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巴
選べない道
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地面に放り出したモズに、カラスが桶一杯の水を浴びせかけた。
「うわ!? 冷てッ」
一瞬で意識を取り戻して身体を起こそうとしたモズだったけれども、手を後ろに、足を一括りに縛られていたせいで体勢を崩してまた転がった。芋虫のようにのたうつ彼を、仁王立ちのカラス、そして絢嗣が見下ろしている。カワセミとトビは少し離れたところからその様を眺めているが、明らかにモズの苦境を愉しがっている。
「おい」
カラスの一声で、モズの動きが止まった。そしてゴロンと仰向けになる。
「また殺さなかったの、なんで?」
見上げる姿勢からのその問いは、心底からのもののようだ。
「オレがお前の前に立ったの、これで二度目だろ? お前、邪魔な奴はサクッと殺してきたじゃないか。なんでオレのこと殺さないんだよ」
無言のカラスに、モズは苛立たしげに舌打ちをする。そうして、嘲笑に満ちた眼を巴に向けた。
「もしかして、そいつの為? そいつがいるから善人ぶってんの?」
彼はハハッと嗤う。
「ねえ、あんた、知ってる? カラスはね、『伏せ籠』で一番なんだよ。腕も一番、殺した数も一番」
カラスは巴に背中を向けているから、今、彼がどんな表情をしているのかはわからない。けれど、カラスを睨み上げるモズの顔が次第に失意に満たされていく様は、見て取ることができた。
「そうだよな。カラスには、全部どうでもいいことなんだ。オレが欲しいと思ってるものなんて、全部、カラスにとっては意味ないものなんだ」
力なく呟いたモズに、ようやくカラスが口を開く。
「これを殺る命を受けているのはお前だけか」
その台詞の内容は、それまで投げつけられていた言葉とは何ら関係のないもので、モズは束の間ポカンと目を見開き、そして諦めたようにため息をつく。
「ホンット、興味ないんだもんな。……もういいや。そうだよ。取り敢えずはオレだけ」
モズはそう答えてから、でもな、と続ける。
「『伏せ籠』はしくじらないし、一度受けた仕事は全うする。だからオレを殺しても、またすぐ次の鳥が放たれるさ。そいつを殺すためにな」
「君がしくじったことが伝わる前に、この子を狙う者を消してしまえばいいだけだ」
「絢嗣兄さま!」
声を上げた巴に、絢嗣が肩越しに横顔を見せる。
「君の命と彼らの命、どちらが大事かなど考えるまでもない」
「でも……実のお父上とお母上ではないですか」
巴の訴えも、絢嗣には届かない。彼は温度の感じられない声で告げる。
「親子の絆など、お互い欠片も感じてはいないさ。君を害そうとした以上、彼らを赦すことはできないよ。たとえ、今回は彼らが引いたとしてもね」
「わたくしは、わたくしを追うことをやめていただければ、それでいいです。お二人と話して考えを改めていただければ――」
「今後、彼らがどうするかは関係ない。一度でも君を狙ったということが、私には許容できない」
巴が聞いたことがないような、冷たい声だった。
彼女に目を向けようとしないまま、絢嗣はモズを見下ろした。
「ひとまず君の身柄は拘束させてもらうよ。君らなら、抜け出せない縛り方を知っているだろう? 後は頼んだよ」
そう残して、彼は巴の横をすり抜け、屋敷の中へと入っていってしまった。
「絢嗣兄さま……」
反射的に追いかけようとした巴を、トビの声が止める。
「放っといてやりなよ。モズが来て、君がホントに自分の親に殺されようとしてるんだってこと、実感しちゃったんじゃないの? あるいは、ほら、良心の呵責的な? 良く解らないけど、親兄弟がしたことで罪悪感を覚えるとか、あるんでしょ? あ、洒落じゃないからね」
「くだらな……」
