神典日月神示 真実の物語

蔵屋

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第五十二巻

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 日月神示国常立尊の教えには、将来の日本経済を憂えることが記述されている原文がある。次のような原文である。

「三ラの巻(そらの巻)」第十帖(参18)(書記日、昭和22年3月3日)の原文。

「今日働いて今日食はなならん事に皆なりて来るのざから、その覚悟せよ」と述べられており、この先の日本経済の回復や発展を望むのは、或いは極めて厳しいのかもしれないと思われる帖がある。    

これは、『その日暮らし』という意味だ。つまり、AIにより、ホワイトカラー或いは弁護士、経営コンサルタント、医者なども、肉体労働者のようなブルーカラーも定職がなくなり、所謂アルバイトのような形態になり、働く場を無くした為、その日に働いた労働の対価はその日にアルバイトが終わった時にお金を貰うというシステムだ。年金制度も生活保護制度も崩壊して、国か新たな制度を模索するということが考えられる。例えば、全国民に一律ある一定の金額を給付する、というものだ。このことについては、以前論議されていて、その制度とは、ベーシックインカム制度である。この制度を導入するためには、年間で99兆円の財源が必要といる。つまり現在の年間国家予算に相当するものだ。99兆円もの財源を確保するためには、根本的な年金制度や生活保護制度の見直しをする必要があるということです。


しかし、上記の「黄金の巻」第五十九帖にあるように「金の世が金で潰されて、地固めされてみろくの世(ミロクの世)の礎になる」と述べている神霊の言葉からは、それほど絶望的で悲惨な未来を語っているようには思えないのも、また事実であろう。

現代において、世界中のあらゆる行動が金で紐付けされ、金を多く持つ者が力を持ち、金が無くなる恐怖がこの世を作る、まさに「金の世」が完成したと言える。 2020年、経済活動が止まり、金に困窮する人々が増えている。

 次は霊層界の話である。日月神示国常立尊も、出口王仁三郎も岡田茂吉も霊層界は、180段あるという。この霊層界とは、天国界が60段、六道の辻ろくどうのつじが60段、地獄界が60段あるというもので、更に其々の各界は、20段づつ3層に別れているとする。つまり、天国界は20段が3層に別れていて、合計60段、 六道の辻ろくどうのつじも同様に20段が3層に別れ合計60段、地獄界も20段が3層に別れていて合計60段ということになる。そして、この3層の頂点に御主神ごすしんがおられるということである。この 御主神ごすしんを1段と数えると181段になるのだ。
 それでは、其々の天国界、六道の辻、地獄界について、その概略を記す。
霊界なるもの、天国、六道の辻、地獄の九段階になっている。その段階の差別はどこにあるかというと、光と熱である。つまり最上段階は光と熱が最も強い。最低段階の地獄は暗黒と無熱の世界である。六道の辻は、その中間で、我々の住む現界に相当するのだ。我々の住む世界に於いても幸福な人と不幸な人がいるのは、天国と地獄に相応しているからである。最高天国のことを第一天国という。この第一天国は光と熱が強烈で、そこに住する天人たちは、ほとんど裸体同様である。仏像にある如来にょらい菩薩ぼさつが半裸体であるように、容易に想像出来るであろう。第一天国から第二天国、第三天国と降りるに従い、漸次光と熱が弱くなるが、仮に地獄の霊を天国へ上げるといえど光明こうみょう眩惑げんわくされ、熱の苦痛にえ得られずして元の地獄に戻りたいといい、戻るのである。ロシアのスターリン(注釈1)は地獄界に六千年閉じこめられたのだ。

