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第7章
5.
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廊下を手を繋ぎ歩くと、階段のところにドーズが立っていた。タキシードを着たその姿は、まるでモデルのように見える。ゲイナーは自身のスーツと見比べてから、軽いため息を吐いた。
「遅いじゃないか、クレイズ」
そう言って手を差し延べるドーズの手に、ゲイナーは繋いでいたクレイズの手を託すと2人の後ろに回った。
「手間取ったんだ」
そう答えるクレイズは、冷ややかな目をしていた。
ゲイナーはそんなクレイズの横顔を見つめ、さっき部屋で相談された事を思い出した。
──果たして、あれで良かったのだろうか?
産む事を強要したのではないだろうか?
そう思った。だがクレイズは産むと言った。彼女の中で何が変わったのか知りようもないが、子供の為にはその決断が最良にも思えた。
「皆さんおまちかねだ」
ドーズの声に我に返り、ゲイナーは2人が階段を下りて行く姿を見つめた。その後姿は、まるでカップルのようだ。そう言うと、きっとクレイズは憤慨するだろう。だが、ゲイナーにはそう見えた。
クレイズの自分への想いは、きっと父親への愛情に近いものなんだろう。そう考えていた。
昨年末裁判が終わり、控室で交わした口づけを思い出す。あの時のクレイズの切実な顔が、今も胸に残っている。
──愛おしい。
本当にそう思った。
それは今も変わらず、この胸にある感情だ。
2人が階下に下りると、屋敷内に拍手と歓声が響き渡った。ゲイナーは再び意識をこちら側に戻すと、2人に拍手を送った。
「みんな、ありがとう」
ドーズは満面の笑みでそれに応えている。だがクレイズは笑ってはいるものの、口角は僅かに引き攣り無理をしているのが伺えた。
執事がそんな2人の元へシャンパンを届けると、ドーズはその1つをクレイズに手渡しもう1つを片手で軽く掲げた。すると辺りは一瞬にして静まり返り、執事は足音もなくキッチンへと姿を消した。それを何とは無しに見つめていると、ドーズの話し出す声が聞こえ始めた。
「今夜は彼女、クレイズの為にパーティーを開いた。何のパーティーかって?実は彼女、今日出所したばかりなんだ」
そう言うと、客達は笑い声を上げた。
「出所、と言っても刑務所じゃない。みんなも知ってるだろうけど、保護観察所からだ。それで、そのお祝いにパーティーを開いたんだ」
再び拍手が鳴り響き、ゲイナーも手を叩いた。
「あと、もう1つ、みんなに祝って貰いたい事があるんだ」
ドーズがそう言うと、黙って隣に立っていたクレイズがドーズの腕をつついた。そしてドーズが体を傾け耳をクレイズに近づけると、何やら小声でクレイズが言った。それに対しドーズは笑うと、2度クレイズの肩を叩いた。
ゲイナーには全く聞こえなかったが、これからドーズが話そうとしている事への抗議のように思えた。
「そのもう1つは、彼女が僕の子供を妊娠した事だ」
ドーズがそう言うと、クレイズの肩が落胆したように落ち込んだ。だが回りからは拍手と祝福の言葉が飛び交い、誰もクレイズの気持ちには気付いていない様子だった。
「じゃあ、クレイズの出所と妊娠に、乾杯!」
「乾杯!」
一斉にグラスを掲げ、そしてシャンパンを飲むなり辺りは再び騒がしくなった。ドーズは知り合い達と話し始め、クレイズは階段へと振り返った。ゲイナーと目が合うと、クレイズは階段を急ぎ足で駆け上がって来く。
「下にいなくていいのか?」
