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目を開けるとベッドの上だった。
点滴から赤い液体が落ちてくる。
「おっ! 起きたか?」
脇田が大欠伸をした。
「緊迫感も糞もねえな」
「それくらいで、死ぬ玉じゃないだろ?」
俺はシーツを捲り、包帯の巻かれた腹部を見た。
「軽傷にしておきましたって、言ってたぜ」
「誰が?」
脇田が視線を外へと向ける。
カーテンが閉められていたが、夜の風の匂いがした。
「警察には、まだ行っていないけど」
行くか、と尋ねられる。
「向井は?」
「携帯で、俺達と救急車を呼んで、帰られましたよ」
「だから、どこへ!」
脇田が財布から硬貨を出し、テレビへと投入する。
鬼門会組長である、林吾朗の屋敷が映し出されていた。
「今、永岡組が鬼門会組長、林吾朗氏の屋敷に入ったようです。闘争を懸念して、警察が屋敷を包囲しています」
女性アナウンサーがお粗末な説明をする。
脇田はテレビのスイッチを切った。
永岡が親父の屋敷に入っただと。
「向井から伝言がある」
脇田を窺う。
「お前は寝てろ」
急に、向井からキスを受けた口端が、熱くなった。
点滴を引き抜き、ベッドから出る。
トランクス一枚であることに気付き、頬を吊り上げた。
「波風立てるの、嫌いなんじゃないの?」
脇田が半眼を向けて、おちょくってきた。
「ずっと、お前にとって、やくざってのが足枷だった。それがなくなるかもしれないんだ。願ったり叶ったりだろ?」
脇田の顔が、俺は知っていると告げていた。
やくざの息子だということで、俺は暴力を受けてきた。
それは目に見えるものばかりではなかった。
脇田や西山は、独りになった俺に手を差し伸べてくれた。
数学も漢字も、社会のことも良く分からない、今よりも、もっとガキだったのに、こいつらは俺がして欲しいことをしてくれた。
「一日一善をするといいんだって」
幼い西山の声が蘇ってくる。
「心がけしだいで、人の見る目も変わるってやつだ」
声変わりのしていない脇田が脳裏を過ぎる。
俺にとって一日一善はストッパーだ。
俺にとって、お前達は良心だ。
そして、向井も一日一善を心に持っていた。
俺は脇田を見つめ、拳に力を込めた。
「寝てろ。簡単だろ? 横になっているだけで、お前を取り巻く環境が激変する。お前が望んだ、まっとうな生き方ができるぜ?」
本当にそうか?
人は過去を容易く捨てられ、また捨てさせてくれるのか?
もし、そうなら、この世界はトリッキーだ。
俺は俺でしかない。
偽れない。
「正直さ。やくざは嫌いだ」
脇田がベッドに腰掛ける。
「でも、俺も西山も、林大輔は、それほど嫌いじゃないぜ」
友人が脚を組む。
「なあ、まっとうになろうとして、お前は頑張って自分を抑えてきたけどよお。まっとうって、結局何よ? 政治家だって汚職を繰り返す。親が子供を殺す。ヘルパーがオナニーに介護すべき人間を使う。恋人がストーカー化する。こいつら、別にやくざじゃねえじゃん? でも、俺にとっちゃ、まっとうじゃないわ」
脇田が脚をぶらぶらと動かす。
「俺はやくざに成りきれない」
「そ。いいんじゃね?」
「でも、俺は堅気にも成りきれない。俺は何にも成れない」
脇田が急に噴出した。
「お前のが、よっぽどまっとうだ」
立ち上がり、紙袋を手にする。
「人間は考え悩まんくなったら、仕舞いだ。考えんくなるから、人を受け入れられなくなる。お前が何にも成れないのは、気持ちがぶれているからだ」
脇田に向井が重なる。
秩序がない人間に、ついていくものはいない。
「ぶれをなくせ。せめて、お前の正義だけは、お前に従わせろ。結果は後からついてくる」
紙袋を投げつけられる。
俺の私服が入っていた。
「西山が向井を追っている。落ち着いたら、連絡がくるはずだ。その前に、お前はお前のやるべきことをやってこい」
俺は腹の痛みを堪えて、これでもかってほどのスピードで、着替えをした。
「これも持っていけ」
脇田が竹刀を突き出してくる。
「気休めは、心の余裕だ」
よく使い込んであるそれを、握りしめた。
「本当に気休めだな」
病室を出ようとし、呼び止められる。
振り向くと、脇田が泣きそうな顔をしていた。
