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第4章 交流(森の薬師様)
4-1:茂みの中の訪問者
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パキッ。ザッ……。
静寂は、破られた。
ソフィアが手に入れたばかりの、穏やかな午後のティータイムは、招かれざる「二足歩行」の気配によって、一瞬にして凍りついた。
(……人間)
本能的な恐怖と、研究者としての冷静な分析が、脳内で火花を散らす。
(衛兵? 違う。彼らが戻ってくる理由がない。では、誰? 追っ手? クライネルト侯爵家が、私を連れ戻しに?)
いや、それも考えにくい。あのアルベルト王太子の「王命」に逆らってまで、家が私生児同然の自分を保護するとは到底思えなかった。
(ならば、最悪のケースは……この森に住まう、別の「何か」。野盗か、あるいは……)
ソフィアは、息を殺し、アトリエの入り口の影に身を潜めた。石造りの壁の冷たさが、ドレスの残骸越しに肌に伝わる。
手には、護身用に常に腰に下げている乗馬用ナイフを、逆手に固く握りしめていた。その切っ先は、獲物の急所を的確に狙うため、冷たい光を放っている。
ザザッ……。
また音がした。今度は、アトリエの裏手、彼女が開墾したばかりのハーブ園の方だ。
(まずいわ、あそこは無防備よ。種を蒔いたばかりなのに!)
自分の身の危険よりも、ハーブ園を踏み荒らされる可能性に、ソフィアの意識は一瞬、鋭く反応した。
(落ち着きなさい、私。相手の正体も数も分からないのに、飛び出すのは愚策)
彼女は、前世のサバイバルゲームで培った隠密行動(ステルス)の技術を思い出す。呼吸を極限まで浅くし、聴覚を研ぎ澄ませ、気配の正体を探る。
(複数……? 一人じゃない。足音が、軽い。ザッ、ザッ、という間隔が短い……)
それは、大人の屈強な男の足音ではなかった。
もっと軽く、せわしない。
(……子供?)
ソフィアが、その可能性に行き当たった、まさにその時だった。
「……なあ、本当にここに『魔女』がいるのか?」
ひそひそとした、甲高い声。
アトリエの角から、恐る恐る、一つの小さな頭が覗き込んだ。
栗色のくしゃくしゃの髪。そばかすだらけの鼻。歳は、十歳にも満たないだろうか。
その瞳が、アトリエの入り口の影に立つソフィアの姿を捉えた瞬間、大きく、大きく見開かれた。
「「うわあああああああ!!」」
甲高い悲鳴は、一人分ではなかった。
茂みの中から、わらわらと、同じような年頃の子供たちが、三人、四人と転がり出てきた。
「で、出た! 本当にいたぞ!」
「魔女だ!」
「髪が銀色で、目が赤い……! ばあちゃんが言ってた、『森の魔女』そのものだ!」
子供たちは、蜘蛛の子を散らすように、パニックになって叫んだ。
ソフィアは、その姿を見て、ナイフを握る手の力を、思わず緩めていた。
(……子供。それも、ひどく汚れた服を着た……)
彼らが着ているのは、貴族の子供が着るような上質なリネンではない。擦り切れ、泥にまみれた、粗末な麻布の服だった。
(麓の村……。この森の近くに、人の集落があったのね)
「ま、待ちなさい!」
ソフィアは、咄嗟に声をかけた。
だが、その声が、子供たちの恐怖をさらに煽る結果となった。
「ひいぃ! 魔女がしゃべった!」
「逃げろ! 食べられるぞ!」
子供たちは、我先にと踵を返し、小川を飛び越え、来た道である茂みの中へと猛然と突っ込んでいく。
その中に一人、ひときわ体の小さな少年が、木の根に足を取られて派手に転んだ。
「マルク! 早くしろ!」
「う、うん!」
マルクと呼ばれた少年は、泣き出しそうな顔で立ち上がると、必死の形相で仲間たちの後を追っていった。
ガサガサガサ……ッ!
茂みが激しく揺れ、やがて、その音も遠ざかっていく。
後に残されたのは、子供たちが転んだ拍子に落としていったらしい、粗末な木彫りの人形一つと、呆然と立ち尽くすソフィアだけだった。
「……魔女、ねえ」
ソフィアは、握りしめていたナイフを、ゆっくりと鞘に戻した。
(確かに、こんなボロボロのドレスを着て、石造りの小屋に一人で住んでいたら、そう見えるのも無理はないか)
貴族令嬢だった頃は、その銀髪と赤い瞳(アルビノに近かった)を「神秘的」と持て囃す者もいれば、「不吉」と陰口を叩く者もいた。どうやら、この森の麓の村では、後者の伝説がまことしやかに語られているらしい。
(でも、困ったわ)
ソフィアは、子供たちが落としていった木彫りの人形を拾い上げた。
(麓の村。つまり、人間の生活圏が、このアトリエのすぐ近くにある。……厄介ごとが増えなければいいけれど)
彼女が望むのは、誰にも邪魔されない静かな研究生活だ。
「魔女」として恐れられるのは、ある意味、好都合かもしれない。誰も近寄らなくなるだろうから。
(でも、あの子供たち……。かなり栄養状態が悪そうだった。それに、あんな子供たちが、魔物のいるこの森の入り口まで遊びに来るなんて)
村の生活が、かなり逼迫している可能性が、ソフィアの脳裏をよぎった。
彼女は、拾い上げた人形をアトリエのテーブルの上に置くと、深くため息をついた。
(……とにかく、接触は避けるべきね。面倒は、ごめんだわ)
ソフィアは、自作のカモミールティーの冷たくなった残りを一気に飲み干すと、アトリEの扉を、いつもより少しだけ強く、閉めた。
静寂は、破られた。
ソフィアが手に入れたばかりの、穏やかな午後のティータイムは、招かれざる「二足歩行」の気配によって、一瞬にして凍りついた。
(……人間)
本能的な恐怖と、研究者としての冷静な分析が、脳内で火花を散らす。
(衛兵? 違う。彼らが戻ってくる理由がない。では、誰? 追っ手? クライネルト侯爵家が、私を連れ戻しに?)
