癒しの乙女の永久なる祈り

トウリン

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第五章:それぞれの思い

寛恕②

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(なんで、ベリートのことなんて……)
 ベリートは我が身を捨てて、エディたちを逃がしてくれたのだ。
 それなのに、今の彼の言葉の裏にあるのは、明らかな怒りで。
 何故そんなふうに感じてしまったのか――戸惑いを含んだ視線をルゥナに向けると、彼女は全てを呑み込む湖面のような眼差しをエディに注いでいた。吸い込まれそうな穏やかなその瞳に、エディは言葉を失う。
「あ……俺は……」
 二の句を継げない彼に、ルゥナがそっと囁く。

「エディが赦せないのは、誰?」

「え?」
「エディが怒っているのは、誰に対してなの? 邪神? 魔物? マギクの兵士? マギクの王様? ベリートさん? それとも……あなた自身?」
「俺?」
 眉をひそめたエディに、ルゥナはコクリと頷いた。
「わたしには、あなたが誰よりもあなた自身を責めているようにも見える。何故?」
 そう問いかけられても、エディには答えられなかった。彼にそんなつもりはなかったから。
 視線を揺らすエディに、ルゥナはヒタリと真っ直ぐな目を向ける。
「出会った時は、ただ、怒ってた。でも、今はそれだけじゃないような気がするの。何か――迷ってる? ……いつから? ピシカから、話を聞いた時から?」
 ルゥナの囁きは、まるでエディの心の中を覗き、絡まった何かをほぐそうとしているかのようだった。

(俺が? 迷う?)
 エディは胸の中で繰り返す。
 よく、判らなかった。だが、ルゥナが言うとおり、国を追われた時にはなかったモヤモヤが、今は彼の鳩尾の辺りに渦巻いている。
 これが、ルゥナの言う『迷い』なのだろうか。
 だとすれば、それがエディの中に居座るようになったのは、いつからだろう。
(ピシカの話を聞いた時――?)
 いいや、違う。
 アレがきっかけではない。

「……俺は、魔物もマギクも、憎いんだ」

 ポツリと、エディは言う。ルゥナは微かに首をかしげて、彼を見つめたままその声に耳を傾けている。
「確かに、憎いと思ってたんだ。だけど……」
 エディは唇を噛み締め、膝の上に置いた両手のひらに目を落とす。
 異形のモノどもを殺した時に胸の内に込み上げてきた嫌悪感は、なんだったのだろう。
 いくらでも殺せると思っていた。
 殺してやりたいと思っていた。

 それなのに。

「俺は、弱い」
 ギリ、と奥歯が軋む耳障りな音が響く。握り締めた掌に爪が食い込んで痛みを覚えたが、力を緩めることはできなかった。
「俺は、強くなりたいんだ。ためらわずに戦って、皆を守って……」
 脳裏に浮かぶのは、父の姿だ。父レジールが戦場で剣を振るう様を目にしたことはなかったが、きっと、エディのように臆病風に吹かれることはなく、勇猛に戦ったに違いない。スクートとサビエだってそうだ。金色熊ウルズの巨体を前にして、怯むことなく跳び込んでいき、何のためらいもなくアレを下してしまったではないか。ヤンも、嬉々として、あの魔法を操る男に向かっていった。
 確かに、ヤンダルムで魔物たちに襲われた時、エディもかかってくる奴らを斃すことはできた。身体は、動いた。だが、気持ちは負けてしまっていたのだ。殺すことに対する嫌悪感で、柄を握った手が震えそうだった。
 糧にするわけでもなく、ただ、朽ち果てさせる為だけの殺し。
 何の意味もない、死。
 それを自らが生み出していることが、嫌だった――そう思ってしまう弱さが、エディは疎ましい。
 と、不意に、微かに空気が動く気配がした。目を上げるとすぐ傍にルゥナが立っていて、彼女はふわりとエディの前に膝をつく。そうして、握った彼の拳に、小さな手のひらを重ねてきた。柔らかくて、ほんの少しひんやりとしたその感触に、思わず肩に力が入る。

 緊張を走らせたエディには気付いたふうもなく、ルゥナが彼の目を覗き込んできた。
「エディは、彼らを傷付けたくないと思ったの?」
 図星を刺されて、エディの頬がカッと熱くなる。それは、戦士として恥ずべきことだった。顔を赤くした彼に、ルゥナが柔らかな笑みを浮かべる。
「それは、弱さなのかな」
「……どういう意味だ?」
「わたしには、それも強さに思えるの」
「どこがだ」
 吐き捨てるように答えたエディに、ルゥナが頭を傾ける。銀髪がサラリと音をたてて流れた。そうして、彼女は彼を真摯に見つめてくる。

