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第十九章
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世にも奇妙な世界を日月神示から読み解く!
「人生の真目的は 地の上に 無窮の天国建つるにありけり」
この詩歌は、出口王仁三郎が詠まれた句です。
人は何のためにこの世に生まれ、生かされているのでしょうか?
その目的を悟ったとき、人生は明るく、積極的なものになっていきます。
私たちの霊魂も肉体も神さまから分け与えられたものです。
出口王仁三郎は人は神の子、神の宮と教えています。
神の子である私たちには、地上天国を建設するという大きな使命が与えられているのです。
この世には、清らかで明るく温かい天国的なものから、憎しみや争いなどの地獄的なものまでが混雑しています。
そのすべてを天国化していくことが、神さまから与えられた私たち人間の使命であり、生きる目的なのです。
天国とは、神さまから発する愛の熱と智慧の光に包まれた世界です。
私たちは天国的な雰囲気を各家庭に、周囲に、町に、国に、世界にと広げ、誰もが安心出来る穏やかで平和な世界を築いていかねばはりません。
人生のもう一つの目的は霊魂の向上にあります。これを『みたまみがき』ともいいます。人間はこの世での生活を通して霊魂を十分に向上させ、天国に住むに相応しい霊魂へと成長し、死後は天人となって、天国を益々円満に無限に開くための活動をするのです。
そのためには、神さまのみ心を悟り、日々の生活の中で実践することが大切です。
上記は、出口王仁三郎の教えです。
同じようなことが日月神示の原文にも記述があるのです。
ー日月神示の原文引用ー
「一火リの巻」(ヒカリの巻)第四帖で
ー皆仲良う手引き合ってやって呉れよー
「世界国々所々に世の大洗濯知らす神柱現はしてあろが、これは皆この方の仕組ぢゃから皆仲良う手引き合ってやって呉れよ。」
と述べられ、時代や国、人種の違いなどを超えて古くからこの神霊の仕組みや働きがあったものと考えられている。
ー未来の出来事とその対処、心構えについてー
そして、この先に起こるらしい未来の出来事とその対処、心構えについて、神霊(国常立尊)は
ー悪の仕組みに騙されているー
「この先だうしたらよいかと云ふ事は、世界中金の草鞋で捜しても九九より他分からんのざから、改心して訪ねて御座れ。手取りてよき方に廻してやるぞ。悪の仕組にみなの臣民だまされてゐるが、もう直ぐ目さめるぞ、目さめたらたづねてござれ、この神のもとへ来てきけば、何でも分かる様に神示で知らしておくぞ。」(松の巻第五帖。上つ巻第二十七帖)
ー九九より外に、神のマコトの道知らす所ないのざぞー
「世界の何所さがしても、今では九九より外に、神のマコトの道知らす所ないのざぞ。何も分らん枝葉の神に使はれてゐると気の毒出来るぞ、早う其の神と共に此処(ここ)へ参りて、マコトの言を聞いて誠に早う立ち返りて下されよ。」(磐戸(一八十)の巻第十帖。|三(ウミ)の巻第十四帖)
ー神々様さえ判らん仕組と知らしてあろがー
「今度の御用は此の神示読まないでは三千世界のことであるから何処探しても人民の力では見当取れんと申してあろがな、何処探しても判りはせんのざぞ。ちょこら判る様な仕組ならこんなに苦労致さんぞ、神々様さえ判らん仕組と知らしてあろが。兎や角申さずと、神の神示腹に入れて身魂磨いて素直に聞いてくれよ。それが第一等ざぞ。」[30](アメの巻第十帖。日月の巻第三十六帖)
ー何より改心第一ぞと気付けてあろが、神示肝にはいれば未来見え透くのざぞ。ー
「この神示肚に入れて居ればどんなことあっても先に知らしてあるから心配ないのざ、ソレ出たとすぐ判るから胴すわってゐるから何事も結構におかげ頂くのざ。何より改心第一ぞと気付けてあろが、神示肝にはいれば未来見え透くのざぞ。」(んめの巻(梅の巻)第十一帖。アメの巻第十帖)
ー世が引繰り返って元の神世に返るー
「世が引繰り返って元の神世に返るといふことは、神神様には分って居れど、世界ところどころにその事知らし告げる神柱あるなれど、最後のことは九(こ)の神でないと分らんぞ。」(下つ巻第二十三帖)
「この世が元の神の世になると云ふことは、何んなかみ(神)にも分って居れど、何うしたら元の世になるかといふこと分らんぞ。」(上つ巻第二十九帖)
