『追放令嬢は薬草(ハーブ)に夢中 ~前世の知識でポーションを作っていたら、聖女様より崇められ、私を捨てた王太子が泣きついてきました~』

とびぃ

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第19章:新生の聖女と「能力の変化」

19-6:汚染の地図(マップ)と「対照」の採取

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「ありがとう、リリア。あなたの『目』がなければ、危なかったわ」
私の安堵と興奮を含んだ声に、リリアは、まだ青ざめた顔のまま、小さく首を振った。彼女の視線は、岩陰から滲み出す、あの黒い泥濘(ぬかるみ)に釘付けになっている。
「いえ……」
その声は、震えていた。
聖樹が浄化され、あの悪夢のような「悲鳴」から解放されたと思っていた。だが、今、目の前にある「これ」は、あの悲鳴の「根源」そのものだった。冷たく、粘つき、生命の光を貪欲に啜ろうとする、絶対的な「悪意」。
かつての彼女であれば、この感覚を真正面から受け止めれば、恐怖で泣き崩れていたかもしれない。だが、今の彼女は違った。
(怖い……。でも、これは、あの時の『悲鳴』じゃない。これは、ソフィアさんの言う、『観測対象』……)
彼女は、自分の中で、この「感覚」の持つ意味を、必死に再定義しようとしていた。依存し、庇護されるだけの聖女(わたし)は、もういない。ここは、私の新しい「職場」なのだ、と。
私は、そんな彼女の心の機微には気づかず、純粋な研究者としての好奇心で、目を輝かせていた。
「リリア助手。もう一つ、聞かせて」
私は、アトリエから持ってきた、フィールドワーク用の分厚い研究ノートと、インク瓶、羽ペンを取り出した。その姿は、もはや薬師というより、未知の土地に挑む測量士のようだった。
「その『黒い影』……。どのくらい、正確に『見える』の? あの岩陰が『なんとなく黒い』という程度? それとも……」
「いえ!」
リリアは、私の問いかけに、はっと顔を上げた。
「もっと、はっきり……。まるで、濃いインクを、水の中に垂らしたみたいに……その『輪郭』が、見えます。こっちの岩肌は、薄い灰色の光なのに、ここから先は、急に、真っ黒な『影』が、地面を覆っています」
「完璧だわ」
私は、笑みを抑えきれなかった。
(最高の、観測機器(センサー)……!)
私のインターフェイスは、物質の「成分」は分析できても、それが、この三次元空間で、どのように「分布」しているかまでは、広範囲にスキャンできない。だが、リリアの「目」は、それを、リアルタイムで、完璧に補完する。
「リリア。あなたに、最初の『助手』としての仕事を、お願いするわ」
「し、仕事……ですか?」
「ええ」
私は、ノートの真っ白なページを開くと、渓谷の岩肌を、大雑把にスケッチし始めた。
「その『黒い影』の、輪郭を、私に教えてちょうだい。あなたが『見える』ままに。私が、このノートに、この森の、最初の『汚染地図(ハザードマップ)』を、作成する」
リリアは、ゴクリと息を飲んだ。
汚染地図。その言葉の重みが、彼女の肩にのしかかる。それは、もう「お試し」ではない。この森の運命を左右する、あまりにも重要な「作業」だった。
彼女は、数歩、後ずさりしそうになる足を、ぐっと、踏みとどまった。
あの、冷たく、ドロリとした「影」に、自ら近づいていく。それは、自ら、あの悪夢の「痛み」に、触れにいくような行為だった。
だが、彼女は、一歩、踏み出した。
ソフィアが、隣で、真剣な赤い瞳で、自分を「信頼」して、待ってくれている。その事実が、彼女の恐怖を、使命感へと変えていた。
「ここ、です」
リリアは、目を閉じ、意識を集中させた。
肉体の「目」を閉じると、彼女の世界から、薄暗い渓谷の景色が消え、光と影だけの、純粋な「情報」の世界が広がる。
「この、岩の、割れ目……。ここが、境界線です。ここから、指三本分、右は、もう、真っ黒な『影』に、沈んでいます」
「なるほど。岩の亀裂が、境界」
私は、リリアの言葉に従い、スケッチに、その亀裂の位置を、正確に書き込んでいく。
