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第一章
騎士の館 1
しおりを挟む「ねぇ、デティ。あなた、この頃疲れてない?」
リザがティーカップを皿に戻しながら言った。ここは、学院のテラス。デティは、リザと放課後のお茶を楽しんでいた。
「そうかしら?」
デティは、目の前に置かれたティーカップを静かに持ち上げる。
「だって、デティが授業中にぼぅっとしてるなんて珍しいじゃない」
リザの言葉に思い出すのは、今日の授業中。歴史学の座学の授業、どうしても眠くてぼぅっとしてしまったのだ。そのため先生に話しかけられたのに、気付くのが遅れてしまった。なんとか、その問いに答えることはできたので、ほとんどの人にはバレていないだろう。だが、学院に入る前からの親友である彼女には隠せなかったようだ。
「……ちょっと、寝不足でね」
というのも、ラウルと帰ったあの夜から、5日間。毎日ファニスからの呼び出しがかかっていた。1ヶ月前からの任務とは言え、こんなに連続して呼び出しがかかることはなかった。流石に、毎夜出歩いて、深夜に寝室に戻り眠る、の連日では疲れは溜まる。そもそも、1ヶ月前、陛下から声をかけられるまでは、普通の令嬢だったのだ。多少、身体を動かすことはあれど、ここまで休みなく働くことなんてなかったのだ。
……とは、流石に目の前のリザに告げるわけにもいかない。そう思って、持ち上げたティーカップにそっと口をつける。紅茶のフルーティーな香りが口の中に広がった。デティを見てふと考えるようにしていたリザが口を開く。
「寝不足?恋人でもできたの?」
それを聞いたデティは、思わず紅茶を吹き出しそうになった。慌ててカップを置き、リザを睨む。
「……何でそうなるのよ」
「別に意味はないわ。……焦るって事は本当にそうなの?」
デティの反応に、リザはおかしそうに笑いながら訊く。デティは面白がるリザを睨みながら、ふと浮かんだ琥珀の瞳を思い出す。いや、あれは違う。ただ、仲間の自分を慰めるためのもので。
「……違うわ。そんな人、いないもの」
「何だ、つまらないわね」
リザはそう言って、優雅に持ち上げたカップに口を付ける。そのとき、テラスに続く長い廊下を、駆けてくる足音が聞こえた。女学院で足音を響かせて駆けてくる者などほとんどいない。なぜなら、淑女教育として、徹底的に作法を仕込まれている少女たちだ。だが、その中でもあまりそういう教育に向かない者もいる。
そちらに目をやると、やはりというか、セルマがこちらに走ってくるのが見えた。ちなみに、今日、放課後のお茶会にセルマの姿がなかったのは、セルマのみ補習があったからだ。
「あら、セルマ。どうしたの? 先生に見つかったら怒られるわよ」
デティが一応指摘したものの、走ってきたセルマは上がった息を整えると、構わず興奮気味に言った。
「リザ、デティ、ニュースよ」
「一体、どうしたの? まず、座りなさいな」
リザに勧められるままにセルマは空いていた椅子に座った。座る間も、時間が惜しいという表情だったセルマは、座るという動作の合間にも、口を開く。
「あのね、今、裏門のところを通ってきたらね、ちょうど、馬車が着いたの。その馬車がね、何と、アルア家の馬車だったの」
「アルア家? 聖五家の?」
「そうよ」
流石に周りの人目を気にしてか、音量は抑えめながらも、熱烈に目を輝かせてセルマは言った。
聖五家というのは、アルア、タスチナ、テラティス、ウルー、バキニアの五公爵家の事を指す。それらの家は、代々、神官をする家系で、魔力が他より強いとされている。また、その当主は、国王直属の術者として扱われ、国王に就任式の特に重要な儀式を遂行する司教としての役割持つ。
「どなたかいらっしゃったのかしら?」
話を聞きながら手を動かしていたリザが、セルマの前に紅茶の入ったティーカップを置きながら言った。女学院では、侍女はおらず、自ら紅茶を淹れ振る舞うことも作法の一部として教えられている。
「ありがとう。ルシス様だったら一目でいいから、お目にかかりたいわ」
「そうね」
セルマの言葉に、今度はリザも同意した。しかし、デティだけがわからない。聞き覚えのない名前に首を傾げた。
「ルシス様?」
「うそ、デティ、知らないの?」
本当に驚いたようにセルマが言った。リザの方はなんとなくわかっていたのだろう。苦笑しながら説明した。
「デティって、そういうのに興味ないものね。ルシス様は、わたくしたちと同い年でありながら、二年前に聖十二騎士に任ぜられたアルア家の方よ。現在のアルア家本家の御子息の中で一番強い魔力をお持ちで、次期当主だと噂されているの」
聖十二騎士と聞いて、デティも目を見張る。ということは、いつかは顔を合わせることになるのかもしれない。そんなことを考えながら、デティはさらに首を傾げた。
「まぁ。でも、騎士様なら学院に用はないでしょう」
「あら、そんなことないわ。同い年と言ったでしょう? 確か、ルシス様も学院の生徒だったはずよ」
