聖十二騎士 〜竜の騎士〜

瑠亜

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第一章

狐族と噂

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 デティは、暗い大通りを一人であるいていた。
 あの話の後、ファニスとラウルはまだ、話が残っているようだった。しかし、デティは翌日も学院があるので先に帰る事にしたのだ。ラウルは馬車を貸してくれるといったが、クラストに見つかるとまずいので断った。そういうわけで、今、デティは一人で歩いていた。
 昼間は賑やかな通りも、静まりかえっている。周囲の気配に気を配りながらも、デティはその静けさを楽しんでいた。いくら妖魔が出るといっても、今日は既に討伐済み。人々が眠る時間になってから新たに現れることは少ない。そのため、それ程警戒してはいなかったのだが、急に視線を感じて足を止めた。
《デティ?》
 不思議そうにグロリアスが問う。
《何かあった?》
「いや、何か、視線を感じたんだけど……。気のせいかな」
 そう言って、デティはまた足を進める。しかし、数歩進んだところで、デティは弾かれたように振り返った。
「誰!?」
 今度は確実にその気配を感じた。気配を感じた方を警戒して、すぐに剣が抜けるように構える。辺りは静まり返り、耳が痛くなりそうなほどの、無音が満ちていた。デティが構えて、数分、あるいは数十秒しか経って無いかもしれない。ただ、それは突然聞こえた。
「さすがですね。気付かれてしまいましたか」
 思ったより若い男の声だった。その声の方に目を向ければ、木の影から男が出てくるのが見えた。それは、ラウルやクラストより少し歳上に見えるくらいの男だった。
「そんなに警戒しないでくださいよ」
 その黄色の瞳を面白がるように細めて男は言った。その様子は飄々と軽く、あまり危険は感じない。
「あなたは、誰なの?」
 デティは、相手に敵意がないことに戸惑いながら、それでも警戒して聞いた。
「あなたの同類です」
「え?」
 意味が分からず、思わず聞き返す。そんなデティにの様子に、男は微笑みながら、一歩、近付いてきた。
「私は、あなたの味方ですよ、竜の姫君」
 男の言葉に、デティは息を呑む。
「っ! なんで……」
 はっきりと〝竜〟と言った男に、デティは息を呑んだ。何で知っているのか問い返そうとしたのだが、ふと男と目があった瞬間、言葉が止まる。
「私は、あなたを迎えにきたのです」
 男はさらにデティに近付く。デティはこの時になってやっと危険を感じた。けれど、男の目から視線を外せない。体も、全くいうことをきかない。
「そう、じっとして。私はあなたの敵ではない」
 男はもう目の前だった。頭の中が、ぼうっとして、霞がかかったように思考が不明瞭になっていく。逃げるべきだと頭のどこかでわかっているのに、デティは全く動けなかった。
「いい子だ」
 男は手を伸ばし、デティの頬に触れようとする。それすらも、ただ見ているだけ。抗うことも、身を引くことも、目を逸らすことさえできない。
 そのとき。

