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第九巻
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【日月神示第一巻 上つ巻】
ー(ひふみ神示 第二十一帖 (二一))ー
「世の元の大神の仕組といふものは、神々にも分らん仕組であるぞ、この仕組 分りてはならず分らねばならず、なかなかに六ヶ敷い仕組であるぞ、知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ。外国がいくら攻めて来るとも、世界の神々がいくら寄せて来るとも、ぎりぎりになりたら神の元の神の神力出して岩戸開いて一つの王で治める神のまことの世に致すのであるから、神は心配ないなれど、ついて来れる臣民少ないから、早う掃除して呉れと申すのぞ、掃除すれば何事も、ハッキリと映りて楽なことになるから、早う神の申すやうして呉れよ。今度はとことはに変らぬ世に致すのざから、世の元の大神でないと分らん仕組ざ。
洗濯できた臣民から手柄立てさしてうれしうれしの世に致すから、神が臣民にお礼申すから、一切ごもく捨てて、早う神の申すこと聞いて呉れよ。因縁の身魂は何うしても改心せねばならんのざから、早う改心せよ、おそい改心なかなか六ヶ敷ぞ。神は帳面につける様に何事も見通しざから、神の帳面間違ひないから、神の申す通りに、分らんことも神の申す通りに従ひて呉れよ。初めつらいなれど だんだん分りて来るから、よく言うこと聞いて呉れよ、外国から攻めて来て日本の国丸つぶれといふところで、元の神の神力出して世を建てるから、臣民の心も同じぞ、江戸も昔のやうになるぞ、神の身体から息出来ぬ様にしてゐるが、今に元のままにせなならんことになるぞ。
富士から三十里四里離れた所(注釈1)へ祀りて呉れよ、富士にも祀りて呉れよ、富士はいよいよ動くから、それが済むまでは三十里離れた所へ、仮に祀りて置いて呉れよ。富士は神の山ざ、いつ火を噴くか分らんぞ、神は噴かん積りでも、いよいよとなれば噴かなならんことがあるから、それまでは離れた所へ祀りて呉れよ、神はかまはねど、臣民の肉体大切なから、肉体もなくてはならんから、さうして祀りて呉れ。まつりまつり結構。六月の二十八日、ひつ九のか
【日月神示 第一巻 上つ巻原訳】
ー(ひつき神示 第二七帖 (二七))ー
「何もかも世の元から仕組みてあるから神の申すところへ行けよ。
元の仕組は富士ぞ、次の仕組は艮三十里四里、次の仕組の山に行きて開いて呉れよ。
今は分るまいが、やがて結構なことになるのざから、行きて神祀りて開いて呉れよ。
細かく知らしてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、臣民は子ざから、子に手柄さして親から御礼申すぞ。
行けば何もかも善くなる様に、昔からの仕組してあるから、何事も物差しで測った様に行くぞ。」
ー(地球の地軸が動く!暗示•警告)ー
「天地がうなるぞ、上下引繰り返るぞ。
悪の仕組にみなの臣民だまされてゐるが、もう直ぐ目さめるぞ。
目さめたらたづねてござれ、この神のもとへ来てきけば、何でも分かる様に神示で知らしておくぞ。」
「秋立ちたら淋しくなるぞ、淋しくなりたらたづねてござれ。」
「我を張ってゐると、いつまでも分らずに苦しむばかりぞ。」
「この神示も身魂により何んなにでも、とれるやうに書いておくから、取り違ひせんやうにして呉れ。」
「三柱(注釈1)と七柱(注釈2)揃うたら山に行けよ。」
(注釈1)
『三柱の神』とは、日本神話における天地創造の始まりに登場する三柱の神である。
天之御中主神。日本神話における創造神のことであり、神話時代の系譜の中で最初に現れる神で、天地開闢の章に登場する。
高御産巣日神。
神産巣日は日本神話に登場する神。別天津神・造化三神のうちの一柱。
