捨て猫を拾った日

トウリン

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愛猫日記

彼のリベンジ、彼のヤキモチ⑦

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 真白ましろの長い髪は入口の係員に強い印象を残していたらしく、孝一こういちが一言二言彼女の容姿について説明すると、彼はすぐに「ああ」と頷いた。
 彼女が出てこないのだということを伝えると、係員は照明を点けて捜索しましょうかと言ってくれたが、孝一はそれを断った。代わりに、自分が捜すからと懐中電灯を受け取って、列に並ぶことなく入場させてもらったのだ。

 場内には足元の常夜灯か、所々にある非常出口の場所を示す標識程度しか光源がなく、ただ歩くのも難しいほど薄暗かった。
 BGMはいくつもの壁を隔てて遥か遠くから聞こえる客の悲鳴だけだ。手術室や霊安室、トイレや病室などそれなりに凝った作りで、暗いせいもあってか、まずまずの雰囲気は醸し出している。
 そんな中で何かが飛び出して来たり、急に動き出したりするのだが、孝一は一切無視して先を急いだ。

「シロ、真白」
 営業妨害にならない程度の声で、彼女の名前を呼ぶ。
 仕掛けやら何やらにビビることなくサクサク歩いているので、普通なら他の客をどんどん追い越すことになっていただろう。しかし、もしかしたらどこかで倒れていたりすることもあるかもしれないと、懐中電灯の明かりでいちいち部屋の中を照らしながら進んでいるから、必然的に、前の客に追い付かず、後ろの客にも追い付かれず、という速度になっていた。

「真白?」
 懐中電灯を、『病棟』の廊下の両側に並ぶ『四人部屋』の中を隅々まで舐めるように動かしてみるが、やはり真白はいない。
 時折何か動くものが視界の隅をかすめても、それは皆客を驚かす為の仕掛けだった。お化け屋敷なのだからそういうものなのだ、仕方がないとは思っていても、孝一は捜索の邪魔にしかならないそれらにイラッとする。

 廊下を歩き終わってしまった孝一は、もう一度来た道を振り返った。
「どこかで見落としてないよな……」
 入ってから十五分は経っているから、多分、もう半分ほどは来ている筈だ。
 孝一は、一瞬戻ってもう一度探してみたくなるのを、かぶりを振って打ち消した。これまでの所で見逃している筈がない。

 もう仲間たちに合流しているのならばいいのだが。
 出口から姿を現した孝一を、五十嵐たちの間でキョトンとした顔で出迎える真白。
「何でここにいるの?」と問われたら苦笑を返すしかないのだが、それで笑い話にできる。
 こっそり付いてきた孝一に、彼女は怒るかもしれない。三日くらいはろくに口もきいてくれないかもしれない。

 けれど。

 その方が、いい。
 たとえ彼がしていることが無駄足になったとしても、真白の逆鱗に触れたとしても、彼女がこの暗がりの中で竦んでいたり、倒れていたりするのよりかは遥かにマシだ。
 ――そう思った途端に、そんな彼女の姿がリアルに孝一の脳裏に浮かんでしまった。

「チッ」
 思わず舌打ちが漏れる。
 こんな趣味の悪い場所から、早くアイツを連れ出してやらないと。
 イライラしながら、孝一は次の部屋への扉を押し開けた。
 ギィ、と、わざとらしいほど耳障りな音と共に開いたドアに眉をしかめながら、彼はその中に踏み込んだ。ドアノブから手を放すと、また鈍い音を立てて戸が閉まる。
 ドアが完全に閉まると部屋の中は完全な暗闇に包まれた。いや、今の孝一の手の中には懐中電灯があるから、その灯りだけはある。だが、それが無ければまさに鼻を摘ままれても判らない、という状態になるだろう。