ーこの方に従ひて御用せよー
「あちこちに臣民の肉体かりて予言する神が沢山出てゐるなれど、九分九厘は分りて居れども、とどめの最后(最期)分らんから、この方に従ひて御用せよと申してゐるのぞ。砂糖にたかる蟻となるなよ。」(天つ巻第四帖)
ー「元の神世」に移り変わるギリギリの仕組みについては高級神霊でも、そのほとんどが分からない」ー
と語っており、高級神霊や高級霊でも必ずしもその全てが、今後に起こる未来の正確な出来事やその究極の結末(とどめの最后(最期))、また救われるためにはどうすればよいのかといった対処の仕方や救済の方法や道(この先どうしたらよいかと云ふ事は、神のマコトの道知らす所)を分かっている訳ではないらしいことと、その後に移行するとされる「元の神世」に移り変わるギリギリの仕組みについては高級神霊でも、そのほとんどが分からないことだという[31]。
ーこの移行する世界「みろくの世」(ミロクの世)と神霊が呼ぶ理想世界が来るー
また、この移行する世界「みろくの世」(ミロクの世)と神霊が呼ぶ理想世界が来る前には我々が住むこの現界でもこうした肝心な事が何もわからない神(低級な神)や霊に憑かれた、又は繋がった怪しげな予言者や神懸り、霊懸りした宗教家(低級な神や霊が懸った宗教家)や指導者(同じく低級な神や霊が懸った霊能者やチャネラー)などが多く現れて、世の人を惑わすらしいと記されている次のような帖もある。
「夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、勝手放題にまぜくり返すなれど、それもしばらくの狂言。」(星座之巻第十八帖)
「世、迫って、霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢや。悪かみかかりに迷ふでないぞ。サニワ(審神)せよ。外はウソが多いぞ。内の声ウソないぞ。カミカカリ(神懸り)が沢山出来て来て、わけの分らんことになるから、早く此の理(道)をひらいて呉れよ。」(春の巻第二帖。上つ巻第三十九帖)
ー判らなくなれば神示見よー
「色々のお告げ出ると申してあらうが。今その通りぢゃ。お告に迷ふぞ。審神して聞け。判らなくなれば神示見よ。」(黄金の巻第四十五帖)
「心して怪しと思ふことは、たとへ神の言葉と申しても一応は考へよ。神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん。サニワせよ。薬、毒となることあると申してあらうが。馬鹿正直、まことの道見失ふことあると申してあらうが。」(黄金の巻第二十九帖)
ー「まことの道」を見失ってしまうことにもなるー
で書記され、こうした惑わしや混乱も一時的で束の間の今しばらくのものでしかないこと。そして、世に出ている色々なお告げに対しても(たとえ、それが神(高級神霊)からのお告げや言葉であっても)、馬鹿正直に何の疑問も持たずに鵜呑みにして信じるのではなく、自分自身で良くサニワ(審神)、見極めて取捨し、惑わされることがないようにすることが肝要なのだと語られている。神示にあるように馬鹿正直も程を過ぎると「まことの道」を見失ってしまうことにもなるという。
なお、審神の方法については、「龍音之巻」(参20)第三帖で
「世界中が霊かかりとなると申してあるのは今のことであるぞ、かかりてゐる世界自身わからなくなっているぞ、サニワせねばならん、サニワの方法書き知らすぞ。世界を、日本を、自分をサニワせねばならん。」
と述べられ、サニワ(審神)の重要性とそれに続く帖で審神の方法や知識が記されている(これらの一端については上記の「霊界と現界の関係」の節で記す)。
ー「実際に病人、病気を治す」などの役割を持つ現界の人間も存在するー
しかし、こうした悪神懸りの人間が多く現れる一方で、「小さい事はサニワで家来の神神様から知らすのであるから、その事忘れるなよ」(下つ巻第二十六帖)や「ひむかとは神を迎えることぞ、ひむかはその使ひ(使い)ぞ。ひむかのお役は人の病をなほして(治して)神の方へ向けさすお役ぞ」(上つ巻第五帖)と書記されている帖もあり、大きなことではなくても、国常立尊の眷属の神霊やその系統の神霊による知らせやお告げ、病気治しなどの働きとそうした媒介や実践行動(神霊からの知らせやお告げを受けたり、また、それを世に知らせていく、実際に病人、病気を治す)などの役割を持つ現界の人間も存在するらしいことが述べられている。