追いかけながらそう尋ねるが、クレイズは不服そうに唇を尖らせたまま、返事をしなかった。仕方がなくゲイナーは話題を変える事にした。
「そうだ、君にプレゼントがあるんだが」
「プレゼント?」
漸くクレイズがゲイナーを見つめ返した。その表情からは、さっきまでの不服さは多少なりとも抜けている。
「車に積んであるんだ。取って来よう」
そう言って階段を下りようとすると、クレイズがゲイナーの腕を掴んだ。
「ん?どうした?」
「オレも行く」
「君はパーティーの主役だろう?抜けるとまずいのでは?」
そう言ったものの、クレイズが一緒に車まで来てくれる事はゲイナーにとっては嬉しい事だった。一時的にしろ、クレイズを自分だけの物にでき、また彼女が好ましく思っていないこの屋敷から連れ出して上げる事が出来る。
「少しぐらい、構わんだろ」
そう言って微笑むクレイズの手を握り、ゲイナーは階段をゆっくりと下りた。階段の下でドーズとすれ違ったが、振り向かなかった。どこか、自分の方が優位に立っている。そう言う感情を見透かされたくなかったからだろう。
屋敷の外は寒く、ドレス姿のクレイズは体を震わせた。ゲイナーはその肩に自身のコートをかけてやり、先に歩いた。
顔が緩んでいる。
こんな顔を見られるのはまだ恥ずかしい。そう思いながらトランクの鍵を開けた。
「で、何だ?プレゼントと言うのは」
横に立ったクレイズの顔を見つめながら、ゲイナーはそっとトランクを開けた。中には警察署に戻る前に購入したバラの花束が入っていて、芳香が鼻をくすぐる。
「わ……ぁ」
クレイズの横顔はみるみるバラと同じように赤く染まり、真紅のドレスが光って映ってしまったかのようだ。
「どうかな?気に入ってもらえただろうか?」
そう言うと、クレイズはゲイナーに向き直り飛び付いて来た。飛び付いた反動でコートが地面に落ちる。だがそれを拾い、再びその肩へかけてやる気にはなれなかった。
何故なら、クレイズの魅惑的な唇がゲイナーの唇に重なり、もうどうでもよくさせている。きっとドーズが来ても止めないだろう。それ程、官能的なキスだった。
「ゲイナー、ありがとう」
そう言うと、クレイズはまた唇を重ねてきた。
何度も重ね息も切れ切れになりながらも、ゲイナーはクレイズを強く抱きしめた。
──出来る事なら、このまま連れ去ってしまいたい。
幾度キスをしただろう。
漸く放れた時には、ゲイナーはすっかり疲れていた。クレイズも肩を僅かに揺らしながら、白い息を吐いている。
「凄く嬉しい。凄くだ!」
クレイズは満面に笑みを浮かべて花束をそっと抱えた。
唇、ドレス、頬。
全てバラ色だった。
「喜んで貰えて私も嬉しいよ」
漸くコートを拾い、付着した土を払ってからクレイズの肩にかけてやる。その時、砂を踏む音が聞こえ、2人は同時にそちらへ顔を向けた。
「いやぁ、その」
何故か、気まずそうな笑みを浮かべ、ハリスが片手を上げている。
「何だ、いつからいた?」
クレイズがそう尋ねると、ハリスは金髪を掻きながら、最初から、と、申し訳なさそうに言った。
最初から、と言う事は、クレイズとのキスを見られていた、と言う事だろう。
ゲイナーはさっきまでの強気を失い、僅かに動揺した。ドーズではなく、ハリスに見られていたとは気付かなかった。
「君達そう言う仲だったの?」
そう尋ねるハリスに、そうだ悪いか、と答えられず、ゲイナーがうろたえていると、クレイズがハリスに歩み寄った。
「そうだ。悪いか?」
「いや、悪くない、けどさ。問題だらけだね」
ハリスがそう言って乾いた声を出すと、クレイズはゲイナーを振り返った。