「エディの中では、命を慈しむ気持ちが、憎しみよりも強かったんじゃないのかな。何かを慈しんで、大事にしたいと思う気持ちは、弱さではないでしょう?」
「俺は、躊躇いなく戦えるようになりたいんだ。殺すことに怯みたくない」
「それが、強いということ?」
「そうだ……そうだろう?」
 エディは、問い掛けた。断定しようとして、静謐なルゥナの眼差しの前で、不意に自信が無くなったのだ。
 彼女は一度口をつぐみ、そしてまた開く。

「呵責なく奪えることが、強いということなのかな」
「え?」
「あのね、わたしは、フロアールのことを強いと思うの」
 唐突に出てきた妹の名前に、エディは眉根を寄せる。
「あいつが?」
「そう」
 ルゥナがコクリと頷いた。
「あのね、わたしはこの世界で目覚めて、とても不安だったの。さびしくて怖くて、ピシカと二人だけだったら、潰れてしまったかもしれない。でも、フロアールがいつも笑いかけてくれて……フロアールは戦う力なんてないけど、わたしを守ってくれたわ。フロアールだって、お父さんを亡くして、不慣れな旅で、つらかったはずなのに。いつも、わたしや他のみんなに力をくれる。わたしは、フロアールのことを、とても強いと思うの」
 ルゥナの眼差しをまともに受けて、エディは胸の内で彼女の言葉を反芻する。

(それが、強さ……? そんなのを強さと呼べるのか……?)
 彼は無意識のうちにギュッと唇を引き結んだ。それを目にして、ルゥナが曇った微笑みを浮かべる。そして、唐突に言った。

「ごめんね」
「え?」
 なんの脈絡もない謝罪に、エディは眉をひそめる。そんな彼に、ルゥナが更に言葉を継いだ。
「エディが今そうやって苦しんでいるのも、トルベスタやヤンダルムが襲われたのも、みんなわたしが失敗したからなの」
「は? 何を――」
「あの時、わたしがちゃんとやれていれば、今、こんなふうにはなってなかった。魔物もいなかっただろうし、マギクが追い詰められてしまうようなこともなかったはずなの」
「そんなの、君が負うものじゃないだろ」
 とっさにルゥナの手を握り締めてそう声を荒らげたエディに、ルゥナは小さく笑う。
「でも、わたしがやるって言ったことだもの」
 キッパリと、そう言った。ルゥナは柔らかな笑みを浮かべているのに、このことに関しては一歩も譲りそうになかった。

(フロアールのことを『強い』というなら、ルゥナも『強い』んじゃないのか?)

 だが――

 エディはむっつりと唇を引き結ぶ。
「百五十年前の『英雄』たちが君みたいな人を仲間にしていたことが信じられない」
 やっぱり、どう考えたって、ルゥナは戦い向きじゃない。こんな、吹けば飛ぶような少女ではなくて、もっと大きくて頑丈で強い者がその役割を担うべきだった。
 奇妙な憤りを覚えて黙り込むエディの前で、ふとルゥナが肩を落とす。何故か、悲しげな顔で。
「うん……そう、だね」
 彼女のことを傷付けた、とエディは直感した。
 けれど、自分の言葉のどこが彼女に刺さってしまったのかが判らない。
 どちらも口を開くことができなくて、目を逸らし合って沈黙する。

 やがて静寂を破ったのは、ルゥナの方だった。
「あ、もう、お部屋に戻ってもいいかな? ほら、明日も早いし、もう寝ないと……」
 そう言いながら、ルゥナが手を引っ込めて立ち上がる。甲から彼女の温もりが遠ざかり、エディは無意識にそこを撫でた。そして、頷く。
「あ、ああ……ごめん、時間を取らせて」
「おやすみなさい」
 ルゥナは後ずさるようにして扉に向かうと、薄く開けたそこからするりと抜けだしていった。
 シンとした部屋に一人残され、エディは彼女の態度が急変したことに眉をしかめる。
(何なんだ、急に?)
 ただ、あんなか弱げな少女が大変な目に遭わなくてもいいだろう、と思っただけだ。そして、それをそのまま口にしただけ。
「なのに、なんで落ち込むんだ? ――あ……っと、しまった」
 もう一度呟いたエディは、ルゥナにはもう一つ訊きたいことがあったことを、思い出す。
 ヤンダルムで遭遇した、男――強大な魔法を操っていたあの男が、何故、ルゥナのことを求めたのか。その声から溢れ出していたのは、切望だった。
 ルゥナは、今の世界に親しい者はいない筈だ――ピシカ以外は。

「ルゥナと同じように、百五十年前の者、とか……?」
 彼女が存在している以上、それもあり得る。
 何故か彼は、ルゥナを求めていた。きっと、また来るだろう。
 ピシカとルゥナから話を聞いても、さっぱり疑問が解けた気がしない。
 エディはドサリと寝台に身を投げ出した。
 色々、考えなければいけない。考えて、自分の中の混乱したものを整理しなければ。
 だが、それを成し遂げるのが簡単な事のようには、思えなかった。
 エディは天井に向けてため息をつく。
 しばらくは木目を睨み付けていられたけれど、やがて、彼の意識は深い眠りの中に沈み込んでいった。
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