過去六度の建替と今後の七度目で最終最後の大建替
ー大災厄と大変動が始まりのうちには起こるー
神示には過去にも世の建替は六度あったとあり、今後に起こるとされる大建替で七度目だという。そして、これが最後なのだとも書記されている。過去六度のそれぞれについてはその全てが現界のみの建替でしかなく、うわべだけの神示で言う「膏薬張り」のような建替の繰り返しであった為、根本的な大建替にはならず、すぐに元に戻り永続しなかったのだという。そして、今後に起こるとされる大建替では過去にあったそれらとは全く異なり、この現界はもちろんの事、神界、霊界、幽界等も含めた全ての世界に起こり、天明が最初に麻賀多神社の社務所で書記させられたように、文字通り「この世始まって二度とない苦労である」なるような途方もない大災厄と大変動が始まりのうちには起こるのだという。
「松の巻」第十二帖では
「前にも建替はあったのざが、三千世界の建替ではなかったから、どの世界にでも少しでも曇りあったら、それが大きくなって悪は走れば、苦労に甘いから、神々様でも、悪に知らず知らずなって来るのざぞ。それで今度は元の生神が天晴れ現はれて、悪は影さへ残らぬ様、根本からの大洗濯するのぞ。」
「これまでの改造は膏薬張りざから、すぐ元にかへるのぞ。今度は今までにない、文にも口にも伝えてない改造ざから、臣民界のみでなく神界も引っくるめて改造するのざから、この方らでないと、そこらに御座る守護神さまには分らんのぞ。」(天つ巻第二帖)
ー神神様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざからー
「今度は世界中、神神様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチヨロコイ事ではないのざぞ。ぶち壊し出来ても建直し分かるまいがな。日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、神にすがりて神の申す通りにするより外には道ないぞ。大地震、ヒ(火)の雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれ(逃れ)ようとて、神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。」(天つ巻第四帖。富士の巻第二十帖。紫金之巻第五帖)
ー今度は世界のみか、三千世界つぶれる所まで行かなならんのざからー
「戦ばかりでないぞ、天災ばかりでないぞ、上(天界)も潰れるぞ、下(現界)も潰れるぞ、つぶす役は誰でも出来るが、つくりかためのいよいよのことは、神神様にも分りては居らんのざぞ。今度は世界のみか、三千世界つぶれる所まで行かなならんのざから、くどう申してゐるのざぞ。」(同じく「天つ巻」第二帖。三ラの巻(そらの巻)第十帖)
ー臣民の道は固より、獣の道もつくりかへぞー
「死ぬか生るかは人民ばかりでないぞ、神々様も森羅万象の悉くが同様であるぞ、しばらくの生みの苦しみ。今度は神の道もさっぱりとつくりかへるのざぞ。臣民の道は固より、獣の道もつくりかへぞ。この世一切のことを建替へるのぢゃ、神の道も変へるぞ、心のおき所も変へるぞ。」(至恩之巻第十三帖。松の巻第八帖。|三の巻(ウミの巻)第十三帖)
「今度は三千世界が変るのであるから今迄のようなタテカへ(建替)ではないのであるぞ。」(扶桑の巻第一帖)
と述べられ、今までの建替とは違い三千世界すべてに渡って起こる大災厄と大変動を伴った大建替、大建直になる事と国常立尊をはじめとした一部の高級神霊しか、それらの仕組みが分らないらしいことがここでも述べられている。
また、今度の建替と建直については次のように述べられている帖もある。
「建替と申すのは、神界、幽界、顕界(現界)にある今までの事をきれいに塵一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざぞ。建直と申すのは、世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。御光の世にすることぞ。」(水の巻第十二帖)