上記の三柱の神々を指す。これらの神々は造化三神と総称され、宇宙の生成と秩序の源とされている。
抑々造化三神は、『古事記』の冒頭で天地開闢の際に最初に現れた神々とされる。
天之御中主神は最初に現れた神で、宇宙の根源となる存在とされる。
高皇産霊神は天之御中主神の次に現れ、創造・生成力を司る神である。
神産巣日神は高皇産霊神と共に現れ、神聖な霊力を生み出す神とされている。
これらの三柱の神々は、いずれも独神であり、男女の区別がないとされる。『古事記』では、現れた後すぐに身を隠したと記述されており、その存在は謎めいている。
造化三神を主祭神として祀る神社を下記に記す。
天之御中主神社(妙見神社): アメノミナカヌシノカミを祀っている。
東京大神宮: 結びの働きを司る神様も祀られており、縁結びで有名。
サムハラ神社: 三柱の神々を主祭神としている。
タカミムスビノカミとカミムスビノカミは、その後の神話の展開に於いて重要な役割を果たす。特にタカミムスビノカミは、天照大御神の相談役として高天原で重要な位置を占めていた。
(注釈2)
『古事記』では、別天津神の次に現れた十二柱七代の神を神世七代としている。最初の二代は一柱で一代、その後は二柱で一代と数えて七代とする。
最初の二代は一柱で一代と数える。
◎国之常立神
◎豊雲野神
二柱で一代と数える。
◎宇比地邇神
◯須比智邇神
◎角杙神
◯活杙神
◎意富斗能地神
◯大斗乃弁神
◎淤母陀琉神
◯阿夜訶志古泥神
◎伊邪那岐神
◯伊邪那美神
◎が男神、◯が女神)
七月一日、ひつ九のか三。
ー(ひふみ神示 第二十七帖(ニ))ー
「この世の全てのものは太古の神代の昔からの元々の仕組みの中にあるのだから、神の云うところに行くことである。
太古の神代の仕組みは「富士の仕組み」。
次の仕組みは富士から見て丑虎の方向へ三十里四里。」
「今は理解出来ないだろうが山を開くことによって、やがて吉事になるのだから行って神を祀りなさい。
本当は細かく事情を教えてあげたいけれど、それではお前たち臣民の手柄ではなくなってしまう。」
「臣民は神にとっては子も同然だから、子に手柄をとらせて親である神から礼を言うぞ。」
「その方向に行って山を開けば、何もかも善くなるように昔から仕組みにしてあるので、何事も物差しで測ったように忠実に動き出すぞ。」
「地軸動くぞ。天地がうなるぞ。 上下がひっくり返るぞ。地が上に隆起するぞ。地が下に下がるぞ。海の中に沈むぞ。地でのここるのは日本列島だけだそ。世界五大陸はみな海に沈むぞ。」
「今は悪の仕組みに臣民がみんな騙されているが、その者たちももうすぐ目が覚めるぞ。
目が覚めたら神を尋ねて来いよ。」
「ここの神の元へ行って聞けば、何もかも理解出来るように神示で知らせておくぞ。」
「立秋(昭和19年8月8日)になったら侘びしくなるぞ。侘びしくなったら神を尋ねて来いよ。」
「意地を張っていると、いつまでも神を理解できずに苦しみ続ける事になるぞ。」
「この神示もそれぞれの身魂により、どのようにでも解釈できるように書いておくから、身魂を磨いた者は意味を取り間違わないようにしておくれ。」
「三柱と七柱が揃ったら山に行きなさい。」
ー(ここには岡本天明らが祀るべき場所が指示されている。)ー
そこで、地図を作って富士から丑寅の方向を調べてみた。
上記の画像を参考にして欲しい。
この画像はweb上から引用した。
ご了承願いたい。
富士山から、30里+4里の場所は関東平野の平地になる。
よく、富士山から直線距離で測ったものを地図として掲示しているサイトがあるがひふみの神は常に人が動いて(徒歩で)測れる感覚で教えてくれていることを考えると、衛星写真の直線距離で範囲を決めるとは、ちょっと考えにくい。
ひふみ神示第21帖でも解説しているが、ここで云う「里」は、あくまで人間が徒歩で街道を歩いた距離と解釈した方が妥当である。
