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愛猫日記
幕間~じゅうそくのひと時
しおりを挟むベッドに入ってしばらくしたら孝一の手が伸びてきて、真白は、「久しぶりだな」と思った。
遊園地に行った日から、一週間弱経っている。その間、孝一は真白を抱こうとはしなかった。
今、彼の手が真白を引き寄せ、抱き締め、そして唇を重ねてくる。口を開けば温かな舌が忍び込んできて、初めのうちはゆっくりと、そして段々深く激しく真白の舌をもてあそび始める。
こういうキスも、しばらくしていなかった。
「シロ、もっと舌よこして」
言われるままに差し出した舌が甘噛みされる。甘噛みされて、囚われた舌先を彼の舌でくすぐられる。
それだけでも真白の頭はくらくらしてきて、何も考えられなくなってしまう。
「もう、痛くないか?」
唇を触れ合わせたまま孝一がそう訊いてきて、真白は一瞬何のことかと思った。けれど、彼の手がお臍よりも少し下の辺りに置かれて、判った。
目を上げれば、真剣な孝一の眼差しと出会う。
「痛くないよ」
そう答えるのは少し恥ずかしい。
別にだいじょうぶだったのにな、と思いながらも、改めて、彼があの時のことをそんなにも気に病んでいたのだということに気付かされた。
確かに、あの日の翌朝、孝一は落ち込んでいたように思う。だけど、仕事から帰ってきたらもういつも通りだったから、真白はすっかり忘れていた。
彼を落ち込ませてしまったことも、それを忘れてしまっていたことも、申し訳なく感じる。
だけど、孝一があんなふうにするのが好きではないことは判っていたけれど、それでも、あの時の真白にはあれが必要だったのだ。
遊園地で暗いあの部屋に入った時、どうしようもなく不安になった。不安で、孤独で、閉じ込められてもう二度とそこから出られないような、そんな絶望感でいっぱいになった。
(あれは、なんだったんだろう)
あそこから出てもその感覚はずっと付きまとってきて、家に帰っても無くならなかった。
そうしたら、無性に孝一を感じたくて、彼に満たされたくてたまらなくなって。
孝一が真白の奥深くに入ってきた時は確かに痛くて苦しかったのだけれど、彼を受けとめるたび、不安も孤独も絶望感も、薄らいでいった。
彼に突き上げられるたび、真白にまとわりついた暗い何かがボロボロと崩れ落ちていって、まるで生まれ変わっていくような心持ちになった。
そんなふうにしてくれたから、翌朝孝一に「ありがとう」と伝え、彼もそれを受け取ってくれたと思っていたのだけれど。
「欲求不満になりそうだった」
真白の耳元にキスをしながら、孝一がぼそりと呟く。
「そんなの……別に、しても良かったのに」
「しばらく身体、つらかっただろ?」
孝一が労わるように真白の下腹に触れながら、そう訊いてきた。確かに三日くらいはちょっと痛かったけれど、そんなに大したことはなかったのだ。
ああ、でも、もしかして。
「コウも痛かった?」
イヤなことを無理にしてもらったから、あんまり、良くなかったのかもしれない。
そう思うと、申し訳なくなる。
「は?」
真白のあちこちにキスを繰り返していた孝一は真白の台詞にパッと顔を上げて、いぶかしげに眉をひそめた。
「痛かったんだね。ごめんね、気付かなかった」
謝ると、彼はムッと顔をしかめた。
「俺は、全然痛くもなんともない。むしろ――」
「? むしろ?」
「いや、何でもない」
「やっぱり、痛かったんだ……」
ショックだった。
自分の望みを優先して、孝一のことを全然考えてなかった。
顎を引いて目を逸らした真白の頬を、彼の両手が包み込んだ。そうして、顔を上げさせる。
「だから、身体は、気持ちいいんだよ。身体だけはな。刺激すりゃ勃つし、こすりゃ出るし、出せば快感は得られる」
「そう、なの? でも、じゃあなんで……」
身体が気持ち良ければ、それでいいのではなかろうか。
眉間に皺を寄せる真白に、孝一がため息をついた。
