涙色ミルキーウェイ

保桜さやか

文字の大きさ
4 / 29
片恋切符は天の川をこえて

4、十六歳の葛藤

しおりを挟む
 わたしがこの街、山口県下関市やまぐちけんしものせきしに引っ越してきたのは、高校生になってすぐの夏の終わりのことだった。
 もともと仲の悪かった両親が父の浮気が発覚したことをきっかけについに離婚を決めたため、母の実家のあるこの地に引っ越してきたのだった。
 今にして思えば上辺の付き合いだったと思うけど、当時はそれなりに仲の良い友達もいて、見栄を張って頑張って受験した偏差値の高い可愛い制服の高校もこれらの出来事の影響で夏休みまでしか通うことを許されなかった。
 突然、山口県に引っ越すと言われ、すぐに編入試験を受けさせられ、この右も左も言葉さえもまったくわからない土地にやってきたのだ。何のために今まで必死に受験勉強を頑張ったのだろうかと絶望した。
 なにより、どうせ父が外で遊んでいることなんてわかっていたことだし、わたしが高校を卒業するまで見て見ぬふりをしてくれればよかったのにと母に対して苛立ちさえ感じていた。
 わたしに選択肢はなかった。
 東京にそのまま残りたいと思っていた。それでも今後は我が物顔でやってくるであろう父の恋人と一緒に過ごせるなんて思わなかったし、一人暮らしがしたいと言っても高校生になったばかりの身では許してもらうことは叶わなかった。
 なにより、わたしはヒステリック気味の母に怒鳴られたり泣かれたりすると萎縮してしまってなにも言い返せず、ただただ言われるままにこの地にやってきたのだった。

 『下関しものせき

 条約が結ばれた場所だったと小学校の歴史で習ったことがある。
 でもまさか……夜になるとすべてがオフ状態で真っ暗になり、静まり返るような海辺の街に自分自身が住むことになるなんて思ってもみなかった。日本地図で見てみると本州の最果ての地に自分がいることが判明し、唖然としたくらいだ。
 加えて、転校した先の新しい学校は、初日から本当に最悪だった。
 まだ新しい制服が完成していなかったため、かつての高校の制服を身に着けた季節外れの転校生が珍しかったのだろう。一斉にいろんなクラスの人間がわたしを見にやって来たし、こそこそ何かを言っているのだってわかっていた。いきなり話しかけられ、聞き慣れないイントネーションや語尾に驚き、フリーズしているうちに『お高くとまっている』とか『嫌な感じ』などと悪態をつかれ始め、みんな遠目にはもの珍しそうに眺めるくせに、話しかけてはこなくなった。
 問題ない。
 友達なんてほしいとも思わない。
 こんな街、すぐに出て行ってやるんだから。
 そう思っていた。
 母の借りた小さなアパートはとても窮屈だったけど、海に近い場所にあってそこだけは唯一嫌いではなかった。
 学校が終わるとすぐにバスに乗り込んで帰ってくる三十分ほどの道のりは、窓の外に広がる関門海峡を目にすることができる。きらきらしていて、初めて見た日はひどくふてくされていたくせに、思わず目を奪われた。見慣れない景色だったからこそ、小さく胸が揺れたのだとその時は思っていた。
 地図で見た本州と九州は海を挟んでいるため、ずいぶんと離れたところにあるのだろうという印象だったのに、目視で海を越えた先に九州の街を見ることができ、驚くことばかりだった。なお、どこに向かうのかどこからやってきたのかわからない海外の名前の書かれた船が行き交うのもこの街では当たり前の光景だというのは後から知った。
 その中でも好きだったのは、夕暮れから夜にかけて海の向こうに見える門司港の景色だった。遠くの景色がオレンジ色の光に照らされ、まるで別世界のようだった。
 夜は絶対に外へ出ちゃダメよ、と耳にタコができるほど同じことを繰り返す母は、自分自身が外へ出て、東京の男と出会ったからだろう。下関に引っ越してきてからは特に外出に関して厳しく言うようになったため、わたしも従わざるを得なかった。逆らったら最後、ひどいヒステリックな感情をぶつけられるからだ。長年共に過ごしてきたためか、良くも悪くも母の取扱説明書は熟知できているつもりだ。
 なにより父とよく似た造形をしたわたしを見ると嫌悪感が生まれてくるのだろう。本当に勝手な話だけど。
 母は、高校卒業を目前にして、当時大学生でふらふらと旅行をしていたらしい父と出会い、恋に落ちた。周りが見えなくなったのだろう、彼女は周りの反対に耳を傾けることなく、すべてを捨ててそのまま何も持たない状況で東京まで付いて行ったのだという。そして、上京してすぐにわたしが生まれた。こんな結末を迎えることになるなんて当時の母は思いもしなかったのだろう。娘のわたしから見ても馬鹿な選択をしたものだと呆れるしかないのだけど、その反面教師で同じ過ちだけは絶対するものかと幼いながらずっと思い続けていたため、その部分だけは賢くなり、その気持ちはわたしを強くしてくれた。
 わたしの養育費は変わらず父が払ってくれることになっているし、成人するまでの責任はとってくれると話は決まった。父はわたしに激甘だから、養育費の他に、離れてしまう娘にお小遣いも送金したいと言っていたが、もちろんのこと母の逆鱗にふれた。
 いろんな選択肢はあったはずなのに、母は東京にわたしを残すことを許さなかったし、自身のプライドの高さからかわざわざ下関へ戻ってきたというのに実家に頼ることなく自分たちの力だけで過ごすことを決めた。そのため、朝から晩まで働きに出ることになった。わたしを見張りたいのかそうでないのか、どっちなのだと言いたくなるけど、彼女の帰宅は夜の十時を超えるため、それまでの間はわたしにとって自由時間となり、これに関しては不幸中の幸いだった。ああだこうだと口うるさいわりに、誰にも干渉されない時間が夜はゆったり取れるため、ふらりと関門海峡の向こうに見える光景を眺めに外へ出るのが日課になった。
 みもすそ川公園は、名称に『公園』とついているけど子どもたちが遊ぶような遊具はひとつもない。あるのは壇ノ浦の戦いの跡地であることがわかるいくつかの石碑と五門の大砲くらいだ。
 こうしてふらりと夕方にこの地を訪れるようになったころ、暑くて暑くて仕方がなかった夏場からようやく秋へと季節が移り替わろうとしていたころだった。
 私服に着替えてすぐ海沿いに小さく佇むみもすそ川公園に立ち寄り、止まることなくただひたすら流れ続ける関門海峡を眺め、暗くなるまでその場所で過ごすことが増えた。
 自分の部屋さえない小さなアパートにいても気が滅入るだけだ。その日も高校から帰るなり、長い髪をひとつにまとめ、ジーンズに履き替え、パーカーを羽織って外へ出た。壇ノ浦古戦場と記されたその場所を目前にした横断歩道の先で源義経と平知盛の石碑に迎えられる。向かい合って武器を構える彼らの姿はあまりにもリアルで迫力があって、今にも動き出して取っ組み合いの喧嘩を始めそうだった。小学校の時に授業で聞いたことのあるだけだった壇ノ浦の戦いの跡地に自分自身が立っていることが何とも不思議な気持ちにさせた。
 新しい生活はどう?と連絡をくれていたかつての友達からの連絡もひとり、またひとりと途絶えていった。
 入学して早々に連絡先を聞いてきた清水先輩も今は可愛い彼女ができたらしい。
 どうでもいいのに、周りからそんな連絡だけは入ってくる。
 人間関係なんて、どうせ終わりがくる。
 この場所で敗れてほろびた平家の人間には申し訳なく思うけど、わたしはもうこれからの人生に希望なんてなかった。
 ただ、こんな狭くて過ごしにくいところにだけはいたくないから大学は東京に行こうという目標はあった。それまではここの暮らしで耐えていく。でも、高校を卒業したらもういいだろう。すべてのしがらみから解放してほしかった。
 絶対に東京の大学に合格してみせる。
遊び相手もいないし、勉強に励むからそのあたりは問題ないだろう。
 だからこそ、先生が言ったようにここで人間関係なんてちんたら築いている暇なんてない。たった三年弱の高校生活で絆なんて結んで何になる。どうせ、離れたら終わるのに。
 ゆったり船が通り過ぎる様子をぼんやり眺め、何も感じられないわたしは心がどんどんすり減っていくのを感じる。
 バカだなぁと思う。
 東京から来たという男にほいほいついて行ったくせにこんな風にまた戻ってくることになった母も、そうは思いつつ反抗できない自分も。
 母は、自分が自由になれなかった分、わたしに執着するようになった。
 あれはダメ、これはダメ。
 言われたとおりに生き、母がヒステリックを起こさないようにとばかり先回りをして考えるようになった。すでにわたしは母の操り人形だった。
 何をしても希望を見出せない。
 きっとわたしはろくな大人にはなれないし、一生このままなのだろう。

