけでも、この船は『親善大使』としての役割を果たしたと思う」(1997年6月2日、万景峰号横浜初入港の船長招待宴で)
「夕べ、野菜を切っていて、指を切ってしまった。たいした傷ではないが痛い。私たち日本人は、朝鮮のみなさんに(植民地支配という)大きな傷をつけてしまった。だが、後ろ向きにだけ考えていては駄目だ。村山元首相が日朝関係改善のために奮闘すると力強く述べたのを、金日成主席が生前、『正義は必ず勝つ』と語ったことと重ね合わせながら聞いた」(2000年5月21日「朝鮮総連結成45周年中央大会」でのあいさつ)
「国交正常化するためには、戦争責任と植民地支配をきちんと謝罪し賠償することです。拉致疑惑などを交渉の前提にすべきではありません。たとえ拉致が事実だったとしても、国の意志としてそんなことをするはずはありません。日本は国家の政策として軍国主義のもとに朝鮮人を何十万人も拉致(強制連行)してきました。拉致疑惑を交渉の前提とはせず、正常化交渉が軌道に乗った後で、未解決問題として話し合うべきでしょう」(月刊『日本の進路』2000年9月号)
月刊紙『日本の進路(2000年9月号)』掲載の次の内容は史実である。
「日本は国家の政策として軍国主義のもとに朝鮮人を何十万人も拉致(強制連行)してきました。拉致疑惑を交渉の前提とはせず、正常化交渉が軌道に乗った後で、未解決問題として話し合うべきでしょう」
第二次世界大戦中に多くの朝鮮半島の人々を日本国に強制的に連行した暴挙は事実である。この事実を日本人は決して忘れてはならない。
何よりも人間の尊厳に関わる問題だからである。
この意味からしても確かに林氏が言っていることは正論であり歴史上の真実である。
また、毎年10万両ずつ減っていたが当時の幕閣たちは財政に無頓着で何も手を打たなかったのだ。
ー(家綱の人物像)ー
家綱は絵画好きで有名であり、鶏の絵を描くなど数多くの作品を残している。また茶の湯や幸若などの芸能も好んだ。その一方で、父・家光に倣い鷹狩や武芸鑑賞に熱心な一面もあったという。
ある記録に拠れば、家綱は温厚な人柄で政務を酒井忠清を始め老中らに任せ、自らは「左様せい」で決裁していたことから「左様せい様」という異名が付けられたという。
この逸話は家綱自身が幕政指導者としての指導力を発揮出来ず忠清の専制を示すものとしても引用されているが、近年の歴史学者達は幕政の意思決定に於ける将軍上意の重要性を指摘している。ただし、一般的な殿様は決裁の際言うべき言葉は「そうせい」・「考え直せ」・「もってのほかじゃ」の三つしか言わないように教育されており、他の殿様にしてもあだ名が『そうせい公』や、『よかろう様』などのエピソードが多々あり、基本的に主導権を積極的にとる殿様は少なく、むしろそういった殿様ではないように教育をするのが普通であった。
それ故に奥の院と言われる大奥には女達の権力闘争があったのだ。
徳川幕府打倒を目指す怨霊達にとっては徳川幕府の頭領である将軍を女の色仕掛けで堕とすことなど最も簡単であった。
関ヶ原の合戦で人質にされそうになった細川ガラシャは細川忠興の正室でありキリシタンであった。
彼女は死を選ぶことにより魔界へと転生したのだ。
魔界に転生したガラシャは魔界の頂点に君臨するサタンになったのである。
ー(以下は史実である)ー
さて、家綱の誕生を祝して、朝鮮通信使が派遣された。徳川将軍家の嫡男の誕生で朝鮮通信使が派遣された唯一の事例である。
家綱が元服するまでは、保科正之ら家光時代の遺産ともいうべき人材に恵まれていたのが安定した時代を築けた。幸運でもあった。『徳川名君名臣言行録』では「吾、幼年なりといえども、先業を承け継ぎ、大位に居れり」とある。
新井白石著の『白石手簡』では、家綱は中国の唐時代の政治書である『貞観政要』を好み、幕政運営の参考にしたという。
『武野燭談』に拠れば、家綱の将軍就任から間もない幼少期のことだが、江戸城天守閣へ登った際に近習の者が遠眼鏡を勧めたが「自分は少年ながら将軍である。もし将軍が天守から遠眼鏡で四方を見下ろしていると知れたら、恐らく世人は嫌な思いをするに違いない」と遠眼鏡を手に取らなかったという。
遠島となった罪人の話を聞き、家綱は「彼らは何を食べているのだろう」と近臣の者に尋ねたが誰も答えられず、それに対し家綱は「命を助けて流罪にしたのに何故、食料を与えないのか」と言った。それを聞いた父の家光は喜び、「これを竹千代(家綱)の仕置きはじめにせよ」と家臣に命じ、流人に食料を与えるようになったという。
家綱が食事していたとき、汁物を飲もうとしたところ髪の毛が入っていた。家綱は平然とその髪の毛を箸で摘まんで取り除いたが、小姓が慌てて新しい物と交換しようとした。家綱はその小姓に「その汁は途中で捨て、椀を空にして下げるように」といった。これは椀を空にすることにより普段のおかわりと同じ様に扱えということで、咎められる者が出ないようにと家綱が配慮したのであった。
