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古事記は歴史書であると共に文学的な価値も非常に高く評価され、また日本神話を伝える神典の一つとして、神道を中心に日本の宗教文化や精神文化に多大な影響を与えています。
古事記に記述されている神々は、現在では多くの神社で祭神として祀られています。
一方文化的な側面は『日本書紀』よりも強く、創作物や伝承等で度々引用されるなど、世間一般への日本神話の浸透に大きな影響を与えているのも事実です。
私は幼少期、母からこの古事記について、教わったのです。
その為、近所の氏神さまである高諸神社にお詣りする為祖父に連れて行かれました。
そして、その御祭神が須佐之男命であることを知ったのです。
自宅に帰り、早速、台所に行き夕食の準備をしている母親に須佐男之命について、尋ねました。
すると高諸神社の由緒について詳しく教えて下さいました。
ー(高諸神社の由緒について)ー
新羅の王子が戦乱を逃れて日本へ向かう途中で台風に遭遇し今津の海岸に漂着しました。
地元の庄司田盛はこの王子を助け、自宅に引き取とり看病しましたが、看病の甲斐もなく王子はまもなく息を引き取られました。
その夜、田盛の夢枕に王子が現れます。
「我は須佐之男命である。我が携えている一振りの剣がある。それを祀れば、未来永劫、この地の臣民たちに福を齎すであろう。」
田盛はそのお告げに従い、さっそくこの地に社を建て、剣を「劔大明神として祀ったのです。
それ以降この神社は人々から「おつるぎさん」と親しまれ、以来およそ1300年に渡り今日まで受け継がれてきたのです。
この由来は、聖武天皇6年に記された『劔大明神由来記』に残されていましたが戦国時代の元亀3年、木梨の郷の杉原豪族により社殿と共に焼失したのです。
また、「おつるぎさんの市」は、潮の干満を利用して船で参拝し、市が開かれていたことから、「潮間の市」とも呼ばれていました。
ー(高諸神社について)ー
御祭神:須佐之男命
神社名:高諸神社
通称はおつるぎさん。
社格は延喜式内社。
創建は西暦676年(白鳳5年)~678年(白鳳7年)の創建である。
当時今津の豪族は蔵屋五郎八。
岡山の平家妹尾兼門
妹尾氏の先祖は中臣鎌足と云われている。大化改新で功績のあった鎌足は、朝廷から藤原姓を賜った。鎌足の流れ以外は大中臣氏を名乗り、一族から卜部氏が分かれ、卜部氏は京都吉田神社の社務職に補せられた。『徒然草』を著した兼好法師も一族である。
ー(妹尾氏、平家方として活躍)ー
卜部氏六代目の康遠は備前・備中・備後の領主となり、備中瀬尾城に拠り、地名に因んで瀬尾氏を名乗った。しかし、その子兼門は平治の乱に源義朝方となり、敗れて賊軍となってしまった。戦後、鳥羽上皇から発せられた院宣により、瀬尾姓は使用禁止となる。兼門の妹は白河天皇の寵愛を受けて、天皇の男子を生んだ。生まれた子は朝敵瀬尾氏の血を引くということで、平家の手で養育されることとなり、無事に成長、平家の有力武将の一人となった。これが有名な妹尾太郎兼康で、廃された瀬尾姓を「妹尾」と替えて名乗ったと伝える。一説には、平姓であるとするものもある。
太郎兼康は有能な地方政治家でもあったようで、新田を開発し、用水を整えている。特に、彼の築いた用水は「湛井十二ヶ郷用水」と呼ばれ、備中の広い範囲の潅漑用水として、後世に至るまで使用されている。
全盛を誇った平氏であったが、以仁王の宣旨によって諸国の源氏が挙兵。兼康は中央に召され、平家の大軍の一将として、源義仲の軍勢を越中国倶利加羅峠付近で迎え討った。この戦いは義仲による「火牛の奇襲作戦」で有名。平家軍は義仲の奇襲作戦の前に大敗し、兼康は義仲軍の將倉光三郎成澄に捕らえられてしまった。