学院に籍を置きながら、聖十二騎士として働く人もいるのか、とデティは納得する。それなら、学院に来てもおかしくはない。逆にそれなら、セルマがわざわざ騒ぐことでもない気がして、別の疑問が浮かぶ。しかし、その問いをデティが口にする前に、リザが「ただ……」と少し困ったように続ける。
「一度も学院には出てきたことは無いらしいのだけれど」
「そうなのね……」
強い力を持った者は、周りに馴染めない。馴染むためにはその力を秘密にするか、相当の努力を必要とする。存在自体が秘密にされた自分とは違い、彼は聖五家の後継者という立場から、秘密にすることすらできなかったのだろう。デティはふと、妙な既視感とともに、先日のラウルの言葉を思い出した。
そんなデティを見て、リザは微笑んで言う。
「まぁ、ルシス様が学院に出て来られないのは、聖十二騎士の仕事や、聖家の仕事で忙しいからなのでしょうけど」
「それなら、なおさらここにいらっしゃるはずないでしょう? セルマが見た馬車もアルア家の他の方なんじゃない」
「そうよね」
リザは素直に同意したが、セルマは何か言いたそうだった。しかし、セルマが何か言う前に、デティは、廊下から先生がやってくるのを見つけた。
「あ、先生だ」
デティのつぶやきに、他の二人もそちらに目をやる。女学院内でもこのテラスは、放課後の生徒たちの憩いの場であるため、ここに教師がやってくることは珍しい。何事かと見ていると、その先生は何かを探すように辺りを見回した。そして、デティと目が合うと、なぜかこちらに近寄ってくる。
「ミス・ブルーフィス」
「はい、先生」
思わぬ事態に内心驚きながらも、デティはすぐに答えた。
「あなたにお客様がいらしております。ついていらっしゃい」
「……はい」
不審に思いながらも、先生に呼ばれてしまえは断るわけにもいかない。思い当たる節が全くなく、不安ではあったが、リザとセルマに断って席を立つ。そして、先を行く先生の後を追った。
先生は、テラスから本館に続く廊下を歩き、いくつか角を曲がって、やがて出たのは、裏門のそばの通路だった。そこからは、裏門の様子がわかる。セルマの言っていたとおり、そこには黒塗りの高級な馬車が見えた。その馬車には、確かにアルア家の家紋がある。それを横目で見ながら通り過ぎと、やがて、着いたところは賓客用の客間だった。
「こちらでお待ちです。くれぐれも、失礼のないように。いいですね」
「はい、先生」
先生は念を押すと、来た道を戻っていった。客の名を告げられることもなかったデティは、唖然としたまま、先生の姿が見えなくなるまで見ていた。しかし、いつまでもこうしているわけにもいかない。そう思い直したデティはひとつ息をつくと、扉に向き直った。
細かい彫刻が施された重い扉。ここは、賓客を通す客間なのだ。この部屋に通されたという事は、客というのがかなり高い地位の人だという事だ。それに、客の名前を告げず置いて行かれるのはおかしい。つまりは、名前を口に出せないような方だということなのだろう。思い当たる節がないこともないが、その人が表だって訪ねてくることはないはずだ。脳裏を過った琥珀色の瞳を打ち消すように頭を振って、デティは扉に向き合った。
一体、誰が訪ねてきたのか、全く見当も付かなかったが、いつまでもここに立ち尽くしている訳にはいかない。とにかく、デティはその扉を軽くノックした。
「デティ・ブルーフィスでございます」
デティは、作法通り、中にいるだろう人に向かって名乗る。しかし、返事がかえってこない。訝しく思ったが、もう一度、今度は少し強めにノックしてみた。すると、少しして、中から小さく返事が返ってきた。なんとなく違和感を感じつつ、入室を促すその声に従って、デティは扉に手をかけた。
「失礼致します」
デティは重い扉をゆっくりと押す。扉が重みでキィと軋しんだ。そして、部屋の中に足を進めた。そこには……
「え?」
想像に反して、誰の姿もなかった。
空っぽの部屋には、中央付近に、小さなテーブルとそれを挟むように置かれたソファーだけがある。誰の姿も気配すらなかった。確かに、先程、返事の声はこの部屋の中から聞こえたのに、だ。
デティは、万が一の時、何かあれば部屋から逃げられるよう、扉を開けたまま、部屋の中央に進んだ。
「ふうん。やっぱり、どこから見てもただのお嬢様みたいだね」
突然、デティの後ろ、入口の方から声がした。驚いて、振り返る。そこにいたのは少年。先程、念のために開けておいた扉が、いつの間にか音もなく閉められ、その扉に寄り掛かるように少年がこちらを見ている。その青いきれいな瞳が、いたずらを成功させた子供のように輝いていた。そして、少年が何かを呟く。
デティがそれを認めた瞬間、リンと鈴の音のような音が聞こえ、一瞬にして体から力が抜ける。ふらりと倒れこむデティを少年が受け止めた。あどけない少年の笑顔が薄れゆく視界に映る。急に気が遠くなり、彼が何者か、問いかける間もなく、デティの意識は闇に落ちた。
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