『追放令嬢は薬草(ハーブ)に夢中 ~前世の知識でポーションを作っていたら、聖女様より崇められ、私を捨てた王太子が泣きついてきました~』

とびぃ

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第2章 起動

2-2:未知の宝庫へ

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森の中は、想像以上だった。
一歩足を踏み入れただけで、空気が変わるのが分かった。王都の乾燥した空気とは違い、湿度が跳ね上がり、肌にまとわりつくような濃密な緑の匂いが肺を満たす。
王都の整備された庭園とは、何もかもが違っていた。あそこにある植物は、すべて人間の手によって管理され、品種改良された、いわば「家畜」だ。
だが、ここは違う。ここは、手つかずの「野生」だ。
(すごい……)
ソフィアは、興奮で震える指先で、近くの木の幹に触れた。ごつごつとした樹皮。その隙間には、見たこともない、青白い光を放つ苔が生えている。
(これが、魔力を帯びた植物……。ルミネッセンス? いや、魔力そのものが発光している?)
前世の知識では説明がつかない現象が、そこかしこに転がっていた。
足元を見れば、シダ植物がまるで絨毯のように生い茂っているが、その葉脈は銀色に輝いている。
(落ち着きなさい、私)
ソフィアは、はやる心を自制した。
研究者(カオリ)としての血が騒ぎ、今すぐにでもこの発光苔と銀色のシダを採取し、成分を分析したい衝動に駆られる。サンプル瓶も、簡易顕微鏡も、麻袋の中に入れてきた。
だが、侯爵令嬢(ソフィア)としての合理的な思考が、それを諫めた。
(ダメよ。最優先事項は、拠点の確保。安全なベースキャンプがなければ、研究どころではないわ。この森で夜を迎えるのは、自殺行為)
幸い、ソフィア(カオリ)には知識があった。
前世では、製薬会社の研究職であると同時に、週末は山に入り浸るほどのハーブマニアであり、サバイバルゲームの愛好家でもあった。山中でのビバーク(野宿)の経験も何度かある。
(まずは水源。飲料水であり、実験用水でもある。次に、雨風をしのげる場所。そして、魔物から身を守れる、見通しの良い高台がベスト)
彼女は、分厚い霧と木々の隙間からかろうじて見える太陽の——正確には、太陽のある方角の「明るみ」の——位置と、地形の傾斜を冷静に分析し始めた。
(森の入り口はわずかに高台になっていた。そして、私は今、緩やかに下っている。水は高いところから低いところへ流れる。このまま進めば、川か沢にぶつかる可能性が高い)
「……こっちね」
ソフィアは、最も傾斜が緩やかで、比較的茨の少ない方角を選んだ。
引き裂いたドレスの裾が、泥にまみれるのも構わず、彼女は獣道なき道を進んだ。
巨大なシダ植物の群生地を抜けると、今度は巨大なキノコの森に出た。人の傘ほどもあるカラフルなキノコが、倒木や地面から無数に生えている。そのすべてが、ソフィアにとっては未知のサンプルだった。
(あのキノコ、傘の裏が鮮やかな青色……。前世の知識なら、まず間違いなく猛毒か、幻覚成分(マジックマッシュルーム)ね。新種のアルカロイドが期待できるかも)
(あそこに咲いている紫色の花……。花の形状は前世のトリカブトに酷似しているけど、葉の形が違う。これは……アコニチン系とは別の、強力な神経毒を持つ可能性があるわ)
好奇心を抑えるのに必死だった。今にもしゃがみこんでスケッチを始めたいのを、ぐっと堪える。
ガサリ。
その時だった。
不意に、進行方向の右手、わずか三十メートルほどの茂みの奥で、大きな物音がした。
(!)
ソフィアは瞬時に思考を中断し、身を伏せた。音を立てないよう、ゆっくりと近くの大木の陰に隠れる。
心臓が、警告音のように激しく脈打つ。
息を殺し、音のした方を凝視する。
茂みが激しく揺れ、バリバリと枝を折る音と共に、それが現れた。
猪だった。
いや、ただの猪ではない。
体長は二メートルを超え、その筋骨隆々とした体は黒い剛毛で覆われている。両目からは、まるで内側から燃えているかのような不気味な赤い光が放たれ、口から突き出た二本の牙は、黒曜石のように鋭く尖っていた。
(あれが、魔物……牙猪(ファングボア))
学園の座学で習った知識が蘇る。低級の魔物。だが、それはあくまで「魔物として」低級という意味だ。その突進力は、訓練された騎士の盾すら砕くという。
牙猪は、ソフィアには気づいていないようだった。鼻をフンフンと鳴らしながら、地面に生えていた、あの青いキノコをむさぼり始めた。
ソフィアは、冷や汗が背中を伝うのを感じながらも、その目を魔物から逸らさなかった。
(……大丈夫。私に気づいていない。風向きは、こちらからあちらへ。匂いも届いていない)
彼女の分析は、恐怖よりも早く作動していた。
(あの青いキノコを食べている。あのキノコは、牙猪の餌。つまり、牙猪の生息域にはあのキノコが群生している。そして、あの牙猪、目が赤い。あれは……興奮状態? それとも、あのキノコに含まれる幻覚成分のせい? もしかして、あのキノコを摂取することで、凶暴性を増しているとか?)
すべての情報を、脳内にインプットしていく。
やがて牙猪が満足したのか、ゆっくりと森の奥へ去っていくのを見届けると、ソフィアは木の幹に背を預けたまま、大きく息を吐き出した。
(……スリリングすぎるわ)
だが、恐怖は、すぐに別の感情に塗り替えられた。
(魔物がいる。つまり、この森の生態系は、私の知る常識の外にある。魔物が植物を食べ、植物が魔力に適応している。……なんて素晴らしいフィールドなの!)
彼女は、先ほどの死の恐怖すらも、研究対象への知的好奇心へと変換してしまった。
(ただし、安全マージンは最大に取らないと。牙猪一匹でこれだもの。夜になれば、もっと危険な捕食者が動き出すはず)
改めて気を引き締め、彼女は再び歩き出した。
魔物との遭遇を経て、安全な拠点の必要性を、身をもって痛感したからだった。
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