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第二十九巻
しおりを挟むここでは、日本神話に記述されている『神さま』にいて、読者の皆さんにご理解を深めて頂くための内容にしました。文献は『古事記』と『日本書記』、『日月神示』になります。
《国常立尊の姿》
「下つ巻第三帖(参6)」
「この神のまことの姿見せてやる積りでありたが、人に見せると、びっくりして気を失ふもしれんから、石にほらせて見せておいたのにまだ気づかんから木の型をやったであろうがな、それが神の或る活動の時の姿であるぞ、神の見せ物にしてはならんぞ。」
「天つ巻第四帖(参13)」
も「この方は元の肉体のままに生き通しであるから、天明にも見せなんだのぞ。」
「水の巻第十帖(参19)」
「此の方の事何れ判りて来るぞ。今はまだ知らしてならん事ぞ。知らす時節近づいたぞ。」
と日月神示に書記されているが、天明自身が若い頃に所属していた「大本」の「出口王仁三郎」によると、
国常立尊の姿は
光明に輝き、切れ長の深い『まなじり(注釈1)に光をたたえた、「八握の神剣(注釈3)を腰に帯刀した白髪の老神だったという。(出口和明『(実録 出口王仁三郎伝)大地の母3巻 地獄の釜』)(参14)。
(注釈1)
『まなじり』とは、目尻、つまり耳に近い方の目の端を指す。現代では「目尻」という言葉が一般的ですが、『まなじり』は『眦を決する(注釈2)』などの慣用句で使われることが多い。
(注釈2)
慣用句『眦をけっする』とは
「気力などに満ちた様子で目を大きく見開くさまを意味する。
また、同じ『大本』の『出口なお』も霊夢で見た
国常立尊の姿は
「純白の衣冠束帯(注釈3)で剣も白金の光芒(注釈5)を射放つ、眩いばかりの神だった」
と言った。
(出口和明『(実録 出口王仁三郎伝)大地の母4巻 立春の光』)(参15)。
(注釈4)
衣冠束帯は、平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
ご参考までに。
(注釈4)
『八握の神剣』とは、饒速日命」が天から地上へ降りる際に神々から授かった十種神宝(10種類の宝物)のひとつに数えられる宝剣のこと。
(注釈5)
光芒は、細長く伸びる光の筋や、他よりも際立って優れている部分を指す言葉です。彗星の尾や、暗闇で点状の光を見たときに周囲に見える光の筋など、様々な光の現象を表す際に用いられます。
光芒の主な意味は
①尾を引く光の筋で表します。
『光芒』の最も一般的な意味は、細長く伸びる一筋の光のことです。
②彗星の尾を意味します。
彗星が移動する際に残す光の筋を指します。
③光条は星や街灯など、点状の光の周囲に見える多数の光の筋を指します。
④自然現象は薄明光線(天使の梯子)や太陽柱(サンピラー)なども「光芒」と表現されることがあります。
以上のことから考察しますと
国常立尊のお姿は
純白の衣冠束帯で神体は光明に輝き、
まばゆかった。
また、切れ長の深い目尻は威厳に満ちて
おり大きく目を見開いていた。
腰には八握りの神剣を帯刀し、
白髪まじりの老神である。
剣からは白金の光芒を射放っていた。
ということになります。
造化三神
天と地が出来たその原初の時に、高天原に成りました神が
天之御中主神
高御産巢日神
神産巣日神。
この三柱の神を、『神典古事記』の序文では、
『造化三神』と、称しています。
神代七代
『古事記』では、別天津神の次に現れた十二柱七代の神を神世七代としています。
最初の二代は一柱で一代、その後は二柱で一代と数えて七代としています。
国之常立神
(男神)
豊雲野神
(男神)
宇比地邇神
(男神)
須比智邇神
(女神)
角杙神
(男神)
活杙神
(女神)
意富斗能地神
(男神)
大斗乃弁神
(女神)
淤母陀琉神
(男神)
阿夜訶志古泥神
(女神)
伊邪那岐神‥‥
(男神)
伊邪那美神
(女神)
解説しますと『神典古事記』によると伊邪那岐命が伊邪那美命の居る黄泉の国から生還し、黄泉の穢れを日向のたちはなのおどのあまぎはらで穢れをきよめるため禊祓いをしました。そのとき、洗い流した際、左目を洗ったときに化生したのが天照大神でした。このとき右目から生まれたのが月読命でした。また、鼻から生まれたのが暴れんぼうの建速須佐之男命と共に、三貴子と呼ばれました。このとき伊邪那岐命は天照大御神に高天原を治めるように指示しました。
海原を委任された須佐之男命は、伊邪那美命のいる根の国に行きたいと言って泣き続けたため伊邪那岐命によって追放されました。須佐之男命は根の国へ行く前に姉の天照大御神に会おうと高天原に上りましたが天照大御神は弟が高天原を奪いに来たものと勘違いし、武装して須佐之男命を待ち受けたのです。
