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第二十八章 変わりゆく関係
小坂の部屋で、麓戸と
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玄関の鍵を閉める音が、少し大きく響いた気がした。
麓戸の足音が後ろにある。家の中に他人を入れるのは久しぶりだった。
玄関の鍵を閉めたあと、小坂は靴を脱ぎながらちらりと振り返った。
「……ここ、初めてでしたっけ?」
そう言ってから、少しだけ照れくさくなって目をそらす。
麓戸は無言でうなずき、視線を室内へ流した。
「飾り気は少ないが、几帳面に整えられているな」
「……思ったより、ちゃんとしてるって言いたそうな顔ですね」
小さな声で笑うと、麓戸もわずかに頬をゆるめた。
「いや……おまえらしいと思っただけだ」
「意外と、きれいにしてるでしょう。あんまり散らかってないときでよかった」
そう言って軽く笑うと、麓戸の横顔がわずかに緩んだように見えた。
それだけで、胸の奥にふっと、酸素が入った気がした。
ふたりは廊下を進み、部屋の手前で立ち止まった。小坂がそっと腕を伸ばし、麓戸の腕に触れた。
それから、ゆっくりと近づいて、自分から、麓戸に身を預けた。
体が吸い寄せられるようだった。
腕がそっと回される。その圧に、じんわりと心の奥がほどけていく。
ようやく、少しだけ息ができた。
呼吸が触れ合うほど近く。
音も、言葉もなく、ただ抱き合った。
互いの不安が、熱に変わるようだった。
震えるような感情を、腕の中で静かに抱え込む。
小坂の背中に、麓戸の手がそっと添えられている。
――あたたかかった。
それだけで、今夜は眠れる気がした。
頭を預けたまま、小坂は、ほんの少しだけ目を閉じた。
――心が静かになっていく。
顔を上げたとき、麓戸が静かに耳元へ顔を寄せた。
吐息が頬に触れたかと思うと、低い声がそっと落ちてくる。
「お前は……本当に、よくがんばってる。だから、今夜はちゃんと、休め」
その言葉が、胸の奥に染み込んで、何も言えなくなった。
それは、小坂が言葉にできないでいた不安を、そのまま包み込むような声だった。
でも、うなずいた。何度も。
ありがとう、と言う代わりに。
ほんの少しの温もりだが、いまの自分に必要なものだった。
⸻
腕の中で、心が落ち着いていくのがわかった。
何も考えられなくなって、ただ、ぬくもりに身をあずけていた。
だけど、いつまでもこうしていたら、明日――また悪照に、何か言われるかもしれない。
「……長居は、だめですよ。明日また、オテル君にからかわれますから」
そう言いながら、自分の方から抱きついた腕を、なぜか解こうとしなかった。
麓戸の声が、くぐもったように聞こえた。
「いや、でも……おまえが離さないじゃないか」
はっとして、小坂は顔を上げた。
「あ……ごめんなさい」
腕に込めていた力を緩める。
けれど麓戸は、ほんの少し口元をゆるめて言った。
「いや、いいんだけどな。……嬉しいけど」
その声は、静かに、でもあたたかかった。
そしてもう一度、近くに顔を寄せられる。
耳元で、低く、小さく。
「……愛してるよ」
その言葉は、柔らかくて、
でも胸の奥をきゅっと締めつけるように、深く残った。
小坂は、何も返せなかった。
返そうとした言葉が、喉の奥で溶けてしまった。
それでも――
腕を緩めたくない気持ちは、変わらなかった。
「……愛してるよ」耳元でささやかれたその言葉は、
まるで時間の流れを止めるように、胸の奥に染み込んできた。
何かを返さなきゃと思ったのに、言葉が出なかった。
口を開きかけたのに、喉がきゅっと締まってしまった。
きっと、ひとことでも返したら、今夜は――泣いてしまう。
そう思った。
でも、代わりに、麓戸の背に回した腕に力をこめる。
自分の方からも「愛してる」と応える代わりのように。
麓戸は、何も言わずにその抱擁を受け止めてくれていた。
しばらく、抱き合ったまま、ふたりは動かなかった。
言葉より、静かな呼吸の方が、今はずっと確かだった。
やがて、小坂がようやく目を上げる。
「……そろそろ、帰らないと……ですよね」
いっしょに住んでいない以上、別れの時は来る。
麓戸は、わずかに頷いた。
「……ああ。じゃあな」
小坂が玄関まで見送る。
靴を履く音と、扉を開ける鍵の音が、なんだか大きく響いた。
出て行こうとする麓戸の腕を、小坂はほんの少しだけ袖口でつかんだ。
「……気をつけて」
それだけ。
麓戸はふと振り返って、小さく笑った。
「おやすみ」
扉が閉まる。
静かになった玄関に、小坂は背中を預けたまま、しばらく動かなかった。
