食べると未来が見えるようになるアポロチョコを長瀬香が手放した理由

シラサキケージロウ

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十五粒目 「ありがとう」と言われたくて

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 窪塚馨は夏になると母のことを思い出す。彼の母が亡くなったのが、この暑い季節だったためだ。

 当時の馨は小学六年生。両親の祖父母が共に健在だったということもあり、未だに〝死〟というものを経験していなかった彼にとっては、母の死は理解の範疇に収まらぬほど大きかった。

 死の間際にいる母の元に連れて来させられても、テンポが遅くなっていく心電図の音を聞いても、こちらへ必死になにかを訴えかけようとしている母のまばたきを見ても、目前に迫る長いお別れを受け入れられるわけがなかった。

 やがて、母の心臓が動きを止め、その場にいた父が声も出さずに涙を流し、会ったことがあるのだか無いのだかわからない親族がたくさん集まってきて、なにやらバタバタと準備を済ませ、生まれてはじめて葬式というものに出席し、骨になった母と共に家に帰ったその日の夜、布団に入ってふと天井を眺めた馨の頭は、ようやく母との「さよなら」を受け入れた。

 なんとなく布団を被っていられなくなって、寝室を抜け出し、リビングの窓を開けてベランダに出て、蒸し暑い空気を震わす虫の音を聞いたその時、馨はとうとう泣き出した。

 母さんとはもう会えないんだ。二度と。

 どうしようもなくなって、慌てて布団に戻って、枕に顔を押し当てて、疲れて眠ってしまうまで、馨はずっと泣いた。

 翌朝。目覚めた馨は世界の常識をようやく理解した。大事なものはいつか消えることを。

 窪塚馨は夏になると母のことを思い出す。

 そして時折、少し後悔する。





 休日はひとりを好む窪塚馨といえど、たまにはクラスメイトの誘いに乗ることもある。そうした方が、つかず離れずの適度な関係性を維持できるとわかっているからだ。友人はできるだけ少なく、一緒に居て困らない人はできるだけ多くというのは、馨が高校生活を送る上でのモットーである。

 そういうわけでその日、馨はクラスメイトの楊(ヤン)に誘われて新宿までやって来た。楊はその名前の通り台湾にルーツを持ち、皆からはヤンちゃんと呼ばれ親しまれている。明るく朗らかでおまけに顔も良く、友人も多い。しかし、現代国語の成績がイマイチ、というか壊滅的なのが玉に瑕で、そんな彼から国語のテストの点数は九割を一度も割ったことが無い馨に助けを求めたところから、ふたりの交流は始まった。

 時刻は十一時。待ち合わせ場所に指定された東口交番前へ行くと、ヤンは既にそこにいた。しかし待っていたのは彼だけではなく、ふたりの女子も一緒である。どこか見覚えがあると思ったら、去年まで同じクラスだった女子だ。名前は猪村と楠木で、笑い声がずいぶん大きい人だったはずだと、馨が記憶の底を探る必要があったのは、それがろくに会話したことがない相手だったせいだ。馨は女子高生という存在を、基本的に住む次元が違う別の生物だと考えている。

 馨に気づいた三人はそれぞれ手を振る。軽く手を挙げて答えた馨は、「暑いな」とこの季節にはお決まりの挨拶をしながら三人の元に歩み寄った。

「猪村と楠木。去年同じクラスだったんだろ?」とヤンは開口一番で言う。それに続けて猪村、楠木のふたりが「ひさしぶりー」と高い声を出す。「久しぶり」と笑顔を取り繕って答えた馨は、「知り合いだったんだな」と、ふたりの存在を事前に知らせなかったヤンを軽く突いた。

「今日のこと話したら来たいって言われてさ。二対二だし、いいだろ?」

 ここまで来て「嫌だ」は通らない。「全然いいけど」といつもより笑顔三割増しで答えると、女子ふたりは「いぇーい」とハイタッチを求めてきた。やはり苦手だと、彼は内心でため息を吐いた。

