【完結】追放された嫌われ魔法使いは、拾った毛玉を盲愛する

飛鳥えん

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逃げたりしないから

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ユシウスが森の途中でその匂いを嗅いだのは、日暮れよりかなり早い時刻だった。

街での調達を済ませて、レオニールは落ち合った後、すぐに帰路についた。レネの体調が心配で、放っておいたらまた椅子の上でうたた寝して身体を冷やしているのではと思うと、すぐにでも飛んで帰りたくなったのだ。

レオニールはそんなユシウスを過保護と揶揄ったが、引き留めはしなった。



そして今、ユシウスの嗅覚は森の異常を感じ取り、全身の毛が逆立ち、喉からは警戒の唸り声が漏れた。

これは火と、物が焦げていく匂いだ。

「レネ様っ!」

考える前に獣の姿になり、四つ足で木の枝を薙ぎ払い、駆けだした。



目の前で、彼の大事な場所が炎に飲み込まれていた。

水車小屋の一部がすでに残骸となり、一体化した大きな樹は、根元から黒いすすに覆われ、枝に火が燃え移っている。

(っ、……レネ様っ!)

唸り声を上げて、炎の中に飛び込んだ。熱の中、ちりちりと毛を焼かれるが、いっそ何も感じられない。ただレネの姿を探して小屋の中を飛び回る。二階は崩れている。人の気配がない。書斎はかろうじて火の手が回りきっていないようだ。

床に物が散乱し、そして、一か所に茶色い染みがあった。

その横には真鍮製の小物入れが落ちていて、側にごみのようなものが散らばっている。

小石、松ぼっくりやどんぐり、カサカサになった大きな葉っぱ……。

ユシウスは何かが喉元までせり上がるのをこらえて、床の染みに鼻を近づけた。レネの匂い……レネの血の匂いだ。



匂いは血の跡とともに外へ向かっている。

ユシウスは外へ飛び出し、血と匂いを辿って森へと駆けだした。



息も荒く森を駆けると、前方にうっすらと白っぽい人影が見えた。

「レネ様!……ああっ、良かった!怪我は!?いったい何があったんですか!」

安堵のあまり、人の姿になって裸のまま駆け寄ると、人影がこちらを振り向いて、口元に笑みを浮かべた。

そのままレネに抱き着こうと伸ばした腕を、ゆっくりと下げる。

「レネ様、その髪」

「髪がどうかしましたか? ユシウス、心配を掛けましたね。もう大丈夫です。さあ、こちらへ」

腰まである長さの髪と、差し出された手を見て、ユシウスは目を見開いた。次の瞬間、レネリウスの首を片手で掴み地面に押し倒した。



鋭い爪でぎちぎちと首に食い込ませる。うめき声を上げるレネリウスの上に馬乗りになり、ユシウスは彼の右手を乱暴に掴んだ。

「この指輪、どうしたんですか?」

「ぐっ、ゆ、指輪……?」

緑色の貴石が嵌った銀の指輪。あの時、一度だけ見たそれを、今の今まで思い出しもしなかったのに。

「あの時……俺を買ったとき、金貨と一緒にゼレニクに渡してた。だからもう持ってないはずだ……お前、誰だ」

地を這うように低い声で唸る。レネがいない。なのにレネの姿をした何者かが、目の前にいる。レネはどこだ……!



身体の下のレネリウスが苦悶を浮かべ、腕を振り払うようにした。すると突風が起き、ユシウスの身体は吹き飛ばされる。樹に背中から叩きつけられる瞬間、ユシウスは獣の姿をとって唸り声を上げた。

グルルルル、と牙を剥き爪を地面に食い込ませる赤毛の大狼を前に、レネの姿をした何者かが嗤う。

「あの娘はうまくやったようだ。君がレネリウスのご執心の狼かね?」

ユシウスは威嚇を続け、頭を食い千切ろうかどうしようか迷った。

(れねとおなじかお。でも、れねじゃない)

別人だと分かっていても、その身体を引き裂くのは躊躇われる。

「れね、どこ、やった」

狼の口から不気味な声が漏れると、偽のレネは呆れたような顔をした。

「ほう、人語を話せるのか。これも魔力と寿命を分け与えられた影響か?あれも無駄なことに魔法使いの財産を使ったものだ」

「おまえ、ころす、れね……かえせ」

「獣人奴隷ふぜいが、落ちぶれたとはいえ魔法使いを我が物のように言うとは。ははっ!こいつはいい!あの高慢な天才も落ちたものだ」

狼は咆哮とともに無礼な男に飛び掛かった。もはやレネと同じ顔だろうが声だろうがどうでもいい。レネを侮辱したのだ。その首を胴体から切り離してレネに詫びさせてやる……!