「部屋でコイツと話しをする。お前は屋敷で飲んでろ」
逆らえず、ゲイナーは黙ったまま頷いた。
部屋に戻ったクレイズは花束を大事に花瓶へいけると、ハリスを見遣った。
「さっきの事なんだが」
そう切り出すと、ハリスは緊張した顔をした。
「内緒にしてくれないか?」
「も……勿論だよ。誰にも言わないよ」
誓うよ、と言いながらハリスは右拳を左胸に宛てて見せた。
「もし裏切ったら、ただじゃ済まさん」
「大丈夫。俺、こう見えて口は硬いよ。検事だしね」
そう言って笑うハリスは、検事に見えなくはない。
「まぁいい。お前を信じよう」
バラを見つめ、クレイズはそう言った。すると、ハリスがその横に立ち、同じ様にバラを見つめた。
「立ち入った事聞くけど、ゲイナーは結婚してるだろう?それに君はドーズの子供を身篭ってる。これって不倫だよ?」
クレイズはハリスを見た。その顔は真剣で、青い目が光っている。
「そうなるな。だが、好きだ。ゲイナーが好きで堪らない」
「そんなに好きなんだったら、やっぱり離婚して欲しい訳?」
そう言ったハリスの言葉に、クレイズは少し動揺した。心では今のままで構わない。そう思っている筈なのに、面と向かって言われると、それだけじゃ足りない気がする。
「ゲイナーが家族を何より大切にしている事は知っている」
当の本人も言っていた。
「知ってるんだったら、戻れなくなる前に諦めた方がいいと思うよ。辛くなるのは目に見えてる」
ハリスが言わんとする事は分かっていた。理解もしている。筈なのに、気持ちがざわつく。
「オレだってそのぐらいは分かるさ。だけど、好きなんだ。どうしようもない。離婚なんか望んでない、と言うのもきっと嘘だ。あぁ、きっと嘘だ」
歎くようにそう言うと、ハリスは辛そうな顔をした。
「気持ちばっかりはどうにもならないからね。で、ゲイナーはどう言ってるの?」
「ゲイナーは……」
クレイズはゲイナーを思い返した。鋭い眼光の向こうに覗く、優しい眼差し。
──君を愛してる。
あの告白の後、そう言った。
──家族を愛している。
何よりも大切だ。
そうも言っていた。
そしてクレイズがゲイナーを欲しがると、ゲイナーはそれは出来ない、と言っていた。
多分ゲイナーは家族を選ぶ。
「真面目だからな。オレと一線を越えるのを拒否しているよ」
そう言ってクレイズは自嘲気味に笑った。
「だけど、ゲイナーも君の事が好きなんだろう?花束をプレゼントするぐらいだし」
ハリスは指先をクルクルと回してバラを示すと、そう言った。
「好きは好きだろうさ。だが、オレと同等の好き、じゃないんだろう」
自分で言っていて辛くなった。クレイズはそれきり口を閉じると、バラを見つめていた。
「でも、特別なんだと思うよ。バラの花束なんて、男は滅多な事でプレゼントしないからさ」
励ましてくれているのだろう。クレイズはそう感じた。
「ありがとう、ハリス」
クレイズがそう言うと、部屋の扉がノックされた。
「誰だ?」
そう尋ねると扉は勝手に開き、ドーズが顔を覗かせた。
「やぁ、ハリス。こんなとこにいたの?」
出ていけ、と言わんばかりにドーズが部屋へ入って来ると、ハリスは少し慌てて部屋から出て行った。
ハリスが階段を下りるのを見守ってから、ドーズは扉を閉めた。そして振り返るなり険しい顔をした。
「クレイズ、本気で本部長の事が好きなの?」
単刀直入に言われ、クレイズは少し面食らった。だがすぐに気持ちを落ち着かせてから、ドーズを見遣った。
「あぁ。好きさ」
そうクレイズが答えると、ドーズはそれを鼻先で笑った。
