儒教の教えと男尊女卑 虐げられた女性達! 二千年の歴史

蔵屋

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プロローグ

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 私の2026年の新年の幕開けです。
私はこの世界で女性をこよなく愛して来ました。それは私の父親から学びました。
私の父はあの織田信長のような人でした。
人望があり親分肌でした。しかもハンサムであった為女性にモテたのです。
しかも弁が立ち親父おやじを知る人達はいずれ国政に出て国会議員になり、日本国のリーダーになると期待されていました。
何故なら私の母親の家系が第五十八代内閣総理大臣池田勇人いけだはやとと濃いい血筋の姻戚関係にあったからです。
しかし、私の父は当時の東京大学法学部の出身ではなかったのです。
当時、国家議員に当選する最低限の条件は東京大学法学部を卒業していないと、相手にされなかったのです。
そんな中、親父の人生を奈落の底に叩き落とす出来事がありました。
 私の祖父の兄、妹尾隆一です。私の母の叔父です。
 妹尾隆一は池田総理大臣の従姉妹いとこである池田香代子と結婚していました。長男は妹尾正毅です。正毅は東京大学法学部を首席で卒業後、外務省に入省し、イギリスのオックスフォード大学に合格し、4年間、オックスフォード大学で全世界のエリートの学友と一緒に学びました。正毅はこのオックスフォード大学に於いても首席で卒業したのです。
正毅の帰国後は素晴らしい経歴をつくりました。
最初の外務省のスタートはシンガポール総領事、サンフランシスコ総領事、朝鮮半島極東課長、ペルー大使、帰国後、外務省領事移住部長、国連大使、ノルウェー大使を歴任しました。
 さて、正毅が私の父を政治の世界から奈落の底に突き落とした原因となったある出来事がありました。
それは私の父が松永青年団の団長に選出されその職責の演説中に起こりました。
父が壇上で演説していた内容を聴いていたある人物がいました。その人物とは私の祖父の兄、妹尾隆一です。
私の父が演説を終えた時、父の伯父である隆一は次のように言ったのです。
「東京大学法学部を卒業してないお前に政治の何が分かるか!馬鹿もの!二度と演説をするな!」と。
この一言であの偉大な親父は政治の世界から消えたのです。
それ以降、親父は人生に於いて一番大切なやる気を失くしたのです。
親父は働く気力をなくし、私達家族は路頭に迷い、仕方なく母親の実家である妹尾鶴三、つまり私の祖父ですがお世話になったのでした。

少し前置きが長くなりました。
ご了承願います。
さて、本題のテーマに戻します。

ー(女性差別について)ー

 女性差別じょせいさべつとは、女性に対する性差別です。男尊女卑だんそんじょひとも呼ばれます。
女性差別撤廃じょせいさべつてっぱいを目指す思想や運動をフェミニズムといいます。

ー(日本の男女格差について)ー

 さて、日本は、男女格差が世界で最も大きい国の一つです。
 世界経済フォーラムが世界男女格差レポートにて公表しているジェンダー・ギャップ指数ではG7で最下位、G20でサウジアラビア、トルコに次いでワースト3位なのです。日本の女性はこのことをよく認識して欲しいと思います。
 ただし、統計学者の本川裕氏は、日本の女性の幸福度が男性を上回る程度が世界最高峰にあることや、日本の男性の自殺率が日本の女性より高いことを看過しており、男性の方が重い責務を負うのみで報われないのが実態であり、同指数を理由にメディアなどが日本を男尊女卑だと言うのはミスリーディングだと主張しているのも事実です。
 無論この観点からも、不合理な不均衡が是正されるべきことに異論はありません。
心理学上は、女性の行為は男性よりも善意に解釈される傾向が強いという研究もあるのです。(女性は素晴らしい効果)。
 日本の女性労働者の待遇改善問題は、裁判所による政策形成の歴史とも重なります。すなわち、行政府が男女の雇用機会均等に向けて動かない中で、裁判所が判例を通じて性差別を是正していった事例として挙げられた歴史があります。
 司法による格差是正の動きは、1950年代後半から1960年代に始まりました。
 当時、労働に関する法令としては労働基準法があり労働基準法は賃金について女性を理由とした差別を禁止していたのみであり、採用や解雇(例えば、当時は女性の早期退職は社会では当然の慣行となっていた)といった、その他の労働面における差別を訴える法律が存在しなかったのです。当時法律が女性を優遇するという条文を持っていなかったのです。
 そして、賃金についても、企業は女性を男性と異なる職に就けることによって、差別化を行っていました。
当時女性労働者の定年は55歳だったのです。
 こうした状況の中、まず日本国憲法第14条(法の下の平等)を理由とした格差是正が試みられました。しかし、私人間効力がない(私人間には憲法が直接は適用されない)ことを理由にこの動きは失敗しました。
 ところが、裁判所は1966年の住友セメント事件で民法90条(公序良俗違反)を利用することによってこの状況を打破しました。
 この動きは全国に広がり、各地の裁判所で民法第90条を使用して女性の早期退職、結婚退職、出産退職が是正されていくようになりました。
 国会で男女雇用機会均等法を制定したのは、1985年のことでした。
 女性労働問題については、パート労働者の待遇改善の歴史とも重なります。

 なお、戦前においては、参政権や教育を受ける権利も議論されるようになりました。
 戦後に於いても差別を助長する服装指導、頭髪指導を実施している中学校や高等学校も存在しました。
 女性参政権、男女共学、性差別など。

 最高裁が男女別定年制を無効とした判例
伊豆シャボテン公園事件昭和50年8月29日
日産自動車事件昭和56年3月24日
放射線影響研究所事件平成2年5月28日
1981年(昭和56年)3月24日、那覇地裁においてトートーメー継承問題(女性に財産相続権が認められない慣習)を違憲とする判決が下りました。

 1985年(昭和60年)6月第102回国会外務委員会において、外務政務次官森山眞弓が小金井カントリー倶楽部でのコンペ参加を女性であるという理由で断られた件について、「大変に遺憾である」旨の答弁を行いました。
 また、当時の外務大臣安倍晋太郎はこの事実を直前に知り、強い遺憾の意を示すために「同コンペの参加を見送った」と述べているのです。また、この年の第102回通常国会に於いて女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約締結を承認するようになります。
 1995年(平成7年)8月、住友金属工業の女性社員4人が昇給・昇進で差別されたとして訴訟を起こす事件が発生しました。
この出来事は当時のマスコミは連日報道して社会問題になりました。

 やがて訴訟は他の住友グループ各社にも広がります。
 内訳は住友電気工業(2人)住友化学(3人)住友生命(12人)。
 10年以上続いた一連の裁判は、2006年4月の住友金属工業と原告との和解をもって終止符が打たれました。

 日本では、夫婦は婚姻時に同姓とする民法の規定があり選択的夫婦別姓制度は導入されていませんが、これは日本国憲法に定められた男女同権に反するものであり違憲ではないかとの議論がありました。
 民法の規定は、『夫又は妻の氏のいずれを称するかを夫婦の選択にゆだねている』、ものの、実際には妻の側が改氏する割合が統計上、全体の96.1%であり、『これは女性の間接差別に当たり、男女平等に反する』との主張もありました。
 また、日本を含む130カ国の賛成で国連に於いて1979年に採択された『女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約』では選択的夫婦別氏の導入が要求されているのです。


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