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第4章 交流(森の薬師様)
4-2:牙猪と赤い実
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子供たちとのファーストコンタクト(とは呼べない遭遇)から、数日が経過した。
ソフィアは、あの日以来、アトリエの周囲への警戒レベルを一段階引き上げていた。
(子供たちとはいえ、こちらの生活圏を知られたのは事実。彼らが大人に話せば、次は武装した村人が来る可能性もある)
彼女は、前世のサバイバル知識を活かし、アトリEの周囲、特に小川の対岸の茂みに、簡易的な「警報トラップ」を仕掛けることにした。
小石を入れた空き缶(ガラクタの山から発掘した)を、細い蔓(つる)で吊るし、誰かが蔓に触れれば、缶が落ちて音が鳴る仕組みだ。原始的だが、無いよりは遥かにマシだった。
だが、数日経っても、そのトラップが鳴ることはなかった。
村人たちが来る気配も、子供たちが再び現れる気配もない。
(……諦めたのかしら。それとも、本気で私を「触れてはいけない魔女」として認識したか)
どちらにせよ、好都合だった。
ソフィアは、中断していた研究生活に戻ることにした。
今日は、先日見つけた牙猪(ファングボア)が食べていた、あの「青いキノコ」のサンプルを採取しに行く日だ。
(あれが牙猪の餌だとして、その成分は? 牙猪を凶暴化させる幻覚成分か、それとも、彼らにとってはただの栄養源か。もし前者なら、あのキノコから「興奮剤」が作れるかもしれない。逆にもし、あのキノコに毒性があり、牙猪だけがそれに耐性を持っているとしたら……? その耐性メカニズムを解明すれば、強力な「解毒剤」の開発に繋がるかもしれない)
研究者の探求心は、もはや魔物への恐怖を凌駕していた。
ソフィアは、万全の準備を整えた。
腰にはナイフ。肩からは、採取用のバスケットと、麻袋(サバイバルキット)を斜めがけにする。
麻袋の中には、薬研とサンプル瓶、そして、先日試作した『止血軟膏Lv.1』が、小さな壺に入れられていた。
(あの後、運良く罠にかかっていた小動物(森ウサギ)を見つけてね。その脂肪(ラード)を精製し、スギナと調合して、ついにLv.1の軟膏が完成したのよ)
『名称:特製軟膏Lv.1(スギナ&ラード)』
『薬効:Lv.1(止血)、Lv.1(消毒)、Lv.1(治癒促進)』
『効果:軽度~中程度の切り傷、擦り傷に有効。化膿を防ぎ、治癒を早める』
この軟膏は、彼女の「薬師」としての、最初の本格的な「製品」だった。自分の腕の傷も、これのおかげで、もうすっかり塞がっている。
(よし、出発しましょう)
ソフィアは、アトリエに鍵(もちろん、そんなものは無いので、内側から丸太で閂をかける)をかけ、例の青いキノコが生えていた、森の少し奥まったエリアへと足を踏み入れた。
牙猪との遭遇を避けるため、風下に立ち、常に周囲の音に気を配りながら、慎重に進む。
(……あったわ)
目的の、青いキノコの群生地に到着した。
ソフィアは、インターフェイスを起動させ、手袋(ドレスの布で作った)をした手で、そっとキノコに触れた。
『名称:ファング・キャップ』
『分類:不明(魔力変異種)』
『成分:サイロシビン(類似の幻覚成分)、アドレナリン(類似の興奮物質)、他、未知の魔力性タンパク質』
『毒性:強(人間・亜人)。精神錯乱、極度の興奮、心臓麻痺を引き起こす』
『特記事項:牙猪(ファングボア)は、このキノコに対し強い耐性を持ち、栄養源とする。ただし、摂取により、その凶暴性は増大する』
(……ビンゴ!)
ソフィアの口元が、喜びに歪む。
(牙猪の凶暴化は、やはりこのキノコのせいだったのね。つまり、このキノコは、使い方次第で「毒薬」にも「興奮剤」にもなる。そして、牙猪の体内には、この強力な毒を中和する「抗体」か「酵素」があるはず……!)
これは、大発見だった。
ソフィアは、夢中になってキノコをサンプル瓶に詰め、周囲の土壌も採取した。
「——だめだって、マルク! ばあちゃんが、その実は食べたら死ぬって言ってたぞ!」
「——大丈夫だって! 真っ赤で、美味そうじゃんか! ちょっとだけ……」
その時だった。
採取に夢中になっていたソフィアの耳に、数日前と同じ、子供たちの声が飛び込んできた。
(!)
ソフィアは、ハッと顔を上げた。
声は、近い。この群生地の、すぐ先の茂みからだ。
(馬鹿! なんでこんな森の奥にまで……!)