ククッと笑ったトビに、カワセミが呆れた眼差しを向けた。
そんな二人など完全に無視して、カラスが巴を見下ろしてくる。
「あっちを殺ってきてやろうか?」
「!? ダメです!」
「あいつに殺らせたくないんだろ?」
「誰がするか、とかではなくて、絢嗣兄さまのご両親の命を奪うことそのものをしたくないのです」
懸命に言い募る巴に、カラス「理解できない」という顔になる。
「あっちはお前が死ぬまで引かねぇんだろ? だったら殺るしかねぇだろうが」
死にたくはない。
けれど、彼らにも死んで欲しくない。たとえ疎遠な関係だとしても、絢嗣が実の両親を喪うようなことになって欲しくなかった。
喪ってしまったら、それでおしまいなのだ。もう二度と、取り戻せないのだ。
今は距離が遠くても、いつか、歩み寄ることができるかもしれないではないか。いつか、彼らを手放したことを悔いる時が、絢嗣に訪れるかもしれないではないか。
巴は唇を噛んでうつむく。道を選べない彼女に、カラスが淡々と問うてくる。
「お前が殺される気はないし、あっちを殺す気もないんだよな? どっちも嫌だって?」
「ッ――はい」
頷いた巴の頭に、ため息が一つ落ちてきた。
面倒くさくなってしまったのだろうか。
巴といることが、嫌になってしまったのだろうか。
そんな不安を抱きつつ恐る恐る目を上げると、彼女が思っていたものとは全然違う眼差しが注がれていた。
「強欲だな」
「すみません……」
謝罪の言葉をこぼして巴はうなだれた。
どちらも選べない、どちらも手に入れたいというのは、確かに、わがまま以外の何物でもない。
と、カラスが手を上げ、巴の髪をくしゃくしゃにする。
「そういうお前も悪くない」
いつものように素っ気ないものだったのに、彼の眼差しにも、声にも、手にも、温かさがあった。
「カラス……」
見上げた彼の胸の内を読み取ることは、巴には難しい。
彼女がどれだけ見つめても、カラスは、それきり何も言わなかった。
何も言わず、翌朝姿を消した――「おとなしく待っていろ」という書き置きだけを残して。
「うわ!? 冷てッ」
一瞬で意識を取り戻して身体を起こそうとしたモズだったけれども、手を後ろに、足を一括りに縛られていたせいで体勢を崩してまた転がった。芋虫のようにのたうつ彼を、仁王立ちのカラス、そして絢嗣が見下ろしている。カワセミとトビは少し離れたところからその様を眺めているが、明らかにモズの苦境を愉しがっている。
「おい」
カラスの一声で、モズの動きが止まった。そしてゴロンと仰向けになる。
「また殺さなかったの、なんで?」
見上げる姿勢からのその問いは、心底からのもののようだ。
「オレがお前の前に立ったの、これで二度目だろ? お前、邪魔な奴はサクッと殺してきたじゃないか。なんでオレのこと殺さないんだよ」
無言のカラスに、モズは苛立たしげに舌打ちをする。そうして、嘲笑に満ちた眼を巴に向けた。
「もしかして、そいつの為? そいつがいるから善人ぶってんの?」
彼はハハッと嗤う。
「ねえ、あんた、知ってる? カラスはね、『伏せ籠』で一番なんだよ。腕も一番、殺した数も一番」
カラスは巴に背中を向けているから、今、彼がどんな表情をしているのかはわからない。けれど、カラスを睨み上げるモズの顔が次第に失意に満たされていく様は、見て取ることができた。
「そうだよな。カラスには、全部どうでもいいことなんだ。オレが欲しいと思ってるものなんて、全部、カラスにとっては意味ないものなんだ」
力なく呟いたモズに、ようやくカラスが口を開く。
「これを殺る命を受けているのはお前だけか」
その台詞の内容は、それまで投げつけられていた言葉とは何ら関係のないもので、モズは束の間ポカンと目を見開き、そして諦めたようにため息をつく。
「ホンット、興味ないんだもんな。……もういいや。そうだよ。取り敢えずはオレだけ」
モズはそう答えてから、でもな、と続ける。
