捨て猫を拾った日

トウリン

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捨て猫を拾った日

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 クリスマスを控えた最後の日曜日。
 街には浮かれた空気と人が溢れている。

 仕事が休みのその日、実用一点張りでろくな服を買おうとしない真白ましろを連れて、孝一こういちは店の並ぶ通りを歩いていた。
 人混みが嫌いな孝一は、休日の昼間に出歩くことはしない。だが、同じスウェットスーツばかり三セット買ってきただけの真白に、もう少しマシな格好をさせたかったのだ。

「おい、あまり離れるなよ」
 ともすれば人の波に呑み込まれそうになる真白に、孝一は声をかける。
「ん」
 本当に聞いているのかどうなのか、真白が彼を振り返りもせずに曖昧な返事をよこした。
「まったく……」

 ヒトの多さに辟易しつつ、孝一は小さくため息をつく。どこもかしこもクリスマスの飾りつけ、クリスマスのBGM――まったく、やかましい限りだ。それらはできる限り頭からシャットアウトしつつ、彼は歩きながらショーウィンドウを眺める。その昔、彼も『恋人』として付き合いを持った相手がいたが、買い物に連れ出されるとこれでもかというほど時間を奪われたことは苦い思い出だ。

 通りに面したガラス張りの中には、服や貴金属、玩具、ありとあらゆるものが並べられている。
 ふと、その中の一つに孝一の目が引き寄せられた。
 ふんわりとしたデザインの、白いワンピースだ。

「シロ」
 アレを試着してみろと言おうとして、振り返ったその場所にいる筈の姿はなかった。
「おい、シロ?」
 声を大きくした孝一に、道行く人が何事かと振り返る。だが、反応して欲しい者からの返事はない。どうやら、はぐれたらしい。
「シロ!」
 自分よりも真白の方が先に行っているとは思えず、孝一は彼女の名を呼ばわりながら来た道を戻る。他人が振り返るほどの声で読んでいるのだから、本人が聞こえていれば返事をするか寄ってくるかする筈だ。
 しかし、最後に真白を見た場所まで戻っても、彼の声に反応して駆けてくる姿はなかった。

「チッ」
 思わず舌打ちが漏れる。
 真白は当然携帯電話など持っていないし、孝一のマンションに帰る為の電車代も今日は渡していない。

(ここではぐれたら、どうなるんだ?)
 もしも見つからなかったら、もう二度と会うことがないのだろうか。
 不意によぎったそんな考えに、孝一は愕然とする。
 彼は彼女の『真白』という名前しか知らない。
 真白の方に彼の元に留まる気が無ければ、いついなくなってもおかしくないし、そうなったら探しようがないのだ。
 確かなつながりは何もないというのに、彼女が消える可能性など、孝一はまったく想定していなかった。

(俺から離れたら、どうするんだ? また別の男を見つけるのか? ――そいつに抱かれて俺に言ったように「好きだ」と言うのか?)
 焦燥――あるいは、怒りだろうか。
 孝一の胸の中を火で炙られるような不快感が襲った。
 彼は踵を返し、もう一度通りをさらう。

「真白!」
 先ほどよりも速度を落とし、彼に寄ってくる者を待つだけでなく、彼の方からも長い栗色の髪を探す。
 大声を出しながら小走りで行く孝一に目を向けるのは、見知らぬ他人ばかりだ。
「真白!」
 こんなに声を荒らげたことはない。

 と――
(いた)
 見間違いのない、腰まで届く栗色のくせ毛が通りに背を向け、ディスプレイにへばりついている。中にあるのは、ぬいぐるみか何かのようにしか見えない。

「真白」
 呼びながら近付いても、彼女はピクリとも反応しなかった。
 後ろに立って、肩を掴んで振り向かせる。
「コウ」
 彼の名を口にしてふわりと微笑んだその様は、孝一の苛立ちなど全く気付いていないようだった。
「俺が呼んでいるのは聞こえなかったのか?」
 反応しなかったのだから、当然聞こえていなかったのだろう。
 きっとそうだ、それなら仕方がない。
 そうやってささくれ立った自分の気持ちを宥めようとした孝一の努力は、ケロリと返された真白の言葉で一蹴される。

「え、聞こえたよ」
「は? 俺が呼んでいるのが聞こえたのに無視してたのか?」
「これ見てた」
 そう言って彼女が指差したのは、巨大な熊のぬいぐるみだった。滑稽なほど大きな、ぬいぐるみ。