《デティ、駄目!》

 グロリアスの叫びに、デティは、我に返った。同時に、男に向かって突風が吹き付ける。
「……っ!」
 男は、突風にあおられ後ずさる。その隙に男の視線から逃れたデティは、男から距離をとり、剣を抜く。突風が治まり、男が顔を上げたときには、デティは、その剣を男に向けていた。
「……おやおや。〝聖霊〟ですか。困りましたね」
 男は、苦笑したが、デティには全く困ったようには見えない。その風圧を受けただけで、〝聖霊だ〟と見抜いた男に、剣を向けたまま警戒を強める。
「……あなたは、一体誰なの?」
 男はそんなデティを見て、面白そうに笑みを浮かべた。
「私のことは、フェネックとお呼びください。ある方から、ずっとそう呼ばれていたので」
「フェネック……?」
 聞き慣れない名だった。困惑するデティを尻目に、男は肩をすくめて言った。
「さて、そろそろ失礼しますよ。今日は、聖霊に対するものを持ってきてないので」
 そして、デティに背を向ける。あまりに簡単に背を見せた男に、デティは唖然として、手出しすることができなかった。
 ただじっと男の背を睨み、やがて男が暗闇へ消えたのを確認して、デティは警戒を解いた。
 戻ってきた静寂に、残ったのは疲労感。そして、小さな疑問。
 何故、男はデティが〝竜〟だと知っていたのか。
 何故、自分は男に剣を振ることができなかったのか。
 何故、男は自分を同類と呼んだのか。
 しかし、今考えてわかる問題でもない。とにかく、今の一瞬だけで、とてつもなく疲れた気がする。
《デティ?》
 心配そうなグロリアスの声が、デティの頭に響いた。疲れるだけですんだのも、グロリアスのおかげであることに、デティは今更気付く。あの時、グロリアスが声を掛けてくれなかったら、どうなっていた事か。そばに寄ってきた青い光に、微笑みかける。
「グロリアス、ありがとね」
《どういたしまして。だけど、本当に大丈夫?》
「……何かわからないけれど、とても疲れたわ。だけど、それだけよ」
 なんの害もなかったからよかったものの、何故かあの男と目を合わせたら動けなくなった。グロリアスがいなければ、あのままどうにかされていたかもしれないのだ。それが少し恐ろしかった。なんとかなった安堵もあって、精神的にどっと疲れた気がする。
《そう……。それじゃ、早く帰りましょう。休んだ方がいいわ。》
 グロリアスの言う通りだった。早くベッドにはいって眠りたい。そう思うデティだったが、心のどこかで、何かが引っ掛かっているような、モヤモヤしたものが消えない。
 もう一度、あの男の去った方を確かめてから、デティは、屋敷に向かってまた歩き出した。


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 翌日、学院に着いたデティは、驚いた。教室に入ってすぐ、セルマがその事を口にしたのだ。