「『伏せ籠』はしくじらないし、一度受けた仕事は全うする。だからオレを殺しても、またすぐ次の鳥が放たれるさ。そいつを殺すためにな」
「君がしくじったことが伝わる前に、この子を狙う者を消してしまえばいいだけだ」
「絢嗣兄さま!」
声を上げた巴に、絢嗣が肩越しに横顔を見せる。
「君の命と彼らの命、どちらが大事かなど考えるまでもない」
「でも……実のお父上とお母上ではないですか」
巴の訴えも、絢嗣には届かない。彼は温度の感じられない声で告げる。
「親子の絆など、お互い欠片も感じてはいないさ。君を害そうとした以上、彼らを赦すことはできないよ。たとえ、今回は彼らが引いたとしてもね」
「わたくしは、わたくしを追うことをやめていただければ、それでいいです。お二人と話して考えを改めていただければ――」
「今後、彼らがどうするかは関係ない。一度でも君を狙ったということが、私には許容できない」
巴が聞いたことがないような、冷たい声だった。
彼女に目を向けようとしないまま、絢嗣はモズを見下ろした。
「ひとまず君の身柄は拘束させてもらうよ。君らなら、抜け出せない縛り方を知っているだろう? 後は頼んだよ」
そう残して、彼は巴の横をすり抜け、屋敷の中へと入っていってしまった。
「絢嗣兄さま……」
反射的に追いかけようとした巴を、トビの声が止める。
「放っといてやりなよ。モズが来て、君がホントに自分の親に殺されようとしてるんだってこと、実感しちゃったんじゃないの? あるいは、ほら、良心の呵責的な? 良く解らないけど、親兄弟がしたことで罪悪感を覚えるとか、あるんでしょ? あ、洒落じゃないからね」
「くだらな……」
ククッと笑ったトビに、カワセミが呆れた眼差しを向けた。
そんな二人など完全に無視して、カラスが巴を見下ろしてくる。
「あっちを殺ってきてやろうか?」
「!? ダメです!」
「あいつに殺らせたくないんだろ?」
「誰がするか、とかではなくて、絢嗣兄さまのご両親の命を奪うことそのものをしたくないのです」
懸命に言い募る巴に、カラス「理解できない」という顔になる。
「あっちはお前が死ぬまで引かねぇんだろ? だったら殺るしかねぇだろうが」
死にたくはない。
けれど、彼らにも死んで欲しくない。たとえ疎遠な関係だとしても、絢嗣が実の両親を喪うようなことになって欲しくなかった。
喪ってしまったら、それでおしまいなのだ。もう二度と、取り戻せないのだ。
今は距離が遠くても、いつか、歩み寄ることができるかもしれないではないか。いつか、彼らを手放したことを悔いる時が、絢嗣に訪れるかもしれないではないか。
巴は唇を噛んでうつむく。道を選べない彼女に、カラスが淡々と問うてくる。
「お前が殺される気はないし、あっちを殺す気もないんだよな? どっちも嫌だって?」
「ッ――はい」
頷いた巴の頭に、ため息が一つ落ちてきた。
面倒くさくなってしまったのだろうか。
巴といることが、嫌になってしまったのだろうか。
そんな不安を抱きつつ恐る恐る目を上げると、彼女が思っていたものとは全然違う眼差しが注がれていた。
「強欲だな」
「すみません……」
謝罪の言葉をこぼして巴はうなだれた。
どちらも選べない、どちらも手に入れたいというのは、確かに、わがまま以外の何物でもない。
と、カラスが手を上げ、巴の髪をくしゃくしゃにする。
「そういうお前も悪くない」
いつものように素っ気ないものだったのに、彼の眼差しにも、声にも、手にも、温かさがあった。
「カラス……」
見上げた彼の胸の内を読み取ることは、巴には難しい。
彼女がどれだけ見つめても、カラスは、それきり何も言わなかった。
何も言わず、翌朝姿を消した――「おとなしく待っていろ」という書き置きだけを残して。
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