(こいつは、俺のことなどどうでもいいんだ)
 自分は、真白にとって何の意味もない――玩具一つで簡単に頭の中から消えてしまうような存在なのか。
 セックスでのぼせて口にする「好き」に、やはり感情はこもっていないのだ。
 それを実感した時、孝一の中に溢れ出してきたのは、吐き気がしそうなほどの憤りだった。

 孝一は真白の腕を掴んで引きずるようにして歩き出す。

「コウ?」
 彼女の声が不安を帯びているのは、彼の怒りを薄々感じているからなのだろう。だが、何故彼が怒っているのかは、きっと解かっていない。それが、いっそう腹立たしい。
 しかし、孝一自身、何故これほどまでに怒りが込み上げてくるのか、よく解かっていなかった。
 無言で家路を進み、マンションのドアを開けると放り込むようにして真白を入れる。
「コウ?」
 無邪気に見上げてくる目は、心底から彼の行動を訝しんでいるものだ。
 孝一は真白の足から靴をむしり取り、彼女を肩に担ぎ上げる。

「な、何?」
 真白の手がシャツの上着の背中を鷲掴みにするのを感じながら靴を脱ぎ捨て、彼は寝室に向かう。そうしてドアを蹴り開けて中に入ると、彼女をベッドの上に放り出した。

「コウ、どうかした?」
 うつ伏せから起き上がろうとした真白の背中を言葉もなく押さえつけて、制する。今は彼女の目を見たくなかったし――その目で見られたくなかった。
 真白にとって、孝一は必要ではない。彼女は、誰か他に飼ってくれる者がいればいつでもついていってしまう、野良猫だ。
 彼女が口にする「好き」という言葉は、セックスの快感がそう言わせるだけだ。ただの生理的反応――彼自身、長い間セックスをそう扱ってきた。悦楽を得る為だけの、感情など必要としない、生理的行為。

 同じようなことをしているのに、何故、自分はこんなに怒っているのか。
 何に対して耐えがたく思っているのか。

 孝一はセックスで快楽を得る。
 真白はセックスで快楽を得て、更にそれに言葉が付随する。

(なら、快楽のないセックスなら――)
 息をひそめておとなしく押さえつけられたままになっている真白を、孝一はジッと見下ろした。
(それでも、好きだと、言うのか?)
 孝一はスウェットのボトムに手をかけ、下着もろとも一気に剥ぎ取る。
「コウ!?」
 バタバタと暴れる彼女の脚の間に割り込み、ファスナーを下げた。怒りの為か半ば勃ち上がりかけているものを自らの手でしごいて硬くする。そうして真白の背から手を放し、うつぶせのまま腰を掴んで持ち上げた。
「何す――ッ!」
 前戯もなく、濡れてもいない彼女の中に押し入った瞬間、真白の身体が硬直する。

「ぃた……い、よ」
 その細い声に思わず孝一は身体を引きそうになったが、小さく息をすった後、無言で抽送を開始した。
「ッぁあッ」
 ベッドが軋むほどに突き上げると、彼女の小さな手がシーツを掴み、その関節が白くなる。
 粘膜をこすり続ければ、やがて機械的な刺激で蜜がにじみ始めるのが女の身体だ。だが、動きは滑らかになっても、いつもの陶然となる感覚はほんのわずかも湧き上ってはこない。それは真白も同じだということは、彼女の声、そして彼を包む彼女の内襞の感触で知れる。

 彼が意図したように、快楽のないセックス。

「な……ん、で……?」
 途切れ途切れに震える声で、真白は問いかけてくる。
 ――何故、こんなことをするのか。
 だが、それは、孝一自身にも答えられないことだった。

 いたぶるくらいなら、捨てればいいのだ。さっさと家から放り出せばいい。

(何故、俺はそうしないんだ?)

「クソッ!」
 呻いて、彼は達せぬまま萎えた彼自身を彼女の中から引き抜いた。
「ふ……ぅっ」
 その感触に身体を震わせ小さく喘いだ真白の肩に手をかけ、仰向けにする。血の気の引いた頬――大きく見開いた目に、涙はなかった。

 彼女の頬を両手で包み、間近に顔を寄せる。

「どうだ? これでも俺が『好き』と言えるのか? さあ、『好き』だと言ってみろよ」
 嘲るような孝一の声に、真白の眼差しが微かに揺れる。が、次の瞬間彼女の手が頬に置いた彼の手に重ねられた。
「好き、だよ? コウが、好き」
 戸惑いながらも、即座に返された、その言葉。
 思わず震えるその身体を掻き抱き、直後孝一は弾かれたように彼女を放し、ベッドから下りる。

「コウ?」
 呼ぶ声に振り返ることなく彼は部屋を飛び出した。
 ――先の見通しも立てぬままに。
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