「ねぇ、昨日の誘拐事件知ってる?」

 セルマは、興味津々にそれを話した。話を聞いたデティは眉をひそめ、隣りで聞いていたリザも、興味というよりは、心配という気持ちが大きいようだった。
 セルマの話は、なんと、例の侯爵令嬢の誘拐事件についてだったのだ。昨日、ラウルからは極秘事項として聞いたはずなのに、だ。
 それが、朝。そして、その日の放課後には、声を潜めながらも、その噂が女学院全体に広まっていた。
 さらには、噂には尾が付き、令嬢は、鬼に食べられてしまったとか、吸血鬼に拐われてどこかに閉じ込められているとか、何か悪い事をして神罰を受けたのだとか、とにかく根も葉もないことが囁かれるようになっていた。
「デティは、事件の話、どう思う?」
 放課後、いつものようにテラスでお茶を飲みながら、リザに尋ねられて、デティは一瞬、答えに窮した。そう少し考えて、当たり障りのない返答をする。
「……さすがに、食べられてしまったとか、天罰だ、とかは嘘だろうけど」
「違うわ」
 デティの答えに、リザは首を振った。
「そうではなくて、わたくしが言いたいのは、そういうことではなくて。デティは、怖くないのかってことよ」
「怖い?」
「だって、他にも、誰か消えてしまう可能性もあるのでしょう?」
 リザに言われて、デティは、はじめてその可能性に気付いた。確かに、侯爵令嬢の前にも、結構な人数が行方不明になっていると、ラウルが言っていた。まだ、それが、続く可能性もあるのだ。
「ねぇ、デティは怖くないの? 次は自分かもしれないって思わないの?」
 それは、全く考えていなかった。
 確かに、何の力も持っていない者には、恐怖となり得るのかもしれない。しかし、デティは、剣も力もある。拐われそうになっても、それなりの抵抗ができる。だから、そう言った意味での怖いという思いはなかった。
 しかし、デティが騎士であることを知らない人には、デティも無力な少女にしか見えないだろう。
「わたくしは……怖いという感じはしないわ。わたくしなんか、狙われないだろうし」
 デティが当たり障りなく答えたものの、その答えにリザは眉を顰めた。
「もう。危機感がないわね。あなた、自分が美人だって自覚無いの?」
「わたくしが、美人?」
 驚いて聞き返すデティを見て、リザは軽く溜め息をついた。
「そんなことだろうと思ったわ。……いい? あなたは、下級生に信奉者が現れるほど人気なのよ」
「……信奉者?」
 思わぬ言葉にデティは目を見張った。リザは、デティをまっすぐ見て、頷く。
「ええ。はかなげな灰色の瞳に、美しい漆黒の髪の美少女で、謎めいた雰囲気を持っている。王家にも近しい家柄なのに、奢る事なく、慎ましく、落ち着いている。低学年の子が、憧れて遠巻きにあなたを見つめてるのよ」
 気付いてなかったの?と問うリザに、デティは唖然として首を振った。
 それは、一体誰の話なのだろうか……。自覚のないデティには青天の霹靂だった。
「……あなた、見掛けによらず、鈍いものね。特に自分の事には」
 リザは、そう苦笑して言い、ティーカップを口に運んだ。そのとき、テラスの入口から、今日も補習で遅れていたセルマがやってきた。
「リザ、デティ、お待たせ!」
「あら、セルマ。補習終わったの?」
 2人の座るテーブルまで来たセルマはうなずいて、空いている席に座った。
「先生も忙しいみたいだからね。ほら、あの噂とか」
「わたくしたちも、今その話をしていたのよ」
 リザが言うが、セルマは、朝あれだけ話したからか、今はもうあまり興味が無いようだった。適当に相槌を打って、話題を変えた。
「それより、今度の週末、お城で行われる仮面舞踏会なんだけど」
「仮面舞踏会?」
「ほら、毎年この季節に行われる無礼講の舞踏会のこと。そこにね、あのラウル様もいらっしゃると言う噂なのよ」
 セルマは、楽しそうにそれを語った。セルマはラウルのファンなのだ。
「他の騎士様もいらっしゃるらしいわ。仮面舞踏会って、普段と違って年や家柄とか関係なくお相手できるでしょう? もしかしたら、騎士様と踊れるかもしれないじゃない。ああ、わたくしも舞踏会に行きたいわ」
 セルマは残念そうに言った。そんなセルマを横目に見ながら、デティは、彼らが舞踏会に行くのか、と考え、なんだか意外に思う。
 失念していたが彼らもその身分は貴族で、社交界にも出ているはずなのだ。ちなみに、デティはまだそういった集まりには行ったことがない。年齢的には参加可能だが、飾り立てるのがあまり好きではないため、内々のお披露目すらしていない。
「セルマは行かないの?」
 リザが意外そうに聞いた。
「お父様が許してくださらないの」
 リザの問いに答えて、セルマは肩を落とした。セルマの父親は、騎士団の幹部でもあり、華やかな席では規律に厳しい。女学院を卒業するまでは参加させてもらえないのだと、セルマは話す。
「ねぇ、デティは?」
「……ん?」
 突然、話を向けられて、聖十二騎士の事を考えていたデティは、反応出来なかった。
「ごめん、何?」
「何、ぼぉっとしてるの? デティは、舞踏会行かないの?」
 舞踏会に正直興味はあまりない。けれど、ラウルやルシスたちがいるのであれば、出てみたいとも思う。それに、仮面舞踏会なら、デビューをしていなくても、保護者の付き添いがあれば参加できる筈だ。
「行きたいけど……。お父様に聞いてみるわ」
 何にしろ、当主である父親の許可がなければ、参加は叶わない。
「でも、デティのお父様なら、許して下さりそうよね」
 セルマが羨ましい、というように言った。確かに、義父である公爵はデティが望めば大抵のことは許してくれた。
「お父様は許してくれそうだけど……」
 それ以上の問題は、クラストの方だ。過保護な兄に何を言われるとも限らない。先日のラウルへの態度を思うと、舞踏会には行きたいのだが、何を言われるかと心が重かった。
「デティ、どうかしたの?」
 溜め息を付いているデティを、不思議そうにリザがうかがった。
「あ、いいえ。何でもないの」
 流石に、兄が過保護すぎる話はする必要がないだろう。
「そう?」
 それならいいけど、とリザはセルマの話を聞きはじめる。デティも、後の事は後で考えようと、今は友達との会話を楽しむ事にした。
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