『追放令嬢は薬草(ハーブ)に夢中 ~前世の知識でポーションを作っていたら、聖女様より崇められ、私を捨てた王太子が泣きついてきました~』

とびぃ

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第19章:新生の聖女と「能力の変化」

19-5:渓谷の底、生命の光

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「さあ、行きましょうか。リリア助手」
「はいっ! ソフィアさん!」
二人は、アトリエの周辺の、親しみやすい森を抜け、北西に広がる、深い渓谷地帯へと足を踏み入れた。
そこは、聖樹の穏やかな魔力の光に守られていない代わりに、太古の岩盤が剝き出しになった、荒々しい「大地の顔」そのものだった。アトリエ周辺の、柔らかい腐葉土の感触は、ここにはない。
渓谷の空気は、アトリEの周囲とは、まるで違っていた。
冷たい風が常に岩肌を削り、その音が、まるで笛を吹くかのように、ヒューヒューと、耳元で鳴り響く。秋の午後の日差しは、切り立った崖によって遮られ、谷底は、まだ昼前だというのに、薄暗い影に沈んでいた。足元は、苔に覆われた滑りやすい岩や、硬く尖った小石ばかりで、一歩間違えれば、足首を挫(くじ)きかねない。
リリアは、その道のりの厳しさに、時折、息を呑んだ。王都の清潔な大理石の床しか知らなかった彼女にとって、この過酷な道は、まさに試練だった。革ズボンとブーツという、新しい戦闘服(作業着)を身につけていても、肉体的な疲労は、すぐに彼女の華奢な体を襲った。
ブーツの硬い革が、まだ柔らかいままの足の甲に擦れて痛む。急な斜面を登るたびに、太ももの筋肉が悲鳴を上げた。息が切れ、額には玉の汗が浮かぶ。
(……足が、重い。こんなに、坂道って、きつかったかしら……)
疲労と共に、王都での記憶が、脳裏にちらつく。あの時、彼女は歩くことさえ拒否し、アルベルトの馬車か、侍女たちの手助けに、依存していた。あの頃の自分なら、この道の厳しさに泣き崩れ、その場から一歩も動けなくなっていただろう。
だが、今の彼女は、違った。
その顔に「辛い」という色はない。むしろ、その亜麻色の瞳は、周囲の景色よりも、自分にしか見えない「光」の海を、貪欲に、そして楽しそうに捉えていた。
(すごい……! 見える……!)
肉体的な疲労は、確かにそこに存在する。しかし、その疲労を上回る精神的な高揚感、すなわち「私は役に立っている」という確信の光が、彼女の体を内側から支えていた。
彼女の「目」には、ソフィアには見えない、もう一つの世界が広がっていた。岩盤の奥深くを流れる、か細い水脈の青い光。古い木の根が、岩にしがみついて放つ、緑色の生命力。そして、風が運んでくる、見えない花の胞子の、金色の輝き。
すべてが、生きている。すべてが、光っている。
彼女は、自分が生まれ育った王都よりも、この荒々しい渓谷の方が、よほど「豊か」であるように感じていた。
「ソフィアさん! こっちです! この苔の光が、すごく濃い!」
リリアは、岩肌に張り付いた、何でもない緑色の苔を指差した。その声には、まるで宝物でも見つけたかのような、子供のような喜びが宿っている。
「……苔? 私のインターフェイスには、ただの『ゼニゴケ科』としか表示されないわ」
私は、足を止め、リリアの指差す、何の変哲もない岩壁を見上げた。私のインターフェイスは、その苔に、薬効成分も、特異な魔力も「なし」と判断している。
「違うんです! 他の苔は、この辺りだと、みんな冷たい『青白い光』を放っているのに……」
リリアは、興奮したように、説明を続けた。
「この苔だけ、温かい『オレンジ色』なんです! まるで、陽だまりみたいな色……! きっと、この下が、水脈の、一番澄んだ流れの、上にある、光です!」