 四畳半ほどの、狭い、灯りのない部屋。
 孝一はふと眉をひそめた。
 元々そのが無い者でも、閉所恐怖症になってしまいそうな圧迫感がある。
 ここはその暗がりの中、ただ手探りで次の間への扉を探すだけのイベントのようだ。
 それだけではあるのだが、物置を模しているのか、色々なものが置かれていて、孝一のように灯りを手にしていなければ結構手こずるだろう。
 耳が詰まっているかのような静けさの中、いいタイミングでどこかで誰かがあげる悲鳴が微かに聞こえてくる。

(ここも外れ、か)
 気を入れて捜すほどの広さはなく、孝一はサッと懐中電灯を巡らせて、そう判断した。

 が。

 不意に、チリ、とうなじの辺りの毛に何かが触れたような感じがした。
 眉をひそめて、もう一度、灯りをグルリと回す。

 何もない。
 けれど、やはり、何かが気になる。

「……真白?」
 三秒ほど、待ってみた。

(気のせいか)
 何の応答もない暗がりに向けてため息をついて、部屋から出るドアを探そうと身体を引いた時だった。

「コウ?」
 かすれた、囁き声。

 孝一はパッと振り返り、それが聞こえてきた辺りを照らす――部屋の隅、積み上げられたガラクタの陰の方に。
 そこに、求める姿があった。
「真白……」
 光の中に小さくうずくまる彼女は、眩しそうに、そしていぶかしげに目を細めている。
 孝一は懐中電灯を点けたままポケットに突っ込み、真白に駆け寄った。途中で何かに肩をぶつけたが構いやしない。
 真白の前にしゃがんで頬を両手で包んで彼女の目を覗き込む。

 涙は、ない。
 ただ、よくできた人形のように固まった顔の中に、ボウッとした、深い眠りから覚めたばかりのような眼差しがあるだけだ。

「大丈夫か?」
 全然大丈夫そうに見えなくて、孝一は眉をひそめてそう声をかける。
 と、それまで全く動きのなかった真白の表情が微かに緩み、ぱちりと瞬きをする。そして、ふわりと笑んだ。
「真白?」
 もう一度名前を呼んだ孝一に、彼女は跳び込むようにしてしがみ付いてくる。
 真白を受け止め抱き締め返した孝一には、彼女のその身体が小刻みに震えているのが感じられた。恐怖からなのか、心細さからなのか――とにかく、彼女は震えていた。

 孝一の胸が、詰まる。
 彼の胸元に顔を埋めている真白の髪に口づけて、囁いた。
「シロ……真白。大丈夫だ。俺がいるから……ここに、いるから」
 きつく抱きすくめて同じ台詞を何度も繰り返す。そうすることが、今はこの上なく大事なのだと孝一は直感した。

 多分、そう長い時間はかからなかっただろう。次第に孝一の腕の中の華奢な身体からこわばりが和らいできて、彼の口から無意識のうちに安堵の吐息が漏れる。最後に髪の間から覗いている耳にそっとキスをして、孝一は顔を上げた。
 できたら真白の震えが完全に治まるまで抱き締めていてやりたかったが、こんな場所はさっさと離れた方がいいだろう。
 孝一は真白の背中と膝裏に手をまわし、抱えながら立ち上がろうとする。と、その意図を悟ったのか、真白が顔を上げた。その目にはさっきよりも力が戻っているが、まだ心許なく揺れている。

 何がそんなに彼女を動揺させたのだろう。
 どうしようもなく胸が締め付けられてまたその細い身体を引き寄せてしまいそうになった孝一を、小さな真白の声が止める。
「歩けるから、下ろして」
「本当に?」
「ん」
 コクリと頷いた真白がやけに頼りなくあどけなく見えて、孝一の胸の中で温かな何かがぶわりと膨らんだ。一瞬、問答無用で運んでしまおうかと彼は思ったが、グッとそれを呑み込んで真白の意思を尊重することにする。
「じゃあ、行くか」
 そう声をかけて、真白の背中を支えながら立ち上がった。