この『ひふみ神示』は誰でも分かるように、と何度も注意を促しているから、幼い子供でも、地理を習ったことのないお年寄りでも理解出来るように、実体験できる実際の距離を教えてくれている、私は考えている。
これは実際に街道を歩いて実感できる三十里なのであって、地図上の三十里ではないと云うことである。
それを踏まえた上で調べると、先ほどご紹介した地図になり関東平野ということが分かる。
結婚から申し上げると富士は噴火しても関東平野にはあまり被害がないと、いうことだ。
何故なら日月神示には「富士にも神を祀り富士から艮の方角に三十里と四里離れた場所にも祀れ。」と記述があるからだ。
「この地図では第二十一帖で推測した「皇居」は「丑寅」の範囲から外れている。
これは、この解釈が間違っているというわけではなく、「第二十一帖では丑寅という記述がなかったから」というのが正しい解釈だ。
前回の解釈が正しいのであれば、つまり今回はその皇居とは別の事を示唆していることになる。
だが、指定された範囲には「山」がほとんど存在しない。
「神示が云うことには間違いはない。」と、ひふみ神示は何度も念を押している。
しかし、「何通りにも読める」とも云っている。
そのことを踏まえた上で、もう一度よく読んでみると。次の仕組は艮の三十里四里、次の仕組の山に行きて開いて呉れよ」とある。
通常の高い山は、昔から信仰の対象として頂上は「聖地」とされてきた。これはつまり、「その山はすでに開いている。」という証でもある。
ここでは「新しく開いてほしい。」と云っているので、「この時点ではまだ開かれていない場所を指している。」と解釈するのが妥当だということになる。
関東平野では山はほとんどない。
小さな丘程度のものはあるが必ずしも神が祀られているわけではないし、単に土を持っただけのところも数多く存在する。
ひふみ神示はそのことを云っているのかもしれない。と推測を立てて、改めて「冨士浅間神社」をこの範囲内で調べてみると、一つの市内だけでも多くの浅間神社がひっとした。あの木花之佐久夜毘売を祀る神社である。
その多くは小さな社程度のものが多い。基本的には昭和的な造りをしていてあまり古さを感じない。
そして、稲荷神社と八幡神社も数多く存在する。
これらも造りは割と新しいもので、彫刻物は殆どなく、戦後に急ぎ造ったか、地域で少しずつ資金を出し合って造った感じのものが多い。
東伏見稲荷神社や富岡八幡宮。
「山を開く」の「山」とは、ここでは富士山のことを指している。「富士の神を開く」と解読出来る。
富士の神を開いて設置すれば、すなわちそこが「富士の仮宮」となり、「富士の仮宮は富士山の一部」と解釈すれば、冨士浅間神社を設置することは「富士山を開く」ことになる。
ひふみ神示には「この平野部に富士の山がほしい」と云っている。
そして、「その神社を造って祀った臣民たちに、手柄と褒美を与える。」と云っている。
「個人が造っては個人の手柄になる」と云っているので、神が造る場合は実際に山を形成することになるのだと思われる。そうしなければ、神が造ったかどうは太古の神代の神には判別出来まい。
臣民が造る場合は、「臣民 自らが冨士浅間神社に御神符を取りに行き、社(やしろ)を造って納めよ。」ということだ。
そして「三十里四里」という言葉の解釈。
次の文に「天地がうなるぞ、上下引繰り返るぞ。」とありますが、この地図上の地域で、そのような大きな災害は起きていません。
確かに、埼玉から東京湾に至る範囲は「東京大空襲」によって焼け野原にされた範囲でもあるが上下はひっくり返ったものの、天地はうなっていない。
【 天地がうなるぞ、上下引繰り返るぞ。 】
この言葉で私が想像したのは「東日本大震災」のことであった。
東日本大震災は、地図でもお分かりいただけるように、まさに「富士山から見た丑寅の方角」で発生している。
この帖では「東京大空襲」と「東日本大震災」の両方を念頭に入れた警告がなされている、と考えた方がよいのかもしれない。
