前世が教師だった少年は辺境で愛される

結衣可

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第15話 二人の夜

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 夜の館に、穏やかな灯がともっていた。
 昼間のにぎわいが嘘のように静まり返り、庭の花々は夜風に揺れながら眠りについている。

 暖炉の火が、かすかに爆ぜた。
 オレンジ色の光が壁に影を落とし、その前でミカは紅茶のカップを両手で包んでいた。

 ――ダリウス様が戻ってきた。

 リアムは夕食のあと、父の膝の上で安心しきったように眠ってしまった。
 寝室に運ばれてから、もう1時間は経つだろう。
 館の中には、穏やかな余韻だけが漂っていた。

 ミカは何度も胸に手を当てては、先ほどのぬくもりを思い出してしまう。
 玄関先で抱きしめられたときの鼓動、唇の感触――。
 それは夢のようだった。

「……ゆう」

 背後から声がした。
 振り返ると、ダリウスが暖炉の明かりに照らされて立っていた。
 上着を脱ぎ、シャツの袖を折った姿。
 旅の疲れがまだ残っているはずなのに、その目はどこか穏やかで、優しい光を宿していた。

「起きていたのか」

「はい。なんだか、眠れなくて」

「そうか」

 そう言って、彼はゆっくりと隣の椅子に腰を下ろした。

 二人の間に、紅茶の香りが漂う。
 薪のはぜる音が静かに響いて、夜はどこまでもやさしかった。
 ミカが口を開く。

「……おかえりなさい、ダリウス様」

「あぁ、ただいま」

 その言葉をもう一度交わせただけで、胸がじんわりと温かくなる。

「王都では、大変でしたか?」

「いつも通りだ。
 会議は長く、言葉ばかりのやり取りだったが……
 そういえば、陛下が、お前の育てた花の報告を嬉しそうに聞いておられた」

「えっ、陛下が?」

「“北に春が訪れた”と喜んでおられた」

 その言葉に、ミカはそっと笑った。

「……ダリウス様が伝えてくださったんですか?」

「そうだ。北の冬は長いからな、いつも気に掛けてくださる」

 彼の口調は淡々としていたが、目の奥には、誇らしさと温かさが混じっていた。
 ふと、暖炉の炎を見つめながら言葉を継いだ。

「……この館に戻ったとき、思ったよ」

「え?」

「“ああ、帰ってきた”と。
 今まで何度も王都に出向したり、遠征に出たが、こんなに早く帰りたいと願ったのは、これが初めてだ」

 ミカの胸が熱くなる。
 それは、自分のことを指しているのだと気づいたから。
 彼は静かに続けた。

「お前とリアムがここで待っていてくれると思うだけで、耐えることができた」

「……そんな、大げさな……」

「大げさじゃない」

 ダリウスの声が低く、真っ直ぐに響いた。

「お前がいてくれるから、俺は……頑張れる。ありがとう、ゆう」

 その言葉に、ミカの目が潤んだ。

「……そんなふうに言われたら、泣いちゃいます」

「泣くな」

 言葉とは裏腹に、ダリウスの手がそっと頬に触れる。
 指先が涙を拭い、そのまま髪を耳の後ろへ撫でつける。

「……ゆう」

 名を呼ばれただけで、心臓が跳ねる。

「俺はお前と、リアムと、ここで“共に生きる”ことを守りたいと思っている」

 ミカはゆっくりと首を振った。

「守られてばかりなんて、嫌です。
 僕だって、あなたを守れるようになりたい。
 あなたの不安や痛みを、少しでも分けてください」

 ダリウスが目を見開いた。
 そして、微笑む。

「……そうか、そうだな」

 ミカの言葉にダリウスの胸に何かが込み上げてきた。
 言葉にできない想いが、静かに溢れていく。

 彼はゆっくりと身を寄せ、ミカの手を取り、指先に唇を寄せた。
 ミカの肩が小さく震える。

「ゆう、愛している」

「……ダリウス様」

「離れて、よく分かった。お前がいない日々は色がない」

 ダリウスがミカの頬を包み、額をそっと合わせた。

「もう、離れない」

 その囁きは誓いのように静かだった。
 ミカの唇が震え、やがて、言葉の代わりにそっと唇を重ねた。
 ゆっくりと、長い時間をかけて、想いが溶けていくような口づけだった。
 離れたあと、ミカは目を閉じて小さく息を吐いた。
 涙がまたこぼれ落ちる。心の底から溢れる想いにミカの唇が震えた。

