『追放令嬢は薬草(ハーブ)に夢中 ~前世の知識でポーションを作っていたら、聖女様より崇められ、私を捨てた王太子が泣きついてきました~』

とびぃ

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第7章 来訪者(魔術師と薬師)

7-4:研究者(ともがら)

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森に、静寂が戻った。
だが、それは、ソフィアが望んでいた「孤独な静寂」とは、質の違うものだった。
小川のせせらぎと、鳥のさえずり。その中に、もう一つ、明確な「他者」の呼吸音が混じっている。
ソフィアは、ナイフを鞘には戻さず、しかし、切っ先は下げたまま、目の前の男——ギルバート・ヴァイスを、値踏みするように観察した。
(……王宮魔術師団、研究室所属。アルベルト殿下の暴走を、合理的に止めた。そして、私の『蒸留器』を、一目で見抜いた)
情報が、脳内で整理されていく。
(敵意は、ない。あるのは、純粋な『好奇心』。……それも、私個人に対してではなく、私の『知識』と『技術』に対して)
それは、ソフィア(カオリ)にとって、最も警戒心が薄れる種類の感情だった。
王宮にいた頃、彼女の「聡明さ」は、アルベルトにとっては「可愛げのない傲慢さ」であり、他の令嬢たちにとっては「嫉妬」の対象でしかなかった。
前世(カオリ)ですら、研究成果は常に「上司」や「会社」のものであり、彼女個人の「知識」そのものに、これほど純粋な敬意を向けてくる人間はいなかった。
「……お見事です」
沈黙を破ったのは、ギルバートだった。
彼は、アルベルトが去っていった方角には目もくれず、まるで古代の遺跡に足を踏み入れる考古学者のように、ゆっくりと、ソフィアのアトリエに近づいてきた。
「無礼を承知で、拝見しても?」
彼は、アトリエの「中」ではなく、ソフィアが暖炉から引きずり出して、外で冷却していた「ガラクタ(蒸留器の残骸)」に、多大な興味を示していた。
「……どうぞ。ガラクタですけれど」
ソフィアは、短く答えた。
ギルバートは、その言葉に、嬉しそうに目を見開くと、まるで子供のように駆け寄り、その不格好な「銅鍋」の前にしゃがみ込んだ。
彼は、指先で、ソフィアが「封泥(ふうでい)」として使った、小麦粉と粘土の跡を、そっと撫でた。その指先は、魔術師特有の、魔力を扱う繊細さを備えていた。
「……すごい。加熱による膨張と、蒸気圧を、粘土と小麦粉の『粘性』だけで、封じ込めている。なんと、合理的(ローコスト)で、なんと、独創的(ハイセンス)だ」
その呟きは、ソフィアに聞かせるためのものではなく、心の底から漏れた、研究者の「感嘆」だった。
彼は次に、冷却用の「螺旋状(コイル)の銅パイプ」を、熱心に観察し始めた。
「……冷却効率を上げるために、表面積を最大化している。王宮の錬金術師たちが、いまだに『氷魔法』による強引な冷却(熱交換の概念がない)に頼っているというのに。あなたは、魔法ではなく、『物理法則』で、それを実現している」
「……」
ソフィアは、何も言わなかった。
だが、彼女の心臓は、先ほど、アルベルトと対峙した時とは、まったく違う種類の緊張感で、高鳴っていた。
(……この男。分かってる)
(私の知識(カオリ)が、この世界で、どれだけ『異端』で、どれだけ『先進的』かを、この男は、一瞬で、理解している)
「ソフィア薬師」
ギルバートは、立ち上がると、今度こそ、ソフィアの赤い瞳をまっすぐに見つめた。
その瞳には、もはや「好奇心」だけではなく、同じ「真理」を追う者への、明確な「敬意」が宿っていた。
「……失礼ながら、アトリエの中も、拝見させてはいただけないだろうか。あなたの『研究室(ラボラトリー)』を」
彼は「小屋」とは言わなかった。
「研究室(ラボラトリー)」と、そう言った。
ソフィアの、侯爵令嬢としての仮面が、わずかに、本当にわずかに、緩んだ。
「……どうぞ。ただし、勝手に『サンプル』には触れないでちょうだい。コンタミネーション(汚染)の原因になるから」
「! ……コンタミ、ネーション」
ギルバートは、その未知の単語(前世の専門用語)を、宝物のように口の中で反芻(はんすう)すると、子供のように、パアッと顔を輝かせた。
「……ぜひ、その『コンタミネーション』とやらについても、ご教授願いたい」
ソフィアは、ふん、と鼻を鳴らすと、彼に背を向け、アトリエの扉を開けた。
(……面倒なことになったわ。でも)
彼女の口元には、アルベルトに見せた冷笑とは違う、ごくごく微かな、研究者が同業者(ライバル)を見つけた時のような、好戦的で、楽しげな笑みが浮かんでいた。
(……退屈は、しなさそうね)
ギルバートが、アトリエに足を踏み入れた瞬間、彼は、息を飲んだ。
そこは、王宮の、埃っぽい薬師長の研究室(死の陳列室)とは、まるで違っていた。
狭いが、すべてが合理的に配置されている。
暖炉の熱は、蒸留器と、調理と、そして室内の「乾燥室」(天井から吊るされたハーブ群)に、無駄なく利用されている。
壁には、ソフィアが書き殴った、羊皮紙の研究ノートが、無数に貼り付けられている。
そこには、魔法陣など一つもない。
あるのは、植物のスケッチ、成分の分析(と彼女が推測したもの)、そして、ギルバートには理解できない、不思議な記号(化学式)の羅列だった。
(……これは、なんだ。この六角形の連なりは……ベンゼン環か? まさか、彼女は、魔力を、分子構造のレベルで……?)
「……ソフィア薬師。あなたは、一体……」
ギルバートは、目の前の「異世界(ソフィアの知識)」に、完全に、心を奪われていた。
彼は、自分が、王国の危機を救うためではなく、ただ、目の前の女性研究者の「脳内」を知りたいがために、ここに残ったのだと、はっきりと自覚した。
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