「好きだって言っても、本部長は妻子持ちだよ?無理だって。あの人、堅いし。諦めなよ」
そう言ったドーズの言葉は、まるでクレイズの気持ちを理解してはおらず、むしろその感情を嘲笑っているようにも聞こえた。クレイズはそんなドーズを睨むと、背中を向けた。花瓶が目に入り、バラへと視線を向ける。
「お前には関係のない事だ。放っておいてくれ」
「関係なくはないんじゃない?だって僕の子供が出来たんだ。君はもう僕のものだよ」
やはりドーズの愛情は歪んでいる。そして煩わしい。クレイズはため息を吐いた。すると足音が近付き、ドーズがすぐ後ろまで歩み寄って来た事を知った。
声が近付く。
「その花、本部長にプレゼントしてもらったやつだね?」
ドーズの言葉の全てが、刺を持っているようにクレイズを軽く突き刺す。
「そうだ。それがどうした?」
振り返り再びドーズを睨んでやるが、ドーズはそれに対し笑みを返してくる余裕ぶりだった。
「いや?別に何もないけど。諦められないんだ?」
そう尋ねるドーズを黙ったまま睨んでいると、ドーズはクレイズの耳に口を近付けた。
「だったらさ、来週、本部長の誕生日なんだけど、そのお祝いの席に行ってみる?」
クレイズは睨んでいた目を丸くした。
「誕生日?」
「あぁそうさ。もう、50歳になるのかな?」
ドーズは笑っている。
クレイズはゲイナーを祝ってやりたい気持ちと、ゲイナーの愛する家族を見てみたい、と言う衝動にかられた。
見れば、きっと自分は打ちのめされる。だが、愛する者の大切な者を見たい、と言う好奇心には勝てず、クレイズは頷いた。
「そうだな、もしゲイナーさえよければ、行ってもいい」
「じゃあ、決まりだね」
そうドーズは言うと、クレイズから離れた。
「本部長は、来てもいいって言ってたから」
そう言うと、ドーズは部屋を出て行った。残されたクレイズはバラを見つめ、ゲイナーの笑顔を思い出していた。
──家族には、どのような笑顔を見せるのだろう?
そんな事を考えていた。
「遅いじゃないか、クレイズ」
そう言って手を差し延べるドーズの手に、ゲイナーは繋いでいたクレイズの手を託すと2人の後ろに回った。
「手間取ったんだ」
そう答えるクレイズは、冷ややかな目をしていた。
ゲイナーはそんなクレイズの横顔を見つめ、さっき部屋で相談された事を思い出した。
──果たして、あれで良かったのだろうか?
産む事を強要したのではないだろうか?
そう思った。だがクレイズは産むと言った。彼女の中で何が変わったのか知りようもないが、子供の為にはその決断が最良にも思えた。
「皆さんおまちかねだ」
ドーズの声に我に返り、ゲイナーは2人が階段を下りて行く姿を見つめた。その後姿は、まるでカップルのようだ。そう言うと、きっとクレイズは憤慨するだろう。だが、ゲイナーにはそう見えた。
クレイズの自分への想いは、きっと父親への愛情に近いものなんだろう。そう考えていた。
昨年末裁判が終わり、控室で交わした口づけを思い出す。あの時のクレイズの切実な顔が、今も胸に残っている。
──愛おしい。
本当にそう思った。
それは今も変わらず、この胸にある感情だ。
2人が階下に下りると、屋敷内に拍手と歓声が響き渡った。ゲイナーは再び意識をこちら側に戻すと、2人に拍手を送った。
「みんな、ありがとう」
ドーズは満面の笑みでそれに応えている。だがクレイズは笑ってはいるものの、口角は僅かに引き攣り無理をしているのが伺えた。
執事がそんな2人の元へシャンパンを届けると、ドーズはその1つをクレイズに手渡しもう1つを片手で軽く掲げた。すると辺りは一瞬にして静まり返り、執事は足音もなくキッチンへと姿を消した。それを何とは無しに見つめていると、ドーズの話し出す声が聞こえ始めた。