須佐之男命は身の潔白を証明するために誓約をし、天照大御神の物実から五柱の男神、須佐之男命の物実から三柱の女神が生まれ、須佐之男命は勝利を宣言したのです。
これを日本神話では『天照大御神と須佐之男命の誓約』と記述されています。
阿波岐原は、日本神話の『古事記』の舞台で、天津祝詞の冒頭で『 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原』と唱えられています。
阿波岐原の広大な松林にある江田神社は、男神 伊邪那岐命と女神伊邪那美命を祀っています。
社伝によりますと次のように言われています。
伊邪那岐命 ・伊邪那美命の両神は国生みの神で、大八島をはじめ多くの島々や神々を生みました。最後に火の神を出産したとき、伊邪那美命は全身焼けただれて死んでしまいます。
伊邪那岐命は妻が忘れられず死の国『黄泉の国』まで会いに行きますが、伊邪那美命の醜い死の姿に驚き夢中で逃げ出しまた。途中、伊邪那美命に追いかけられますが必死に地上に逃げ帰り、死の国の汚れをお祓いされたのが、阿波岐原に現在もある『みそぎ池』だと言われています。
伊邪那岐命が『みそぎ祓い』をしたとされる池があります。投げ捨てた杖や着物などから様々な神が生まれ、体の穢れを清めるために池の中に浸かり体を水で洗うと、また様々な神が生まれました。最後に左目を洗うと天照大御神が、右目を洗うと月読命が、鼻を洗うと須佐之男命が誕生したと言われています。
伊邪那岐命は三神にそれぞれ「高天原」「夜の世界」「海原」を治めるように命じられました。
如何でしなか?
神さまのこと少し、理解できましたか?
神話の舞台のご紹介です。
みそぎ池(御池)
6月には睡蓮が一斉に花開きますよ。
江田神社のご紹介です。
伊邪那岐命 ・伊邪那美命をまつる江田神社 「続日本書紀」では837年(承和4年)「江田神社」として官社に列し、さらに延喜式では日向国式内四座の一つとなっていて、日向国内でも有数の古社として古くから崇敬を受けていました。
(アクセス)
【バス】 宮交シティから宮崎市フェニックス自然動物園行きバス約40分、江田神社下車
【お車】 宮崎駅から約15分
【駐車場】あり
(所在地)
〒880-0835 宮崎県宮崎市阿波岐原町産母127
(電話)
TEL: 0985-39-3743
一ツ葉海岸の名前の由来につきましてご説明します。
一ツ葉森林公園一帯は、昔は大きな入り江があり『一ツ葉浜』と呼ばれていました。
江戸時代の中期、この浜に葉が一つしか付かない松の木が見つかり、人々は不思議がり一ツ葉の松と呼びました。
伊邪那岐命が禊祓いをした地に生えた聖なる松であるとして、一ツ葉稲荷社を建てたと伝えられています。
【第二十九巻 1ノ2】
私が執筆した小説です。
この物語はフィクションです。
登場人物、団体等同一のものがあっても一切関係ありません。
とても心が癒される恋の物語ですよ。
題名は『カムイの恋物語』です。
それではお楽しみ下さい。
ー物語の始まりー
奈良時代の物語です。
時は、西暦730年。
九州・日向の地に一人の若者がいました。
いつも、海の入り江の近くで漁をしていました。若者の名前はカムイ。年齢は18歳。
漁師の家庭に育ち、両親とカムイの3人家族でした。ところが、西日本から九州にかけて疫病が流行り、父親の為三が亡くなりました。母親のタミとカムイは二人家族になりました。
カムイの責任は重くなり、毎日、朝から晩迄、海の入り江に行き漁をするようになりました。漁師たちの間や村人たちの間でも働き者として評判になりました。そんなある日の出来事です。
カムイはいつものように海の入り江で漁をしていました。カムイは独身で早く嫁をもらいたいと一生懸命働いていました。
母親のタミもカムイに「早く嫁が見つかりますように」と、神さまにお願いをしていました。
ある冬の日、いつものように投網を打っても全く魚の獲物が上がらず、あきらめて帰ろうとすると背中に捕れたての魚を沢山入れた籠を背負った美しい娘に出会いました。
その娘は豊後の国東の村に住むコウという名前の娘でした。歳は16歳。両親と弟2人、祖父母の7人家族でした。
コウは顔の輪郭は整い、鼻筋は通っていて、二重瞼で目は大きく、容姿端麗の美少女でした。
あまりの美しさにカムイが見惚れていると、コウはにっこりと笑って会釈をして通り過ぎました。
翌日もカムイは魚が捕れず帰ろうとしたとき、また昨日の娘・コウに会いました。「あんたはどこでこんなに沢山の漁が捕れたんだよ?」と、カムイが聞くとコウは「三本松の所で、捕れました。」と言うではありませんか。」そしてコウはカムイに言いました。「観音経(注釈1)を唱えながら網を入れなさい」と教えてくれたのです。
カムイは家に帰ると一晩中唱え続けて暗唱し、朝一番に入り江で観音経を唱えながら網を打つと、ずしりと手応えがありました。網を上げると一体の観音像がかかっていたではありませんか!