日月神示は、「一つの文章で多くの解釈をせよ。」と云っているので、逆に一つの解釈だけにこだわると読み解く目が曇ってしまう。そこに日月神示の難解さがある。
しかし身魂磨きの出来た人は容易に理解することが出来るであろう。
もしかしたら、さらなる解釈が存在するかもしれない。
「東日本大震災」も解釈の中に入れるとなると、富士山から「三十里」というのはちょっと無理がある解釈になる。
この「三十里四里」とは、実は距離を示唆している訳ではないのかも。
あらためて読み解いてみると、「三十里」とは「見通り」とも読める。
これまでも、数字は他の読み方をしてきた。ここだけ「実質的な距離」と決めてしまうのは逆に不自然。
「三十里=見通り」なのであれば「四里」は「知り」と読むのではないかとも思う。
「三十里四里」とは「見通り知り得る範囲」と云うことになる。
「 三十里四里 = 見通り知り得る範囲 」とは、「富士山から見渡せる限りの丑寅の方向全体」ということではないでしょうか?
このように解釈すれば、東日本大震災の件も含んで「この範囲には天地がひっくり返るようなことが起こる。後々、理解できる。」と云っているのも頷ける。
「上下引繰り返るぞ。」とは、その言葉通りに陸が海になり、海が陸になることを示唆している。これは地軸が動くという警告だ!
さらに、人間の上下関係にも言及しているので、それまで上にいた者たちが下に下ろされ、下にいた人々が上にのし上がることも含めている。
第二次世界大戦に敗北した日本を占領した連合国軍の最高司令官総司令部が日本を実質的に支配し、それまでの日本人の価値観を変えてしまった。しかしGHQが去った後は、また再び別の形で日本政府はアメリカという大国の圧力を受けている。
「悪の仕組にみなの臣民だまされてゐるが」とは、「欧米民主主義」を指している。
この日本人の価値観は東日本大震災でも変化している。
日月神示では「もう直ぐ目さめるぞ、目さめたらたづねてござれ、この神のもとへ来て聞けば何でも分かる様に神示で知らしておくぞ。」と記述がある。
敗戦によってこれらが身にしみた人々と、東日本大震災の被害によってこれらが身にしみた人々、それぞれの心の目が醒めて臣民は神のもとを尋ねるようになる、と神示は予言している。
「臣民は私たち神にとっては子も同然だから、子に手柄をとらせて親である神から礼を言うぞ」とある。終戦で目が覚めた人々には「繁栄」というご褒美がすでに与えられている。東日本大震災で目が覚めた人々には「絆」というご褒美が与えれた。
そして今現在でも、神社に足を運ぶようになった日本人は続々と増えている。
木ノ花咲耶姫は稀代の美人である。天照大御神の孫邇邇芸命が一目惚れして妻にしたのだから。
古事記でも、木ノ花咲耶姫は美人で通っており、木ノ花咲耶姫と磐長姫は姉妹揃って邇邇芸命に輿入れ(結婚)したのですが、磐長姫はその見た目が醜い(みにくい)とのことで実家に帰された。
しかし、木ノ花咲耶姫は美しい分、寿命が短く、そのために人間の寿命は短くなったと言われています。磐長姫は岩に苔がむすほどに長寿のため、別名を「苔牟須売日命」と言う。
ー(ひふみ神示 第二十一帖 (二一))ー
「世の元の大神の仕組といふものは、神々にも分らん仕組であるぞ、この仕組 分りてはならず分らねばならず、なかなかに六ヶ敷い仕組であるぞ、知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ。外国がいくら攻めて来るとも、世界の神々がいくら寄せて来るとも、ぎりぎりになりたら神の元の神の神力出して岩戸開いて一つの王で治める神のまことの世に致すのであるから、神は心配ないなれど、ついて来れる臣民少ないから、早う掃除して呉れと申すのぞ、掃除すれば何事も、ハッキリと映りて楽なことになるから、早う神の申すやうして呉れよ。今度はとことはに変らぬ世に致すのざから、世の元の大神でないと分らん仕組ざ。