ソフィアは、サンプル瓶をバスケットにねじ込むと、音を立てないよう、声のする方へと近づいた。
茂みの隙間から見えた光景に、彼女は息を飲んだ。
そこには、数日前に見た、あの子供たちがいた。
そして、マルクと呼ばれた少年が、大人の背丈ほどもある奇妙な灌木に、手を伸ばそうとしていた。
その灌木には、宝石のように真っ赤な、しかし見るからに毒々しい光沢を放つ実が、たわわに実っていた。
「やめなさい!」
ソフィアが叫ぶよりも早く、インターフェイスが警告を発した。彼女が、その実を「視認」しただけで、情報が流れ込んできたのだ。
『名称:ドラゴンズ・ブラッド(竜血の実)』
『毒性:猛毒(神経毒)。一粒で成人も即死。』
『特記事項:魔力を帯び、甘い香りで獲物(動物、子供)を誘引する』
(即死!?)
「触っちゃダメ!」
ソフィアは、茂みから飛び出した。
「うわああ! ま、魔女だ!」
子供たちは、再びソフィアの姿を見て悲鳴を上げた。
マルクも、驚きに手を引っ込める。
だが、ソフィアが警告を発したかった相手は、子供たちだけではなかった。
ガササササッ!
茂みが、激しく揺れた。
子供たちの悲鳴と、あの赤い実の甘い誘引臭。
それが、最悪の組み合わせで、「何か」を呼び寄せてしまったのだ。
「……!」
ソフィアは、子供たちを庇うように、ナイフを構えて茂みを睨みつけた。
(まずい、この匂い……!)
腐葉土の匂いに混じる、強烈な獣臭。
そして、低い、地を這うような唸り声。
茂みから飛び出してきたのは、この間遭遇した牙猪(ファングボア)——よりも、一回りも二回りも小さい、しかし、数は多い、「それ」だった。
体長は一メートルほど。だが、牙はすでに黒曜石のように鋭く、目は飢えと興奮で赤く輝いている。
(牙猪の……子供!? いや、小型の群れ!)
「グルルルル!」
五匹、いや、六匹。
小型の牙猪(ベビーボア)の群れが、ソフィアと子供たちを取り囲むように、じりじりと距離を詰めてくる。
(最悪だわ……!)
ソフィアは、背後で恐怖に震える子供たちを、ナイフを構えたまま振り返った。
「……あなたたち、私が合図をしたら、アトリエ(私の小屋)の方向に、全力で走りなさい。いいわね?」
「で、でも……!」
「問答無用! 死にたくなければ!」
ソフィアの、侯爵令嬢としての威圧感(とカオリの切迫感)が、子供たちの恐怖を上回った。
子供たちは、涙目になりながらも、こくこくと頷いた。
(私が、時間を稼ぐしかない)
ソフィアは、再び牙猪の群れに向き直った。
その瞳には、もはや貴族令嬢の面影はなく、獲物を前にした、冷徹な狩人の光が宿っていた。
ソフィアは、あの日以来、アトリエの周囲への警戒レベルを一段階引き上げていた。
(子供たちとはいえ、こちらの生活圏を知られたのは事実。彼らが大人に話せば、次は武装した村人が来る可能性もある)
彼女は、前世のサバイバル知識を活かし、アトリEの周囲、特に小川の対岸の茂みに、簡易的な「警報トラップ」を仕掛けることにした。
小石を入れた空き缶(ガラクタの山から発掘した)を、細い蔓(つる)で吊るし、誰かが蔓に触れれば、缶が落ちて音が鳴る仕組みだ。原始的だが、無いよりは遥かにマシだった。
だが、数日経っても、そのトラップが鳴ることはなかった。
村人たちが来る気配も、子供たちが再び現れる気配もない。
(……諦めたのかしら。それとも、本気で私を「触れてはいけない魔女」として認識したか)
どちらにせよ、好都合だった。
ソフィアは、中断していた研究生活に戻ることにした。
今日は、先日見つけた牙猪(ファングボア)が食べていた、あの「青いキノコ」のサンプルを採取しに行く日だ。
(あれが牙猪の餌だとして、その成分は? 牙猪を凶暴化させる幻覚成分か、それとも、彼らにとってはただの栄養源か。もし前者なら、あのキノコから「興奮剤」が作れるかもしれない。逆にもし、あのキノコに毒性があり、牙猪だけがそれに耐性を持っているとしたら……? その耐性メカニズムを解明すれば、強力な「解毒剤」の開発に繋がるかもしれない)
研究者の探求心は、もはや魔物への恐怖を凌駕していた。
ソフィアは、万全の準備を整えた。
腰にはナイフ。肩からは、採取用のバスケットと、麻袋(サバイバルキット)を斜めがけにする。
麻袋の中には、薬研とサンプル瓶、そして、先日試作した『止血軟膏Lv.1』が、小さな壺に入れられていた。
(あの後、運良く罠にかかっていた小動物(森ウサギ)を見つけてね。その脂肪(ラード)を精製し、スギナと調合して、ついにLv.1の軟膏が完成したのよ)
『名称:特製軟膏Lv.1(スギナ&ラード)』
『薬効:Lv.1(止血)、Lv.1(消毒)、Lv.1(治癒促進)』
『効果:軽度~中程度の切り傷、擦り傷に有効。化膿を防ぎ、治癒を早める』
この軟膏は、彼女の「薬師」としての、最初の本格的な「製品」だった。自分の腕の傷も、これのおかげで、もうすっかり塞がっている。
(よし、出発しましょう)
ソフィアは、アトリエに鍵(もちろん、そんなものは無いので、内側から丸太で閂をかける)をかけ、例の青いキノコが生えていた、森の少し奥まったエリアへと足を踏み入れた。
牙猪との遭遇を避けるため、風下に立ち、常に周囲の音に気を配りながら、慎重に進む。
(……あったわ)
目的の、青いキノコの群生地に到着した。
ソフィアは、インターフェイスを起動させ、手袋(ドレスの布で作った)をした手で、そっとキノコに触れた。
『名称:ファング・キャップ』
『分類:不明(魔力変異種)』
『成分:サイロシビン(類似の幻覚成分)、アドレナリン(類似の興奮物質)、他、未知の魔力性タンパク質』
『毒性:強(人間・亜人)。精神錯乱、極度の興奮、心臓麻痺を引き起こす』
『特記事項:牙猪(ファングボア)は、このキノコに対し強い耐性を持ち、栄養源とする。ただし、摂取により、その凶暴性は増大する』
(……ビンゴ!)