捕えられた兼康は天皇の御落胤ということもあってか、一命を救われ、義仲とともに上洛。その後、寿永二年(1183)義仲が平家を追って山陽道を攻め下る際、先鋒倉光隊の道案内を務めた。ところが、兼康は備前国三石駅において義仲方を裏切り、倉光成澄、成氏の兄弟を殺害。兼康の裏切りを知った義仲軍は壮絶に攻めかかり、板倉宿付近でついに兼康とその子小太郎宗康は討ち取られてしまった。寿永三年のことであったという。おそらく、兼康は一旦義仲に降ったものの。家名断絶となったのを助けたうえに育ててくれた平家への忠誠心が、かれの裏切り行動となったものであろう。
ー(妹尾氏、断片を探る)ー
兼康の子孫についての詳細は不明である。板倉宿の戦の翌寿永四年、平家は長門国壇ノ浦で滅亡するが、この時、三種の神器の一つである鏡を拾い上げたのが妹尾太郎兼康だという言い伝えがある。しかし、前年に備前国板倉宿で木曽義仲軍と戦って死んだことになっている兼康が、壇ノ浦合戦に登場するのは後世の創作であろう。壇ノ浦話に登場するのは、兼康の子(長男宗康以外の)、又は宗康の子(兼康の孫)ではないか思われる。うじれにしても、兼康とその子孫の系譜は謎に包まれている。
室町期には足利氏に仕えた一族もいたようで、『見聞諸家紋』に、妹尾氏の紋として「七宝に菊」が収録されている。しかし、系譜・事歴等は詳らかではない。
ところで、兼康の次子に次郎兼吉という人物が居て、父と兄が板倉宿で討死したあと、家臣の陶山氏によって、備中国門田村の某方に匿われた。その後、美作国大庭郡古見村に居た旧臣に招かれて移住、のち鎌倉幕府北条氏に仕えたという。戦国時代に、兼吉の長男藤太兼高の子孫という妹尾與右衛門兼輝が出た。兼輝は宇喜多秀家に仕え、関ヶ原の合戦で宇喜多家が改易された後は、武士を捨てて勝南郡木知ヶ原村に移住した。兼輝の孫新左衛門兼昌は、津山城下に移住して商家となったと伝える。
一方、兼吉の次子又二郎氏康の子孫という妹尾氏があり、こちらも戦国末期に宇喜多家に仕え、宇喜多家改易後、津山藩森家や松平家に出仕したという。
さて、この妹尾家と蔵屋家は姻戚関係になりこの今津の地に未来永劫、幸せに暮らしているのである。
その末裔が妹尾正毅であり、元ノルウェー大使である。
また、作家蔵屋日唱もその一族の末裔である。
ご神木は柏の木(樹齢350年以上とされています)
古事記に記述されている神々は、現在では多くの神社で祭神として祀られています。
一方文化的な側面は『日本書紀』よりも強く、創作物や伝承等で度々引用されるなど、世間一般への日本神話の浸透に大きな影響を与えているのも事実です。
私は幼少期、母からこの古事記について、教わったのです。
その為、近所の氏神さまである高諸神社にお詣りする為祖父に連れて行かれました。
そして、その御祭神が須佐之男命であることを知ったのです。
自宅に帰り、早速、台所に行き夕食の準備をしている母親に須佐男之命について、尋ねました。
すると高諸神社の由緒について詳しく教えて下さいました。
ー(高諸神社の由緒について)ー
新羅の王子が戦乱を逃れて日本へ向かう途中で台風に遭遇し今津の海岸に漂着しました。
地元の庄司田盛はこの王子を助け、自宅に引き取とり看病しましたが、看病の甲斐もなく王子はまもなく息を引き取られました。
その夜、田盛の夢枕に王子が現れます。
「我は須佐之男命である。我が携えている一振りの剣がある。それを祀れば、未来永劫、この地の臣民たちに福を齎すであろう。」
田盛はそのお告げに従い、さっそくこの地に社を建て、剣を「劔大明神として祀ったのです。
それ以降この神社は人々から「おつるぎさん」と親しまれ、以来およそ1300年に渡り今日まで受け継がれてきたのです。
この由来は、聖武天皇6年に記された『劔大明神由来記』に残されていましたが戦国時代の元亀3年、木梨の郷の杉原豪族により社殿と共に焼失したのです。
また、「おつるぎさんの市」は、潮の干満を利用して船で参拝し、市が開かれていたことから、「潮間の市」とも呼ばれていました。
ー(高諸神社について)ー
御祭神:須佐之男命
神社名:高諸神社
通称はおつるぎさん。
社格は延喜式内社。
