上 下
31 / 42

30

しおりを挟む
 目を開けるとベッドの上だった。
 点滴から赤い液体が落ちてくる。

「おっ! 起きたか?」

 脇田が大欠伸をした。

「緊迫感も糞もねえな」
「それくらいで、死ぬ玉じゃないだろ?」

 俺はシーツを捲り、包帯の巻かれた腹部を見た。

「軽傷にしておきましたって、言ってたぜ」
「誰が?」

 脇田が視線を外へと向ける。
 カーテンが閉められていたが、夜の風の匂いがした。

「警察には、まだ行っていないけど」

 行くか、と尋ねられる。

「向井は?」
「携帯で、俺達と救急車を呼んで、帰られましたよ」
「だから、どこへ!」

 脇田が財布から硬貨を出し、テレビへと投入する。
 鬼門会組長である、林吾朗の屋敷が映し出されていた。

「今、永岡組が鬼門会組長、林吾朗氏の屋敷に入ったようです。闘争を懸念して、警察が屋敷を包囲しています」

 女性アナウンサーがお粗末な説明をする。
 脇田はテレビのスイッチを切った。
 永岡が親父の屋敷に入っただと。

「向井から伝言がある」

 脇田を窺う。

「お前は寝てろ」

 急に、向井からキスを受けた口端が、熱くなった。
 点滴を引き抜き、ベッドから出る。
 トランクス一枚であることに気付き、頬を吊り上げた。

「波風立てるの、嫌いなんじゃないの?」

 脇田が半眼を向けて、おちょくってきた。

「ずっと、お前にとって、やくざってのが足枷だった。それがなくなるかもしれないんだ。願ったり叶ったりだろ?」

 脇田の顔が、俺は知っていると告げていた。
 やくざの息子だということで、俺は暴力を受けてきた。
 それは目に見えるものばかりではなかった。
 脇田や西山は、独りになった俺に手を差し伸べてくれた。
 数学も漢字も、社会のことも良く分からない、今よりも、もっとガキだったのに、こいつらは俺がして欲しいことをしてくれた。

「一日一善をするといいんだって」

 幼い西山の声が蘇ってくる。

「心がけしだいで、人の見る目も変わるってやつだ」

 声変わりのしていない脇田が脳裏を過ぎる。
 俺にとって一日一善はストッパーだ。
 俺にとって、お前達は良心だ。
 そして、向井も一日一善を心に持っていた。
 俺は脇田を見つめ、拳に力を込めた。

「寝てろ。簡単だろ? 横になっているだけで、お前を取り巻く環境が激変する。お前が望んだ、まっとうな生き方ができるぜ?」

 本当にそうか?
 人は過去を容易く捨てられ、また捨てさせてくれるのか?
 もし、そうなら、この世界はトリッキーだ。
 俺は俺でしかない。
 偽れない。

「正直さ。やくざは嫌いだ」

 脇田がベッドに腰掛ける。

「でも、俺も西山も、林大輔は、それほど嫌いじゃないぜ」

 友人が脚を組む。

「なあ、まっとうになろうとして、お前は頑張って自分を抑えてきたけどよお。まっとうって、結局何よ? 政治家だって汚職を繰り返す。親が子供を殺す。ヘルパーがオナニーに介護すべき人間を使う。恋人がストーカー化する。こいつら、別にやくざじゃねえじゃん? でも、俺にとっちゃ、まっとうじゃないわ」

 脇田が脚をぶらぶらと動かす。

「俺はやくざに成りきれない」
「そ。いいんじゃね?」
「でも、俺は堅気にも成りきれない。俺は何にも成れない」

 脇田が急に噴出した。

「お前のが、よっぽどまっとうだ」

 立ち上がり、紙袋を手にする。

「人間は考え悩まんくなったら、仕舞いだ。考えんくなるから、人を受け入れられなくなる。お前が何にも成れないのは、気持ちがぶれているからだ」

 脇田に向井が重なる。
 秩序がない人間に、ついていくものはいない。

「ぶれをなくせ。せめて、お前の正義だけは、お前に従わせろ。結果は後からついてくる」

 紙袋を投げつけられる。
 俺の私服が入っていた。

「西山が向井を追っている。落ち着いたら、連絡がくるはずだ。その前に、お前はお前のやるべきことをやってこい」

 俺は腹の痛みを堪えて、これでもかってほどのスピードで、着替えをした。

「これも持っていけ」

 脇田が竹刀を突き出してくる。

「気休めは、心の余裕だ」

 よく使い込んであるそれを、握りしめた。

「本当に気休めだな」

 病室を出ようとし、呼び止められる。
 振り向くと、脇田が泣きそうな顔をしていた。

「死ぬなよ、親友」


 
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

なんで元婚約者が私に執着してくるの?

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:8,159pt お気に入り:1,878

異世界へ誤召喚されちゃいました~女神の加護でほのぼのスローライフ送ります~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:10,385pt お気に入り:1,579

彼女を悪役だと宣うのなら、彼女に何をされたか言ってみろ!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:16,926pt お気に入り:111

婚約破棄の翌日に謝罪されるも、再び婚約する気はありません

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7,272pt お気に入り:6,436

髪の色は愛の証 〜白髪少年愛される〜

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:42pt お気に入り:769

いっぱいの豚汁

児童書・童話 / 完結 24h.ポイント:1,491pt お気に入り:0

ついで姫の本気

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:890

異世界転生騒動記

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,739pt お気に入り:15,871

【完結】婚約破棄の代償は

恋愛 / 完結 24h.ポイント:8,150pt お気に入り:392

処理中です...