 立ってしまったら彼女は離れてしまうのだろうと思っていたら、孝一の身体に回された腕にいっそうの力が込められた。顔も彼の胸にピタリと押し付けられたままだ。
 少々歩きにくくはあるが、暗闇の中でも真白を感じていられるから都合がいいと言えば都合がいい。
 孝一は左腕で彼女を包み込むようにして、歩き出した。
 真白が見つかったのだから、こんな所はさっさと出てしまうに限る。小部屋を出た彼は、最初に目に入った非常出口の案内灯に向かった。

 障害物のない明るい避難通路に出てからも、真白は孝一から離れようとはしなかった。
(お化け屋敷が怖かったわけじゃないのか?)
 考えてみれば、あの小部屋に至るまでに三十分近くかかっており、その間は真白も独りで大丈夫だったわけだ。ただ暗くて狭い部屋よりも、よほどビビらせポイントがあったにもかかわらず。

 では、何がスウィッチになったのだろうと内心で首をかしげながら、孝一は出口を目指す。
(閉所恐怖症とか、暗所恐怖症とか?)
 だが、今まで真白がエレベーターを怖がったこともないし、真っ暗な部屋を拒んだこともない。
 何がこんなに真白を怯えさせたのかが判らないと、また同じ目に遭わせることがあるかもしれない。
 二度とこんなことがないように、原因をはっきりさせておきたいのだが。

 孝一は腕の中の真白を見下ろす。
 元々自分の胸中を語るのが不得手な彼女のことだ。もしかしたら、真白自身が何故こんなことになったのか判っていないのかもしれない。彼女に訊いてみても答えが得られるとは思えなかった。
 どうしたものかと考えながら黙々と歩くうちに、正面に扉が見えてくる。それまでのドアは廊下の側面に付いているものばかりだったから、多分、あれが出口なのだろう。

 孝一の予測は当たっていて、そのドアを開けると本来の出口のすぐ脇に出た。
 バイト仲間たちはお化け屋敷の出口の方に注目していたが、非常口から姿を現した二人にすぐに気が付いた。一斉に皆の目が向けられる。
「大月さん、大丈夫?」
 真っ先にそう訊いてきたのは、意外なことに、篠原しのはらという少女だった。ひそめた眉には、偽りではなく案じる色が滲んでいる。
 孝一の胸元で真白の頭が動く気配がして、彼はそれを左手で押さえて止めた。
 真白のことだから、「大丈夫か」と訊かれたら、「だいじょうぶだ」と答えるに違いない。平然といつも通りの顔で。
 彼らを心配させたくない気持ちは解かるが、孝一は全然平気じゃないのに平気だと真白に言わせたくなかったし、弱った彼女を五十嵐に見せたくもなかった。

 真白の顔を自分の胸に押し付けたまま、孝一はバイト仲間たちに言う。
「こいつ、こういうのが苦手だったみたいだ。もう連れて帰るが……構わないか?」
「大月さん、大丈夫なの?」
 孝一の言葉を無視して、五十嵐が眉間に皺を寄せて訊いてくる。また動きかけた真白の後ろ頭に置いた手に力を込めて、孝一は彼女に変わって答えた。
「今日は早々に休ませる」
 五十嵐の目が不満そうに細められたが、孝一は平然とそれを跳ね返す。
 大人げなかろうが狭量だろうが、知ったことか。
 孝一は、自分のそんな部分を充分に承知しつつ、真白を抱き締めた。
 半ば反射のように彼女の腕にも力が入って、傍から見たらただただいちゃついているようにしか思えなかったかもしれない。
 だが、こうやって真白がすがり付くのは、孝一だけだ。孝一だから、真白はその身を委ねてくるのだ。

 目の前での光景に五十嵐もそれを痛感したと見え、彼の目元が微かに歪む。
 悔しそうな苦しそうなその顔に、孝一は心の内でひっそりと笑った。思い知ったかという言葉を噛み締めながら。
 真白は彼のものであり、他の輩が入り込む余地など指一本分のくれてやるつもりはない。
「じゃあ、失礼する」
 一言そう残し、孝一はその場を後にした。
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