洗濯できた臣民から手柄立てさしてうれしうれしの世に致すから、神が臣民にお礼申すから、一切ごもく捨てて、早う神の申すこと聞いて呉れよ。因縁の身魂は何うしても改心せねばならんのざから、早う改心せよ、おそい改心なかなか六ヶ敷ぞ。神は帳面につける様に何事も見通しざから、神の帳面間違ひないから、神の申す通りに、分らんことも神の申す通りに従ひて呉れよ。初めつらいなれど だんだん分りて来るから、よく言うこと聞いて呉れよ、外国から攻めて来て日本の国丸つぶれといふところで、元の神の神力出して世を建てるから、臣民の心も同じぞ、江戸も昔のやうになるぞ、神の身体から息出来ぬ様にしてゐるが、今に元のままにせなならんことになるぞ。
富士から三十里四里離れた所(注釈1)へ祀りて呉れよ、富士にも祀りて呉れよ、富士はいよいよ動くから、それが済むまでは三十里離れた所へ、仮に祀りて置いて呉れよ。富士は神の山ざ、いつ火を噴くか分らんぞ、神は噴かん積りでも、いよいよとなれば噴かなならんことがあるから、それまでは離れた所へ祀りて呉れよ、神はかまはねど、臣民の肉体大切なから、肉体もなくてはならんから、さうして祀りて呉れ。まつりまつり結構。六月の二十八日、ひつ九のか
【日月神示 第一巻 上つ巻原訳】
ー(ひつき神示 第二七帖 (二七))ー
「何もかも世の元から仕組みてあるから神の申すところへ行けよ。
元の仕組は富士ぞ、次の仕組は艮三十里四里、次の仕組の山に行きて開いて呉れよ。
今は分るまいが、やがて結構なことになるのざから、行きて神祀りて開いて呉れよ。
細かく知らしてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、臣民は子ざから、子に手柄さして親から御礼申すぞ。
行けば何もかも善くなる様に、昔からの仕組してあるから、何事も物差しで測った様に行くぞ。」
ー(地球の地軸が動く!暗示•警告)ー
「天地がうなるぞ、上下引繰り返るぞ。
悪の仕組にみなの臣民だまされてゐるが、もう直ぐ目さめるぞ。
目さめたらたづねてござれ、この神のもとへ来てきけば、何でも分かる様に神示で知らしておくぞ。」
「秋立ちたら淋しくなるぞ、淋しくなりたらたづねてござれ。」
「我を張ってゐると、いつまでも分らずに苦しむばかりぞ。」
「この神示も身魂により何んなにでも、とれるやうに書いておくから、取り違ひせんやうにして呉れ。」
「三柱(注釈1)と七柱(注釈2)揃うたら山に行けよ。」
(注釈1)
『三柱の神』とは、日本神話における天地創造の始まりに登場する三柱の神である。
天之御中主神。日本神話における創造神のことであり、神話時代の系譜の中で最初に現れる神で、天地開闢の章に登場する。
高御産巣日神。
神産巣日は日本神話に登場する神。別天津神・造化三神のうちの一柱。
上記の三柱の神々を指す。これらの神々は造化三神と総称され、宇宙の生成と秩序の源とされている。
抑々造化三神は、『古事記』の冒頭で天地開闢の際に最初に現れた神々とされる。
天之御中主神は最初に現れた神で、宇宙の根源となる存在とされる。
高皇産霊神は天之御中主神の次に現れ、創造・生成力を司る神である。
神産巣日神は高皇産霊神と共に現れ、神聖な霊力を生み出す神とされている。
これらの三柱の神々は、いずれも独神であり、男女の区別がないとされる。『古事記』では、現れた後すぐに身を隠したと記述されており、その存在は謎めいている。
造化三神を主祭神として祀る神社を下記に記す。
天之御中主神社(妙見神社): アメノミナカヌシノカミを祀っている。
東京大神宮: 結びの働きを司る神様も祀られており、縁結びで有名。
サムハラ神社: 三柱の神々を主祭神としている。
タカミムスビノカミとカミムスビノカミは、その後の神話の展開に於いて重要な役割を果たす。特にタカミムスビノカミは、天照大御神の相談役として高天原で重要な位置を占めていた。