「俺の身体だけ良くなっても、満足はできないんだよ。そんなのは昔と同じだ。お前に対しては、そんなふうでいたくない」
真白は、孝一に触れてもらえればそれだけで心地良いし満足だから、彼が言うことは良く理解できなかった。
「ふぅん?」
曖昧に相槌を打った真白に、不意に孝一が笑う。
にやりと、どこか意地悪い感じで。
「まあ、そういうことだから、今日は俺の好きなようにさせてもらうからな? ――たっぷりと、俺が満足するまで」
何となく、不吉な予感がした。
*
孝一の舌が真白の口の中を丹念に探っていく。
絡め取られた舌はなぶられ過ぎて、付け根がだるくなっている。それでも彼がまた求めてくるから、唾液も呑み込めなくなって、口の端からツッと滴が伝っていくのが感じられた。
「ふ、ぅっ」
キュッと強く舌を吸われて、思わず真白は背筋を反らした。その拍子にずっと入りっ放しの彼の昂ぶりが身体の奥深くをこすって、また快感が込み上げる。
真白の中に分け入ってくる前に、彼はその手と唇と舌を使って、散々彼女を掻き立てた。
感じ過ぎるから触れて欲しくないと真白が懇願したところを彼女が泣き出すまで責め倒して、そのくせ、彼女が達しそうになって身体を震わせ始めると止めてしまう。
何度も、何度も。
身体の奥が切なく痺れて、彼がその動きを止めて彼女をジッと見つめてくるたびに、「お願いだから」と繰り返した。
ようやく大きく張り詰めた彼が入ってきた時も、その動きはとてもゆっくりで、その上、彼の全てが真白の中に納まってからはピクリとも動いてくれなかった。
もうずっと、彼女の中に留まったまま、キスを続けている。
動いていなくても彼が中にいるのはもうイヤというほど感じられてしまうから、何かの拍子にキュッとお腹の奥が収縮する。そうすると途端に真白の感じるところが刺激されて、彼女はもうどうしようもなく蕩けてしまう。
あとほんのちょっと動いてくれたら、舞い上がるような快感が手に入るのに。
孝一の身体で押さえ込まれているから、真白は自分では動けない。
だから彼が動いてくれないといけないのに、全然動こうとしない。
「や、ぁ、もう、やだぁ……お願い、ね、コウ……」
彼の唇がほんの少し離れた隙に、百回は繰り返しているのではないかと思える『お願い』を、真白はまた繰り返す。
孝一は真白の頬を両手で挟み、焦点を定めることもできない彼女の顔を覗き込む。
「こういうお願いは、最高だな」
悦に入った笑みを浮かべながら、孝一が言う。そうして、ほんの少しだけ腰を揺らした。
「あ、あ……ぅ」
真白の全身を浮遊感が満ちかけて――消える。
もうこれをどう伝えたらいいのか判らなくて、真白は顔を上げて孝一の肩にがぶりと噛み付いた。
「イテ」
あんまり痛そうではない声でそう言って、また彼は笑う。
「ずっと軽くイッてるだろ? でも、物足りないよな?」
判っているなら、何とかして欲しい。
潤んだ目で恨みがましく睨み付けると、チュッと額にキスされた。
「こういうお前は、一晩中でも観ていたいんだけどな。まあ、そろそろ勘弁してやるか」
そう言って、孝一は動き出した。
激しいものではなくて、ゆっくりとした、押し込んでくるような動き。
それを二度、三度と繰り返されると、真白の身体の奥の疼きは急速に膨らんでいく。
「ぅ……ぁ、あ、ぁあっ」
限界まで膨張しそして破裂した疼きは痛いほどの快感となって、指先、つま先まで一気に駆け抜けた。それは嵐の海の波のように何度も何度も真白を押し上げて、最後に彼女はふわりと放り出された。
そんな真白をしっかりと抱き締めて、孝一がヒク付く彼女の中を突き上げる。
「あ、いや、ダメ」
止まらない彼の攻撃で遠のいた筈の快感が勢いを増し、真白を翻弄する。果てしない愉悦に、彼女は孝一の背中に爪を立ててしがみ付いた。
真白は彼を求めて、彼も真白を求めている。
想いが通い合うということ。
求めて応えてもらえる幸せ。
望んでもらえる喜び。
「コウ、コウ……わたしを、放さないで」
彼の首筋に頬を埋めて、真白は熱に浮かされたように呟く。