 今日の目的はチーズケーキがおいしいと話題のカフェ、VRゲーム機が置いてあるゲームセンター、時間が合えば映画と目白押しである。四人で固まって歩いてはいるが、女性陣の視線の向く先はもっぱらヤン。彼女らの目的が彼であることは聞かずともわかる。自分がおまけであることに馨はいちいち腹を立てたりはしないが、「帰ってもいいんじゃないか」と考えてしまうのが正直なところだ。

 話題のカフェで昼食とチーズケーキを食した後は、散歩がてらウィンドウショッピング。少し離れたところを行く三人の背中を見つつ道を歩き、夕飯のメニューを考えるのに意識を集中していると、いつの間にかはぐれてしまった。まあ、連絡を取ればいいわけだからなんとかなると、スムーズに切り替えてのんびり携帯を取り出して画面を見ると、お姉さん――長瀬香からつい五分前に連絡が入っていることに気がついた。

『緊急! 至急、池袋駅まで来ること!』

 これは恐らく道連れの出番だろう。理解と共にヤンへ「親戚絡みで急な用事が入った」と連絡した馨は、急ぎ駅に向かって駆け出した。





 新宿駅から電車に乗れば、十五分もかからない場所に池袋駅はある。ホームへ降りて改札を抜け、待ち合わせ場所として指定された東口いけふくろうの前で「着きました」と連絡すれば、やがて人混みの中から香がコンビニの三角おにぎりをかじりながら歩いてくるのが見えた。

 今日の彼女は黒いブラウスに黒いガウチョパンツ、黒いサンダルを合わせた、全身黒で統一されたクールなコーディネート。見るたびに格好が違う人だなと、夏のほとんどをTシャツ短パンで過ごす馨は彼女のセンスを素直に感心した。

「また道連れですね?」

「そゆこと」と答えた香は、呑気な調子で「君も食べる?」と言いつつ袋からツナマヨのおにぎりを取り出す。食べてきたばかりですと馨が断ると、彼女は「そう」とだけ言って、彼に勧めたおにぎりを自分で食べはじめた。乾燥海苔がぱりりと弾ける音がする。緊急と言われて呼び出されたのに、緊急的雰囲気はまったく感じられない。

 香はおにぎりをかじりつつもごもごと喋りだした。

「わたしね、ありがとう、って言われたの」
「誰にですか?」
「池袋で会うってこと以外、ぜんぜん知らない女の子」
「……また厄介な香りがしますね」

「厄介なのはいつものことでしょ」と他人事のようにあっさり答え、おにぎりに続けてアポロチョコを取り出した香は、ひと粒手にとって頬張った。

「……年齢はだいたい小学生の四、五年生くらい。女の子。髪にはゆるーくウェーブがかかってて、目はぱっちり二重で気が強い感じ。服装は緑の下地に白のドットが入ったワンピース。そういう子」と何かを思い出すような表情で呟いたのは、見えた未来を説明しているのだろう。

「特徴がはっきりしているのはありがたいんですけど……見つかるんですかね?」
「わかんない。でも、朝から探してて未だ見つかってないんだなあ、これが」

 早くも苦労の予感を覚えつつ、馨が思わず肩を落とすと、香はそんな彼へアポロチョコをひと粒取って渡した。

「ま。もしダメなら、カオルくんにその子そっくりに女装してもらうからヨロシク」

「よろしくありませんよ」と答えながら、馨がチョコを口に放り込んだその時のことである。ふたりの前を全力疾走で駆け抜ける影があった。髪にはゆるいウェーブ、服装は緑の下地に白のドットが入ったワンピース、年齢はだいたい小学生の高学年で、女の子。一瞬だったのでぱっちり二重の強気な眼は見れなかったが、香の説明した未来の子と特徴が合致している。

「……もしかして、お姉さんが言ってたのって今の子じゃないですか?」
「もしかしなくてもそうだよ! 絶対にそう!」

 ――と、その時、再びふたりのカオルの前を別の影が駆け抜けた。こちらは白いワイシャツに灰色のスラックスを合わせた小太りの男性だが、「待ちなさい!」と叫びながら走っていたところを見るに、先ほどの女の子を追いかけていると見て間違いない。彼の必死の呼び掛けには、なにやら事件めいた香りすら感じるものがあった。

「追いかけるよ、カオルくんっ!」と香は勢いよく走り出す。

「了解です!」と答えた馨もその後に続いた。
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