(注釈2)
『古事記』では、別天津神の次に現れた十二柱七代の神を神世七代としている。最初の二代は一柱で一代、その後は二柱で一代と数えて七代とする。
最初の二代は一柱で一代と数える。
◎国之常立神
◎豊雲野神
二柱で一代と数える。
◎宇比地邇神
◯須比智邇神
◎角杙神
◯活杙神
◎意富斗能地神
◯大斗乃弁神
◎淤母陀琉神
◯阿夜訶志古泥神
◎伊邪那岐神
◯伊邪那美神
◎が男神、◯が女神)
七月一日、ひつ九のか三。
ー(ひふみ神示 第二十七帖(ニ))ー
「この世の全てのものは太古の神代の昔からの元々の仕組みの中にあるのだから、神の云うところに行くことである。
太古の神代の仕組みは「富士の仕組み」。
次の仕組みは富士から見て丑虎の方向へ三十里四里。」
「今は理解出来ないだろうが山を開くことによって、やがて吉事になるのだから行って神を祀りなさい。
本当は細かく事情を教えてあげたいけれど、それではお前たち臣民の手柄ではなくなってしまう。」
「臣民は神にとっては子も同然だから、子に手柄をとらせて親である神から礼を言うぞ。」
「その方向に行って山を開けば、何もかも善くなるように昔から仕組みにしてあるので、何事も物差しで測ったように忠実に動き出すぞ。」
「地軸動くぞ。天地がうなるぞ。 上下がひっくり返るぞ。地が上に隆起するぞ。地が下に下がるぞ。海の中に沈むぞ。地でのここるのは日本列島だけだそ。世界五大陸はみな海に沈むぞ。」
「今は悪の仕組みに臣民がみんな騙されているが、その者たちももうすぐ目が覚めるぞ。
目が覚めたら神を尋ねて来いよ。」
「ここの神の元へ行って聞けば、何もかも理解出来るように神示で知らせておくぞ。」
「立秋(昭和19年8月8日)になったら侘びしくなるぞ。侘びしくなったら神を尋ねて来いよ。」
「意地を張っていると、いつまでも神を理解できずに苦しみ続ける事になるぞ。」
「この神示もそれぞれの身魂により、どのようにでも解釈できるように書いておくから、身魂を磨いた者は意味を取り間違わないようにしておくれ。」
「三柱と七柱が揃ったら山に行きなさい。」
ー(ここには岡本天明らが祀るべき場所が指示されている。)ー
そこで、地図を作って富士から丑寅の方向を調べてみた。
上記の画像を参考にして欲しい。
この画像はweb上から引用した。
ご了承願いたい。
富士山から、30里+4里の場所は関東平野の平地になる。
よく、富士山から直線距離で測ったものを地図として掲示しているサイトがあるがひふみの神は常に人が動いて(徒歩で)測れる感覚で教えてくれていることを考えると、衛星写真の直線距離で範囲を決めるとは、ちょっと考えにくい。
ひふみ神示第21帖でも解説しているが、ここで云う「里」は、あくまで人間が徒歩で街道を歩いた距離と解釈した方が妥当である。
この『ひふみ神示』は誰でも分かるように、と何度も注意を促しているから、幼い子供でも、地理を習ったことのないお年寄りでも理解出来るように、実体験できる実際の距離を教えてくれている、私は考えている。
これは実際に街道を歩いて実感できる三十里なのであって、地図上の三十里ではないと云うことである。
それを踏まえた上で調べると、先ほどご紹介した地図になり関東平野ということが分かる。
結婚から申し上げると富士は噴火しても関東平野にはあまり被害がないと、いうことだ。
何故なら日月神示には「富士にも神を祀り富士から艮の方角に三十里と四里離れた場所にも祀れ。」と記述があるからだ。
「この地図では第二十一帖で推測した「皇居」は「丑寅」の範囲から外れている。
これは、この解釈が間違っているというわけではなく、「第二十一帖では丑寅という記述がなかったから」というのが正しい解釈だ。
前回の解釈が正しいのであれば、つまり今回はその皇居とは別の事を示唆していることになる。
だが、指定された範囲には「山」がほとんど存在しない。
「神示が云うことには間違いはない。」と、ひふみ神示は何度も念を押している。