刹那、孝一が唸りを漏らし、身体を震わせた。彼の腕の力が増し、真白の身体を絞るように抱きすくめると同時に、彼女の中に熱いものが放たれる。
その迸りにまた震えながら、真白は、ぐったりと力を失って彼女に覆い被さり荒い息を繰り返している孝一の背中に両手のひらを広げた。
愛おしい。
自分を押し潰している大の男に対して、真白はそう思った。
彼の重みを受けとめながら目を閉じて、その心地良さを噛み締める。
やがて孝一の胸の動きが穏やかになった頃、彼は顔を上げて真白と唇を重ね合わせた。
そっとまさぐる甘く優しいそのキスに陶然とした彼女に、孝一が吐息と共に囁きかける。
「放してなんかやるものか」
それが先ほどの真白の言葉に対してのものだと気付いたのは、二人が共に穏やかな眠りに落ちかけた時だった。
*
バイト先、帰り支度をしている時だった。
「あ」
小さな声に振り返った真白は、そこに篠原千沙を見る。
彼女はこれからのシフトらしい。
「お疲れ」
ポソッとそう声をかけられて、真白は一瞬キョトンとする。何も用が無いのに篠原が彼女に声をかけてくるのは、初めてな気がした。
「お疲れさま」
何となくくすぐったい気持ちでそう返したけれど、それ以上会話は進まない。
真白は私服に、篠原は制服に、黙々と着替えた。
先に着替えが終わった真白は、篠原の後ろを通ってロッカールームを出ようとする。が、そこで再び彼女が口を開いた。
「あの人のこと好きなんだ?」
「――あの人?」
誰のことか判らず、振り返った真白は首を傾げた。そんな彼女に、篠原は眉間に皺を寄せながら付け加える。
「あの、遊園地に迎えに来た人」
それは、孝一のことに違いない。
あの時のことはあまり覚えていないので、そんなところで面識があったのか、と真白は少し驚きながらも頷いた。
「コウは特別な人なの」
(名前を口にするだけで幸せになる人は、特別な人だって言ってもいいよね?)
篠原に答えてしまってから、真白は誰にともなく確認する。少なくとも、真白にとっては特別で大事な人なのだから、間違いではない筈だ。
そんな真白の自問自答など、篠原は知る由もない。着替えを終えた彼女は、クルリと真白に向き直った。
「なんだ、普通なんだ。あたし、大月さんのこと、ぶってる人だと思ってた」
「『ぶってる』?」
真白は誰も叩いたりはしていない。
そうかぶりを振ろうとした真白より先に、篠原が肩をすくめた。
「『わたしは他の人と違うんですよ』みたいな。すかしてるっていうかさぁ。なんか、ズルいよねって」
困ったことに、篠原が言っていることが真白にはさっぱり解からない。
「だってさ、ニンゲンって、手に入らないって思うものほど欲しくなるもんじゃない? だから、アンタが『わたしは誰にも興味ありませんよ』、『わたしは誰の手にも落ちませんよ』って顔してるから、アイツも余計にこだわってるんかなぁ、とかさ」
……いよいよ、よく解からない。
真白の困惑をよそに、篠原はにこっと笑った。
「まあ、アイツには全ッ然、勝ち目なさそうだから、あたしも気長にやるとするわ。今まで悪かったわね、色々。大月さんが悪いってわけじゃないのは判ってるんだけどさ、あたしも複雑でさ。ほら……解かるでしょ?」
そう言われても、やっぱり、さっぱり解からない。
けれども正直にそう答えたらまた怒られそうな気がして、真白はコクリと頷いた。もしかしたら、そのうち解かるようになるかもしれない。
真白の内心はバレていないと見えて、篠原はスッキリした顔をしている。
そんな彼女を目にして、真白は、解かりたいな、と思った。
こういうのを、ちゃんと解かるようになりたい、と。
「お疲れさま。バイト、頑張ってね」
外へのドアに手をかけた時、そんな言葉が、スッと真白の口からこぼれた。
篠原はキョトンと目を丸くし、次いでパッと笑顔になる。
「お疲れ! またね」
真白の口元は、硬い蕾が開くようにふわりと綻んだ。
応援ありがとうございます!
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