いや、それも考えにくい。あのアルベルト王太子の「王命」に逆らってまで、家が私生児同然の自分を保護するとは到底思えなかった。
(ならば、最悪のケースは……この森に住まう、別の「何か」。野盗か、あるいは……)
ソフィアは、息を殺し、アトリエの入り口の影に身を潜めた。石造りの壁の冷たさが、ドレスの残骸越しに肌に伝わる。
手には、護身用に常に腰に下げている乗馬用ナイフを、逆手に固く握りしめていた。その切っ先は、獲物の急所を的確に狙うため、冷たい光を放っている。
ザザッ……。
また音がした。今度は、アトリエの裏手、彼女が開墾したばかりのハーブ園の方だ。
(まずいわ、あそこは無防備よ。種を蒔いたばかりなのに!)
自分の身の危険よりも、ハーブ園を踏み荒らされる可能性に、ソフィアの意識は一瞬、鋭く反応した。
(落ち着きなさい、私。相手の正体も数も分からないのに、飛び出すのは愚策)
彼女は、前世のサバイバルゲームで培った隠密行動(ステルス)の技術を思い出す。呼吸を極限まで浅くし、聴覚を研ぎ澄ませ、気配の正体を探る。
(複数……? 一人じゃない。足音が、軽い。ザッ、ザッ、という間隔が短い……)
それは、大人の屈強な男の足音ではなかった。
もっと軽く、せわしない。
(……子供?)
ソフィアが、その可能性に行き当たった、まさにその時だった。
「……なあ、本当にここに『魔女』がいるのか?」
ひそひそとした、甲高い声。
アトリエの角から、恐る恐る、一つの小さな頭が覗き込んだ。
栗色のくしゃくしゃの髪。そばかすだらけの鼻。歳は、十歳にも満たないだろうか。
その瞳が、アトリエの入り口の影に立つソフィアの姿を捉えた瞬間、大きく、大きく見開かれた。
「「うわあああああああ!!」」
甲高い悲鳴は、一人分ではなかった。
茂みの中から、わらわらと、同じような年頃の子供たちが、三人、四人と転がり出てきた。
「で、出た! 本当にいたぞ!」
「魔女だ!」
「髪が銀色で、目が赤い……! ばあちゃんが言ってた、『森の魔女』そのものだ!」
子供たちは、蜘蛛の子を散らすように、パニックになって叫んだ。
ソフィアは、その姿を見て、ナイフを握る手の力を、思わず緩めていた。
(……子供。それも、ひどく汚れた服を着た……)
彼らが着ているのは、貴族の子供が着るような上質なリネンではない。擦り切れ、泥にまみれた、粗末な麻布の服だった。
(麓の村……。この森の近くに、人の集落があったのね)
「ま、待ちなさい!」
ソフィアは、咄嗟に声をかけた。
だが、その声が、子供たちの恐怖をさらに煽る結果となった。
「ひいぃ! 魔女がしゃべった!」
「逃げろ! 食べられるぞ!」
子供たちは、我先にと踵を返し、小川を飛び越え、来た道である茂みの中へと猛然と突っ込んでいく。
その中に一人、ひときわ体の小さな少年が、木の根に足を取られて派手に転んだ。
「マルク! 早くしろ!」
「う、うん!」
マルクと呼ばれた少年は、泣き出しそうな顔で立ち上がると、必死の形相で仲間たちの後を追っていった。
ガサガサガサ……ッ!
茂みが激しく揺れ、やがて、その音も遠ざかっていく。
後に残されたのは、子供たちが転んだ拍子に落としていったらしい、粗末な木彫りの人形一つと、呆然と立ち尽くすソフィアだけだった。
「……魔女、ねえ」
ソフィアは、握りしめていたナイフを、ゆっくりと鞘に戻した。
(確かに、こんなボロボロのドレスを着て、石造りの小屋に一人で住んでいたら、そう見えるのも無理はないか)
貴族令嬢だった頃は、その銀髪と赤い瞳(アルビノに近かった)を「神秘的」と持て囃す者もいれば、「不吉」と陰口を叩く者もいた。どうやら、この森の麓の村では、後者の伝説がまことしやかに語られているらしい。
(でも、困ったわ)
ソフィアは、子供たちが落としていった木彫りの人形を拾い上げた。
(麓の村。つまり、人間の生活圏が、このアトリエのすぐ近くにある。……厄介ごとが増えなければいいけれど)
彼女が望むのは、誰にも邪魔されない静かな研究生活だ。
「魔女」として恐れられるのは、ある意味、好都合かもしれない。誰も近寄らなくなるだろうから。
(でも、あの子供たち……。かなり栄養状態が悪そうだった。それに、あんな子供たちが、魔物のいるこの森の入り口まで遊びに来るなんて)
村の生活が、かなり逼迫している可能性が、ソフィアの脳裏をよぎった。
彼女は、拾い上げた人形をアトリエのテーブルの上に置くと、深くため息をついた。
(……とにかく、接触は避けるべきね。面倒は、ごめんだわ)
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