ー天地のビックリ箱とはそのことざぞー
「天地引くるめて大建替いたすのぢゃ。天地のビックリ箱とはそのことざぞ。この方でもだうにもならん元のキの道ぢゃぞ[36]。これまでは道はいくらもあったのぢゃが、これからの道は善一筋ざぞ。」(一八(いは)の巻第三帖)
ーも一つキの世にせなならんのざからー
「この先もう建替出来んギリギリの今度の大建替ぢゃ。愈々の建替ざから、もとの神代よりも、もう一つキの光輝く世とするのぢゃから、中々に大層ざぞ。途中から出来た道では今度と云ふ今度は間に合はんのざぞ。元の根本の世より、も一つキの世にせなならんのざから、神々様にも見当取れんのぢゃ、元の生神でないと、今度の御用出来んぞ。」(一八(いは)の巻第二帖。カゼの巻第八帖)
「今度は根本からの建直しで末代続くのぢゃから間に合はん道理わかるであらうがな。今度はとことはに(常永遠に)変らぬ世に致すのざから、世の元の大神でないと分らん仕組ざ。」(一八(いは)の巻第二帖。上つ巻第二十一帖)
ー昔に存在したとされる神世以上の想像を絶する光の世界へ移行ー
とあり、今度の建替が最終最後の大建替となり根本からあらゆる世界に及ぶ事とその後の大建直では、昔に存在したとされる神世以上の想像を絶する光の世界へ移行。そして、その世界が永遠に続くことが書記されている。
そして、その世界の一端について神示には
ー次の世がミロクの世、天も晴れるぞ、地も輝くぞー
「次の世がミロクの世、天も晴れるぞ、地も輝くぞ、天地一(ひとつ)となってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、あな爽け、あなすがすがし、あな面白や。」( んめの巻(梅の巻)第十七帖)
ー神代になりたら天地近うなるぞ、天も地も一つになるのざぞー
「神代になりたら天地近うなるぞ、天も地も一つになるのざぞ、今の人民には分るまいなれど、神も人も一つ、上も下も一つとなって自ら区別出来て一列一平上下出来るのぢゃ。」(同巻第十六帖)
ー影ないうれしうれしの世ー
「来るべき世界が、半霊半物、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世であるから、人民も浄化行せねばならん、大元の道にかへり、歩まねばならん、今迄のやうな物質でない物質の世となるのであるぞ。」(星座之巻第十二帖)
ーマコトでもって洗濯すれば霊化されるー
「マコトでもって洗濯すれば霊化される、半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん、今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ、灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生れつつあるのぞ。岩戸ひらきとはこのことであるぞ、少し位は人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ、大弥栄の仕組み。」(五葉之巻第十六帖)
ー八の世界から十の世界になるー
「八の世界から十の世界になるのであるから、今迄の八方的な考へ方、八方的な想念や肉体では生きては行かれんのであるぞ、十方的想念と肉体でなくてはならんぞ。八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変るのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ、今迄は時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。今迄の岩戸ひらきと同様でない、末代に一度の大岩戸ひらきぢゃ。千引(ちびき)岩戸を開くことについて、神は今まで何も申さないでいたのであるなれど、時めぐり来て、その一端をこの神示で知らすのであるぞ。」(至恩之巻第十三帖。同巻第十四帖。紫金之巻第十帖)
と書記されている。
次の章で詳しく解説します。
「人生の真目的は 地の上に 無窮の天国建つるにありけり」
この詩歌は、出口王仁三郎が詠まれた句です。
人は何のためにこの世に生まれ、生かされているのでしょうか?
