上 下
13 / 25

ガラスのピアノ①

しおりを挟む
「私の名前......そうね、レーゲルとでも呼んで」
 レーゲルは少し思案した後、そう言って席を立った。
 りつはその時、ふと彼女に昔どこかであったことがあるような気がした。

 レーゲルーー。りつは心の中でつぶやく。美しい響き。
 最後と決めたはずなのに、りつの頭には次から次へと疑問が浮かぶ。
 レーベルは美しい。つややかな黒髪に伏し目がちな切れ長の目が印象的で、すらっと長い手足は人形のように白い。顔立ち自体は特別目立つ訳ではなく、素のままの、手付かずの自然のような美しさがそこに存在する。
 だが、外国人のようには見えない。どちらかと言うと生粋の日本人。
 レーゲルという呼び名には異国の響きがある。
 青い表紙の本に出てきた管理者たちは、レーゲルのように異国の、西洋の響きの名前から、東洋の響き、日本の響の名前と様々だった。
 この館も、レーゲルのことも、知れば知るほど疑問が湧いてくる。そして、たぶんそれは尽きることがない。

「りつちゃん、いらっしゃい」
 ピアノの横でレーゲルがりつを呼ぶ。
 考えるのは家に帰ってからでもできる。
 りつはカップを倒さないように、そーっと立ち上がり、レーゲルの元へと向かった。

「今日は何を弾く?昨日と同じ?」
 譜面台には昨日弾いたドビュッシーの子供の領分が置いてあった。
 ふと、りつの脳内にランドセルの中の楽譜が思い浮かぶ。
「あ」
 せっかく早起きして用意してきたのに、全部図書室に置いてきてしまった。今日は時間があるならばちゃんと練習がしたいと思っていたのに。
「どうしたの?」
「自分の楽譜、持ってきたのに置いてきちゃった」
 肩を落としつつ、りつは答える。
「あら、それは残念。ここにも楽譜はあるけれど、自分の楽譜の方がいいわよね。ミスをしやすいところとか、印がつけてあったりするから弾きやすいし」
「うん......」
「機会はまだあるんだから、明日以降のお楽しみね」
 そーっとレーゲルは椅子を引く。
「どうぞ」
 昨日は気づかなかったが、ピアノの椅子はりつ専用かのようにぴったりと高さが合っていた。
 りつは譜面台の楽譜をめくる。
 すぅーっと大きく深呼吸をして、散歩を指先まで行き渡らせる。
 指先は温まり、頭は冷静に冷える。
 しんと静まりかえる空間。
 世界に自分しかいないと思えるような、ここ瞬間がりつは何より好きだ。
しおりを挟む
1 / 2

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

どんな小さな不正も許せない!

SF / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

49日間の恋〜別れは突然に〜

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:3

僕はパラポンパラ星人

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

処理中です...