ソフィアの口元が、喜びに歪む。
(牙猪の凶暴化は、やはりこのキノコのせいだったのね。つまり、このキノコは、使い方次第で「毒薬」にも「興奮剤」にもなる。そして、牙猪の体内には、この強力な毒を中和する「抗体」か「酵素」があるはず……!)
これは、大発見だった。
ソフィアは、夢中になってキノコをサンプル瓶に詰め、周囲の土壌も採取した。
「——だめだって、マルク! ばあちゃんが、その実は食べたら死ぬって言ってたぞ!」
「——大丈夫だって! 真っ赤で、美味そうじゃんか! ちょっとだけ……」
その時だった。
採取に夢中になっていたソフィアの耳に、数日前と同じ、子供たちの声が飛び込んできた。
(!)
ソフィアは、ハッと顔を上げた。
声は、近い。この群生地の、すぐ先の茂みからだ。
(馬鹿! なんでこんな森の奥にまで……!)
ソフィアは、サンプル瓶をバスケットにねじ込むと、音を立てないよう、声のする方へと近づいた。
茂みの隙間から見えた光景に、彼女は息を飲んだ。
そこには、数日前に見た、あの子供たちがいた。
そして、マルクと呼ばれた少年が、大人の背丈ほどもある奇妙な灌木に、手を伸ばそうとしていた。
その灌木には、宝石のように真っ赤な、しかし見るからに毒々しい光沢を放つ実が、たわわに実っていた。
「やめなさい!」
ソフィアが叫ぶよりも早く、インターフェイスが警告を発した。彼女が、その実を「視認」しただけで、情報が流れ込んできたのだ。
『名称:ドラゴンズ・ブラッド(竜血の実)』
『毒性:猛毒(神経毒)。一粒で成人も即死。』
『特記事項:魔力を帯び、甘い香りで獲物(動物、子供)を誘引する』
(即死!?)
「触っちゃダメ!」
ソフィアは、茂みから飛び出した。
「うわああ! ま、魔女だ!」
子供たちは、再びソフィアの姿を見て悲鳴を上げた。
マルクも、驚きに手を引っ込める。
だが、ソフィアが警告を発したかった相手は、子供たちだけではなかった。
ガササササッ!
茂みが、激しく揺れた。
子供たちの悲鳴と、あの赤い実の甘い誘引臭。
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「……!」
ソフィアは、子供たちを庇うように、ナイフを構えて茂みを睨みつけた。
(まずい、この匂い……!)
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そして、低い、地を這うような唸り声。
茂みから飛び出してきたのは、この間遭遇した牙猪(ファングボア)——よりも、一回りも二回りも小さい、しかし、数は多い、「それ」だった。
体長は一メートルほど。だが、牙はすでに黒曜石のように鋭く、目は飢えと興奮で赤く輝いている。
(牙猪の……子供!? いや、小型の群れ!)
「グルルルル!」
五匹、いや、六匹。
小型の牙猪(ベビーボア)の群れが、ソフィアと子供たちを取り囲むように、じりじりと距離を詰めてくる。
(最悪だわ……!)
ソフィアは、背後で恐怖に震える子供たちを、ナイフを構えたまま振り返った。
「……あなたたち、私が合図をしたら、アトリエ(私の小屋)の方向に、全力で走りなさい。いいわね?」
「で、でも……!」
「問答無用! 死にたくなければ!」
ソフィアの、侯爵令嬢としての威圧感(とカオリの切迫感)が、子供たちの恐怖を上回った。
子供たちは、涙目になりながらも、こくこくと頷いた。
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