その目的を悟ったとき、人生は明るく、積極的なものになっていきます。
私たちの霊魂も肉体も神さまから分け与えられたものです。
出口王仁三郎は人は神の子、神の宮と教えています。
神の子である私たちには、地上天国を建設するという大きな使命が与えられているのです。
この世には、清らかで明るく温かい天国的なものから、憎しみや争いなどの地獄的なものまでが混雑しています。
そのすべてを天国化していくことが、神さまから与えられた私たち人間の使命であり、生きる目的なのです。
天国とは、神さまから発する愛の熱と智慧の光に包まれた世界です。
私たちは天国的な雰囲気を各家庭に、周囲に、町に、国に、世界にと広げ、誰もが安心出来る穏やかで平和な世界を築いていかねばはりません。
人生のもう一つの目的は霊魂の向上にあります。これを『みたまみがき』ともいいます。人間はこの世での生活を通して霊魂を十分に向上させ、天国に住むに相応しい霊魂へと成長し、死後は天人となって、天国を益々円満に無限に開くための活動をするのです。
そのためには、神さまのみ心を悟り、日々の生活の中で実践することが大切です。
上記は、出口王仁三郎の教えです。
同じようなことが日月神示の原文にも記述があるのです。
ー日月神示の原文引用ー
「一火リの巻」(ヒカリの巻)第四帖で
ー皆仲良う手引き合ってやって呉れよー
「世界国々所々に世の大洗濯知らす神柱現はしてあろが、これは皆この方の仕組ぢゃから皆仲良う手引き合ってやって呉れよ。」
と述べられ、時代や国、人種の違いなどを超えて古くからこの神霊の仕組みや働きがあったものと考えられている。
ー未来の出来事とその対処、心構えについてー
そして、この先に起こるらしい未来の出来事とその対処、心構えについて、神霊(国常立尊)は
ー悪の仕組みに騙されているー
「この先だうしたらよいかと云ふ事は、世界中金の草鞋で捜しても九九より他分からんのざから、改心して訪ねて御座れ。手取りてよき方に廻してやるぞ。悪の仕組にみなの臣民だまされてゐるが、もう直ぐ目さめるぞ、目さめたらたづねてござれ、この神のもとへ来てきけば、何でも分かる様に神示で知らしておくぞ。」(松の巻第五帖。上つ巻第二十七帖)
ー九九より外に、神のマコトの道知らす所ないのざぞー
「世界の何所さがしても、今では九九より外に、神のマコトの道知らす所ないのざぞ。何も分らん枝葉の神に使はれてゐると気の毒出来るぞ、早う其の神と共に此処(ここ)へ参りて、マコトの言を聞いて誠に早う立ち返りて下されよ。」(磐戸(一八十)の巻第十帖。|三(ウミ)の巻第十四帖)
ー神々様さえ判らん仕組と知らしてあろがー
「今度の御用は此の神示読まないでは三千世界のことであるから何処探しても人民の力では見当取れんと申してあろがな、何処探しても判りはせんのざぞ。ちょこら判る様な仕組ならこんなに苦労致さんぞ、神々様さえ判らん仕組と知らしてあろが。兎や角申さずと、神の神示腹に入れて身魂磨いて素直に聞いてくれよ。それが第一等ざぞ。」[30](アメの巻第十帖。日月の巻第三十六帖)
ー何より改心第一ぞと気付けてあろが、神示肝にはいれば未来見え透くのざぞ。ー
「この神示肚に入れて居ればどんなことあっても先に知らしてあるから心配ないのざ、ソレ出たとすぐ判るから胴すわってゐるから何事も結構におかげ頂くのざ。何より改心第一ぞと気付けてあろが、神示肝にはいれば未来見え透くのざぞ。」(んめの巻(梅の巻)第十一帖。アメの巻第十帖)
ー世が引繰り返って元の神世に返るー
「世が引繰り返って元の神世に返るといふことは、神神様には分って居れど、世界ところどころにその事知らし告げる神柱あるなれど、最後のことは九(こ)の神でないと分らんぞ。」(下つ巻第二十三帖)
「この世が元の神の世になると云ふことは、何んなかみ(神)にも分って居れど、何うしたら元の世になるかといふこと分らんぞ。」(上つ巻第二十九帖)
ーこの方に従ひて御用せよー
「あちこちに臣民の肉体かりて予言する神が沢山出てゐるなれど、九分九厘は分りて居れども、とどめの最后(最期)分らんから、この方に従ひて御用せよと申してゐるのぞ。砂糖にたかる蟻となるなよ。」(天つ巻第四帖)