しかし、「何通りにも読める」とも云っている。
そのことを踏まえた上で、もう一度よく読んでみると。次の仕組は艮の三十里四里、次の仕組の山に行きて開いて呉れよ」とある。
通常の高い山は、昔から信仰の対象として頂上は「聖地」とされてきた。これはつまり、「その山はすでに開いている。」という証でもある。
ここでは「新しく開いてほしい。」と云っているので、「この時点ではまだ開かれていない場所を指している。」と解釈するのが妥当だということになる。
関東平野では山はほとんどない。
小さな丘程度のものはあるが必ずしも神が祀られているわけではないし、単に土を持っただけのところも数多く存在する。
ひふみ神示はそのことを云っているのかもしれない。と推測を立てて、改めて「冨士浅間神社」をこの範囲内で調べてみると、一つの市内だけでも多くの浅間神社がひっとした。あの木花之佐久夜毘売を祀る神社である。
その多くは小さな社程度のものが多い。基本的には昭和的な造りをしていてあまり古さを感じない。
そして、稲荷神社と八幡神社も数多く存在する。
これらも造りは割と新しいもので、彫刻物は殆どなく、戦後に急ぎ造ったか、地域で少しずつ資金を出し合って造った感じのものが多い。
東伏見稲荷神社や富岡八幡宮。
「山を開く」の「山」とは、ここでは富士山のことを指している。「富士の神を開く」と解読出来る。
富士の神を開いて設置すれば、すなわちそこが「富士の仮宮」となり、「富士の仮宮は富士山の一部」と解釈すれば、冨士浅間神社を設置することは「富士山を開く」ことになる。
ひふみ神示には「この平野部に富士の山がほしい」と云っている。
そして、「その神社を造って祀った臣民たちに、手柄と褒美を与える。」と云っている。
「個人が造っては個人の手柄になる」と云っているので、神が造る場合は実際に山を形成することになるのだと思われる。そうしなければ、神が造ったかどうは太古の神代の神には判別出来まい。
臣民が造る場合は、「臣民 自らが冨士浅間神社に御神符を取りに行き、社(やしろ)を造って納めよ。」ということだ。
そして「三十里四里」という言葉の解釈。
次の文に「天地がうなるぞ、上下引繰り返るぞ。」とありますが、この地図上の地域で、そのような大きな災害は起きていません。
確かに、埼玉から東京湾に至る範囲は「東京大空襲」によって焼け野原にされた範囲でもあるが上下はひっくり返ったものの、天地はうなっていない。
【 天地がうなるぞ、上下引繰り返るぞ。 】
この言葉で私が想像したのは「東日本大震災」のことであった。
東日本大震災は、地図でもお分かりいただけるように、まさに「富士山から見た丑寅の方角」で発生している。
この帖では「東京大空襲」と「東日本大震災」の両方を念頭に入れた警告がなされている、と考えた方がよいのかもしれない。
日月神示は、「一つの文章で多くの解釈をせよ。」と云っているので、逆に一つの解釈だけにこだわると読み解く目が曇ってしまう。そこに日月神示の難解さがある。
しかし身魂磨きの出来た人は容易に理解することが出来るであろう。
もしかしたら、さらなる解釈が存在するかもしれない。
「東日本大震災」も解釈の中に入れるとなると、富士山から「三十里」というのはちょっと無理がある解釈になる。
この「三十里四里」とは、実は距離を示唆している訳ではないのかも。
あらためて読み解いてみると、「三十里」とは「見通り」とも読める。
これまでも、数字は他の読み方をしてきた。ここだけ「実質的な距離」と決めてしまうのは逆に不自然。
「三十里=見通り」なのであれば「四里」は「知り」と読むのではないかとも思う。
「三十里四里」とは「見通り知り得る範囲」と云うことになる。
「 三十里四里 = 見通り知り得る範囲 」とは、「富士山から見渡せる限りの丑寅の方向全体」ということではないでしょうか?