「……やっと、ダリウス様に“おかえりなさい”が言えました」

「あぁ」

「ダリウス様、僕は貴方がいない日々が寂しくて、一人になる夜はずっと……ずっと王都の方を見てました。ダリウス様が王都でお仕事が大変なのに、僕は……僕……、貴方がいない時間がこんなに辛いなんて……知らなくて」

 嗚咽まじりの声が、ダリウスの胸に響く。

「あなたが大変なのは分かっているのに、どうしても、寂しさばかりが募って……
 自分がこんなに弱いなんて、知らなかった」

 ダリウスは何も言わず、そっとミカを抱き寄せた。
 腕の中で、ミカの体が小刻みに震える。

「弱くなんてない」

「でも……」

「それほど俺を想ってくれているのだろう?嬉しいよ、ゆう」

 その低く優しい声に、ミカの胸が熱くなった。
 顔を上げると、ダリウスの瞳がすぐそばにある。
 炎の明かりを映したその瞳が、まっすぐに見つめ返してくる。

「……ゆう」

「……」

「俺も同じだ。お前に早く会いたくて仕方なかった」

 ミカの目から、また涙が零れる。

「ダリウス様……」

「ゆう」

 名を呼ぶ声が、甘く、低く響いた。
 ダリウスの手がミカの頬から髪へと滑り、後頭部を支えるようにして引き寄せる。
 唇が、そっと触れ合った。

 最初は驚きでミカの体がこわばった。
 次第にミカは目を閉じ、震える指で彼の胸を掴んだ。
 心臓の鼓動が二人のあいだに重なっていく。
 
 キスは何度も、確かめるように続いた。
 息が触れ合い、鼓動が響きあう。
 息づぎの仕方がわからなくて、ミカの指が彷徨う。
 その指をそっとダリウスが掴み、指を絡ませる。
 離れたとき、ミカは真っ赤な顔で息を吐いた。

「……はぁ……ダ、ダリウス様、……好き……大好き」

「俺もだ」

 ダリウスは愛おしそうに額をそっと合わせた。

「ゆう」

「……はい」

「お前を抱きたい」

 その囁きに、ミカの心が震え、身体が熱くなる。

「僕……どうしたら……」

 ダリウスはゆっくりと立ち上がり、ミカの身体に手を添え、そのまま抱き上げた。

「……大丈夫だ、任せてくれればいい」

 その声は囁きのように静かで、どこか頼りなげでもあった。
 ミカは一瞬戸惑いながらも、うなずいた。

 ダリウスの私室は、暖かなランプの光に包まれていた。
 窓から差す月明かりが、二人の影を一つに重ねる。
 ダリウスはそっとミカを下し、そのままベッドの縁に座り、震えるミカの手を取って、自分の胸元に導いた。

「怖くないか?」

「……怖いです。……でも、僕も貴方にもっと近づきたいです」

「そうか」

 そう言って笑う声が、あまりに優しくて、ミカの不安が少しだけ解消された。
 ダリウスは何も急がず、ただミカの髪を撫で、頬を包み、唇を重ねた。
 言葉の代わりに、何度も「大丈夫」と伝えるように。

 暖炉の灯が、静かに揺れる。
 夜の館は二人の呼吸を包み込み、外の風さえも優しい子守唄のようだった。
 ダリウスの腕の中、真っ赤な顔をしてミカは小さく囁いた。

「……ダリウス様」

「うん?」

「……あの、もっと……」

 ミカの髪を撫でていたダリウスの動きが止まる。
 ミカはダリウスに甘えるように両手を伸ばし、潤んだ瞳で彼を見上げる。

「……もっと……ぎゅって」

 ダリウスは目を見開き、込み上げる衝動に耐えながら、ミカを抱き締める。

「可愛いゆう……本当は、お前を誰にも見せたくないし、俺だけを見てほしい。……こんなに誰かを愛したいと思ったのは初めてだ」

「……ダリウス様、嬉しい……。僕も貴方だけがいい……です」

「そうしてくれ、ゆう」

 唇を重ね、額を寄せ、互いの鼓動がゆっくりと溶け合っていく。
 窓の外では、夜風が花の香りを運んでいた。
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