ー「元の神世」に移り変わるギリギリの仕組みについては高級神霊でも、そのほとんどが分からない」ー
と語っており、高級神霊や高級霊でも必ずしもその全てが、今後に起こる未来の正確な出来事やその究極の結末(とどめの最后(最期))、また救われるためにはどうすればよいのかといった対処の仕方や救済の方法や道(この先どうしたらよいかと云ふ事は、神のマコトの道知らす所)を分かっている訳ではないらしいことと、その後に移行するとされる「元の神世」に移り変わるギリギリの仕組みについては高級神霊でも、そのほとんどが分からないことだという[31]。
ーこの移行する世界「みろくの世」(ミロクの世)と神霊が呼ぶ理想世界が来るー
また、この移行する世界「みろくの世」(ミロクの世)と神霊が呼ぶ理想世界が来る前には我々が住むこの現界でもこうした肝心な事が何もわからない神(低級な神)や霊に憑かれた、又は繋がった怪しげな予言者や神懸り、霊懸りした宗教家(低級な神や霊が懸った宗教家)や指導者(同じく低級な神や霊が懸った霊能者やチャネラー)などが多く現れて、世の人を惑わすらしいと記されている次のような帖もある。
「夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、勝手放題にまぜくり返すなれど、それもしばらくの狂言。」(星座之巻第十八帖)
「世、迫って、霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢや。悪かみかかりに迷ふでないぞ。サニワ(審神)せよ。外はウソが多いぞ。内の声ウソないぞ。カミカカリ(神懸り)が沢山出来て来て、わけの分らんことになるから、早く此の理(道)をひらいて呉れよ。」(春の巻第二帖。上つ巻第三十九帖)
ー判らなくなれば神示見よー
「色々のお告げ出ると申してあらうが。今その通りぢゃ。お告に迷ふぞ。審神して聞け。判らなくなれば神示見よ。」(黄金の巻第四十五帖)
「心して怪しと思ふことは、たとへ神の言葉と申しても一応は考へよ。神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん。サニワせよ。薬、毒となることあると申してあらうが。馬鹿正直、まことの道見失ふことあると申してあらうが。」(黄金の巻第二十九帖)
ー「まことの道」を見失ってしまうことにもなるー
で書記され、こうした惑わしや混乱も一時的で束の間の今しばらくのものでしかないこと。そして、世に出ている色々なお告げに対しても(たとえ、それが神(高級神霊)からのお告げや言葉であっても)、馬鹿正直に何の疑問も持たずに鵜呑みにして信じるのではなく、自分自身で良くサニワ(審神)、見極めて取捨し、惑わされることがないようにすることが肝要なのだと語られている。神示にあるように馬鹿正直も程を過ぎると「まことの道」を見失ってしまうことにもなるという。
なお、審神の方法については、「龍音之巻」(参20)第三帖で
「世界中が霊かかりとなると申してあるのは今のことであるぞ、かかりてゐる世界自身わからなくなっているぞ、サニワせねばならん、サニワの方法書き知らすぞ。世界を、日本を、自分をサニワせねばならん。」
と述べられ、サニワ(審神)の重要性とそれに続く帖で審神の方法や知識が記されている(これらの一端については上記の「霊界と現界の関係」の節で記す)。
ー「実際に病人、病気を治す」などの役割を持つ現界の人間も存在するー
しかし、こうした悪神懸りの人間が多く現れる一方で、「小さい事はサニワで家来の神神様から知らすのであるから、その事忘れるなよ」(下つ巻第二十六帖)や「ひむかとは神を迎えることぞ、ひむかはその使ひ(使い)ぞ。ひむかのお役は人の病をなほして(治して)神の方へ向けさすお役ぞ」(上つ巻第五帖)と書記されている帖もあり、大きなことではなくても、国常立尊の眷属の神霊やその系統の神霊による知らせやお告げ、病気治しなどの働きとそうした媒介や実践行動(神霊からの知らせやお告げを受けたり、また、それを世に知らせていく、実際に病人、病気を治す)などの役割を持つ現界の人間も存在するらしいことが述べられている。