このように解釈すれば、東日本大震災の件も含んで「この範囲には天地がひっくり返るようなことが起こる。後々、理解できる。」と云っているのも頷ける。
「上下引繰り返るぞ。」とは、その言葉通りに陸が海になり、海が陸になることを示唆している。これは地軸が動くという警告だ!
さらに、人間の上下関係にも言及しているので、それまで上にいた者たちが下に下ろされ、下にいた人々が上にのし上がることも含めている。
第二次世界大戦に敗北した日本を占領した連合国軍の最高司令官総司令部が日本を実質的に支配し、それまでの日本人の価値観を変えてしまった。しかしGHQが去った後は、また再び別の形で日本政府はアメリカという大国の圧力を受けている。
「悪の仕組にみなの臣民だまされてゐるが」とは、「欧米民主主義」を指している。
この日本人の価値観は東日本大震災でも変化している。
日月神示では「もう直ぐ目さめるぞ、目さめたらたづねてござれ、この神のもとへ来て聞けば何でも分かる様に神示で知らしておくぞ。」と記述がある。
敗戦によってこれらが身にしみた人々と、東日本大震災の被害によってこれらが身にしみた人々、それぞれの心の目が醒めて臣民は神のもとを尋ねるようになる、と神示は予言している。
「臣民は私たち神にとっては子も同然だから、子に手柄をとらせて親である神から礼を言うぞ」とある。終戦で目が覚めた人々には「繁栄」というご褒美がすでに与えられている。東日本大震災で目が覚めた人々には「絆」というご褒美が与えれた。
そして今現在でも、神社に足を運ぶようになった日本人は続々と増えている。
木ノ花咲耶姫は稀代の美人である。天照大御神の孫邇邇芸命が一目惚れして妻にしたのだから。
古事記でも、木ノ花咲耶姫は美人で通っており、木ノ花咲耶姫と磐長姫は姉妹揃って邇邇芸命に輿入れ(結婚)したのですが、磐長姫はその見た目が醜い(みにくい)とのことで実家に帰された。
しかし、木ノ花咲耶姫は美しい分、寿命が短く、そのために人間の寿命は短くなったと言われています。磐長姫は岩に苔がむすほどに長寿のため、別名を「苔牟須売日命」と言う。
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江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。
そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。
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さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。
「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。
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「たそかれ」という言葉は『万葉集』に
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」
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と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。
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と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。
なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。
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