カムイは驚き、その観音像を吉村町にあるお寺に預けました。帰りに寺の山門を出ようとすると、あの娘が立っていて「私は豊後の国東から来ました。よい婿が見つかるように観音様に願をかけたら、『日向のカムイを訪ねよ』と、お告げがありました。』と言うのです。
カムイは驚きました。母親のタミにこの話しをすると「それはいいご縁だ」と大層、喜んでくれました。1ケ月後、カムイとコウは両家の家族に祝福され、村人や漁師たちからも祝福され祝言をあげました。そして母親のタミも、カムイ、コウ夫婦も観音様を崇めました。
するとどうでしょう。毎日豊漁が続き、コウが町に魚を売りに行けば飛ぶように売れ、カムイとコウ夫婦は村一番の大金持ちになったのでした。
歳月が流れ10年が経ちました。
子宝にも恵まれ、子供が5人出来ました。
そしてカムイとコウ夫婦と子供たちはいつまでも幸せに暮らしました。
(注釈1)
観世音菩薩普門品は、略して観音経とも言われます。後半のみを唱えるときは、世尊偈、観音経偈、普門品偈などとも言います。法華経のなかの第二十五品「観世音菩薩普門品」という一章のことです。正式には、『妙法蓮華経観世音菩薩普門品』として、人々に観音さまとして親しまれています。観音信仰といいます。日本では主に鳩摩羅什訳のものを用いています。
なお、法華経はお釈迦さまの弟子たちがまとめたものと考えられていますが、その真意は定かではありません。
観世音菩薩普門品は法華経が出来てから100年経過してから纏められたものです。
法華経は、紀元前にインドでお釈迦さまによって説かれた教えがもとになっていますが、お釈迦さまの入滅後、約500年を経て成立したと考えられています。その後、中国の鳩摩羅什(くまらじゅう)が406年に「妙法蓮華経」として漢訳し、広く普及しました。
法華経の起源について、詳しくご説明します。
法華経は、インドで『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』という名で広まりました。お釈迦さまの教えをまとめたものですが、お釈迦さまの入滅直後に存在したわけではないとされています。
法華経の成立には、お釈迦さまの時代から約500年の隔たりがあります。
誰が編纂したかについては諸説ありますが、信心深い僧侶や在家の人々によって段階的に編纂されたと推察されています。
韻文(偈頌)に俗語や崩れた文体が見られることから、教養や才能に恵まれない修行者たちが、すべての人々が救われる究極の仏教を求めて編纂した可能性も指摘されています。
西暦286年には竺法護が『正法華経』を漢訳しました。
西暦406年には鳩摩羅什が『妙法蓮華経』として漢訳し、これが最も優れた翻訳とされ、中国や日本で広く流布しました。
現在『法華経』といえば、この鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』を指すことが多いです。
法華経は、すべての人々が救済され、成仏できるという『一仏乗』の教えを説いています。
性別、民族、社会的地位、知的能力に関わらず、あらゆる人に仏界が備わっていると説き、日常生活の課題に積極的に取り組むことを促しています。
日蓮宗では、お釈迦さまの説かれた一切経の頂点に位置する『諸経の王』として最も大切にされているのです。
私は作家・石原慎太郎の『法華経』で勉強しました。
ー終わりー
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