さっきの「愛してるよ」が、まだ耳の奥に残っていた。
夜は、少しだけやさしくなっていた。
麓戸の足音が後ろにある。家の中に他人を入れるのは久しぶりだった。
玄関の鍵を閉めたあと、小坂は靴を脱ぎながらちらりと振り返った。
「……ここ、初めてでしたっけ?」
そう言ってから、少しだけ照れくさくなって目をそらす。
麓戸は無言でうなずき、視線を室内へ流した。
「飾り気は少ないが、几帳面に整えられているな」
「……思ったより、ちゃんとしてるって言いたそうな顔ですね」
小さな声で笑うと、麓戸もわずかに頬をゆるめた。
「いや……おまえらしいと思っただけだ」
「意外と、きれいにしてるでしょう。あんまり散らかってないときでよかった」
そう言って軽く笑うと、麓戸の横顔がわずかに緩んだように見えた。
それだけで、胸の奥にふっと、酸素が入った気がした。
ふたりは廊下を進み、部屋の手前で立ち止まった。小坂がそっと腕を伸ばし、麓戸の腕に触れた。
それから、ゆっくりと近づいて、自分から、麓戸に身を預けた。
体が吸い寄せられるようだった。
腕がそっと回される。その圧に、じんわりと心の奥がほどけていく。
ようやく、少しだけ息ができた。
呼吸が触れ合うほど近く。
音も、言葉もなく、ただ抱き合った。
互いの不安が、熱に変わるようだった。
震えるような感情を、腕の中で静かに抱え込む。
小坂の背中に、麓戸の手がそっと添えられている。
――あたたかかった。
それだけで、今夜は眠れる気がした。
頭を預けたまま、小坂は、ほんの少しだけ目を閉じた。
――心が静かになっていく。
顔を上げたとき、麓戸が静かに耳元へ顔を寄せた。
吐息が頬に触れたかと思うと、低い声がそっと落ちてくる。
「お前は……本当に、よくがんばってる。だから、今夜はちゃんと、休め」
その言葉が、胸の奥に染み込んで、何も言えなくなった。
それは、小坂が言葉にできないでいた不安を、そのまま包み込むような声だった。
でも、うなずいた。何度も。
ありがとう、と言う代わりに。
ほんの少しの温もりだが、いまの自分に必要なものだった。
⸻
腕の中で、心が落ち着いていくのがわかった。
何も考えられなくなって、ただ、ぬくもりに身をあずけていた。
だけど、いつまでもこうしていたら、明日――また悪照に、何か言われるかもしれない。
「……長居は、だめですよ。明日また、オテル君にからかわれますから」
そう言いながら、自分の方から抱きついた腕を、なぜか解こうとしなかった。
麓戸の声が、くぐもったように聞こえた。
「いや、でも……おまえが離さないじゃないか」
はっとして、小坂は顔を上げた。
「あ……ごめんなさい」
腕に込めていた力を緩める。
けれど麓戸は、ほんの少し口元をゆるめて言った。
「いや、いいんだけどな。……嬉しいけど」
その声は、静かに、でもあたたかかった。
そしてもう一度、近くに顔を寄せられる。
耳元で、低く、小さく。
「……愛してるよ」
その言葉は、柔らかくて、
でも胸の奥をきゅっと締めつけるように、深く残った。
小坂は、何も返せなかった。
返そうとした言葉が、喉の奥で溶けてしまった。
それでも――
腕を緩めたくない気持ちは、変わらなかった。
「……愛してるよ」耳元でささやかれたその言葉は、
まるで時間の流れを止めるように、胸の奥に染み込んできた。
何かを返さなきゃと思ったのに、言葉が出なかった。
口を開きかけたのに、喉がきゅっと締まってしまった。
きっと、ひとことでも返したら、今夜は――泣いてしまう。
そう思った。
でも、代わりに、麓戸の背に回した腕に力をこめる。
自分の方からも「愛してる」と応える代わりのように。
麓戸は、何も言わずにその抱擁を受け止めてくれていた。
しばらく、抱き合ったまま、ふたりは動かなかった。
言葉より、静かな呼吸の方が、今はずっと確かだった。
やがて、小坂がようやく目を上げる。
「……そろそろ、帰らないと……ですよね」
いっしょに住んでいない以上、別れの時は来る。
麓戸は、わずかに頷いた。
「……ああ。じゃあな」
小坂が玄関まで見送る。
靴を履く音と、扉を開ける鍵の音が、なんだか大きく響いた。
出て行こうとする麓戸の腕を、小坂はほんの少しだけ袖口でつかんだ。
「……気をつけて」
それだけ。
麓戸はふと振り返って、小さく笑った。
「おやすみ」
扉が閉まる。
静かになった玄関に、小坂は背中を預けたまま、しばらく動かなかった。
さっきの「愛してるよ」が、まだ耳の奥に残っていた。
夜は、少しだけやさしくなっていた。
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