過去六度の建替と今後の七度目で最終最後の大建替
ー大災厄と大変動が始まりのうちには起こるー
神示には過去にも世の建替は六度あったとあり、今後に起こるとされる大建替で七度目だという。そして、これが最後なのだとも書記されている。過去六度のそれぞれについてはその全てが現界のみの建替でしかなく、うわべだけの神示で言う「膏薬張り」のような建替の繰り返しであった為、根本的な大建替にはならず、すぐに元に戻り永続しなかったのだという。そして、今後に起こるとされる大建替では過去にあったそれらとは全く異なり、この現界はもちろんの事、神界、霊界、幽界等も含めた全ての世界に起こり、天明が最初に麻賀多神社の社務所で書記させられたように、文字通り「この世始まって二度とない苦労である」なるような途方もない大災厄と大変動が始まりのうちには起こるのだという。
「松の巻」第十二帖では
「前にも建替はあったのざが、三千世界の建替ではなかったから、どの世界にでも少しでも曇りあったら、それが大きくなって悪は走れば、苦労に甘いから、神々様でも、悪に知らず知らずなって来るのざぞ。それで今度は元の生神が天晴れ現はれて、悪は影さへ残らぬ様、根本からの大洗濯するのぞ。」
「これまでの改造は膏薬張りざから、すぐ元にかへるのぞ。今度は今までにない、文にも口にも伝えてない改造ざから、臣民界のみでなく神界も引っくるめて改造するのざから、この方らでないと、そこらに御座る守護神さまには分らんのぞ。」(天つ巻第二帖)
ー神神様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざからー
「今度は世界中、神神様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチヨロコイ事ではないのざぞ。ぶち壊し出来ても建直し分かるまいがな。日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、神にすがりて神の申す通りにするより外には道ないぞ。大地震、ヒ(火)の雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれ(逃れ)ようとて、神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。」(天つ巻第四帖。富士の巻第二十帖。紫金之巻第五帖)
ー今度は世界のみか、三千世界つぶれる所まで行かなならんのざからー
「戦ばかりでないぞ、天災ばかりでないぞ、上(天界)も潰れるぞ、下(現界)も潰れるぞ、つぶす役は誰でも出来るが、つくりかためのいよいよのことは、神神様にも分りては居らんのざぞ。今度は世界のみか、三千世界つぶれる所まで行かなならんのざから、くどう申してゐるのざぞ。」(同じく「天つ巻」第二帖。三ラの巻(そらの巻)第十帖)
ー臣民の道は固より、獣の道もつくりかへぞー
「死ぬか生るかは人民ばかりでないぞ、神々様も森羅万象の悉くが同様であるぞ、しばらくの生みの苦しみ。今度は神の道もさっぱりとつくりかへるのざぞ。臣民の道は固より、獣の道もつくりかへぞ。この世一切のことを建替へるのぢゃ、神の道も変へるぞ、心のおき所も変へるぞ。」(至恩之巻第十三帖。松の巻第八帖。|三の巻(ウミの巻)第十三帖)
「今度は三千世界が変るのであるから今迄のようなタテカへ(建替)ではないのであるぞ。」(扶桑の巻第一帖)
と述べられ、今までの建替とは違い三千世界すべてに渡って起こる大災厄と大変動を伴った大建替、大建直になる事と国常立尊をはじめとした一部の高級神霊しか、それらの仕組みが分らないらしいことがここでも述べられている。
また、今度の建替と建直については次のように述べられている帖もある。
「建替と申すのは、神界、幽界、顕界(現界)にある今までの事をきれいに塵一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざぞ。建直と申すのは、世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。御光の世にすることぞ。」(水の巻第十二帖)