「今夜は彼女、クレイズの為にパーティーを開いた。何のパーティーかって?実は彼女、今日出所したばかりなんだ」
そう言うと、客達は笑い声を上げた。
「出所、と言っても刑務所じゃない。みんなも知ってるだろうけど、保護観察所からだ。それで、そのお祝いにパーティーを開いたんだ」
再び拍手が鳴り響き、ゲイナーも手を叩いた。
「あと、もう1つ、みんなに祝って貰いたい事があるんだ」
ドーズがそう言うと、黙って隣に立っていたクレイズがドーズの腕をつついた。そしてドーズが体を傾け耳をクレイズに近づけると、何やら小声でクレイズが言った。それに対しドーズは笑うと、2度クレイズの肩を叩いた。
ゲイナーには全く聞こえなかったが、これからドーズが話そうとしている事への抗議のように思えた。
「そのもう1つは、彼女が僕の子供を妊娠した事だ」
ドーズがそう言うと、クレイズの肩が落胆したように落ち込んだ。だが回りからは拍手と祝福の言葉が飛び交い、誰もクレイズの気持ちには気付いていない様子だった。
「じゃあ、クレイズの出所と妊娠に、乾杯!」
「乾杯!」
一斉にグラスを掲げ、そしてシャンパンを飲むなり辺りは再び騒がしくなった。ドーズは知り合い達と話し始め、クレイズは階段へと振り返った。ゲイナーと目が合うと、クレイズは階段を急ぎ足で駆け上がって来く。
「下にいなくていいのか?」
追いかけながらそう尋ねるが、クレイズは不服そうに唇を尖らせたまま、返事をしなかった。仕方がなくゲイナーは話題を変える事にした。
「そうだ、君にプレゼントがあるんだが」
「プレゼント?」
漸くクレイズがゲイナーを見つめ返した。その表情からは、さっきまでの不服さは多少なりとも抜けている。
「車に積んであるんだ。取って来よう」
そう言って階段を下りようとすると、クレイズがゲイナーの腕を掴んだ。
「ん?どうした?」
「オレも行く」
「君はパーティーの主役だろう?抜けるとまずいのでは?」
そう言ったものの、クレイズが一緒に車まで来てくれる事はゲイナーにとっては嬉しい事だった。一時的にしろ、クレイズを自分だけの物にでき、また彼女が好ましく思っていないこの屋敷から連れ出して上げる事が出来る。
「少しぐらい、構わんだろ」
そう言って微笑むクレイズの手を握り、ゲイナーは階段をゆっくりと下りた。階段の下でドーズとすれ違ったが、振り向かなかった。どこか、自分の方が優位に立っている。そう言う感情を見透かされたくなかったからだろう。
屋敷の外は寒く、ドレス姿のクレイズは体を震わせた。ゲイナーはその肩に自身のコートをかけてやり、先に歩いた。
顔が緩んでいる。
こんな顔を見られるのはまだ恥ずかしい。そう思いながらトランクの鍵を開けた。
「で、何だ?プレゼントと言うのは」
横に立ったクレイズの顔を見つめながら、ゲイナーはそっとトランクを開けた。中には警察署に戻る前に購入したバラの花束が入っていて、芳香が鼻をくすぐる。
「わ……ぁ」
クレイズの横顔はみるみるバラと同じように赤く染まり、真紅のドレスが光って映ってしまったかのようだ。
「どうかな?気に入ってもらえただろうか?」
そう言うと、クレイズはゲイナーに向き直り飛び付いて来た。飛び付いた反動でコートが地面に落ちる。だがそれを拾い、再びその肩へかけてやる気にはなれなかった。
何故なら、クレイズの魅惑的な唇がゲイナーの唇に重なり、もうどうでもよくさせている。きっとドーズが来ても止めないだろう。それ程、官能的なキスだった。
