鮮やかなもの

上野たすく

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 やっちゃん、米、といでくれてる。
 あ、湯が沸騰した。
 包丁がまな板を叩いて、冷蔵庫が開いて。
 油がパチパチ跳ねて、いい匂い……。
 肩を揺らされ、パッと上半身を起こした。
「ごめ! 寝てた」
「気にしないでください。ご飯、たべられますか?」
 野菜の煮物とわかめの味噌汁と、そして、唐揚げ。
「口にあうといいんですが」
「ビバ据え膳だから」
「え?」
「あ、心の声が漏れただけ。スルーしてね」
 ふふ、とやっちゃんが優しく笑う。
「いただきます」
「どうぞ」
 煮物を口に運び、目を丸くする。
「うまっ!」
 ダシ、めっちゃ出とる!
 薄口なのに、ご飯がすすむ!
「よかった」
 やっちゃんはふんわり笑い、箸を持った。
 俺が食べるまで待っていたのか。
「やっちゃんって、好きな人、いるの?」
 人間関係が希薄だっつっても、好きって感情は湧いてくるもんだからな。
 ときとして、漫画や小説の登場人物や、芸能人が出てくる人もいるけど、それはそれで、面白いかも。
「好きな人……ですか?」
「うん」
 煮付け、うめぇ。
 味噌汁は……、鰹だしかな?
 ほっとすんなぁ、この味。
「奥村君は?」
「へ?」
つがい……いるんですよね?」
 サッと、首の後ろを掴んだ。
 仕事のある日は、ワイシャツで隠していたのだが、今日はオフだったから、気が緩んだ。
 包帯やアクセサリーを巻くΩも多いけど、俺はしてないからな。
 手を下ろし、味噌汁を啜る。
 やっぱ、落ち着く。
 保とは違う味つけ。
 保とは……。
「いるよ。やっちゃんと違って、粉末ダシを使う奴」
「え? あ、粉末、いいと思いますよ」
「白味噌が好きでさ、俺は赤味噌派だから、言い争いになって。味噌汁の味噌って根深いよな?」
 やっちゃんが何を言ってるか、わからないって顔をしている。
「あいだをとって、合わせ味噌にして、でも、ときどき、白を出してくるんだ。うっかりしてたとか言って」
 俺はやっちゃんに歯を見せて笑った。
「そういうのがさ、ムカつくのに楽しかったりしてさ。おかしいよな? こんなことくらいで」
 やっちゃんは微笑みながら、首を横に振った。
「保……、俺の相手、白石保っていうんだけど、そいつ、職場では自我を通すことって、あんま、なくて……。やっちゃん?」
 やっちゃんが遠くを見るような眼差しをしていて、俺は手を振った。
「どうした? 大丈夫?」
「あ……、すみません。すごく懐かしい名前だったので」
「ん? え? やっちゃん、保の知り合い?」
「いえ。知り合いっていうほどではないんです。声をかけてもらったくらいで。それに僕の知っている白石さんと、奥村君の相手の方が同じかどうかも、わかりませんし。ただ……。ただ、僕が出会った白石さんは、僕の中で、最高のαです」
 やっちゃんの真っ直ぐな眼差しに、胸を貫かれた。
「彼は僕を人として見てくれました。Ωだからって、自分を捨てることはないって。あの頃の僕は、今よりも、もっとダメダメで、すぐには彼の言葉を信じられませんでした。考えが変わったのは、彼にΩの幼馴染みがいると教えられたからです。彼はその人のことを、傷つけたと、ひどく後悔していました」
「あ」
 たぶん、その幼馴染みは俺だ。
「やっちゃんの知ってる白石って人は、俺の職場にいたりする?」
 首を傾げられる。
「ほら、前、うちの参考書を持っていただろ? 俺のことを知っていたから、講師の顔写真、見てんのかなって」
 やっちゃんは箸をちゃぶ台に置き、まっすぐ、こちらを見つめた。
「います。カリスマ講師だと、書いてありました」
「そいつ! そいつが俺の相手! やっちゃんが保の知り合いだったなんて、びっくりだ。世間は広いようで、狭いね」
 笑いかけると、やっちゃんは小さく笑み、目を伏せた。
「奥村君、僕がいた場所では、Ωは人ではありませんでした。そんなところで、Ωを想い、悩む彼を見て、この人なら信じられると思ったんです」
 やっちゃんが視線を上げる。
 目が合った。
「そんな人と一緒になれて、奥村君は幸せものです」 
 俺は唇を噛みしめた。
 やっちゃんが箸を持ち上げる。
 俺は味噌汁で涙を飲み込み、息をついた。
「今度はやっちゃんの番だぞ」
「僕は奥村君が好きです」
「それって、リスペクトだろ?」
「はい」
「そうじゃなくて、ラブの方はいないの?」
 聞きながら、俺は唐揚げに手を伸ばした。
「ラブですか……。難しいですね」
 ご飯の上にのせ、一口かじり、そのうまさに悶絶した。
「やっちゃ。やっちゃん、こ、これ、プロ。プロの味」
 俺、感動で体が揺れてる。
 プロ! これ、どっかで売ってた。食ったことある、俺!
 やっちゃんは試食するように唐揚げを口にし、幸せそうに目を細めた。
「よかった、おいしくできてますね」
 実は、とやっちゃんが一枚の便箋を上げた。
「手紙に唐揚げが好きですって書いたら、レシピを教えてくれたんです。親切ですよね」
 俺の脳がハイスピードで過去と現在を結びつけようと働いた。
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