(注釈1)
スターリンの本名はヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリンである。1878年12月18日(ユリウス暦12月6日)から1953年3月5日)まで生存。
享年75歳。
ソビエト連邦の政治家。同国の第2代最高指導者 (1924年 ~1953年迄)であり、ソ連共産党書記長(1922年 ~1953年迄)。首相(人民委員会議議長・閣僚会議議長、1941年 ~1953年迄)などの役職を歴任。ソ連邦英雄の称号を持ち、軍人としての最終階級はソ連邦大元帥である。民族的にはグルジア人。
スターリンについて、説明すると1924年1月から1953年3月に渡ってソビエト連邦の最高指導者であった。一般に広く知られている「スターリン」という姓は「鋼鉄の(人)」を意味する筆名である。
 スターリンは1878年12月18日、グルジアゴリで生まれた。ロシア正教の神学校で教育を受けるが、後に無神論に転向してマルクス主義の信奉者となり、1899年10月に神学校を去って革命家へと転身した。
その後、ウラジーミル・レーニンが率いるロシア社会民主労働党ボリシェヴィキ派に加わり、1912年に党中央委員に選出された。1917年の十月革命でボリシェヴィキが権力を掌握した後、レーニンのロシア共産党による独裁国家が成立すると、その行政府である人民委員会議の有力者となり、1922年4月に党書記長に就任し、同年12月のソビエト連邦の建国にも深く関与した。ソビエト連邦の指導者であったレーニンが1924年1月に死去すると、その後継をめぐって起きたレフ・トロツキーとの権力争いを制し、1929年にはトロツキーを国外追放した。自身が務めていた党中央委員会書記長に権限を集中させることで最高指導者としての地位を確立した。党内ではトロツキー派の世界革命論永久革命を否定して、一国社会主義論による国内体制の維持を優先する路線を示した。この理論対立は「トロツキスト」としてトロツキー派の粛清の大義名分としても用いられた。スターリンはトロッキー派の多くの尊い人命を奪ったのだ。地獄界に六千年、閉じ込められて当然である。余談では或るが。

 さて、以降は人民委員会議議長および同職を改組した閣僚会議議長、軍事大臣、前述の党中央委員会書記長などの要職を兼任し、死去する1953年3月まで最高指導者の地位にあった。
1928年10月には戦時共産主義体制による経済疲弊から一時的に導入されていた新経済政策ネップを切り上げさせ、第一次五ヶ年計画を実行に移した。同計画では政府主導の農業事業の集団化コルホーズによる合理化と統制を進め、脆弱な工業力を強化すべく工業重点化政策を推進した。結果として帝政時代からの課題であった農業国から工業国への転身を果たし、ソ連が世界第2位の経済力を有する基盤を作り出したと評されている。
 一方で急速な経済構造の改革と、反対派に対する厳しい弾圧は国民に多数の犠牲者を出すことになった。前者については農業政策の混乱によって深刻な食糧不足が発生し、ウクライナ共和国ではホロドモールが発生した。後者に関してはグラーグ収容所に収監された者だけで100万人以上、これを免れた数百万人もシベリアなどの僻地に追放処分を受けた。強権支配は大粛清と呼ばれる大規模な反対派摘発で頂点に達し、軍内の将官を含めて数十万人が処刑あるいは追放された。
 1939年、ナチス・ドイツの台頭などによって国際情勢が不安定化するなか、マクシム・リトヴィノフに一任していた仏英ソ同盟の締結が不調に終わったこともあり、反共主義・反スラヴ主義を掲げていたアドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツと独ソ不可侵条約を締結し、秘密議定書に基づくポーランド侵攻は第二次世界大戦を起こすことになる。世界を驚嘆させたこの協定は政治的イデオロギーを別とすれば、ソ連政府によって有利に働いた。ポーランド分割・バルト三国併合・東カレリア併合冬戦争などの軍事行動における背景になっただけでなく、外交交渉においてもそうであった。第一次世界大戦における再三の鞍替え行為の末、ロシア革命後の混乱に乗じてベッサラビアを領有していたルーマニアに対し、ドイツと共同で外交圧力を掛けてベッサラビアと北ブコビナを返還させている。アジア方面ではドイツと同じ枢軸国の日本とも日ソ中立条約を締結した。
 1941年6月、第二次世界大戦においても中立を維持していたソ連は、イギリス本土上陸の失敗で手詰まりとなったドイツによる侵略を受け、独ソ戦が始まった。同時にイギリスを中心とする連合国陣営にも参加し、アメリカの連合国参戦後はレンドリースによる援助対象とされた。自身の大粛清による影響もあって大きな苦戦を強いられ、多数の犠牲者や反乱に苦しんだものの強権支配と反体制派の粛清を続け、軍と政府の統制を維持し続けた。やがて戦争が長期化する中で態勢を建て直し、最後には反攻に転じてドイツの首都であるベルリンを陥落させ、東欧を支配下に置いた。アジア方面ではソ連対日参戦でモンゴル人民共和国の独裁者ホルローギーン・チョイバルサンと共に満州・内モンゴルのほか、日本の北方領土や南樺太、38度線以北の朝鮮半島北部地域(現在の朝鮮民主主義人民共和国)を占領した。
 連合国陣営内でソ連が果たした役割は非常に大きく、国際連合安全保障理事会常任理事国となり、アメリカ合衆国と並ぶ超大国として戦後秩序に影響を与えた。
 ヤルタ会談とポツダム会談では大戦後のヨーロッパ情勢についての協議を行い、冷戦を始めて鉄のカーテンを築き、ファシズム打倒後の共産主義と資本主義の対立においては西ヨーロッパ諸国と北大西洋条約機構を結成したアメリカに対し、非同盟を掲げてスターリンと対立したヨシップ・ブロズ・チトー政権のユーゴスラビアを除く東ヨーロッパ諸国とワルシャワ条約機構が後に設立される。アジア情勢を巡っては国共内戦で中国共産党を支援して中国大陸に中華人民共和国を成立させ、1946年12月の第一次インドシナ戦争ではベトナム民主共和国、1950年6月の朝鮮戦争では朝鮮民主主義人民共和国を支援して竹のカーテンを築いて東側陣営を拡大していく。
 1953年3月5日にクンツェヴォ・ダーチャにて病没するまで国家指導者としての立場は続き、ソ連国内の戦後復興でも主導的な役割にあったことはスターリン様式の建設物が今日でも多く残っていることから理解できる。また科学技術や工業力の重点化政策も引き続き維持され、原爆開発・宇宙開発などに予算や費用が投じられており、前者は1949年8月のRDS-1(注釈2)成功し、後者も後に実現している。最後に関わった国家指導は大規模な農業・環境政策たる自然改造計画であった。