「そこから、まっすぐ、この、枯れたシダの根元まで……。あ、待ってください。シдаの根元を、避けるように、影が、回り込んでいます……! この根は、まだ、生きてる……! 弱い、緑色の光で、抵抗しています……!」
(汚染にも、指向性がある?)
私のペンが、走る。
(生命力が強い植物は、ある程度、汚染を「弾いて」いる? それとも、ブライトの方が、弱った生命体を、優先的に狙っている?)
次から次へと、新しい仮説が、頭の中に湧き上がってくる。
「すごいわ、リリア! まるで、汚染の『流れ』そのものを、読んでいるみたい!」
「流れ……。あ、はい! そうなんです! この『影』、止まっていません! この渓谷の、一番低いところに向かって、水が流れるよりも、もっと、ゆっくりと……うごめいて、います……!」
リリアの額には、玉の汗が浮かんでいた。
この「感知」は、彼女の精神力を、激しく消耗させていた。だが、彼女の口調は、恐怖よりも、未知の現象を解明していく「興奮」に、彩られ始めていた。
数十分後。
私の研究ノートには、この渓谷の、直径五メートルほどの範囲に広がる、詳細な「汚染分布図」が、完成していた。
それは、私のインターフェイスでは、絶対に、作成不可能な、生命と汚染の「勢力図」だった。
「素晴らしいわ。完璧なデータよ、リリア助手」
私が、心からの賛辞を贈ると、リリアは、緊張の糸が切れたように、その場に、へなへなと座り込んだ。
「はぁ……はぁ……。よ、よかったです……」
疲労困憊だったが、その顔は、聖女として、国王の病を治した(と、思い込んでいた)時よりも、遥かに、晴れやかで、誇らしげだった。
「さて。地図ができたところで、次のステップよ」
私は、疲れているリリアに構うことなく、革のケースから、厳重に布にくるまれた、二本の、清潔なガラス瓶を取り出した。
「この『地図』だけでは、仮説は立てられても、証明ができないわ。研究者(わたし)には、現物が、必要なの」
私は、まず、先ほどリリアが見つけた、あの「オレンジ色の光」を放つ、温かい水脈の場所へと戻った。
そこで、一本目のガラス瓶を使い、その澄んだ水と、苔の下の土壌を、慎重に採取した。
「これが、『対照(コントロール)サンプル』。この森の、最も、清浄な状態(リファレンス)よ」
そして、私は、リリアがマッピングした、あの黒い泥濘(ぬかるみ)へと、戻った。
「リリア。もう一度だけ、お願い。あの汚染の、『中心』はどこ?」
「あそこです」
リリアは、青ざめた顔で、泥濘の、ある一点を指差した。
「そこだけ、他の『黒』よりも、さらに、色が、濃くて……冷たい。まるで、氷みたいに……」
「分かったわ。あなたは、そこにいて」
私は、二本目のガラス瓶と、採取用の、別のナイフ(汚染用)を手に、その「病巣の中心」へと、一歩、踏み込んだ。
ブーツが、ズブリ、と、粘つく泥に沈む。冷たい、生命を拒絶する感触が、革越しに伝わってきた。
私は、リリアが指差した、その「中心」の泥を、ナイフですくい上げ、ガラス瓶に、素早く封じ込めた。
瓶を密閉した瞬間、リリアが「あっ」と、小さな声を上げた。
「ソフィアさん。あの、黒い『影』の、中心が、少しだけ、薄くなりました……」
「!」
(物理的に、採取したことで、汚染の『総量』が、減った?)
(それとも、リリアの『目』は、それほどの、微細な変化すら、捉えられるというの?)
私の興奮は、最高潮に達していた。
(この少女は……。ギルバートを超える、最高の、共同研究者に、なる……!)
私は、厳重に封印した二本のサンプル瓶を、革ケースの奥深くにしまい込んだ。
「よくやったわ、リリア。これ以上ない、成果よ」
私は、座り込んでいるリリアに、手を差し伸べた。
「さあ、アトリエ(わたしたちのけんきゅうしつ)に戻りましょう。……『本当の仕事』が、待っているわ」
リリアは、私の、その、泥に汚れた手を、力強く、握り返した。
「はいっ! ソフィアさん!」
渓谷の冷たい風が、二人の、新しい「パートナー」の、熱を帯びた頬を、撫でていった。
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