涙色ミルキーウェイ

保桜さやか

文字の大きさ
5 / 29
片恋切符は天の川をこえて

5、関門トンネル 下関側

しおりを挟む
『いつも思うんだけど、それだけで足りる?』

 関門海峡沿いを歩いてだいたい十五分くらいの場所にあるコンビニで買ったおにぎりをひとつ袋から取り出した時、すでに大きなフランスパンにかじりついていたセイが不思議そうな視線をこちらに向けてくる。

『足りる。むしろ食べなくても平気なくらい』

 たまに食べることを忘れたりもする。

『いやいや、マミちゃんは細すぎるからしっかり食べて』

 セイはもともと下関出身で、ずっとこの街に住んでいたらしいのだけど、両親の転勤に伴ってひとりでこっちに残ったのだという。海を挟んで見える先の門司港レトロ地区に祖父母の家があって、今はそこに滞在しているのだとか。
 普段は高校へは船やバスで通っていて、そこで所属している陸上部は木曜日がお休みということもあって、トレーニングがてら木曜日は自転車で通っているのだそうだ。
 その際は門司港(北九州市)からみもすそ川公園(下関市)前までつながる海底トンネルを通って高校に向かっていると教えてくれた。
 この地の下に海底トンネルがあって、歩いて渡ることができると知った時はとても驚いたものだ。
 セイに初めて出会ったあの日、わたしは彼に負の言葉を並べ、感情をぶちまけてしまった。今思うと完全にとばっちりの被害者でしかないセイには大変申し訳ないことをしたという気持ちでいっぱいだけど、あの時はあれが精一杯で我慢の限界だった。
 人に言ったって何か変わるわけでもないのに。
 そんなことはわかっていたはずなのに、わたしは無我夢中で気持ちを言葉にしていた。
ぶちまけてぶちまけて、わんわん泣いた。
 セイはずいぶん慌てた素振りを見せ、慰めてくれたようだったけど、わたしの耳には届かなかった。自分でもなんて恥ずかしいことをしたのだろうかと今なら思う。ずいぶん迷惑をかけてしまったし、もう二度と会うことはないだろうと思っていたけど、一週間後の木曜日に彼はひょっこり現れて、何食わぬ顔で話しかけてきた。
 その日を境に少しずつ話すようになり、だいたい木曜日の夕方になるとセイが姿を見せることが増えたため、木曜日になるとできるだけ早めに帰宅をして、彼がやってくるのを待ち、他愛もない会話をし、夜になって解散する……それが新しい生活のひとつになった。
 自分でも不思議だったのだけど、彼の隣にいると、ゆっくり息が吸える気がした。
 彼は何でも知っていて、それでいて彼の自転車はいつもどこまでも連れて行ってくれた。
 わたしたちは関門海峡沿いを時間が許す限りお散歩したり、みもすそ川公園でいろんな話をした。
 残念ながらちょっとした拒否反応が出てしまって、通っている高校方面(下関駅付近)へは行くことはできなかったけど、セイは気にした様子もなく応じてくれて心底ほっとしたのを覚えている。試験の前やひんやりと寒い季節など、少し先にある長府方面まで足を延ばして図書館で勉強することもあった。

『マミちゃん、気を付けてね』

 彼の背に腰掛け、初めて腰元に触れた時はドキドキした。
いつも自転車を押す彼の隣を歩いていたのだけど、徒歩だと行動範囲が限られていたし、運動不足のわたしは疲れてしまうことも少なくなかった。そんな時、セイが自分の自転車の後部に簡易的なクッションを用意してくれたため、彼の後ろに座る日も増えていった。

『目標、十七時到着!』

『あ、安全運転でお願いします』

『了解!』

 セイは慣れっこなのか、わたしが触れてもまったく動じる様子を見せず、わたしひとりが胸の鼓動が聞こえないように必死だった。
触れてもいいのか……なんて柄にもなく緊張したあの瞬間はきっと永遠に忘れることはないだろう。
 思い返せば、わたしたちはいろんな会話をした。だけど、無言でお互いがお互いの時間を過ごしている日もあった。それでもそんな空間は苦になることもなく、気付いたらぽつりぽつりとどちらかが話し始めて、新しい会話が生まれていく。
 できるだけ自分の話をしたくないと思っていたことがまるで嘘のように彼と過ごす木曜日の夜は特別なひとときとなった。
 セイはあまり自分の話をしない……というよりも、会うたびに一週間分ため込んだわたしの言いたいことばかりが溢れてしまって彼の話を聞き損ねてしまったとあとから反省する日が多かった。
 あれが言いたいこれが言いたいと、普段は人と接することがない分、小さな発見をすればセイのことを思い出し、何から何まで彼に伝えたくて仕方がなくなっていた。
 彼は本当に聞き上手だった。
ついつい彼に甘えて、わたしはありのままの自分で過ごせるようになった。
 本名も知らなければ、高校名だってあいまいだ。
 現れる方向や着ている制服から、あそこかな?とは予測をしているものの、改めて聞いたことはない。それに、わたしだっていつも私服で彼と会っているわけだから、彼もわたしの高校を知らない。
 気にならないといえば嘘になるけど、途中からこれ以上踏み込んではいけないというラインがなんとなく見えた気がした。近づいていくのが怖くなった。
 今の関係がちょうどいい。
 お互いのことをすべて知っているわけではないからこそ本音を言いやすく、居心地が良かった。だからこそ、あえて彼について追及することはしなくなっていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全36話⭐︎ 倒れた当主を看病する役目を振られた使用人リィナは、彼の部屋へ通うことになる。 栄養、灯り、静かな時間、話し相手――“眠れる夜”を整えていく。そして、回復していく当主アレクシス。けれど彼は、ある夜そっと手を握り返し、低い声で囁く。 「責任、取って?」 噂が燃える屋敷で、ふたりが守るのは“枠(ルール)”。 手だけ、時間だけ、理由にしない――鍵はリィナが握ったまま。 けれど、守ろうとするほど情は育ち、合図の灯りはいつしか「帰る」ではなく「眠る」へ変わっていく。 看病から始まった優しい夜は、静かな執着に捕まっていく。 それでも、捕獲の鍵は彼ではなく――彼女の手にある。

すべてはあなたの為だった~狂愛~

矢野りと
恋愛
膨大な魔力を有する魔術師アレクサンダーは政略結婚で娶った妻をいつしか愛するようになっていた。だが三年経っても子に恵まれない夫妻に周りは離縁するようにと圧力を掛けてくる。 愛しているのは君だけ…。 大切なのも君だけ…。 『何があってもどんなことをしても君だけは離さない』 ※設定はゆるいです。 ※お話が合わないときは、そっと閉じてくださいませ。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

雪嶺後宮と、狼王の花嫁

由香
キャラ文芸
後宮に降る雪は、呪いではなく嘆きだった。 巫女として献上された少女セツナは、 封じられた狼王の“花嫁”としての前世を思い出す。 人と妖、政と信仰の狭間で、 彼女が選ぶのは従属ではなく均衡。 雪嶺を舞台に描く、異種婚姻×後宮伝承譚。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~

悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。 強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。 お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。 表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。 第6回キャラ文芸大賞応募作品です。

処理中です...