明暦の大火で焼失被害にあった江戸市中の武家屋敷、神社仏閣などに資金援助し、復興に助力したという。明暦の大火を教訓に、両国橋を架設した。また、両国橋のたもとに「火除地」を設けた。橋のたもとに建造物を建設することを禁じているが、すぐに取り壊せることを条件に建設を一部許可した。「すぐに壊せる」という条件から、盛んに土俵が作られた。これが発端となり、両国は相撲の街として知られるようになったのである。
前述の通り、殉死を禁じた家綱だが、家綱が亡くなったと聞いた元下総佐倉藩主・堀田正信は自害した。正信は家綱の命令で改易にされていたが、正信の父・堀田正盛もまた、家綱の父・徳川家光に殉死した人物である。
家綱の法要が増上寺で営まれている際、志摩鳥羽藩主の内藤忠勝が丹後国宮津藩主の永井尚長を殺害する刃傷事件が発生した。
『徳川実紀』は家綱について以下のように評している。
「家綱様の時代は平安で良き時代だった。ただ惜しむべきは、家綱様は身体が弱くて病気がちであり、幕政を全て重臣に任せて自らとることが出来なかった。それ故に、寛文・延宝の頃になると、権力を専横する者が威勢を張るようになり、下の者が意見を言うことは少なくなった」
大正大学教授・林亮勝氏は、「権力を専横する者とは酒井忠清を指している」と見ており、政務は忠清を中心とする幕閣が裁き、それを家綱の名前で発動してゆく。これは家綱の病弱の為であったが同時に幕府の職制が整備されたことと関連しているとも見ている。ただし林は、安定した世情の推移を見たのは、逆説的に言えば家綱の病弱によったからともいうことが出来るとしている。
私は大正大学教授・林亮勝氏の見方を支持している。
これは歴史小説を執筆する作家としての目線である。
ー(作家としての目線)ー
以下にご紹介するのは歴史家の林氏についてである。
林 亮勝氏は、1927年3月4日 ~2008年12月23日迄この世に実在した人物である。
彼は何故か分からないが北朝鮮の擁護派であった。
彼の出目は分からないが日本国籍で「林」
という苗字は朝鮮半島出身者が多いのは事実である。
ここでご紹介する林氏の詳細については不明である。
ー(林氏と北朝鮮との関係)ー
1975年5月、日朝文化交流協会初代理事長の高木健夫とともに初めて北朝鮮を訪問、金日成と会見して以来、何度も北朝鮮を訪問したり、朝鮮総連の大会などに出席するなど親密な関係を続け、金日成や金正日を礼賛する数々の発言を行ってきた。
1990年、当時の理事長、梶谷善久の死去に伴い理事長に就任。1991年4月8日、北朝鮮の工作機関と指摘される朝鮮対外文化連絡協会との間で交流促進の合意書に調印した。
1996年に刊行された『主席 金日成』(金日成主席傘寿記念出版刊行会)の刊行委員。
(林氏の主な発言)
「朝鮮総連の活動家のみなさんと、親しくお付き合いしてすでに久しい。いつでも彼らは骨身を削って、理想に燃えて働いている。厳しい、つらい毎日が続く。それでも決して明るさを失わない。終生の友人を何人も得た。彼らとの交流を通じて、朝鮮総連への理解を深めることができた。そういうすばらしい人たちが支えている組織が朝鮮総連なのである」(1990年5月、朝鮮総連結成35周年に際し)
「気にかけて頂いてうれしく思います。様々な困難を乗り越えて、総書記がお元気で、人民と共に歩んでいくことを心より祈っております」(1997年、70歳の誕生日の際に金正日から花瓶と人参酒を贈られて)
「情勢が複雑な今、志のある人を集め、この雰囲気を作るきっかけとなっただけでも、この船は『親善大使』としての役割を果たしたと思う」(1997年6月2日、万景峰号横浜初入港の船長招待宴で)
「夕べ、野菜を切っていて、指を切ってしまった。たいした傷ではないが痛い。私たち日本人は、朝鮮のみなさんに(植民地支配という)大きな傷をつけてしまった。だが、後ろ向きにだけ考えていては駄目だ。村山元首相が日朝関係改善のために奮闘すると力強く述べたのを、金日成主席が生前、『正義は必ず勝つ』と語ったことと重ね合わせながら聞いた」(2000年5月21日「朝鮮総連結成45周年中央大会」でのあいさつ)
「国交正常化するためには、戦争責任と植民地支配をきちんと謝罪し賠償することです。拉致疑惑などを交渉の前提にすべきではありません。たとえ拉致が事実だったとしても、国の意志としてそんなことをするはずはありません。日本は国家の政策として軍国主義のもとに朝鮮人を何十万人も拉致(強制連行)してきました。拉致疑惑を交渉の前提とはせず、正常化交渉が軌道に乗った後で、未解決問題として話し合うべきでしょう」(月刊『日本の進路』2000年9月号)
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「日本は国家の政策として軍国主義のもとに朝鮮人を何十万人も拉致(強制連行)してきました。拉致疑惑を交渉の前提とはせず、正常化交渉が軌道に乗った後で、未解決問題として話し合うべきでしょう」
第二次世界大戦中に多くの朝鮮半島の人々を日本国に強制的に連行した暴挙は事実である。この事実を日本人は決して忘れてはならない。
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