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捨て猫が安らぐ日
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「彼岸の連休に俺の実家に行くぞ」
――九月の第一週の月曜日、朝食の席で孝一が突然そんなことを言い出した。
真白は思わず彼を凝視してしまう。
「……実家……?」
その一言を繰り返した彼女に、孝一はいとも平然と頷いた。
「ああ。考えてみたら三年くらい帰ってないんだよな。ちょうどいいから行こう」
ちょうどいいと言われても、真白には何が『ちょうどいい』のか解からない。それに、『行こう』という言い方も引っかかる。
「……わたしも行くの?」
彼の前にコーヒーを置きながら恐る恐るそう尋ねると、何をほざくかと言わんばかりの眼差しが返ってきた。
「当たり前だろう」
「や、全然当り前じゃないと思うんだけど……」
そう答えたら、何故かムッと睨まれた。
「お前と暮らし始めてもう半年以上になるんだ。親に会わせたいと思うのは当たり前のことだろう。とにかく向こうに一泊するから、バイト、遅くならないようにしておけよ」
「あ、うん」
頷く真白をじろりと一瞥して、まだ結構熱いだろうコーヒーをグイと飲み干した孝一が立ち上がる。
「じゃあ行ってくる」
明らかに不機嫌になった彼を、真白はトレイを胸に抱き締めて見つめた。
「――あの、コウ?」
「何だ?」
「その、怒ってる?」
問いかけてはみたものの、孝一が怒っていること自体は見れば判る。正確には、『どうして』彼が怒っているのかを、知りたかった。
顎を引いて孝一を見上げていると、彼は真白を見下ろしていた眼差しをふと和らげる。
ふうと小さく息をついた彼は、もういつも通りの彼だった。
「まあ、お前が悪いんじゃないよ。俺が望み過ぎなんだよな、きっと」
「望み過ぎ?」
孝一は、別にわがままでも暴君でもない。
真白がするちょっとしたことにも「ありがとう」と言ってくれるし、作る食事は何にでも「おいしい」と言ってくれる。真白がしていること以上のことを要求してくることはないし、むしろ、もっと手を抜けとしょっちゅう眉をしかめている。
それのどこが『望み過ぎ』なのだろう。
眉根を寄せた真白の前髪をくしゃくしゃと掻き混ぜて、孝一は苦笑した。
「気にするな」
どことなく諦めたような声でそう言って、孝一は真白の頬に手を添えて頭を下げる。
そっと重ねられた唇は優しくて、いつもの彼と変わりない。
「コウ……?」
唇が離れても、頬を包んでいた両手は真白の首を撫でるように滑り下り、そのまま彼女の腰の辺りで止まった。
孝一は真白の頭の上に顎をのせてフウと息をつく。
「もっと、簡単なもんだと思ってたんだけどな」
(簡単なもの……?)
