鮮やかなもの

上野たすく

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「先生。奥村先生」
 前方から浜ちゃんの小声がして、意識して平静を装った。
「どした? メニュー、決まった?」
「まだですが、その」
 メニュー表で、顔を半分、隠しながら、浜ちゃんがチラチラと右を見る。
 一人用の席に髪の長い女がいた。
 黒いハイヒールにピンク色のスカート。
 会社の踊り場で目にしたそれが合わさる。
 女は俺に微笑んだ。
「あの人、さっきから先生のこと、見てて。お知り合いですか?」
「知らない」
「でも。あっ、こっち来る」
 浜ちゃんが小声で言い、メニュー表に頭を埋める。
 俺達、悪いことしてないよね?
 浜ちゃんって、案外、小心者なのかな?
 女は俺達の前で立ち止まると髪を耳にかけた。
「奥村庸輔先生ですか?」
 敬称が先生ってことは業界の人か、うちの生徒?
「はい」
 言いながら、浜ちゃんが女に上目遣いをしているのを、チラリと目にした。
「ネットの無料配信動画、観させていただきました。私、こういう者ですが」
 女はバックから取り出した名刺を、俺に向けた。
 X高校 法人本部事務局長 那須蘭。
 白石の客人と同姓同名なうえ、X高校の関係者。
「先生のところでは資格指導の講義の他に、さまざまな学校を訪れ、法律を教えていますよね?」
「ええ」
 社長のポリシーで、来てくださいと言われれば、講師が会社を飛び出して、声をかけていただいた学校で、数時間の講義を開く。
「先生に、ぜひ、うちでお話をしていただきたいんです」
「僕にですか?」
 社内には、もっと腕のいい講師が、たくさんいる。
 白石も、その一人だ。
「はい。先生は生徒に対し、上からものを言いません。うちの生徒は特権階級としての意識が高く、扱いにくいので、教えようという気持ちでは、生徒側の意欲が削がれてしまうんです」
 褒めているようで、見下してんのな。
「白石先生は、なんて言ったんですか?」
 那須さんのガラス細工のような美貌が、軋んだような気がして、俺は心の距離を一歩、後退させた。
「見られていましたか?」
 苦笑する美女。
 あの日、踊り場にいたのは、この人に決定だな。
 必然的に、白石の客人も、この人になる。
「白石君には、あっさり断られてしまいました。同級生なのに、冷たいですよね?」
 浜ちゃんはメニュー表から顔をあげ、俺は顎を引いた。
 彼女はαだ。
「法律の初歩のお話でいいんです。引き受けてもらえませんか?」
 X高校……。
 白石に相談したら、やめろって言われるんだろうな。
「会社の都合もあるので、僕の一存では応えられません。あとで、連絡します」
 那須さんが満面の笑みになる。
「わかりました。いいお返事をいただけること、期待しています」
 彼女はお辞儀をし、レジへと歩いて行く。
 浜ちゃんが緊張を解くように溜息をついた。
「なんなんですかね、あの人。仕事の依頼なら、会社にアポとるのがマナーでしょ? 先生に、直にオファーするなんて、自分だって、特権階級にずっぽりなんじゃないんですかね?」
 脱力する浜ちゃんを見つめた。
「どうしたんですか?」
「ん? ああ。浜ちゃんも、そういうこと、言うんだなぁって」
 本当はもう一つ思ったことがあったけど、そっちは体内にとどめておく。
「ふふ。先生は綺麗ですもんね」
「俺が? いやいや、ピュアソウルは浜ちゃんだろ?」
 あっ、口に出しちゃった。
「僕? そう勘違いしていただくのは、ありがたいですが、先生の方が綺麗ですよ」
 俺は心ん中で、気にくわんことがあったら、けちょんけちょんに罵ってるぞ。
「自分の価値は、自分には、わからないものですよね?」
 もしや、浜ちゃん、巣立ってる?
「そうだ、なに食べます?」
 浜ちゃんがメニュー表を横にしてくれる。
 俺、浜ちゃんの、こういう、さりげない気遣いのファンなんだぜ。
 浜ちゃんだって、自分のこと、わかってねぇよな。
 雑談の途中で、運ばれてきた食事はキラキラ輝いていて、俺は内心、縮み上がったが、浜ちゃんが、おいしいおいしいって食べるから、どうせ金払うんなら、今は食事を満喫しようと思った。
 だけど、那須さんの行動が、マナーに欠けていることを、浜ちゃんに気づかされ、何か違う意図があったんじゃないかって、頭ん中はそのことばかりで、アーモンドの粒入りドレッシングがかかったサラダも、ミディアムレアのステーキも、おいしいと思えなかった。
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