バレエ・メカニック

相良柚月

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0章 小鹿の旅

(小鹿は、終末世界を旅する1)

 緩やかに世界は、終末に向かっていた。
 最初の異変は、異常気象だった。いやに暑い夏が続いた。わんわんと蝉がけたたましく鳴く。日差しは暴力的なまでに照りつけ、植物を枯らせた。
 その年は不作だった。
 思えば、違和はあったのだ。
 盛暑の次は、著しい人口(主に女性)の減少。
 しかし、人々は違和に目を瞑った。
 転がるように世界は、滅びゆこうとしていた。
『怪物』と呼ばれる脅威が、現れ、人を、街を襲った。
 人々は、脅威にバイオノイドの軍隊で対抗しようと試みたが、あえなく失敗。
 元々、愛玩動物の扱いであるバイオノイドの犠牲は当然のものとされ、悼まれることすらなかった。
 バイオノイドも、人も、殺され、『怪物』に食われた。街は、破壊され、廃墟然としている。
 そのような血塗られた果てに、今という時がある。
 未だ、街は、人類は復興もままならず、孤児や身寄りのない老人たちばかりが、路頭に溢れていた。





 小鹿は、息をついた。
 マグカップに白湯を満たし、口をつける。
 空腹に、白湯が染みる。
 もう残りが心もとない携帯食をもぐもぐと齧る。
 腹は空いているが、食料を確保できる保証はないため、残りを気にしながら、遠慮がちに食べるのが常だった。
 気が滅入りそうなので、携帯端末を操作する。
「フヨウプログラム」
『お呼びでしょうか。御主人様』
 すると美青年を模った立体映像が現れる。
 黒橡の長髪は、ウェーブを描きながら垂れ流れている。その名のとおり、芙蓉の色をした双眸。世にも稀な美青年が、こちらを見て微笑んでいる。
『フヨウプログラム』は、かつて人々に使われていた携帯端末のコンシェルジュだ。
 その容姿はきわめて中性的で、うつくしい。穏やかな物言いも人々に愛された。
 小鹿は、旅の友として、度々、『フヨウプログラム』を起動し、話しかけている。
「フヨウ。会いたかったよ」
『私も御主人様とお話するのを楽しみにしておりました』
 フヨウプログラムが楚々として笑む。
「そう」
 小鹿は、薄い口唇に指をあてた。
 一人旅は孤独が募る。だからつくられたプログラムといえど、フヨウプログラムの顔を見ていると心が和んだ。
『お疲れかと思いましたが、嬉しそうですね』
「ボクは大丈夫さ。フヨウがいるからね」
 小鹿は笑むと白湯を飲み下した。
 若干、錆びた味がするが、温かい湯は気分を落ち着かせた。
「ねえ、フヨウ」
『はい、御主人様』
 たまゆらの空白、
「…………葉留佳、」
 その言葉が我知らず、こぼれおちた。
『葉留佳……様? 御存じありません。現在、検索機能は――――』
 フヨウプラグラムの反応は予想通りの答えだった。
 そのことが寂しい。
 しかし、それも小鹿がフヨウプログラムに彼の面影を重ねている……そんな身勝手な感情から生まれたものだ。
「おやすみ、フヨウ」
 小鹿は、立体映像をシャットダウンした。
 それから、簡易的につくった寝床に横たわった。

 常に、危険を警戒している故、睡眠はとろとろと浅い。
 旅をしているうちにそのような習慣が身についた。
 しかし、この晩は夢を見た。
 小鹿が、小鹿という名を与えられた原初の記憶。
昔、小鹿は、とある妓楼で春を売っていた。
 そこに自由はなかった。
 けれど、春を売るために生まれ落ち、名を与えられた。小鹿は与えられた名前同様、その境遇に疑問を挟むことはなかった。
 芸と容姿を磨き、性技を上達させることに余念がなかった。
 小鹿は、どの男娼よりも従順で優秀だった。
 他の男娼たちが優等生だと影で小鹿を揶揄しても涼しい顔でいた。
 妓楼が自分の居場所だと信じていたし、自分の仕事に誇りを感じていたからだ。
 だから、自分自身、あの場所から逃げ出したことが信じられなかった。

 目覚めると夜明けが近いのか、色彩が白みはじめていた。
「嫌な夢、見たな」
 小鹿はひとりごちる。
 水筒に口をつけ、ぬるい水を飲む。
 睡眠による脱水で喉が渇いていたのだろう。
 か細い喉が上下に膨らみ、無我夢中で水分を摂る。
 世界は、滅びつつあり、希望などないのに、自分の身体は生きることを求めている。
 そんな矛盾がおかしかった。
 小鹿は、乱暴に濡れた口唇を手で拭った。
「さて、どこに行こうか」
 フヨウプログラムを起動する。
『御主人様。御用はなんでしょう』
「ガイドを頼みたい」
『どこに行きますか。私もお供しますよ』
「海、」
 思わず呟いていた。
『海?』とフヨウプログラム。
「そう。とても大きな……水たまりみたいな。水はしょっぱいらしい。ボクはそれが見たい。潮のにおいを含んだ風を感じてみたい」
 あの鳥籠のような妓楼で、来る日も来る日も書物を読んだ。
 以前は、教養こそ武器になると信じてならなかった。
 書物に記されている『外の世界』に憧れもした。
 しかし、自分は鳥籠の中のカナリアで、飛び立つことは許されないと何度も己を律した。
 だから、こんな形で『外の世界』を見られるなど思いもしなかった。
「そうだ。行こうか、フヨウ」
『はい。ご一緒しますよ』
 フヨウプログラムは軽やかに笑った。
 今このとき、ふたりならばどこまでも行ける気がした。


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