「ゲイナー、ありがとう」
そう言うと、クレイズはまた唇を重ねてきた。
何度も重ね息も切れ切れになりながらも、ゲイナーはクレイズを強く抱きしめた。
──出来る事なら、このまま連れ去ってしまいたい。
幾度キスをしただろう。
漸く放れた時には、ゲイナーはすっかり疲れていた。クレイズも肩を僅かに揺らしながら、白い息を吐いている。
「凄く嬉しい。凄くだ!」
クレイズは満面に笑みを浮かべて花束をそっと抱えた。
唇、ドレス、頬。
全てバラ色だった。
「喜んで貰えて私も嬉しいよ」
漸くコートを拾い、付着した土を払ってからクレイズの肩にかけてやる。その時、砂を踏む音が聞こえ、2人は同時にそちらへ顔を向けた。
「いやぁ、その」
何故か、気まずそうな笑みを浮かべ、ハリスが片手を上げている。
「何だ、いつからいた?」
クレイズがそう尋ねると、ハリスは金髪を掻きながら、最初から、と、申し訳なさそうに言った。
最初から、と言う事は、クレイズとのキスを見られていた、と言う事だろう。
ゲイナーはさっきまでの強気を失い、僅かに動揺した。ドーズではなく、ハリスに見られていたとは気付かなかった。
「君達そう言う仲だったの?」
そう尋ねるハリスに、そうだ悪いか、と答えられず、ゲイナーがうろたえていると、クレイズがハリスに歩み寄った。
「そうだ。悪いか?」
「いや、悪くない、けどさ。問題だらけだね」
ハリスがそう言って乾いた声を出すと、クレイズはゲイナーを振り返った。
「部屋でコイツと話しをする。お前は屋敷で飲んでろ」
逆らえず、ゲイナーは黙ったまま頷いた。
部屋に戻ったクレイズは花束を大事に花瓶へいけると、ハリスを見遣った。
「さっきの事なんだが」
そう切り出すと、ハリスは緊張した顔をした。
「内緒にしてくれないか?」
「も……勿論だよ。誰にも言わないよ」
誓うよ、と言いながらハリスは右拳を左胸に宛てて見せた。
「もし裏切ったら、ただじゃ済まさん」
「大丈夫。俺、こう見えて口は硬いよ。検事だしね」
そう言って笑うハリスは、検事に見えなくはない。
「まぁいい。お前を信じよう」
バラを見つめ、クレイズはそう言った。すると、ハリスがその横に立ち、同じ様にバラを見つめた。
「立ち入った事聞くけど、ゲイナーは結婚してるだろう?それに君はドーズの子供を身篭ってる。これって不倫だよ?」
クレイズはハリスを見た。その顔は真剣で、青い目が光っている。
「そうなるな。だが、好きだ。ゲイナーが好きで堪らない」
「そんなに好きなんだったら、やっぱり離婚して欲しい訳?」
そう言ったハリスの言葉に、クレイズは少し動揺した。心では今のままで構わない。そう思っている筈なのに、面と向かって言われると、それだけじゃ足りない気がする。
「ゲイナーが家族を何より大切にしている事は知っている」
当の本人も言っていた。
「知ってるんだったら、戻れなくなる前に諦めた方がいいと思うよ。辛くなるのは目に見えてる」
ハリスが言わんとする事は分かっていた。理解もしている。筈なのに、気持ちがざわつく。
「オレだってそのぐらいは分かるさ。だけど、好きなんだ。どうしようもない。離婚なんか望んでない、と言うのもきっと嘘だ。あぁ、きっと嘘だ」
歎くようにそう言うと、ハリスは辛そうな顔をした。
「気持ちばっかりはどうにもならないからね。で、ゲイナーはどう言ってるの?」
「ゲイナーは……」
クレイズはゲイナーを思い返した。鋭い眼光の向こうに覗く、優しい眼差し。
──君を愛してる。
あの告白の後、そう言った。
──家族を愛している。