創建は西暦676年(白鳳5年)~678年(白鳳7年)の創建である。
当時今津の豪族は蔵屋五郎八。
岡山の平家妹尾兼門
妹尾氏の先祖は中臣鎌足と云われている。大化改新で功績のあった鎌足は、朝廷から藤原姓を賜った。鎌足の流れ以外は大中臣氏を名乗り、一族から卜部氏が分かれ、卜部氏は京都吉田神社の社務職に補せられた。『徒然草』を著した兼好法師も一族である。
ー(妹尾氏、平家方として活躍)ー
卜部氏六代目の康遠は備前・備中・備後の領主となり、備中瀬尾城に拠り、地名に因んで瀬尾氏を名乗った。しかし、その子兼門は平治の乱に源義朝方となり、敗れて賊軍となってしまった。戦後、鳥羽上皇から発せられた院宣により、瀬尾姓は使用禁止となる。兼門の妹は白河天皇の寵愛を受けて、天皇の男子を生んだ。生まれた子は朝敵瀬尾氏の血を引くということで、平家の手で養育されることとなり、無事に成長、平家の有力武将の一人となった。これが有名な妹尾太郎兼康で、廃された瀬尾姓を「妹尾」と替えて名乗ったと伝える。一説には、平姓であるとするものもある。
太郎兼康は有能な地方政治家でもあったようで、新田を開発し、用水を整えている。特に、彼の築いた用水は「湛井十二ヶ郷用水」と呼ばれ、備中の広い範囲の潅漑用水として、後世に至るまで使用されている。
全盛を誇った平氏であったが、以仁王の宣旨によって諸国の源氏が挙兵。兼康は中央に召され、平家の大軍の一将として、源義仲の軍勢を越中国倶利加羅峠付近で迎え討った。この戦いは義仲による「火牛の奇襲作戦」で有名。平家軍は義仲の奇襲作戦の前に大敗し、兼康は義仲軍の將倉光三郎成澄に捕らえられてしまった。
捕えられた兼康は天皇の御落胤ということもあってか、一命を救われ、義仲とともに上洛。その後、寿永二年(1183)義仲が平家を追って山陽道を攻め下る際、先鋒倉光隊の道案内を務めた。ところが、兼康は備前国三石駅において義仲方を裏切り、倉光成澄、成氏の兄弟を殺害。兼康の裏切りを知った義仲軍は壮絶に攻めかかり、板倉宿付近でついに兼康とその子小太郎宗康は討ち取られてしまった。寿永三年のことであったという。おそらく、兼康は一旦義仲に降ったものの。家名断絶となったのを助けたうえに育ててくれた平家への忠誠心が、かれの裏切り行動となったものであろう。
ー(妹尾氏、断片を探る)ー
兼康の子孫についての詳細は不明である。板倉宿の戦の翌寿永四年、平家は長門国壇ノ浦で滅亡するが、この時、三種の神器の一つである鏡を拾い上げたのが妹尾太郎兼康だという言い伝えがある。しかし、前年に備前国板倉宿で木曽義仲軍と戦って死んだことになっている兼康が、壇ノ浦合戦に登場するのは後世の創作であろう。壇ノ浦話に登場するのは、兼康の子(長男宗康以外の)、又は宗康の子(兼康の孫)ではないか思われる。うじれにしても、兼康とその子孫の系譜は謎に包まれている。
室町期には足利氏に仕えた一族もいたようで、『見聞諸家紋』に、妹尾氏の紋として「七宝に菊」が収録されている。しかし、系譜・事歴等は詳らかではない。
ところで、兼康の次子に次郎兼吉という人物が居て、父と兄が板倉宿で討死したあと、家臣の陶山氏によって、備中国門田村の某方に匿われた。その後、美作国大庭郡古見村に居た旧臣に招かれて移住、のち鎌倉幕府北条氏に仕えたという。戦国時代に、兼吉の長男藤太兼高の子孫という妹尾與右衛門兼輝が出た。兼輝は宇喜多秀家に仕え、関ヶ原の合戦で宇喜多家が改易された後は、武士を捨てて勝南郡木知ヶ原村に移住した。兼輝の孫新左衛門兼昌は、津山城下に移住して商家となったと伝える。
一方、兼吉の次子又二郎氏康の子孫という妹尾氏があり、こちらも戦国末期に宇喜多家に仕え、宇喜多家改易後、津山藩森家や松平家に出仕したという。
さて、この妹尾家と蔵屋家は姻戚関係になりこの今津の地に未来永劫、幸せに暮らしているのである。
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