 (注釈2)
   RDS-1エル・デー・エス-1とは、1949年8月29日午前7時(現地時間)にソ連で行なわれたソ連では初の核実験である。

 スターリンの死後における権力闘争の過程で、ニキータ・フルシチョフらはスターリン派の政治局員や、スターリンの政策に対する批判を展開。これによって政敵となりうる政治局員は失脚に追い込まれた。その過程でフルシチョフが危険視したNKVD(注釈3)議長のラヴレンチー・ベリヤとその部下十数名は裁判で死刑判決を受け銃殺刑に処せられた。1956年2月の第20回党大会においてフルシチョフは有名なスターリン批判を行い、スターリンは偉大な国家指導者という評価から一転、恐るべき独裁者という評価へ変化した。この潮流は、反スターリン主義として各国の左派に影響を及ぼした。

(注釈3)
   内務人民委員部ないむじんみんいいんぶは、ソビエト連邦の人民委員部の一つで、ヨシフ・スターリン政権下で刑事警察、秘密警察、国境警察、諜報機関などを統括していた。諸外国の内務省に相当する。

 その後もスターリンの評価は変遷を続け、現在でも彼の客観的評価を困難にしている。この流れはソ連の後継国に当たるロシア連邦においても踏襲され、スターリンを暴君とする意見と、英雄とみなす意見とが混在する状態にある。
 なお、1944年から1955年までのソ連国歌には名前が入っていたが、スターリン批判を受けその次の国歌では名前がなくなっている。
  
 ー日月神示国常立尊の原文引用箇所ありー

 日月神示によると、昭和20年の段階で奥の神界の岩戸は開かれており、中の神界における岩戸開きが最中とされ、次の世の型を急ぐと述べられている(「夜明けの巻」第十一帖)。

岩戸開く仕組みについては「下つ巻」第二十二帖で「岩戸開く仕組 知らしてやりたいなれど、この仕組、言ふてはならず、・・・」と明かされていない。

岩戸が開けるには、一苦労、二苦労と困難が訪れるとされ、子の年に岩戸が開かれると予言されている。

「あら楽(たぬ)し、あなさやけ、元津御神の御光の、輝く御代ぞ近づけり。岩戸開けたり野も山も、草の片葉(かきは)も言(こと)止(や)めて、大御光に寄り集ふ、誠の御代ぞ楽しけれ。今一苦労二苦労、とことん苦労あるなれど、楽しき苦労ぞ目出度けれ。申、酉すぎて戌の年、亥の年、子の年 目出度けれ。一二三(ひふみ)の裏の御用する身魂も今に引き寄せるから、その覚悟せよ。覚悟よいか。待ちに待ちにし秋来たぞ。」(「夜明けの巻」第十二帖)
 
 この後、一八十(イワト)が成ったとする平成の時代が訪れ、日月神示で示されるアヤワは一八十の位置にあると飛鳥昭雄は述べている。

 上記は日月神示国常立尊の原文から引用し、私が以下のように結論づけたのだ。
上記の、一八十いわととは他ならぬ霊層界百八十段のことであると。飛鳥昭雄は間違えている。何故なら本当の神さまを知らないからだ。つまり、大宇宙は神さま、神さまは大宇宙である、という宇宙の真理を知らないということである。



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