何よりも大切だ。
そうも言っていた。
そしてクレイズがゲイナーを欲しがると、ゲイナーはそれは出来ない、と言っていた。
多分ゲイナーは家族を選ぶ。
「真面目だからな。オレと一線を越えるのを拒否しているよ」
そう言ってクレイズは自嘲気味に笑った。
「だけど、ゲイナーも君の事が好きなんだろう?花束をプレゼントするぐらいだし」
ハリスは指先をクルクルと回してバラを示すと、そう言った。
「好きは好きだろうさ。だが、オレと同等の好き、じゃないんだろう」
自分で言っていて辛くなった。クレイズはそれきり口を閉じると、バラを見つめていた。
「でも、特別なんだと思うよ。バラの花束なんて、男は滅多な事でプレゼントしないからさ」
励ましてくれているのだろう。クレイズはそう感じた。
「ありがとう、ハリス」
クレイズがそう言うと、部屋の扉がノックされた。
「誰だ?」
そう尋ねると扉は勝手に開き、ドーズが顔を覗かせた。
「やぁ、ハリス。こんなとこにいたの?」
出ていけ、と言わんばかりにドーズが部屋へ入って来ると、ハリスは少し慌てて部屋から出て行った。
ハリスが階段を下りるのを見守ってから、ドーズは扉を閉めた。そして振り返るなり険しい顔をした。
「クレイズ、本気で本部長の事が好きなの?」
単刀直入に言われ、クレイズは少し面食らった。だがすぐに気持ちを落ち着かせてから、ドーズを見遣った。
「あぁ。好きさ」
そうクレイズが答えると、ドーズはそれを鼻先で笑った。
「好きだって言っても、本部長は妻子持ちだよ?無理だって。あの人、堅いし。諦めなよ」
そう言ったドーズの言葉は、まるでクレイズの気持ちを理解してはおらず、むしろその感情を嘲笑っているようにも聞こえた。クレイズはそんなドーズを睨むと、背中を向けた。花瓶が目に入り、バラへと視線を向ける。
「お前には関係のない事だ。放っておいてくれ」
「関係なくはないんじゃない?だって僕の子供が出来たんだ。君はもう僕のものだよ」
やはりドーズの愛情は歪んでいる。そして煩わしい。クレイズはため息を吐いた。すると足音が近付き、ドーズがすぐ後ろまで歩み寄って来た事を知った。
声が近付く。
「その花、本部長にプレゼントしてもらったやつだね?」
ドーズの言葉の全てが、刺を持っているようにクレイズを軽く突き刺す。
「そうだ。それがどうした?」
振り返り再びドーズを睨んでやるが、ドーズはそれに対し笑みを返してくる余裕ぶりだった。
「いや?別に何もないけど。諦められないんだ?」
そう尋ねるドーズを黙ったまま睨んでいると、ドーズはクレイズの耳に口を近付けた。
「だったらさ、来週、本部長の誕生日なんだけど、そのお祝いの席に行ってみる?」
クレイズは睨んでいた目を丸くした。
「誕生日?」
「あぁそうさ。もう、50歳になるのかな?」
ドーズは笑っている。
クレイズはゲイナーを祝ってやりたい気持ちと、ゲイナーの愛する家族を見てみたい、と言う衝動にかられた。
見れば、きっと自分は打ちのめされる。だが、愛する者の大切な者を見たい、と言う好奇心には勝てず、クレイズは頷いた。
「そうだな、もしゲイナーさえよければ、行ってもいい」
「じゃあ、決まりだね」
そうドーズは言うと、クレイズから離れた。
「本部長は、来てもいいって言ってたから」
そう言うと、ドーズは部屋を出て行った。残されたクレイズはバラを見つめ、ゲイナーの笑顔を思い出していた。
──家族には、どのような笑顔を見せるのだろう?
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