――何が? と真白が問いかける前に、孝一は彼女のつむじに唇を押し付けて、腕をほどく。
「欲求不満の男の愚痴だよ」
そう言われて、昨晩もさんざん啼かされた真白は、つい返してしまった。
「――欲求不満?」
あれで物足りないと言われたら、彼女にはもうどうしようもないのだけれど。
真白のその呟きに、孝一が眉を上げる。そして、にやりと笑った。
「いや、お前の身体には充分満足してるよ。昨日も良かった。今晩も楽しみだ」
瞬間、カッと真白の頬が熱くなる。クックと喉の奥で笑いながら彼女の頬への軽いキスと「じゃあな」の一言を残して、孝一は出て行った。
とても、上機嫌な様子で。
「……いってらっしゃい」
もう姿のない相手にそう返した真白はため息をこぼした。
時々、彼女は孝一のことがよく解からなくなる。
今だって、少し前は真白の何かにがっかりしたようだったのが、あっという間にケロリとしたりして。
(何か足りないなら、ちゃんと言ってくれたらいいのに)
「もう」
呟いて、真白は朝食の片付けを始めた。
――九月の第一週の月曜日、朝食の席で孝一が突然そんなことを言い出した。
真白は思わず彼を凝視してしまう。
「……実家……?」
その一言を繰り返した彼女に、孝一はいとも平然と頷いた。
「ああ。考えてみたら三年くらい帰ってないんだよな。ちょうどいいから行こう」
ちょうどいいと言われても、真白には何が『ちょうどいい』のか解からない。それに、『行こう』という言い方も引っかかる。
「……わたしも行くの?」
彼の前にコーヒーを置きながら恐る恐るそう尋ねると、何をほざくかと言わんばかりの眼差しが返ってきた。
「当たり前だろう」
「や、全然当り前じゃないと思うんだけど……」
そう答えたら、何故かムッと睨まれた。
「お前と暮らし始めてもう半年以上になるんだ。親に会わせたいと思うのは当たり前のことだろう。とにかく向こうに一泊するから、バイト、遅くならないようにしておけよ」
「あ、うん」
頷く真白をじろりと一瞥して、まだ結構熱いだろうコーヒーをグイと飲み干した孝一が立ち上がる。
「じゃあ行ってくる」
明らかに不機嫌になった彼を、真白はトレイを胸に抱き締めて見つめた。
「――あの、コウ?」
「何だ?」
「その、怒ってる?」
問いかけてはみたものの、孝一が怒っていること自体は見れば判る。正確には、『どうして』彼が怒っているのかを、知りたかった。
顎を引いて孝一を見上げていると、彼は真白を見下ろしていた眼差しをふと和らげる。
ふうと小さく息をついた彼は、もういつも通りの彼だった。
「まあ、お前が悪いんじゃないよ。俺が望み過ぎなんだよな、きっと」
「望み過ぎ?」
孝一は、別にわがままでも暴君でもない。
真白がするちょっとしたことにも「ありがとう」と言ってくれるし、作る食事は何にでも「おいしい」と言ってくれる。真白がしていること以上のことを要求してくることはないし、むしろ、もっと手を抜けとしょっちゅう眉をしかめている。
それのどこが『望み過ぎ』なのだろう。
眉根を寄せた真白の前髪をくしゃくしゃと掻き混ぜて、孝一は苦笑した。
「気にするな」
どことなく諦めたような声でそう言って、孝一は真白の頬に手を添えて頭を下げる。
そっと重ねられた唇は優しくて、いつもの彼と変わりない。
「コウ……?」
唇が離れても、頬を包んでいた両手は真白の首を撫でるように滑り下り、そのまま彼女の腰の辺りで止まった。
孝一は真白の頭の上に顎をのせてフウと息をつく。
「もっと、簡単なもんだと思ってたんだけどな」
(簡単なもの……?)
――何が? と真白が問いかける前に、孝一は彼女のつむじに唇を押し付けて、腕をほどく。
「欲求不満の男の愚痴だよ」
そう言われて、昨晩もさんざん啼かされた真白は、つい返してしまった。
「――欲求不満?」
あれで物足りないと言われたら、彼女にはもうどうしようもないのだけれど。
真白のその呟きに、孝一が眉を上げる。そして、にやりと笑った。
「いや、お前の身体には充分満足してるよ。昨日も良かった。今晩も楽しみだ」
瞬間、カッと真白の頬が熱くなる。クックと喉の奥で笑いながら彼女の頬への軽いキスと「じゃあな」の一言を残して、孝一は出て行った。
とても、上機嫌な様子で。
「……いってらっしゃい」
もう姿のない相手にそう返した真白はため息をこぼした。
時々、彼女は孝一のことがよく解からなくなる。
今だって、少し前は真白の何かにがっかりしたようだったのが、あっという間にケロリとしたりして。
(何か足りないなら、ちゃんと言ってくれたらいいのに)
「もう」
呟いて、真白は朝食の片付けを始めた。
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