「ああ、もうっ!」

 大きな声で叫んで、顔を覆った。
 どうしたらいいのかわからない。
 もやもや、もやもやもやもや。
 心がどんどん黒い影に覆われていく。
 口を開いても十分な空気が入ってこなくて、胸が締め付けられる一方で息をするのも苦しくて苦しくて仕方ないのだ。

『大丈夫?』

 そんな時に声をかけてきたのが、セイだったのだ。
 誰このひと?と思って視線を上げると見たこともないきれいな顔をした男の子が立っていて、不意に止めていた呼吸を再開したら、思わず涙が出た。
 声をかけるなら、空気を読みなさいよ……そう思ったのが、第一印象だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全36話⭐︎ 倒れた当主を看病する役目を振られた使用人リィナは、彼の部屋へ通うことになる。 栄養、灯り、静かな時間、話し相手――“眠れる夜”を整えていく。そして、回復していく当主アレクシス。けれど彼は、ある夜そっと手を握り返し、低い声で囁く。 「責任、取って?」 噂が燃える屋敷で、ふたりが守るのは“枠(ルール)”。 手だけ、時間だけ、理由にしない――鍵はリィナが握ったまま。 けれど、守ろうとするほど情は育ち、合図の灯りはいつしか「帰る」ではなく「眠る」へ変わっていく。 看病から始まった優しい夜は、静かな執着に捕まっていく。 それでも、捕獲の鍵は彼ではなく――彼女の手にある。

すべてはあなたの為だった~狂愛~

矢野りと
恋愛
膨大な魔力を有する魔術師アレクサンダーは政略結婚で娶った妻をいつしか愛するようになっていた。だが三年経っても子に恵まれない夫妻に周りは離縁するようにと圧力を掛けてくる。 愛しているのは君だけ…。 大切なのも君だけ…。 『何があってもどんなことをしても君だけは離さない』 ※設定はゆるいです。 ※お話が合わないときは、そっと閉じてくださいませ。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

雪嶺後宮と、狼王の花嫁

由香
キャラ文芸
後宮に降る雪は、呪いではなく嘆きだった。 巫女として献上された少女セツナは、 封じられた狼王の“花嫁”としての前世を思い出す。 人と妖、政と信仰の狭間で、 彼女が選ぶのは従属ではなく均衡。 雪嶺を舞台に描く、異種婚姻×後宮伝承譚。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~

悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。 強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。 お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。 表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。 第6回キャラ文芸大賞応募作品です。

処理中です...