ー天地のビックリ箱とはそのことざぞー
「天地引くるめて大建替いたすのぢゃ。天地のビックリ箱とはそのことざぞ。この方でもだうにもならん元のキの道ぢゃぞ[36]。これまでは道はいくらもあったのぢゃが、これからの道は善一筋ざぞ。」(一八(いは)の巻第三帖)
ーも一つキの世にせなならんのざからー
「この先もう建替出来んギリギリの今度の大建替ぢゃ。愈々の建替ざから、もとの神代よりも、もう一つキの光輝く世とするのぢゃから、中々に大層ざぞ。途中から出来た道では今度と云ふ今度は間に合はんのざぞ。元の根本の世より、も一つキの世にせなならんのざから、神々様にも見当取れんのぢゃ、元の生神でないと、今度の御用出来んぞ。」(一八(いは)の巻第二帖。カゼの巻第八帖)
「今度は根本からの建直しで末代続くのぢゃから間に合はん道理わかるであらうがな。今度はとことはに(常永遠に)変らぬ世に致すのざから、世の元の大神でないと分らん仕組ざ。」(一八(いは)の巻第二帖。上つ巻第二十一帖)
ー昔に存在したとされる神世以上の想像を絶する光の世界へ移行ー
とあり、今度の建替が最終最後の大建替となり根本からあらゆる世界に及ぶ事とその後の大建直では、昔に存在したとされる神世以上の想像を絶する光の世界へ移行。そして、その世界が永遠に続くことが書記されている。
そして、その世界の一端について神示には
ー次の世がミロクの世、天も晴れるぞ、地も輝くぞー
「次の世がミロクの世、天も晴れるぞ、地も輝くぞ、天地一(ひとつ)となってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、あな爽け、あなすがすがし、あな面白や。」( んめの巻(梅の巻)第十七帖)
ー神代になりたら天地近うなるぞ、天も地も一つになるのざぞー
「神代になりたら天地近うなるぞ、天も地も一つになるのざぞ、今の人民には分るまいなれど、神も人も一つ、上も下も一つとなって自ら区別出来て一列一平上下出来るのぢゃ。」(同巻第十六帖)
ー影ないうれしうれしの世ー
「来るべき世界が、半霊半物、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世であるから、人民も浄化行せねばならん、大元の道にかへり、歩まねばならん、今迄のやうな物質でない物質の世となるのであるぞ。」(星座之巻第十二帖)
ーマコトでもって洗濯すれば霊化されるー
「マコトでもって洗濯すれば霊化される、半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん、今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ、灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生れつつあるのぞ。岩戸ひらきとはこのことであるぞ、少し位は人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ、大弥栄の仕組み。」(五葉之巻第十六帖)
ー八の世界から十の世界になるー
「八の世界から十の世界になるのであるから、今迄の八方的な考へ方、八方的な想念や肉体では生きては行かれんのであるぞ、十方的想念と肉体でなくてはならんぞ。八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変るのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ、今迄は時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。今迄の岩戸ひらきと同様でない、末代に一度の大岩戸ひらきぢゃ。千引(ちびき)岩戸を開くことについて、神は今まで何も申さないでいたのであるなれど、時めぐり来て、その一端をこの神示で知らすのであるぞ。」(至恩之巻第十三帖。同巻第十四帖。紫金之巻第十帖)
と書記されている。
次の章で詳しく解説します。
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