ソフィアは、その言葉に、研究者としての興奮を抑えきれずにいた。
(オレンジ色の光? 水脈の温度か、あるいは、水に含まれる特定のミネラル成分に反応している?)
私は、リリアの言葉の真偽を確かめるべく、苔の裏側をナイフで剥がし、その下の土を掘ってみる。硬い岩盤の隙間を、ナイフの先端で懸命にほじくり返すと、やて、わずかな湿り気が指先に伝わった。
そして、土の下、わずか数センチのところに、手のひらサイズの、澄んだ地下水が溜まっている小さな水溜まりを発見した。その水は、凍てつく渓谷の空気にもかかわらず、指先に触れると、ほのかに温かい。
「……すごい。本当に、完璧な水脈の真上だわ。私のインターフェイスの魔力分析では、この程度の水脈は『ノイズ』として切り捨ててしまう」
ソフィアは、その水溜まりを指で掬(すく)い上げ、その透明度に感嘆の声を漏らした。
「ふふっ。私、見つけられました!」
リリアの笑顔は、かつての聖女の、儚くも守られるだけの笑顔ではない。自分の能力が、ソフィアの誇る最高の「科学」の分析を遥かに凌駕したことによる、純粋な自信に満ちた、輝かしい笑顔だった。その笑顔の光が、彼女の周りの冷たい空気を、ほんのわずか、温めているようにすら感じられた。
だが、この渓谷は、澄んだ水脈ばかりではない。彼女の能力は、生命の光だけでなく、その逆もまた、正確に捉えていた。
「ソフィアさん、待って!」
リリアが、突如、進行方向の、岩陰を指差して、声を上げた。その顔色は、一瞬で青ざめ、その瞳に宿る「光」の色が、急激に混濁した。
「あそこから、真っ黒で、どろどろした、冷たい『影』が、うごめいています! 他の光(生命)を、無理やり吸い込もうとするような、汚い『黒色』です!」
その「影」は、彼女の目には、単なる色としてではなく、ドロリとした「粘性」と、極度の「冷たさ」という、具体的な質感を持って迫っているのだろう。ソフィアは、即座に立ち止まり、腰のナイフに手をかけた。警戒しながら、岩陰を覗くと、そこには、まだ聖樹の浄化が及んでいない、ブライトの汚染が残る、粘つく黒い泥濘(ぬかるみ)が、ひっそりと溜まっていた。それは、この渓谷の、魔力の流れが滞留する、負の「病巣」だった。もし、リリアが気づかなければ、この泥濘に足を取られ、汚染されていたかもしれない。
「ありがとう、リリア。あなたの『目』がなければ、危なかったわ」
ソフィアの声は、安堵と共に、彼女の「感知」能力への、深い信頼と、興奮を帯びていた。
リリアは、その汚染の光を見て、かつての聖樹の苦しみを、鮮明に思い出していた。あの時、彼女は泣き崩れることしかできなかったが、今は違う。その「痛み」の記憶が、彼女の能力を、より正確な「センサー」へと昇華させている。
「分かります。この『黒い影』が、この渓谷の、どこかに、まだ、小さな『病巣』を残そうと、隠れているのが」
渓谷の冷たい空気の中、ソフィアは、リリアのその特異な能力を、冷静に、そして貪欲に分析していた。
(この少女は、最高のフィールドワーカー(探索者)だ。そして、最高の環境センサー。私の『化学(サイエンス)』が、魔力を『物質』として扱うのなら、彼女の『感知』は、その物質の『状態』を、即座に、私に教えてくれる。そして、この汚染を、彼女の『目』で、すべてマッピングすれば、この森の、完全な『健康状態(バイタル)』を、私は把握できる!)
二人の、科学者と探知者による、前人未踏の「共闘(フィールドワーク)」が、この冷たい渓谷の底で、静かに、しかし、着実に、その成果を上げ始めていた。
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