しかしユシウスの牙が喉に食らいつく瞬間、男の身体はバサバサと音を立てて無数のカラスへと変化した。

かぎづめと嘴で、ユシウスの目を狙いながら、甲高く鳴き、空へと舞い上がる。

数羽のカラスを捕え牙でかみ砕いたが、鳥の死骸は地面に落ちると黒いすすとなって風化した。

ユシウスは獲物を取り逃がした不甲斐なさに苛立ったが、しかしすぐに、その場を後にした。偽物に構っている暇など無かった。



気が狂ったように森中を駆け巡り、ついにそれを見つけた時には、ぐったりと地面に倒れる寸前だった。

しかし嗅ぎなれたレネの甘い匂いが、ユシウスの本能を刺激し、ほとんど錯乱したようにそれに飛びついた。

それは、無数の棘に覆われた蔦が作り上げた、大きな繭だった。

明らかに異常な気配で、森の中に見たことなどないものだ。しかも、その内側から微かに、ユシウスが求める唯一の匂いがする。

キュウキュウと子犬のように鳴きながら、ユシウスは前足と牙で強引に蔦をこじ開けた。

棘が皮膚を抉るが、血まみれになるのも構わず胴体を繭の中にねじ込ませると、ユシウスはそこに、探し求めたものを見つけた。



レネは、まるで彼の寝室で眠っている時のように、静かに寝息を立てていた。違うのは、繭に横たわる彼の身体に、棘の蔦が絡みついて無残にも血が滲んでいることだ。

ユシウスは人型になり、無我夢中で蔦を振りほどこうとしたが、固く食い込んだそれはびくともしない。

「レネ様、レネ様!……起きてくださいよ、ねえ……家を建て直さないとですよね。レネ様と俺の家、燃えちゃったんです。なんでか分からないけど」

ユシウスはレネの身体に覆いかぶさるように、そっと揺すった。

胸のあたりに顔をくっつけ、喉を鳴らす。そうするとレネは、どんなみ機嫌が悪い時でも、ユシウスに顔を向けて構ってくれたものだった。

「俺が昔あげたやつ、レネ様取っておいてくれたんですね……嬉しいな。綺麗な箱に入れて……あんなの、ただのごみなのに」



「街でレネ様が好きなキャンディーを買って来たんですよ。ベリー味の。……あ、でも家の中に落としてきちゃったんだ……ごめんなさい、また次に行ったときに買ってきますね」



「……雨が降ってきた。レネ様、濁り雨ですよ……ここは雨に濡れないからいいけど、やっぱりもう起きた方がいいです。俺、さっきからずっと一人で喋ってるの寂しいから、今度はレネ様が話して」



「夜になっちゃいましたね……寒くないですか?ああ、俺が狼になればいいのか!ちょっと狭くなるけど、怒らないでくださいね」



「……最近、濁り雨が降らなくなりましたね。どうしてだろう。どうでもいいか。……レネ様ぁ、もう起きないと、昼過ぎですよ。川で魚を取ってきたから、一緒に食べよう」



「今日、森に人間がたくさん来てました。大丈夫、うるさくしたらレネ様が嫌だろうと思って、追い払ってやりました。ちゃんと、傷付けずにやったんですよ。レネ様、俺を褒めて」



「雪が解けてきたから、もうすぐレネ様の冬眠も終わりかな……あはは、拗ねないでください。……起きたら一緒に山菜を取りに行きましょうね」



「レネ様、お腹すいてませんか?もうどれくらい食べてないかな。十日?ひと月?もっと経った?魔法使いだから、食べなくても平気ですか?でも、レネ様に俺の料理を食べてほしいなあ」



レネ様、レネ様……。もう自分が人語を話しているのか、それとも獣の声を発しているのかすらよく分からない。

レネが起きてくれないので、ユシウスは寂しくて、退屈で、他にすることがない。

レネの家を燃やした者たちに復讐したり、偽物のレネが何か知っているなら探して聞き出すことが今すべきことなのかもしれないのに、本能的に、レネの傍にいる以外の選択肢を排除していた。

「レネ様は起きて一人きりなのが一番嫌ですもんね。大丈夫ですよ。俺がここにいて、起きたらすぐにレネ様におはようを言うから」

ユシウスはレネの額に口づけると、その体に寄り添って丸くなった。

狼の身体は痩せて一回り小さくなっていたので、繭の中は前ほど窮屈ではなくなっていた。

「逃げたりしないから、心配しないで。この世の誰より大好きです」
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