「死ぬなよ、親友」
点滴から赤い液体が落ちてくる。
「おっ! 起きたか?」
脇田が大欠伸をした。
「緊迫感も糞もねえな」
「それくらいで、死ぬ玉じゃないだろ?」
俺はシーツを捲り、包帯の巻かれた腹部を見た。
「軽傷にしておきましたって、言ってたぜ」
「誰が?」
脇田が視線を外へと向ける。
カーテンが閉められていたが、夜の風の匂いがした。
「警察には、まだ行っていないけど」
行くか、と尋ねられる。
「向井は?」
「携帯で、俺達と救急車を呼んで、帰られましたよ」
「だから、どこへ!」
脇田が財布から硬貨を出し、テレビへと投入する。
鬼門会組長である、林吾朗の屋敷が映し出されていた。
「今、永岡組が鬼門会組長、林吾朗氏の屋敷に入ったようです。闘争を懸念して、警察が屋敷を包囲しています」
女性アナウンサーがお粗末な説明をする。
脇田はテレビのスイッチを切った。
永岡が親父の屋敷に入っただと。
「向井から伝言がある」
脇田を窺う。
「お前は寝てろ」
急に、向井からキスを受けた口端が、熱くなった。
点滴を引き抜き、ベッドから出る。
トランクス一枚であることに気付き、頬を吊り上げた。
「波風立てるの、嫌いなんじゃないの?」
脇田が半眼を向けて、おちょくってきた。
「ずっと、お前にとって、やくざってのが足枷だった。それがなくなるかもしれないんだ。願ったり叶ったりだろ?」
脇田の顔が、俺は知っていると告げていた。
やくざの息子だということで、俺は暴力を受けてきた。
それは目に見えるものばかりではなかった。
脇田や西山は、独りになった俺に手を差し伸べてくれた。
数学も漢字も、社会のことも良く分からない、今よりも、もっとガキだったのに、こいつらは俺がして欲しいことをしてくれた。
「一日一善をするといいんだって」
幼い西山の声が蘇ってくる。
「心がけしだいで、人の見る目も変わるってやつだ」
声変わりのしていない脇田が脳裏を過ぎる。
俺にとって一日一善はストッパーだ。
俺にとって、お前達は良心だ。
そして、向井も一日一善を心に持っていた。
俺は脇田を見つめ、拳に力を込めた。
「寝てろ。簡単だろ? 横になっているだけで、お前を取り巻く環境が激変する。お前が望んだ、まっとうな生き方ができるぜ?」
本当にそうか?
人は過去を容易く捨てられ、また捨てさせてくれるのか?
もし、そうなら、この世界はトリッキーだ。
俺は俺でしかない。
偽れない。
「正直さ。やくざは嫌いだ」
脇田がベッドに腰掛ける。
「でも、俺も西山も、林大輔は、それほど嫌いじゃないぜ」
友人が脚を組む。
「なあ、まっとうになろうとして、お前は頑張って自分を抑えてきたけどよお。まっとうって、結局何よ? 政治家だって汚職を繰り返す。親が子供を殺す。ヘルパーがオナニーに介護すべき人間を使う。恋人がストーカー化する。こいつら、別にやくざじゃねえじゃん? でも、俺にとっちゃ、まっとうじゃないわ」
脇田が脚をぶらぶらと動かす。
「俺はやくざに成りきれない」
「そ。いいんじゃね?」
「でも、俺は堅気にも成りきれない。俺は何にも成れない」
脇田が急に噴出した。
「お前のが、よっぽどまっとうだ」
立ち上がり、紙袋を手にする。
「人間は考え悩まんくなったら、仕舞いだ。考えんくなるから、人を受け入れられなくなる。お前が何にも成れないのは、気持ちがぶれているからだ」
脇田に向井が重なる。
秩序がない人間に、ついていくものはいない。
「ぶれをなくせ。せめて、お前の正義だけは、お前に従わせろ。結果は後からついてくる」
紙袋を投げつけられる。
俺の私服が入っていた。
「西山が向井を追っている。落ち着いたら、連絡がくるはずだ。その前に、お前はお前のやるべきことをやってこい」
俺は腹の痛みを堪えて、これでもかってほどのスピードで、着替えをした。
「これも持っていけ」
脇田が竹刀を突き出してくる。
「気休めは、心の余裕だ」
よく使い込んであるそれを、握りしめた。
「本当に気休めだな」
病室を出ようとし、呼び止められる。
振り向くと、脇田が泣きそうな顔をしていた。
「死ぬなよ、親友」
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